薄暗い山道に足を取られないように歩くしのぶは、先程から漂う臭い、死臭に吐き気を催すが、それでも懸命に周囲を警戒しながら進んで行く。
十二鬼月、上弦と下弦に分かれているものの、鬼の首領である無惨の絶対的配下であり、並みの鬼とは比べ物にならない力を持つ。
先日、しのぶの姉であり、鬼殺隊が誇る柱のカナエですら敗北した。
段々と血の気のなくなっていく姉を見て、姉を失う恐怖のあまり何もできなくなっていたしのぶに対し、柱である宗次郎と義勇は冷静に対処した。
そのおかげで、上弦の弐は撤退し、姉のカナエも何とか命を繋ぐことができた。
そうなると現金なもので、鬼に対しての怒りなどが込み上げて、姉のようになるんだと勇んでこの地に来たものの、こうして再び鬼の恐怖を感じ始めている。
そんなしのぶに対し、先を歩く無一郎の姿は堂々たる姿で、特にこの状況に気負うことなく、鬼の痕跡を探っていた。
しのぶよりも四つも離れた、まだまだ子供の無一郎の方が柱に相応しいのでは?とそんなことばかり考えてしまう。
しのぶも初めて無一郎に会ったが、噂だけは聞いていた。
愛柱・愛染宗次郎の秘蔵っ子であり、最年少隊士、僅か三か月という短い時間で『霞の呼吸』を修得した天才。
腕だけは確かな義勇ですら、彼のことは褒めていた。
そんな彼に対し、継子という立場だけで、それ以外特に目立った功績を上げておらず、鬼殺しの毒ですら満足に完成していない。
『鬼の首も落とせない柱なんて必要ないと思うけど?』
その通りなのだ。
本来なら、しのぶは隊士としても不完全、柱になんてなれる器ではない。
「……ねぇ」
「えっ!? はい、なんですか?」
考え事に夢中になり、無一郎の接近に気が付かなかった。
慌てて返事をしたものの、自分の迂闊さが恨めしい。
しかし、無一郎は特に気にした様子もなく、淡々と話す。
「その糸、早く切った方がいいよ」
「えっ?」
どういうことですか?と口にする前に、突然しのぶの左腕が頭上に引っ張られた。
敵襲!? 奇跡的に反応した右手が、日輪刀を抜こうとした瞬間、既に無一郎の刃がしのぶの頭上を掠める。
すると、左腕にかかっていた力は消えた。
どうやら、無一郎が助けてくれたらしい。
「あ、ありがとうございます」
「お礼なんてどうでもいいから、さっさと構えてくんない? もう来てるよ」
無一郎の刃が再び空を切る。
いや、無一郎は頭上から垂らされていた子蜘蛛を器用に一刀両断した。
しのぶも無一郎に遅れて、日輪刀を抜くと、そのまま頭上から振ってくる子蜘蛛を全て貫いた。
子蜘蛛から垂らされた糸を手足にくっつけて、相手の自由を奪うのだろうか?
