子連れ少女は生き延びたい 作:ちゃっぱ
誰が決めたことだっただろうか。
「我妻琴音を重要保護対象にするつもりだよ」
彼女が上弦に餌と認識されていても繋がっている。
彼女の故郷で、鬼が暴れている。
まず上弦に注目した彼らは約束事から後半年だという短い期限に戦慄していた。
それを「可哀そうだが囮にしよう」といったのは誰だったか。
片腕では剣士になれない。
ならば「――――」といったのは、誰だったか。
「わしの所に将来の弟子がいるのじゃが、どうも少し気がかりでなぁ」
弟子に鬼の体験をさせて少しだけ落ち着かせてほしいのだと、そう何か言いたいことを隠して頼まれたのは何故だったか。
というか、別呼吸の育手に弟子(予定)を任せていいのか?
ああまったく。面倒だ。
しかし、最近明るくなったのか気色悪くなったのか弟相手にたくさんの愛を送る女が成長した姿を見たくなったと思えたのだ。
実の娘ではないが手のかかる子供であるのは違いないだろう。
「まったく。誰が駄目親父だ」
遠くから見えている――――しかしあいつらからは全く見えない位置に立ちつつも、観察対象の騒がしい子供たちにため息を吐いたのだった。
恐怖を体験している人の感覚というのは、とても鋭くなるらしい。
緊張状態から抜けることなく、呼吸も常に浅く、己の心臓の音が爆音で聞こえる程度には身体の調子がおかしくなるのだ。
戦争を経験した兵士も死ぬかもしれない恐怖で失禁してしまっても自身は気づかず生き残って帰ってからようやく気づいたという話さえある。
つまり、周りを警戒して常に集中してしまうのだ。
己の身体がおかしくなっても気づかず、葉が落ちる音にさえ敏感に反応するようになるのだ。
それはつまり――――生き残るために、なのだろう。
このような感覚は弟を連れて鬼から逃げてきた頃からずっと体験してきた。
恐怖が常にあり、優しすぎると分かる音以外は周りが全て襲いかかるかもしれない敵に見えた。
野宿か空き家か、仕事を手伝った人の好意で家に泊めてもらったことがあった。
でも長期でその場に留まることはしない。
人間の大人が怖い。鬼が怖い。
故郷での始まりのあの地獄を経験してきたからか、嫌なものを体験したからか……。
ああそうだ。きっと、誰にも知られたくないトラウマを抱えて生きてきたせいだろう。
人に優しくされても、音でその内心を感じ取ってしまうから無理だった。
心の奥底でも優しい人なんて俺が旅をしていて数多の人々と出会った中でも数人ぐらいしかいないし、そんな人がいつか豹変するかもと怯えては拒絶してきた。
義勇くんだって、その一人だった。
弟を守ることを優先してきたから、ずっと緊張状態で生活してきたんだ。
それが当たり前なんだと思い込んできた。
だから、名を貰い受けてから変われたのだ。
ようやく、弟が危険ではない生活を手にいれた。
まだ完全にとはいかないけれど、これから先の未来を歩める未来を見据えることが出来た。
信じれる人に会えた。
だから私は、このまま安全な場所で生きていきたいと思うようになったのだ。
もうあの頃の鬼から逃げて、人を常に警戒して、弟のことを気にかけ安心して眠ることも出来ない生活をやれるとは思えない。
―――だって、経験してしまったのだから。
温かい家がある生活を、誰かが守ってくれる感覚を、弟を気にかけてくれる家族のような人々を。
誰かを頼ることを知ってしまったから。
守ってくれる人がいるから、安心して熟睡することが出来ると知ってしまったから。
だから、もう戻れない。
もう弟を連れて一人で生きていける気がしない。
今の俺が弟を連れて旅をしたらすぐに死んでしまうだろう。
鬼に出会うことで、ではなく。
常に警戒していた身体が隙だらけになってしまい、あの頃の感覚が鈍ってしまったからだ。
旅をしていた頃、寝ていても小さな音ですぐ跳ね起きた感覚を取り戻す自信はない。
つい熟睡してしまい、誰かに見つかって殺されるかもしれない。
人を警戒しても大丈夫かなとつい近寄って痛い目を見るかもしれない。
