現れたのは真っ赤に染まった薄暗い路地の先。
今までにない恐怖に手が痺れ、思わず息を呑む。
呼吸をしようにも、辺りの臓腑から漂う真っ赤な鉄臭い血の匂いが、呼吸を邪魔する。
虹色の瞳。
血を被ったような真っ赤な頭。
「あれー? こんなところで女の子が一人でどうしたの?」
ニコニコと笑う屈託ない笑顔の青年からは、凄惨さしか感じられない。
震える手に後ずさる足を留め、ゆっくりと腰の日輪刀を抜く。
普段通りの動きのはずなのに、やけに身体が重い。
やはり、身体は理解しているのだ。
目の前の鬼は、本当の意味での化け物。
その証拠が、虹色の両眼に刻まれた文字。
『上弦』『弐』
初めて出会う最悪の化け物である。
「鬼殺隊の花柱、胡蝶カナエです」
「ああー、君、鬼殺隊なんだね?」
今、そのことに気づいたと言わんばかりの鬼の態度に、カナエは苛立ちを覚えるが、冷静さを保ちつつ、相手との距離を測る。
「君みたいな可愛いくて優しそうな子が鬼殺隊だなんて、世も末だね。 もしよかったら聞いてあげよう。 話してごらん」
まだ相手には戦意を感じられない。
ならば、一つでも情報を引き出さなければならない。
警戒したまま、相手に言葉を投げかける。
「では、一つ聞きたいことがあります」
「うん? 何かな?」
穏やかに優しく喋る口元に真っ赤な血がこびり付いている。
「貴方は人という生き物をどう思っていますか?」
その問いは、対峙した鬼たちに何度も尋ねた質問でもある。
大概の鬼は、食料と答えており、誰もカナエのほしい答えではなかった。
後悔している、人を食べなくない、人間に戻りたい……そんな風に考える鬼もいるのではないか?
自分自身、甘え考えだと思っているがそれでも考えてしまうのだ。
殺す以外に道はないのか、と。
だが。目の前の鬼は今までの答えとはまるで違っていた。
「あら? 本当に聞いてくるんだね……良いよ、答えてあげる。 そうだね……可哀想な人達だと思っているよ」
鬼の言葉に、カナエは思わず刀を握る両手に力が籠る。
そんなカナエの様子に気づかずに、鬼は上機嫌のまま語り続ける。
「誰もが死ぬのが怖くて、誰もが辛いことを恐れてる……だから俺は皆を食べてあげるんだ。 俺が食べてあげれば、ずっと一緒。 もう、怖くも辛くもないでしょ?」
救っている、という鬼らしい傲慢な考え、いや本人は本当に救っていると思っているのかもしれない。
ならば、本当に哀れで、本当に狂っている。
息を整えて、相手の動きを観察する。
このまま斬り込んでいってもカナエの死は確実である。
ならば、少しでも可能性を模索する、そんなカナエの考えすら、この鬼には通用しない。
「だから、食べてあげるね」
「っ!?」
一瞬で距離を詰めた鬼の両手には、対の扇。
人の身体などやすやすと両断することができる鋭い刃。
花の呼吸・弐ノ型、御影梅。
瞬時の技を放ち、自身の周囲を囲うように放たれた斬撃は、鬼の身体を切り裂くと、相手との距離を取る。
もう少し判断が遅れたら、首筋についた傷口がより深く入っていただろう。
守りに入れば死ぬ、そう判断したカナエの前では、先程切り裂いた傷を一瞬で再生させた鬼が再び迫る。
これが上弦弐の鬼、生半可な攻撃は意味をなさない。
ならば、と恐れを跳ね除けて、カナエは迫る。
花の呼吸・伍ノ型、徒の芍薬。
高速の九連撃。
まるで芍薬の花が咲いたかのような斬撃は鬼に向かって放たれるが、届いたのは三撃まで。
残りの斬撃は、全て扇により防がれる。
「おっとと、ちょっと喰らっちゃったね」
余裕めいた鬼の言葉に、カナエは焦りを募らせる。
初めて放った技ですら、簡単に対応される。
いや、長い時を生きた鬼程、こちらの技を知っているのだ。
つまり、二度目は通じない。
ならば、超短期決戦。
次の一撃で首を刎ねる。
そう考えたカナエの前に鬼が迫る。
枯園垂り。
両手の扇が冷気を纏い、振るわれた斬撃がカナエに襲い掛かる。
触れれば終わり、瞬時に判断したカナエは次の技を繰り出す。
花の呼吸・陸ノ型、渦桃。
迫り来る冷気を纏う斬撃を回避しながら、カナエは空中で身体をひねると、そのまま斬撃を放つ。
狙うは、鬼の首ただ一つ。
扇が攻撃に転じた瞬間を狙ったため、防ぐことはできない。
だが、その一撃すらあざ笑うかのように、鬼は身体を反り返るようにして、首を狙った斬撃を回避する。
お返しとばかりに振るわれた扇を、カナエはしっかりと刀で受け止めて、その衝撃を利用して距離を取る。
もう少し、もう少しなのだ。
だが、その一撃が遠い。
「いやー、君。 本当に早いねー、今まで対峙した柱の中でも一番速いかも」
けど、さー俺には勝てないよ?
