古明地さとり(偽)の現代生活   作:金木桂

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この次の話がある程度山を超えたので投稿



問7:毎秒2mで進む点Pがあるとして、周の長さが60mの長方形を一周するまでにどのくらい時間が掛かるか求めよ。但し点Pは前日に躓いて足を怪我しているものとする。

 

 

 男のプライドは、木っ端微塵の滅多滅多に破壊された。

 

「お姉ちゃん可愛い〜!あ、次これ着てね」

 

 店内の試着室。

 瞳が虚ろになるのを自覚しつつ、僕はこいしから可愛らしい薄ピンクを基調とした新しい服を受け取る。更に僕の眼は曇る。

 そう、僕はさとり。古明地さとり。

 きっと名前の通り、悟ることこそが存在意義なのだ。即ち今の精神状態はきっと何も間違ってない。

 例え小学生用の女児服を着せられても、何処からか持ってきたゴスロリ服を手渡されても、僕はさとり。

 大丈夫、今ならもっと上手く悟れる……。

 

「うん、私の見込み通り可愛いわ!」

 

 嬉しそうに喜ぶこいしを無感情で眺めながら棒立ちになる。

 ───着せ替え人形の気持ちを考えたことはあるだろうか?

 ただ服を着させられ、脱がされる為に生まれた木偶人形。その生き様は服を最大限魅せる為だけに注げられており、その他の意義など絶無。何故服を着るのか、何故着替えさせられるのか。そんな疑問など過去に置き去りにされて久しい。

 

 着せ替え人形になってしまった僕は延々と悩みながら、またこいしの持ってきた服を受け取った。

 うわ、これ着んの?肌の露出ヤケに多いんだけど……似合うんだろうなぁ。僕が着せる側なら絶対に勧めて着させて写真に撮ってる。なんたって古明地さとりがロリ可愛いのは事実で。

 ……うん、やっぱり悟りには全く到達できていないみたいです。はい。

 

「あ〜これもいいね。次この服ね」

 

 何でこんな事になったんだろう。

 また試着室のカーテンを締めながら僕は顎に手を当てた。鏡には悩める少女の姿が映る。

 確かに僕は負けた。眼力と言う名のあざとい上目遣いに負けてこいしに折れた。

 でも、だからって着ては脱いでを繰り返す必要なんてなくない?どうせさとりしか着れない服なのに、そんなに吟味する必要ある?

 僕が元に戻ったら買った服は全部どうするのさ。

 

「ちょっと大人っぽ過ぎるかも……でも背伸びしてる感があってコレはコレで」

「ねえこいし……!」

「でもゴスロリの方が……ん、なに?」

 

 何でゴスロリがこんな安価な服屋にあるのか、今更ながら不思議過ぎる。コスプレショップとかファンシーショップとかじゃないはずなんだけどな。

 

「いつまで続ける気よ。ファッション雑誌のモデルじゃないのよ私」

「あ、それいいわ。私応募しようかしら、お姉ちゃんの写真載せて」

「絶対に止めて。やったら絶交するわよ」

「ごめんごめん、冗談だって」

 

 割とマジで眉を顰めるとこいしは空笑いしながら手を振った。

 この妹、諌めなかったら絶対やってたな……?

 

「ともかくよ!まだ全部着てないけど、お姉ちゃんに似合いそうな服は粗方見繕えたわ」

「誤魔化したわね?」

「気のせいだよ気のせい」

 

 ……まあ、流されてあげようじゃないか。

 僕が人知れず矛を収めたとは露も知らないだろうこいしは、試着室からは死角となっていた場所に置かれた買い物カゴを掴むと、目の前へと並べた。

 ってちょっと待て。

 買い物カゴが1つ、2つ、3つ……!?

 しかも全部チョモランマみたいに洋服の山が屹立してるんだけど!要らないからこんなに!

 

「えっとねぇ、私セレクトはこのカゴの商品全部だよ」

「それほんっとうに選んだ!?」

「え?勿論だよ?ここにあるのは全部似合うから、全部購入で良いんじゃないかな?」

 

 この無意識金持ちが……!

 

 すぐさま僕はカゴにある商品の大半を戻すことを決意した。「あ〜私の集めたゴスロリ服たちがぁ!」とか宣うこいしは無視だ。そもそもこの少女、どうせ今も他人からは見えてないから構うだけ僕が奇異の視線で見られるだけである。

 カゴに大量に詰まれた服を9割返しきり、残ったのは無難な服が上下合わせて3着。それとワンピースが1着。これくらいあれば今着てるのを含めて、不自由ないと思う。

 思うんだけど、何故か戻せない服がもう1つ。

 その1着を売場に戻そうとしているのに、見えないワイヤーで繋がってるかのように僕の手から離れない。というか手が離さない。

 

 ……まさか、知らず知らずの内に僕は見初めてしまったというのか?

