「お姉ちゃん!お姉ちゃんだ!」
「ちょっとこいし……!?」
こいしはブランコに座った僕を背後から抱き着いた。
いつもの僕ならば、異性に抱き着かれたら舞い上がって思考がショートするだろう。だけど不思議な事に今の僕はそれとは違う感情で胸が溢れてはち切れそうで。
久方ぶりに感じた人の温もり。
こいしの身体は暖かくて、温もりがあって、僕も抱き返してしまう。
「お姉ちゃんも甘えん坊さん?」
「……ええ。もうちょっと、こうしてくれないかしら」
「うん。私の胸はお姉ちゃんの為なら何時でもバーゲンセールだよ!」
僕はその言葉に甘えて、顔を胸に埋めた。
─────────────────
「……ごめんなさい。もう大丈夫よ」
5分か。10分か。
僕は顔を上げると、こいしの顔が僕の視界全面に広がった。
「そっか。なら聞いていい?」
「何かしら?」
「お姉ちゃんは、本当のお姉ちゃん?」
その言葉に僕は須臾の間もなく理解した。
古明地こいしは、僕と同じく突発的に成ってしまった存在だと。
「違うわ。でもそれはこいし、貴方も同じでしょ?」
「やっぱり!ってことは私たちは同じ存在なんだね!」
嬉しげにこいしは口角を上げた。
斯くいう僕も同じ気持ちだ。
もしかしたら僕みたいな人が他にいるのではないかとは思ってたけど……こんなにも早く見つけられるなんて!
「私とこいし。運命共同体、という事ね」
「そうだね!何かSFみたいでワクワクするわ」
僕は目元に手を押し付けて、息を吐いた。
味方だ。完全完璧な味方だ。
僕と彼女、古明地さとりと古明地こいしはこの場において、この状況において、確定的に姉妹なのだ。
目の前で目を輝かせる少女に僕は目を向ける。
古明地こいし。
無意識を操る程度の能力。
そう言えば、その能力を彼女は持っているのだろうか。
「こいし」
「ん?何お姉ちゃん?」
「貴方も能力持ってるの?」
「うん。持ってるよ。歩いてる時に人にぶつかっても全然気づかれないんだもの」
まあ話し掛けたら気付くんだけどね、とあんまり気にしてない様子で晴れやかに笑った。
……確かに、どれだけ集中してもこいしの心を読むことは僕には出来ない。まあ集中して読むもんじゃないけどね、読めるなら勝手に読んじゃうフルオート仕様だし。
遠回りしたけど、こいしも僕と同じようにガワだけでなく能力もあるみたい。
ついでに少し弱体化してるのも僕と同じっぽいね。話し掛けるくらいで気付かれる能力じゃなかった気がするし。
聞いてる限りだとこのこいしは無意識でふらふらと動いてる訳でもないようだし、何より他人の無意識に大きく干渉できないようで。
本来なら他人の無意を操り、無意を渡る。例え正面に立たれても小石程度にしか思われず、一度視界からフェードアウトすれば完全に記憶から消える。
でも私はそこまで自由に無意識を操る事はできないわ、とこいしは言った。
幾ら無意識を操っても正面に立てばどうしても存在感を出してしまうようで、だからこそ話し掛ければ認知されてしまう。有意識に囚われてしまう。
自らの意思で無意識への介入を止めない限り消え続けられる原作のこいしとは違う。
「それよりお姉ちゃん。これからどうするつもりだったの?」
「……買い物に行こうと思って、疲れちゃったの。だから休憩よ」
怖くなって、逃げた上に少し鬱になって落ち込んでた、なんて。とてもじゃないけど初対面の人に言えるはずもない。
取り繕った言葉はこいしの頭にすんなり入ったようで、ウンウンと頷いている。
「そっか。じゃあ買い物だね?」
「え、ええ」
「レッツラ、ゴー!」
あっ。
このまま一緒に買い物行く気、満々なんだね。
─────────────────
「いやー。沢山買ったわ」
「そうね」
両手一杯に紙袋やらビニール袋を持った僕とこいしは夕日を背に、帰路についていた。
僕はパーカーを深く被り直し、こいしは相変わらず無意に言葉を選んで無為に歩く。
濃く染まった影法師は僕の前へと真っ直ぐ伸び、その形はアスペクト比が縦に歪んで崩れているものの明白に少女のものだ。