鬼の血鬼術を分析しながら、しのぶは飛来する子蜘蛛を蹴散らしていく。
その隣では、危なげなく子蜘蛛を刻んでいた無一郎が、近くの木の幹を蹴ると、そのまま枝の反発力を利用して空高く宙を舞う。
「終わりだね」
霞の呼吸 弐ノ型 八重霞。
一瞬、霞が掛かった様に、ぶれた無一郎から放たれた斬撃から逃れることができない。
首を刎ねられた鬼は、自身の頭と巨大な蜘蛛の身体を細切れにされて、そのまま死んでいった。
余りに呆気ない死だったが、それでも子蜘蛛が降ってくるのが止まらない。
つまり、この血鬼術は別の鬼のものである。
「無一郎くん!!」
「言われなくてもわかっているよ」
しのぶの声がかかる前に、無一郎は次の行動を行っていた。
木の枝に着地すると同時に、再び弾かれたように空を飛び、少し離れた岩場の上に座る女型の鬼を見つける。
「ひっ!?」
「見つけた」
鬼から放たれた糸を切り裂きながら接近する無一郎に、ようやく逃げようとした鬼だったが、既にそこは無一郎の射程内であった。
霞の呼吸 肆ノ型 移流斬り。
地面を滑るようにして間合いを詰めて放たれた刃は、鬼の首を捉える。
鬼は自身に何が起きたか理解できないまま、死ということだけを悟った。
首を刎ねたことにより、チリと化していく鬼を横目に、無一郎は周囲の気配を探る。
二体の鬼は葬ったが、アレは十二鬼月でないことは無一郎も気づいている。
先程から、無一郎に向けて放たれる殺気というものが全く衰えていないからだ。
「って、あれ?」
周囲を見渡していると、しのぶの姿はそこにはいなかった。
「まあ、いいや」
漸くしのぶと逸れたことに気が付いた無一郎だったが、特に気にした様子もなく、鬼の探索を再開する。
その瞳には、しのぶという仲間への考慮が全くと言っていいほど感じられなかった。
・ ・ ・ ・ ・
無一郎に先行という名の放置を喰らったしのぶだが、その後を追う前に新たな鬼の襲来により、その場での停滞を余儀なくされた。
手の平から放たれる糸の束を喰らわないように、着実に距離を詰めるしのぶに対し、鬼は後がないと言わんばかりに猛攻を仕掛ける。
「アンタたちのせいで、私も怒られるじゃない!!」
怒りを滲ませ、しのぶを殺そうとする鬼の言い分はまるで理解できなかった。
だが、それは当たり前だろう。
鬼とは自分勝手で、人を見下し、喰らうだけの害虫。
それだけは、しのぶも身をもって知っている。
「貴方の言い分なんて、知りませんよ!!」
しのぶは迫る糸を容易に躱してしていく。
腕力がなく、小柄なしのぶだが瞬発力と小回りだけには自信を持っていた。
故に、この程度の鬼に捕まるはずはない。
糸が地面を打つその瞬間を狙って、しのぶは懐に飛び込み、日輪刀を鬼の身体に突き刺した。
人の身ならば致命傷だが、鬼は首を刎ねるか、日光を浴びないと死なない。
故に、鬼はしのぶが自身の首を刎ねることをできないことを悟り、怒りの表情から一転、見下すように嗤う。
「はっ、ちょこまかと動くだけの子鼠ね」
余裕に満ちる鬼を見ても、しのぶは冷静に相手の状態を観察する。
既に刀身に塗っておいた毒は、鬼の体内に入っただろう。
だが、鬼は苦しむどころかピンピンとしている。
つまり、致死量の毒が入っていないのだ。
再び迫る鬼の猛攻を躱しながら、しのぶは鬼の身体を斬りつけていく。
小さな傷跡しか残らない自身の非力さを不甲斐なさを感じるが、少しづつだが見えてきた。
力が伴う斬撃よりも、必要最低限の力で済む突き技の方が自分には合っているということ。
それに伴い、今持っている日輪刀は自分の型に合わない。
どちらかというと、注射針のような突き刺して毒を大量に投入できるような形の日輪刀がいい。
槍のような大柄でなく、しのぶの力で取り回しがきくような軽い刀を。
何度も切り裂き、時には鬼の顔に向けて毒の粉をかけていると、ようやく鬼も自身の身体の異常を理解したのか、動きを止めてそのまま地面に倒れ伏せた。
何か喋ろうと口を開くも、言葉が出てくることはなく、変わりに血反吐を吐きながら絶命した。
毒で鬼を殺せることは確認済みだった。
だが、やはり今のままでは鬼を殺しきるまでに時間が掛かる。
もっと強い毒を、もっと適した戦闘手段を確立しなければならない。