 この、ゴスロリ服に。

 動かせない腕に僕は目を落とせば、その服は黒をベースカラーとしていて、襟元は白くふわりとしている。スカート部分の端の方は白く華柄のレースが縫われており、全体的に清楚な雰囲気漂う服だ。ゴスロリという固定観念を無視すれば、だけど。

 

 確かに可愛い。

 僕だって可愛いものは嫌いじゃない。

 だからといってこんなふわふわとした服を着るのは、男としてどうなんだ。

 

「お姉ちゃん?そんな百面相してどうしたの?」

「……何でもないわ」

 

 ……何時までもこうして立ってる訳にも行かないなぁ。

 僕は溜息を静かに零すと、苦渋の念を抱きつつもその現実離れした服を買い物カゴの中に入れた。

 ……決して僕は女装癖なんてないからな!

 けど今回は僕の負けだ……だけど次回も勝てると思わないでよ?

 

 と、こいしの目が僕の買い物カゴへ移る。

 

「あ、そのゴスロリは買うんだ」

「放っていて欲しいわ……!」

 

 逃げるように僕は会計へと走ろうとして「お姉ちゃん!」というこいしの大声にビクリと肩を震わせる。

 

「駄目だよ〜お姉ちゃん。下着買うの、忘れてるよ?」

 

 地獄は、終わってなかった。

 

 

 

 

 

 

─────────────────

 

 

 

 

 

 

 僕は歩きながら項垂れる。

 それというのも全部僕の衝動買いのせい。

 ゴスロリ服は1着で3万円もした。他と合わせて計6万(なりや)

 余裕で家賃を除いた月々の生活費ほどの数値を叩き出した紙袋を握りながら重い足を動かす。

 一応これくらいじゃ家計は圧迫されない、いざとなれば食費を切り詰めれば良いし。貯金もある。でもそれとは別に何なんだ、この喪失感は。まるで買ったばかりのシャーペンを無くしてしまったかのような感覚がジリジリと体内で疼く。

 

「いや〜良い買いものしたわ」

 

 紙袋片手に楽しげにこいしは言った。

 こいしも僕と同じ店で服を買ったのだ。

 それもそうで、実家から抜け出した状態のこいしには替えの服が無い。よって服が無い。それは僕にとっても彼女自身にとっても大変宜しくないことだった。

 生憎とそんなにお金は持ってなかったようだから僕が建て替えることになり、懐が少々痛い。嘘だ。めっちゃ痛い。因みにこの分を合わせると支出額は10万円になったりする。そろそろ懐から血が流れても可笑しくないね。何だか笑えてくるや。服で10万って……。

 

「……疲れたから休みましょう。この近くにフードコートがあるそうよ」

「ヌードコート?」

「ねえわざと言ってない?私が困惑するのを楽しんでたりしない?」

 

 クエッションマークを頭上で浮かべながら首を傾げるこいしに僕は確信する。

 間違いない。これ天然だ。天然で聞き間違えてる……!

 コホン、と僕は場を濁して言い直そうとする。

 

「フードコートよ。色んな飲食店が集まった広場みたいなものね」

「何それ面白そう。行きたい私!」

「はいはい、行くわよ」

 

 はしゃいで手を引こうとするこいしを宥めながら、マップを手にエスカレーターへと乗った。

 

「あっ、あそこかな?」

 

 手すりに手を当てると、こいしが上へと指を指した。

 方向は合っているようだ。上には壁際にうどん屋やハンバーガー屋などが連なっていて、真ん中は椅子と机が沢山並んでいる。

 

 不意に一階の中心にある、大きな立て時計を見てみる。

 午後5時。きっと今頃外は夕空で、月が上っていこうとしているんだろう。

 

 足元に気を付けて、エスカレーターからフロアへと足を乗せる。

 この身体になってからというものの、こういう些細な動作にも気を使わないと段差や隙間に躓いてしまいそうで怖い。歩幅がいつもと違うせいで、足元を見てないと不安だ。

 自覚はある。

 ここまで慎重な動作をするのもあの時、こいしを探す時に転んでからだ。注意散漫に走れば、人は転ぶ。そんなのはコーラにメントスを突っ込んだら吹き出すくらい当たり前のことだ。