「……重いわ」
きっと僕の顔は鏡で見れば苦いものになっているだろう。
少女の筋力は本来の僕のそれと比べたら著しく低い。考えれば当たり前の話、僕は男でさとりは少女だ。引きこもりという同条件を加味すれば、男女の運動能力の差異は明らかで。
───いや、でも鬼とか妖とか神とか、色々といるからなぁ東方Projectのキャラクターは。少女ってだけで十把一絡げに非力と片付けられないか。
タッタッタッタ、と横に並んで歩いてたこいしは突然僕を追い抜かして振り向いた。
「これが日常の重みってやつだよ、お姉ちゃん」
「日常の重み……そうね、違いないわ」
勝手に口から出した言葉が変換される。
今こうして買い物が出来ているのだって誰からも僕とこいしが正しく認知されていないからだ。
でも何時までも続く道理は無い、一時の安寧は有限だ。
狂った針は反時計回りで戻される。
順から逆。躁から鬱。同じように矯正される。
認識された瞬間、理解された瞬間。
その時僕らは正しく、でも歪に、社会という場から追放されるだろう。
「でも、違うわよこいし」
「えっ?」
「重くなんかないのよ。この程度、軽くなきゃならないわ」
日常に重みなんか感じていちゃならない。絶対にならないのだ。
僕は非日常を生きる気なんて毛頭無いし、日常とは切って離れぬ関係であるべきだ。
元の姿に戻ろうとも、古明地さとりとして生きようとも、僕は日常を愛している。
こいしは背を向けると「うん……そうだね」と曖昧に笑って、再び歩き始めた。
家に着けば、まず僕は電気を付ける。
パチンと明るくなる電球に異常が無いのを確認しながらちゃぶ台に紙袋を置いて、冷蔵庫に食料品を詰め込む。
「わーお。ここがお姉ちゃんの部屋か〜」
そして何故ついてきたのだ妹よ。
こいしも同じように袋を置くと、物珍しげに部屋を歩き回る。
「こいし、貴方自分の家は?」
「う〜ん。家出してきた、かな?」
「何で疑問系なのよ……」
思えば僕はこいし、と言うよりその元の人について何も知らない。
外側は知識にあっても内側は不明だった。
そう考えるなら僕の家に来たのは丁度良い機会なのかもしれないね。
外のファミレスやらファーストフード店でビクビクしながら会話をするよりはこういう自分の境内で話す方がよっぽど心にゆとりがあるし。そのビクビクするのが能力の都合上僕だけってのが少し癪だけど。
「にしてもこの部屋、紛うことなき汚部屋だわ!私、テレビ以外で初めて見たかも!」
「し、仕方ないじゃない。一人暮らしなのよ」
我ながらみっともない事をさとりに言わせてる気がする。
てか言うほど汚部屋じゃないし!
床の踏み場だって、そこそこあるし!
僕の言葉を受けてか、感心したようにこいしは溜息をした。
「一人暮らしなんだ。良いな〜私も一人暮らししたい」
言いながらちゃぶ台の前に座った。
こいしは家族で暮らしているっぽい。確かに家族暮らしをしている時は一人暮らしに羨望があったけど、現実は家事は面倒だし生活リズムは狂うしロクな事が無い。
と言ってもこればっかりはやらなきゃ分からぬ経験だろう。
そろそろ本題に入ろう。
僕は冷蔵庫に食料品を入れ終えると、二人分のコップにペットボトルの緑茶を注いでちゃぶ台に持っていく。
コップをコトンと置いて、徐に僕は口を開いた。
「ねえ。こいしは男?それとも女かしら?」
「女の子だよ?もしかしてお姉ちゃんは……男?」
「……言うのは憚れるけど、その通りね」
「へー、昨今の二次元キャラ憑依ってジェンダーレスなんだね」
何その感心のポイント。微妙にズレてる。
「お姉ちゃんって年齢は?もしかしてショタだったり?」
「高校一年生よ。こいしこそどうなの」
「私?私はね、中学三年生。一個上なんだ〜本当にお姉ちゃんだわ!いやお兄ちゃん?」
「……お姉ちゃんで良いわよ。訳分かんなくなるし」
冷静に考えれば年下の女の子にお姉ちゃん呼びを強要する男子高校生ってヤバくね?とか思っちゃうけど今は耐えるんだ僕……!