その瞬間、カナエは呼吸ができなくなった。
息ができない、呼吸がままならない。
まるで、肺が凍り付いたみたいだ―――
「あれ? もしかして気づいた?」
片膝をつき、周囲がぼやけ始めたカナエの視界で、鬼は楽しそうに笑みを浮かべる。
「うん、大正解。 粉凍りっていってね、凍らせた血を霧のように飛ばす技でね。 少しでも吸っちゃうとこの通り、呼吸すらままならなくなってしまう」
楽し気に扇を振るって、微細の氷の結晶を周囲に撒き散らす鬼を見て、カナエは気づいた。
初めから、この鬼の掌の上であったということを。
血を流し、こちらに接近戦を持ち込ませる。
それだけで『呼吸』を使う隊士は、目の前の鬼の掌を転がされてしまう。
同時に、圧倒的な再生能力を持ち、冷静に思惑を進める知能。
これが上弦弐の鬼、鬼殺隊の柱すら何度も葬った本当の怪物。
この情報は絶対に持ち帰らなければならない。
自分の命がどうなろうとも。
「苦しいよね? 肺が凍って呼吸も上手くできない」
鬼がこちらに止めを刺そうとゆっくりと近づいてくる。
だがカナエの足は思うように動かない。
「君は本当に頑張った。 だから、もうお休み」
鬼は扇を空に翳す、カナエの首を刎ねようとするために。
この場にしのぶがいなくて本当に良かった―――
最愛の妹の幸福を願いながら、カナエは死ぬ。
「いただきます」
「やらせると思うか?」
愛の呼吸・参ノ型、青龍。
まるで槍の如く、一直線に伸びた鋭い軌跡は鬼の左胸を捉えると、炸裂音とともに遥か後方へと弾き飛ばした。
吹き飛んでいく鬼を尻目に、カナエの身体は何者かによって持ち上げられた。
「遅くなった。 カナエ」
霞みゆくカナエの視界には、鬼殺隊最高の剣士が笑っていた。
・ ・ ・ ・ ・
カナエが危険だ。
突然、現れた宗次郎と義勇に言われて、しのぶは言われるがままにカナエのいる方へと走り出す。
そして、そこにいたのは倒れ伏せた姉に近づく一匹の鬼。
次の瞬間、一瞬のうちに距離を詰めた宗次郎の突きが鬼を遥か後方へと吹き飛ばした。
「姉さん!!」
宗次郎の両腕の中で、力尽きたように倒れた姉の姿にしのぶは、動揺の余りその元に駆け寄ろうとするが、右肩を義勇に押さえられる。
突然の行動に義勇の方を睨み付けようとするが、それよりも先に義勇の動きが早かった。
「伏せろっ!!」
義勇に無理やり地面に引き摺り込まれると、その頭上を巨大な扇が通り抜ける。
転がるしのぶの身体を義勇が受け止めて、迫るもう一つの扇を宗次郎が跳ね返す。
そこでようやく状況を察したしのぶが、義勇の手に引かれて立ち上がると、遠くの方からこちらに向かって歩いてくる鬼の姿が見えた。
姉の敵、と再び頭に血が上りそうになるが、こちらに向かって跳んだ宗次郎の腕の中で眠る姉の姿に、冷静さを取り戻す。
「しのぶ、カナエは生きている」
一言だけそういうと、しのぶにカナエの身体を預ける。
近くで見た姉の表情は青白く、明らかに酸素が足りていないのは明白だが、微かに呼吸音は聞こえる。
それ以外の外傷もなく、カナエが生きていることは間違いなかった。
「義勇、二人を頼む」
カナエを渡して、両手で巨大な真黒な日輪刀を握りしめて、鬼を睨む。
「しかし、宗次郎……」
「奴は十二鬼月、それも上弦の弐だ」
少しずつ、距離をあける宗次郎の言葉に、しのぶは息を呑むしかない。
上弦の鬼と言えば、柱ですら殺す最強の鬼。
この状況では目に見えて勝ち目がなかった。
「義勇、二人を連れて、離れてくれ」
「……勝てるのか?」
宗次郎の指示に、義勇が尋ねる。
そんな義勇に向けて、宗次郎は力強く笑う。
「そのための鬼殺隊だ」
その言葉を聞いた義勇は、そのままカナエを背負ったしのぶを引っ張って、宗次郎達から距離を取る。
その行動に、思わずしのぶは非難の声を上げる。
「そんな!? 冨岡さん!! 愛染さんを見捨てるんですか?!」
余りに身勝手な非難。
先程は命を救ってもらった恩人にすら噛みつくしのぶよりも、遥かに冷静な義勇はただ一言。
「宗次郎は負けない」
その一言と共に遠く向こうからは、金属が弾き合った金切音が聞こえた。
振り返ったしのぶの視線の先には、頭上へと舞う金属製の扇と鬼の右腕。
そして鬼の胴体を真っ二つにする宗次郎の一振りだった。