それと同時に、俺は守られることの大事さを知ってしまった。
鬼に出会ったらすぐあの駄目親父に守ってもらおうとする癖がついてしまったから。
誰かに頼ろうとする悪い癖が、ついてしまったから。
おれは―――私は、弱くてすぐに死んでしまうような、ただの女の子だ。
自覚をしてしまったからもう駄目なんだ。
「だからどうした。てめえが気色悪いゴミなのは知ってるし逃げるなら勝手にしろ。俺は逃げねえ。鬼がいるなら殺せばいいだけだ」
「だからそういう簡単な話じゃない」
焦る。あせる。
この子はまだ未熟だ。でもそれを頑なに受け入れようとはしない。
自分が中心の子だ。何もかもを諦めたくない、プライドの高い子供だ。
でもおそらく、獪岳くんがこのまま成長すれば強くなれるのだろう。
向上心が高く、己が強いと断言する程度には努力はしているのだろう。
精神の図太さもそうだ。
鬼を殺す刀を持っていないのに、師に失望されたくないから逃げないというかのような天邪鬼な心の音が聞こえている。
だから、逃げようとはしない。
きっと、本当に死ぬかもしれないと分かれば逃げるだろうけれど、それでも今はまだ逃げない。
それに私の言葉が悪いせいかもしれない。
でも俺はちゃんと伝えようと努力した。
焦るのだ。このままではいけないと、説明より先に逃げなくてはと思ってしまうんだ。
「この建物にいるとすごく気持ち悪くなるんだよ、獪岳くん。怖いからじゃなくて、まるで鬼の胃の中にいるような感覚がしているんだ」
「……どういうことだ」
建物そのものが鬼というのなら、こんなにも複数の音はないはずだ。
でも何かおかしい。今まで経験したことのなかった怖さに、身体が震えてしまう。
「鬼の音が全方向から聞こえるんだよ。部屋にもいるみたいな感じ。ほら、あそこから音が……する、し……」
「あ?」
獪岳くんが俺の絶句した顔を見て、視線の先を振り返った。
それは、いつの間にかいた。
閉ざされていた筈のふすまが少しだけ開いていた。
そこから見えるのは、廊下のはずだった。
しかし見えたのは数多もの視線。
日本人形の目がこちらを凝視する、嫌なもの。
気づかなかった。
気づかなかったのか?
何故俺は、奴等のことを音で判断出来なかったんだ!?
なんですぐに分からなかったんだ!?
「ギィアアアアアッッ!!!??」
俺の悲鳴を楽しむかのように、人形たちがカタカタと音を鳴らしてきた。
それに苛立つように、獪岳くんが一歩前へ出ていって……。
「チッ!」
「ひっ!? いやちょっ……獪岳くん!!?」
ふすまごと蹴破ったんですけどあの子!?
日本人形さんたち吹っ飛んでるんですけど!!?
ああ足蹴にして砕くなよ足痛めるだろ!!
「ふん、弱いな」
「そりゃあそうだろうね! それらは鬼じゃないからね!」
たぶん血鬼術だと思うな!
それに生きている音はしないからね!!
「鬼がたぶん見ていたんだ。こいつらを使って見てたんだ。ああ気づかれたから来る。絶対に来る。死ぬ。死んじゃうかも……」
「……さっき言っていた鬼の音は聞こえるか?」
「……ううん。日本人形を吹っ飛ばしたからかな。近くにはいないよ。たぶんあの廊下の奥だ」
そう言うと、獪岳くんは満足そうに笑った。
出会ってから初めて、笑いかけてくれたのだ。
「お前やっぱ使えるな。鬼がいる方向へ案内しろ」
「だから本当にそういうところ嫌いだよ獪岳くん」
鬼に会いたくないと言っているのになんでこう頑固なのかなぁ。やっぱり師の期待に応えたいから?
でもこっちは死ぬかもしれないからね。駄目親父の次に嫌いになるよこの野郎。
「俺が守ってやる、いいから行くぞ」
「だから行くのは……」
「それにあの炎柱のことだ。鬼を退治しに向かっているんだろう。俺はあいつの戦う姿も見たい」
「ハッ!」
そうだ、あの駄目親父がいるじゃないか!
駄目親父なら鬼を殺すために動くだろうし、ここにいても意味はないし外に出ても安全かは分からない。
鬼を探せば、いつかは鬼を殺そうとしている駄目親父に会える?