緑茶で口を潤すと、加熱していた思考は少し冴えた。
「さっきは流したけれど、家出したって言ったわよね?」
「正確には家出じゃないかな?私は家族と暮らしてるんだけど、私が私であるとは言え突然知らない女の子が家に居たら騒ぎになっちゃうでしょ?」
「だからって失踪ね……極端だわ」
家族の心配とか露ほども考えてない素振りでこいしは疲れたようにちゃぶ台にうつ伏せる。
ぐでーん、と言う擬音が聞こえそうなほどの見事なグダりっぷり。ぐだりんピックなんてものがあれば間違いなく世界第一位に輝くくらいの寛ぎっぷりである。
「こいしが、古明地こいしになったのはいつ?」
「今日……いや昨日?とにかく寝てる間だわ」
「なるほど。私と同じね」
僕だけならともかく、こいしも似た条件下でこうなったとなると何かしらの作為を感じる。
少なくともこれが何の理由も無く起きた超自然現象って訳では無いんだろうけど……そのピースを嵌める色紙も無ければ、ピースとなる情報もない。
考えるだけ徒労だよなぁ。
とかとか考えていると、こいしは胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「ねえお姉ちゃん。私、ここに泊まっても良い?」
「………………えっ」
静電気にでも打たれたかのような、さとりに相応しくない惚けた声が喉を突く。
泊まる?何処に?この部屋に?
……僕の家に!?
「お願い……お姉ちゃん……!」
冗談じゃない。
そう僕が思うのはきっと当然の事で、でも同時に目の前の少女を追い出すのを躊躇うくらいには良心の呵責も感じていた。何より唯一の同士で、互いにこの状況に対する手掛かりになり得る。
冗談じゃない。
けど、追い出すのも心が傷む。
結果的に無言の時間が流れ始める。僕が言い淀んだからだ。
髪を掻きあげて、唇を舌でなぞる。
僕はどうすれば良いんだろう。
この二ヶ月、一人で暮らしてきた。
それ以前だって両親がいない場では常に一人だった。
僕の人間関係は浅くて、狭い。学校のクラスメイトは上辺だけの関係で、深く関わろうとしなかった。僕が拒んだのだ。
ある種、古明地さとりと同種なのだ僕は。
こればっかりは多分偶然なんだろうけど、意識的に人を退けるという点においては彼女と同類なんだ。
そんな僕の孤独な日常が、僕の判断能力を蝕む。
「…………そっか。無理言ってごめんね、お姉ちゃん」
こいしは俯くと、力無く立ち上がった。
そのままフラフラと、ゾンビみたいに玄関へと歩いていく。
………………僕は無力だ。
日常に籠絡されて、舌は回らず足は動かない。
両親が死んで、一人で生きてきた。
保証人の祖父母とも連絡は疎らだし、学校にも行ってない。ネット友達だって別に居ない。親の遺産があるから当座のお金にだって困ってないからバイトもしてない。
だから究極的に、短期の間ならこの姿で困ることは何にも無い。
不変の日常を希求するなれば、
───なんて、なんて僕はクズなんだろう。
僕は閉じた唇を強く一文字に結んだ。
こんなのは、何の価値も無いクソッタレな言い訳だって事は自分でも気付いてる。
エゴイズムの極みだ。
どうしようもない程、他者を蔑ろにした忌むべき考えだ。
僕は良い。見た目こそ幼い少女なれど、中身は高校一年生の男だ。
でも彼女は、古明地こいしは、まだ義務教育すら終えてない女子中学生なんだ。
姿が変化したせいで親も頼れず、同じ境遇の僕しか頼れない、か弱いただの女子中学生なんだ。
僕は目頭を抑えると、静かに膝に力を入れて立ち上がる。
余りにも僕に似合わず、不遜で、身不相応で、上から目線な思考。
でも思っちゃったんだから仕方がない。
───古明地こいしを助けたい、と。
「……いないわ」
気付けばこいしは何処にもいなかった。
夕日の差し込む部屋に佇むのは僕だけで、開いた窓から風がヒュルヒュルと舞い込む。
玄関のドアに触れる。
施錠したはずの内鍵は開いていて、ノブを回せば簡単に玄関ドアは前へと開いた。
「…………こいし!」
堪らず、僕は夕日の落ちる街を駆け出した。