だが、それでも致命傷になっていない鬼に対し、宗次郎は右蹴りを放って鬼を強引に距離を取らせる。
一瞬のうちに全身を再生させた鬼は、近くに転がっているもう一つの扇を握りしめるが、既に遅し。
愛の呼吸・参ノ型、青龍。
再び放たれる長距離の一撃に、鬼は扇で受け止めようとするが、
「えっ!?」
「残念、その突きは曲がるんだよ」
孤を描くように放たれた突きは、鬼の首筋に切っ先を突き刺した。
しかし、流石は上弦の鬼、一瞬の判断で後方に首を反らすと、絶命を逃れる。
「ふぅ、危な」
だが、既に宗次郎は次の技を放っていた。
愛の呼吸・弐ノ型、白虎。
振り抜かれた一撃は相手の扇を破壊し、鬼の全身を砕きながら後方へと吹き飛ばした。
必殺の弐連撃だったが、鬼を仕留めるまでに至らない。
追撃を仕掛けようとした宗次郎に向けて、氷の鞭が行く手を阻み、鬼に一呼吸余裕を作る。
「はぁ、折角の自慢の扇だったんだけどね」
「諦めろ、物はいつか壊れる」
互いに距離を取り、息をつく。
再び死闘の猶予を作るために。
「今まで随分と柱達を倒してきたけど、君が間違いなく一番強いね」
「流石は上弦の弐というわけだ。 中々死なない」
残されたもう一つの扇を仰ぐ鬼に対し、刀を一振りし、風を巻き起こす宗次郎。
そんな宗次郎を見て、鬼は呆れたように口を開ける。
「どうやら、ネタもばれてるみたいだね」
「カナエの姿を見た時から違和感があった」
宗次郎は既に気づいていた。
鬼の戦術も、宗次郎には効かなかった。
「けど、呼吸って必要だろう? どうやって防いだんだい?」
「答える必要があると思うかい?」
冷静に返す宗次郎を見て、鬼は楽し気に笑う。
「確かにその通りだ。 じゃあ、続きといこうか……と言いたいところだけど」
鬼は残念そうに頭上を見上げる。
すると真っ暗だった空が、東の方から明るくなっていく。
「残念だけど、ここまでだね」
「私は戦ってもいいが?」
もう鬼の時間は終わりだ。
宗次郎が止めを刺そうにも、上弦の鬼が本気で逃げれば、この状況では難しい。
「じゃあ帰るとするよ」
立ち去ろうとする鬼を見ても、宗次郎は追わない。
今、命を繋いでいるカナエも、肺を潰される重傷であるため、仕留めきれるかわからない鬼を追うのは得策ではない。
「あ? そう言えば名乗ってなかったね。 俺の名前は童磨。 君の名前は?」
鬼――童磨の問いかけに答える必要がないため、宗次郎は沈黙を続ける。
そんな宗次郎を一瞥し、童磨は闇へと消えていった。
こうして長い長い夜は明けたのであった。
・ ・ ・ ・ ・
この世はクソゲー、はっきりわかんね。
不意打ちと見慣れない技で、童磨を瞬殺するつもりだったのに、上手く逃げられた。
こうなったら次戦うときに、手加減なしでチート技使ってくるやん。
なら、原作通りで倒してもらおうとすると、しのぶ死んじゃうし。
そもそも原作通りの流れになるかもわからないのに、そんな意味不明な賭けしてしくじれば、カナヲと伊之助も死んでしまう。
なら、次は確実に嵌め殺す方法考えておかなければ、と考えながら、カナエを背負って、義勇としのぶを引き連れて走る。
一つ良かったと言えば、カナエが生きていること。
これは本当に運がよかった。
錆兎の件は死ぬタイミングがわかっていたので、助けること自体簡単だと思っていたのに、何故か鬼に襲われている義勇を助けたために、錆兎が間に合わなくなるところだった。
実際、錆兎の隊士としての道を断ってしまった。
だからこそ、その時にこの世界はあくまで鬼滅の刃の世界であって、漫画のように上手くいかない。
そのことに気づいた私は、とりあえず義勇を始めとした隊士の魔改造計画を行うことにした。
寺子屋もどきもこの一環で、同じ志を持つ隊士の皆に生きてもらうためである。
そういうわけで、原作の流れを信じなくなったが、それでも気になる私は胡蝶姉妹の足取りを追っていたのだが、如何せんカナエが死んだタイミングはわからない。
だから、義勇と二人で後をつけ回していたのだが、運が悪くカナエだけ離れた時に、鴉が助けを求めに来た。
全速力で走ったわけだが、何とか命を救うことには成功した。
蝶屋敷に駆け込んで、カナエとしのぶのことを任せると、すぐさま義勇と共に任務へ向かう。
目的地の場所は、物語の始まりとされる炭治郎の住む家の付近。
どうやら原作が始まるようだ。