先に鬼に見つかる可能性もあるけれど、その時はすぐ隠れるか逃げればいい。
駄目親父に会えるほうが生存する確率は高くなる。なら、危険はあるとはいえそちらに賭けよう。
「ええい! もういい! やってやろうじゃないか!!」
仕方がないという顔で獪岳の腕にしがみついた。
「守ると言ったからには守れよな! 俺は弱い。弱いんだ! だからちゃんと守ってよ、この私を!!」
「耳元で叫ぶなうるせえ!」
当然、すぐ引き剥がされた。
・・・
耳鳴りがする。
身体中から激痛が、する。
意識が朦朧としていて――――。
このままでは、死ぬんじゃないかと思えてしまう。
何故こんなことになったのだろうか。
先程の発言は死亡フラグだったか?
それとも駄目親父がちゃんと仕事してないからか?
「なんで俺を助けた!?」
うるさいよ獪岳くん。
俺だって、弟以外はあまり気にしてなかった。どうでも良かったんだ。
……いやちがう。そう考えたのは最初の頃だけだった。
今は違う。人をどうでもいいと思える心は、義勇くんに出会ってから少しだけ変わったんだ。
ああ、そうだ。
――――それは、前世の俺の考えだ。『私』のじゃない。
「私は、もうっ……見捨てたく、ないから……ね」
「っ!」
旅をしていて、いろんなものを見捨ててきた。
弟だけを生かすために生きてきた。
でも、それだけじゃあ駄目だと、気づいてしまったんだ。
私はもう、お姉ちゃんとして胸を張って生きていきたい。
もう誰かを見殺しにして自分だけ生き残ろうとする罪は背負いたくない。
そんな我が儘になっちゃっただけなんだ。
「なんか、眠い……」
「まて、死ぬな。琴音っ!!」
ははっ。
獪岳くんってば、私に向かって初めて名前で呼んでくれたね。
『周りを見ろ獪岳――――』
ここへ来る前、先生が言った言葉をいまだに理解はできていない。
答えが出ることもなく、疑問は増えるばかりだ。
「ああああやっぱり帰ろうよぉぉ!!」
泣き叫んでは俺の腕にしがみつこうとして来る泣き虫の女。
……隻腕なのは理由があるかもしれないが、それにしても酷く情けない姿だ。
身だしなみを整えることなくみっともなく生きたいと望むこいつに、獪岳はただ翻弄されていた。
苛立ちを含めて、戸惑いがあった。
―――何故こいつが、この俺と同じ立場でここにいる。
獪岳はただ、それが不満だった。
それだけではない。彼はとても真面目だった。
己の力を認められること。
努力をちゃんと、褒めてもらえること。
彼は強くなることに必死だった。
まだまだ幼い子供だからか、認めてもらえなければ死ぬんじゃないかという恐怖にもとらわれていたのだ。
だからこそ、獪岳にとって、彼女は不可解に思えた。
炎柱が連れていた女だ。
鬼を倒すために連れてきたのではない。
ただ、女に鬼殺隊の任務を経験させようとしていた。
まるで将来必ず鬼殺隊にでも所属させるとでも言うかのように。
獪岳よりも、期待されているかのように。
しかし女はただ泣き喚いていた。
鬼に会うのが怖いと喚き、生きたいと泣いて、汚い鼻水を擦り付けようとする勢いで抱き着いてくる。
雰囲気などから察するにこいつは年上だ。
あまりにも可愛らしいとは思えない泣き喚いた時の不細工な顔と、しかし鬼の察知力に長けた才能。
こいつは同い年なんかじゃない。
年下とも思えない。いいや、もしも年下だとしてもそんなガキが炎柱に認められ任務に同行するだなんて許せない。
とにかく年下じゃないことは確かだと獪岳は察した。
確実に獪岳より年上だろう女が、みっともなく泣き喚いて生きたいから帰ると望んでいる。
確実に力はあるのだろう。
羨ましいほどの、炎柱が認め伸ばそうとしている聴く力が。
ただ察知するだけでは意味がない。
守ってくれと泣く彼女を、獪岳はただ苛立ち交じりで見ていた。
生きたいと望むのであればとっとと帰ればいい。
何故俺と共に行こうとするのか。
「しがみつこうとすんじゃねえ汚れる」
「うわああ俺の涙で汚れたならごめんってば! でもやっぱり怖いんだって!!」
「うるせえ! なら外に出て帰っちまえ!」