 今も怪我した部分は不注意に走ったのを咎めるみたいに痛みを発している。とはいえ、一夜開けた今日常生活に支障が出るほどじゃない。靴下の下にはこっそり湿布だって貼ってる。走れば痛いけど、その程度。

 変な心配を掛けるのもこいしに悪いから黙ってるけど。

 

「本当にこんなにあるのね……!」

 

 こいしが小声で興奮したような歓声を上げるのを傍目に聞きつつ、周りを見渡してみた。

 下の階から見えたように、うどん屋やハンバーガー屋、ステーキ屋にラーメン屋。クレープ店には高校生が何人か並んでいる。

 

「……これ、誰が席に案内してくれるのかしら?」

「空いてるところに勝手に座れば良いのよ」

「へぇ、変わってるわね」

 

 変わってるのはこいしの常識なんだよなぁ。

 まあ箱入り娘なこいしについては考えてても仕方ない、ささっと席を確保しよう。

 

「あそこにしましょう」

「窓際?まあいいけど」

 

 点々と席に座って思い思いの時間を過ごしている客の間を通り過ぎながら、目的の席へと座る。

 4人席で、僕とこいしは対面に座って残った椅子の上に荷物を置く。伸び切った筋肉が漸く弛緩する感覚に僕はホッと一息ついた。

 硬い椅子と若干汚れたテーブルにこいしは少し渋い顔を作りながら、気を取り直したように口を開いた。

 

「さて、ウェイターさんはいつやってくるの?」

「来ないわ。自分で店まで行って注文しなきゃならないの」

「何それ。何かと不便ねぇ。星幾つなのこのレストラン」

「そういうレストランと一緒にしちゃ駄目よこいし」

 

 諭しながら、窓の外を眺める。

 向こう側には線路が伸びていて、その上を電車が通り去っていく姿を夕焼けが照らしていた。

 こんなありきたりな現代的な風景を見ているだけでナイーブになるのは疲れているだからだろうか?

 ……ちょっと休憩したら早く帰ろう。

 

「お姉ちゃん!私、クレープ食べたいわ」

「はいはい、じゃあこれで買ってきなさい」

「後払いじゃないの?」

「だからレストランじゃないって……。こういうとこは基本前払いよ」

「むぅ。難しいのね……ありがと!」

 

 1000円札を受け取るとこいしは最短距離でクレープ屋へと歩いていった。

 僕も何か買おうかな。気分的にはあまりガッツリした物は食べたくないから……クリームソーダとかで良いか。クリームソーダならハンバーガー屋に売ってるはず。

 

 ───なんて、考えてる瞬間だった。

 

(黒いパーカーに微かに見える柴色の髪、それに低身長……!見つけた………!)

 

 心の声が、深層心理が僕の中へ流れ込んで来た。

 刹那の間もなく脳味噌は緊急信号を発し、僕は椅子を跳ね除ける勢いで立ち上がって駆け出した。

 

「あ、待ってくれ!」

 

 足が痛むけど、そんなのはこの状況で些事でしかない。

 脇目も振らず逃げ出す。逃げ出さなきゃならない。逃げ出すしかない。

 

 相手はやはり僕が目的みたいで、訳も分からず走り出した僕と一拍の間を置いてフロアを力強く踏抜く足音が聞こえてきた。

 

 相手は誰だとか、そんな疑問も頭に過ぎったけど直ぐに掻き消した。それを考えるのは今じゃない。この場に置いて確かなのは、間違いなく今の声は僕の知らない人間の、男のものだった。

 緊要なのは何処に逃げるかというものだ。

 

「くっ…………!」

「君は古明地さとり!さとりなんだろ!?」

 

 苦悶の声が地面に落ちるのと同時に、背後から張りのある強い肉声が響いた。

 だから、何だと言うんだ。

 フードを片手で抑えながらエスカレーターをニ段飛ばしで下りると、続けて声が響く。

 

「君は画面の中から出てきたんだよね!ネットで見たよ、一目で気付いたんだ!俺に会いに来たんだって!」

 

 ……意味不明だ。

 何を、言ってるんだこの男は?

 ……いや。考えるだけ無駄だ。

 考えろ。考えるんだ古明地さとり。

 何処に逃げれば確実に逃げられる?このショッピングモールで安全地帯はどこだ?

