子連れ少女は生き延びたい 作:ちゃっぱ
さよならは伝えた。
赤ん坊が覚えているかは分からないが、それでも伝えたいことは伝えた。
―――ただ、それが嘘になればいいと姉は思ってしまった。
ズキズキと心臓が痛む。
周囲に響く音が死の恐怖を思い起こさせる。
それを全て夢だと思いたかった。
これが悪夢なら一番いいのにと、思い込んでしまった。
「いきたい。生きたい。
彼女にとって、こんなにも強く生きたいと思える瞬間はなかったのだ。
自覚をしてしまった。
己の心の在り方を、理解してしまった。
最後かもしれないという状況なのに、生きたいという思いが止められなくなってしまったのだ。
それは、依存にも似た感覚だったのかもしれない。
弟の事だけを考えて生きてきた姉が、初めて自分のためにやりたいことを考えてしまった。
「いやだ。いやだっ……しにたくないっ」
前世の感情と心が上書きされるような奇妙な音が己の内側から響く。
心が揺れ動かされる。感情に色が彩られる。
失っていた心を、前世で補っていた心を突き動かされるのだ。
それが弟のせいなのか自分のせいなのか分からず、ただ前を向いて駆けていく。
「はぁ……はぁ……」
彼女は必死に逃げていく。
山道で足元をとられて転がり落ちても、地面に落ちて肌に血がにじんでも。
怪我をしても構わず走る。痛みが身体中を襲っていても、いつか治る傷ならと放っておく。
死んでしまっては、もう二度と弟に会えないから。
「大丈夫、お姉ちゃんは……ぜったい……はぁ……絶対に、生きて帰るんだっ」
鬼が弟の存在に気づかないような方向へ向かいつつも。
鬼が血肉を求めて駆けてくる音を感じつつも。
(全力で、朝まで逃げるんだ。逃げて弟に会うんだ!)
生きたいと願った思いを壊したくはない。
彼女にとって、前世以来の感覚だった。
これが心から願える感情なんだと、はっきりと感じた。
弟のためにではない。
自分のために生きたい。
弟と共に、生きていきたい。
「はっ……おれは、生きなきゃ……わたし、は……っ!」
無我夢中で駆けていく。
必死に逃げて。
逃げて逃げて逃げてにげてにげて―――――――。
「あっ」
現実とは無情なのだと、理解できた。
「ヒャハハッ!!」
嘲笑うような音が、だらだらと流れ落ちる涎の音が目前に迫った。
鮮血が酷く残酷な色に見えた。
花が咲き開くように、大きく派手にぶち撒かされる。
それが綺麗だとは思えなかった。
ああ、と。
―――彼女はその瞬間を忘れない。
死ぬときはあっけなく死ぬものだ。
前世でも同じだった。あの時も死ぬと思っていて、だから簡単に終わってしまった。
強く願いを込めていても、奇跡なんて起きることは有り得ないのだ。
身体を切り裂かれたような激痛。
片腕の喪失感。
気味の悪い音と、飛んで行った片腕を喰らう鬼。
死ぬんだと。理解してしまった。
しかし、と。
「あきらめない。わたしは、あきらめ……たくないっ!」
血がボタボタと流れ落ちても、足元の感覚がなくて歩くことさえままならなくとも。
彼女は諦めたくなかった。
それが、前世の記憶を受け継いだ彼女自身の行動―――ではない。
弟と共に生きたいと願う純粋な姉の願いそのものだった。
死んでしまう。
死にたくはない。
視界が明滅し、吐血をしてでも生に食らいつく。
それでも現実は変わらない。
奇跡でも起きない限り、姉の命は終わりを告げようとしているのだから。
いつでも思っていたことだ。
前世の記憶にて受け継いだ乱暴な言葉と共に吐き捨てていたものだ。
自分が生まれたこの世界は、前世とは違って酷く
鬼が目前に迫る。
その涎が、額にポタポタと落ちていく。
姉はただ、弟を思った。
走馬灯のように、弟の笑顔だけが頭の中で浮かんでは消えて行った。
「ごめん、ねっ……」
一緒に生きれなくて、ごめんね。
少女はただ後悔のままに呟いた。
気を失う直前に聞こえてきた赤ん坊の泣き声に、少女自身もまた一筋の涙を流したのだった。
・・・
それはどんな偶然の確率だっただろうか。
赤ん坊の泣き声に気づいたのは、一人の男だった。
剣を片手に、その男は赤ん坊を抱き上げる。
男は赤ん坊を憐れんだ。
その男は家族がいる。
いつかは立派な剣士にと熱心に育てている息子がいるからこそ、布に包まれ隠すように置かれた赤子に情が沸く。
今回の任務では鬼殺隊の新人だけでなく、ベテランまでもが何人もやられてしまった鬼を退治と調査をしにやってきたものだった。
己の剣としての力がどのぐらいまで高められるのか修行をしている真っ最中であったからこそ、いつもより周囲を見渡す気になっていた。
普段なら鬼の気配があればすぐにそちらへ向かうというのに、何故か妙に気になってここへやってきていた。
ただ小さな泣き声が風に乗って聞こえただけだ。
それが、偶然なのかは男は理解できていない。
「カァー! ハヤク、ススメェー!」
「待て待て。赤子を置いては行けまい」
「カァー!」
カラスの声に赤子は反応しなかった。
いや、泣いてはいるのだが何かがおかしい。
「ふむ……」
腹いっぱいに食べられる状況ではなかったのだろう。
平均より少しだけ痩せているが、しかし身体に何処も怪我をしておらず病気もなさそうな赤子は涙を溢れさせている。
赤くなった頬を、男はするりと撫でた。
「可哀そうに。捨てられたのか」
しかし男は己の言葉を否、と判断した。
抱き上げている赤ん坊はぐずり、どこかをまっすぐ見つめていた。
探し求めているようにボロボロと泣いて。
男やカラスなんて気にせず、何かを求めていた。
「ふむっ……こっちか?」
その方向こそ――――赤子の姉がいる場所だった。
赤子が気にする方向に鬼がいると理解し突き進む男こそ、煉獄槇寿郎という名の炎柱だった。