毒が回り全身が腐っていく鬼の身体を観察し終えたしのぶは、無一郎を探そうと周囲を見渡す。
しのぶの視界には無一郎の姿は見当たらなかったが、すぐ近くで聞こえる倒壊音により方角は特定できた。
「あちらですね」
先程から響き渡る炸裂音や木々が倒れる音の方へ向かって、しのぶは周囲を警戒しながら走り出す。
その間、しのぶは、鬼の特性や姿形を思い出しながら状況を整理していく。
どうやらこの那田蜘蛛山に住まう鬼達は、蜘蛛のような姿や血鬼術を使っている。
恐らくこれは偶然ではなく、群れる鬼の集団と云うのもわけがあるはずである。
群れるはずがない鬼達が、同じような特性を持ち、同じ場所にいるというのは奇妙極まりない。
つまり、この原因こそが十二鬼月なのだろう。
今まで出会ったことがない強敵の存在に、震えそうになる身体を鼓舞し、しのぶは木々の間を抜けながら開けた場所へと辿り着いた。
そこでは、無一郎と巨大な体躯をした鬼が刃を交えていた。
折れた木をそのまま振り回す鬼の一撃は、容易に地面を抉り、人間を簡単に潰してしまうだろう。
その一撃を見ても、無一郎は怯むことなく、鬼に接近を繰り返して、鬼に確実に傷をつけていく。
捉えることのできない姿はまさに霞そのものだ。
その姿、そして強さはまさに柱に相応しいと言ってもいい。
一人の鬼にあれほどまで時間をかけた自分とは大違いだ、としのぶが自分自身を嘲笑っている間にも戦況は進む。
「少し硬いね」
さっき斬った鬼達よりも、強く硬い鬼だった。
だが、この程度を十二鬼月というには余りに馬鹿馬鹿しい。
つまり、まだ本命はいる。
「でも、だいたいわかったよ」
こういうのはさっさと片づけるに限る。
鬼の動きを観察しながら、相手の一撃を後方に下がって躱す。
地面を抉った衝撃により、土埃が舞い、視界が閉ざされる。
霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消
駆け抜けた先のものをすべて斬る。
木々も、振るわれた一撃も、そして鬼の身体も。
全身をバラバラにされた鬼は、無一郎の前で散る。
本日、三体目の戦果を得て、無一郎はあと何体の鬼を斬ればよかったか、考えてみるが思い出せない。
記憶に霞がかかる不思議な気分だが、どうせ今日斬った鬼のことも忘れてしまうだろう。
ならば、大切なことだけ覚えておけばいい。
今日、十二鬼月を斬って、柱への道を築く。
そして、先生である宗次郎と肩を並べて、恩人である御館様をお助けする。
それだけを覚えていたらいい、それだけで無一郎は良かった。
鬼を片づけたことで、先程まで観察していたしのぶが、ぼーっとしている無一郎に話しかける。
「お見事でした。 見事なまでの剣術です」
しのぶに褒められるも、無一郎は特に反応しない。
確かに無一郎は、霞の呼吸を使いこなし、あと少しで自分独自の技も編み出せると確信している。
だが、所詮はその程度なのである。
「何言ってるの? 先生ならこの程度、簡単に使いこなせるよ」
「え? 先生……愛染さんのことですか?」
無一郎の言葉に、しのぶは戸惑いの声を上げる。
それもそのはず、しのぶが知っている限り、宗次郎が使っているのは、宗次郎だけの呼吸である『愛の呼吸』であり、決して霞の呼吸ではない。
確かに、炎、水、雷、岩、風と基本的な呼吸を習い、自分に合った呼吸法を作り出したのが宗次郎である。
しかし、無一郎からすれば、その事実はまるで無知と言っていいほどの呆れたものだった。
「まさか、先生が普段使ってるのが、本当の技と思ってないよね?」
そもそも、『愛の呼吸』はそういうものじゃないし、と続けた無一郎に、しのぶがより詳しく話を聞こうとしようとした瞬間、周囲から全身を突き刺すような強い殺意が感じられた。
「っ! これは!?」
「どうやら、本命が来たようだね」
肌を刺すこの殺意は、まさに別格。
先程までの鬼は、雑魚と言っていいだろう。
その強い殺意に呼応するかの如く、無一郎は獣の如く好戦的な笑みを浮かべる。
その姿に息を呑みながら、しのぶは自身の持つ毒薬の残量を確認し、日輪刀を構える。
そして、彼は現れた。
十二鬼月下弦の伍、累。
奴は、この那田蜘蛛山の主である。
その頃の宗次郎。
宗次郎「私は草だ、誰が見ようと草だ」
しのぶと無一郎の奮闘を、ハラハラしながら観戦中。