「無理だよ! 獪岳くん一人置いて逃げるだなんてお姉ちゃんはできません!! お姉ちゃん失格になっちゃうからね!」
「誰がお姉ちゃんだ阿呆か!!」
自分だけの心配をして帰ればいいというのに、何故こいつは……。
ただ、戸惑いしかなかった。
・・・
廊下の先にいたのは一人の鬼。
しかし周囲にいたのは人形たちだった。
建物全体から音がするというのは、鬼が操る人形のせいだったのだろう。
血を通して繋がった人形たちがそれぞれ刃物を手に襲い掛かってくる。
しかし獪岳はそれを脅威とは感じていなかった。
人形も何かしらの強化されてはいないため、獪岳が踏むか人形の武器を奪い取ってぶっ壊せばいいだけの話だった。
鬼は殺す、鬼の手先はぶっ壊す。
幼い獪岳は自分の努力が報われると信じていた。
炎柱がいなくてもなんとかやれる。
刀がなくとも、鬼を日に当てれば殺せる。
建物の内部は太陽の当たらない暗闇で満ちてはいたが、外はまだ昼間だ。
だから外に出れば倒せる。外へ出すことさえできればいい。
それが甘い考えだったのだと気付いたのはいつだっただろうか。
鬼を倒すことだけが強さに直結するわけじゃないと気付いたのは、いつだったか。
ただ、今の獪岳にとっては、目の前にある光景が真実だった。
「あっ―――――駄目ッ!」
「っ!!」
鬼は人を殺すことに長けている。
人を食うために、生きている。
力の差は歴然だった。
呼吸もまだまだ未熟な獪岳と、戦う術を身に着けていない少女では何もできない。
だから、獪岳は鬼を察知することもなく、真っ先に気づいた彼女が身を挺して守った。
守ってくれと泣き叫んでいた女。
そんな女が、何故俺を助けた。
何故、命をかけて守ってきたんだ。
「寝るな琴音! 今寝たら死ぬぞ!!」
肩から腹にかけて切り裂かれた彼女は死にかけているというのに、何故笑っているのだ。
目の前に鬼がいるというのに、獪岳は何もできない。
今彼女が死んでも、鬼を殺すことが出来たとしても先生には認められない。
それだけではない。
こいつがこのまま死ぬことが許せない。
このまま俺を庇って死ぬこいつを、許すことができない。
「お前は、俺に守ってと叫んでいただろうが! 何故俺を――――」
少女は浅く呼吸をしているだけで何も言わない。
ただ、笑ったように見えただけだった。
「お人形さんが増えた。美味しいお人形さんがもっと増えて増えてふえふふふふふふっ」
「ッ……てめえっ!!」
鬼を怖いとは感じない。
建物全体を操り、強者を遠ざけ人形という名の餌を喰らおうとする鬼に死の恐怖は感じない。
いや、死ぬかもしれないという思いはあった。
――――ただ悔しいのだ。
悔しくてくやしくて、認めたいとは思えない。
しかし認めなければそこで終わるだろう。
獪岳には、強さが足りない。
生き延びるための、才能も何もかもが足りていない。
こいつより上に行くための強さが。
琴音より鬼を察知するための力が。
鬼を殺すための、刀さえない。
まだ足りない。
圧倒的に、何もかもが足りない。
女を置いて生き残るために逃げるような真似はできない。
それをしてしまえば、先生に失望される。
「だ……め、だよ。にげて……」
「っ!」
何故だか分からないが、この女の言葉に胸が締め付けられた。
怒りと悔しさがないまぜになって、この女を生かして―――いつか、ぶん殴りたいと思えた。
「お前は、自分の事だけ考えてりゃあ良いだろうが!!」
何故逃げてという。
自分は良いのか。彼女が言っていた愛しているという弟より先に死んで、いいのか。
俺が逃げないと音で察知したのだろうか。
だからと言って、無理して声を出せば死んでしまうかもしれないというのに。
血によってかすれた声が、今にも死にかけなこいつが、何故俺を気にするのだろうか。
何でこいつは―――――。
ああ、それだけじゃないと獪岳は気づいた。
「琴音、死にたくなければ思い出せ」
あっけなく鬼を斬り倒した炎柱に苛立ちと悔しさを胸に睨みつける。
何故琴音ばかりを気にかける。
情けない馬鹿だというのに、何故琴音が認められて俺は――――。
『―――――周りを見ろ獪岳。強さばかりに囚われるな』
師の言葉が、いまだに理解が出来なかった。