 

「知ってるんだオレは!だってさとり、君をこの世界に呼んだのは俺だ!俺以外あり得ない!」

 

 より興奮したように背後の男は走りながら喚いた。

 夕方のショッピングモール、走りながら何人ともすれ違っているけど誰も男を取り押さえようとする仕草は無い。

 誰かがやってくれるからきっと大丈夫、なんて日本人の悪い群集行動なのだろう……と、こんな緊迫した状況ながら脳に浮かんだ。

 

「だって俺は!俺はぁ!さとりへの儀式を毎日欠かさずやってたんだ!この5年間、ずっと!1日欠かさずに!祭壇に祈りを掲げて、忘れずに、信仰をしてたんだ!だから安心して俺の所に来てくれよ!何故逃げるんだ!」

「貴方、のことなんて、知らないです……!」

 

 都合が良いにも程がある思考回路に、堪らず僕は言い返した。

 

「おお!流石じゃないかぁ!良い声貰ったんだね!キャラクターボイスとか無かったから嬉しいよぉ!」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。

 何を言っても無駄そうだ。

 僕は走りながら、徐々に落ちてくるスピードにその体力の無さを呪った。

 しかも痛い!

 昨日転んで捻った足が、正当な権利とばかりに痛みを訴えている!

 湿布だけじゃ不足していたみたいだ!昨日、何もせずにさっさと寝てしまった自分が恨めしくなってくる!

 

(やっぱり間違ってなかった!さとりんを嫁にした俺の生活は、生き様は、何一つ間違ってなかったんだ!やっぱり世界は、幻想郷は、俺がさとりんの嫁に相応しいとお考えになったんだ!)

 

 追い打ちみたいに後ろの男の気持ち悪い思考が鮮明に流れ込んで来た。

 つまり残りは約5メートル。古明地さとりならまだしも、古明地さとりな僕の持つ能力は昨日確かめた通りなら5メートルが範囲内なのだ。

 

 現に足音はかなり近い。

 ネガティブに考えれば5メートルどころか、もう縮まってて手を伸ばせば届く距離の可能性だってある。

 

 ……駄目だ、このままじゃ追い付かれる!

 

 また何かを言い返そうとして、その時。

 

 僕の無我がバチッと弾けた。

 

 

 

 

 

 ──────女子トイレだ。

 

  

 

 

 

 切れた蜘蛛の糸みたいに、プツリと途絶えた思考状態のまま僕は上にぶら下がった案内掲示板を確認する。

 直進して、右。

 そこに男子トイレと女子トイレ。

 

(何処に行っても、着いていくよさとりん)

 

 流れてくる感情を無視して、そのまま走り過ぎるフリをして急激に右へと曲がる。

 無理な右折に足が傷んだけど気にしてる余裕も猶予もない……!

 

 もっと足を動かすんだ!

 さもなきゃ追い付かれる!

 速く…………!

 速く……!

 速く!

 

 直ぐさま通路の右側に寄ると、2つ目の女性のマークが書かれた入口に勢い良く僕は身を放り込んだ……!

 奥まで走ると、電源の切れたロボットみたいにふっと力が抜けた。

 

 ……逃げ、切れた?

 

 力無く周りを見てみる。

 中は定期的にキレイに清掃されていることが伺える清潔な女子トイレだった。

 

「……はぁっ!……はぁっ!……痛っ!」

 

 ここが、限界みたい。

 足が悲鳴を上げて、肺が酸素を求めて言うことを聞いてくれない。

 でも。

 僕は逃げ切った。

 天王山を、制したんだ……!

 

「……あなた、大丈夫?」

 

 洗面台の前で尻もちを付くと、少し籠もった声の女の子が話し掛けてきた。

 どうやら最初からこの女子トイレにいたみたいで、僕の隣の洗面台を使っていたようだった。

 その綺麗な声に釣られて見上げてみる。

 僕やこいしと同じくらいの身長で、長い金髪に灼熱の瞳。

 サイズが明らかに合わないマスクをしていて顔は良く見えないけど、人♡間と書かれた変なTシャツを着ていて、その癖ロングスカートは地面スレスレ。何だか整合性が無い。

 年齢的に小学生かなぁ。多分外人さんだろうけど……にしては日本語ペラッペラだ。

 

「大丈夫、じゃないです……!?」

 

 じっくり観察した後に答えようとして、愕然とした。

 カツ、カツ、カツ、と。

 何者かがこの女子トイレ入ってくる音がしたかと思えば、それは男だったからだ。

 一見して冴えない容姿。

 見た目は若い。でも髪はボサリとしていて一切手入れして無いのが分かるし、服も皺が深い。数日は洗濯してないように見える。

 知ってる声で、男は言った。

 

「さとり。俺と一緒に、帰ろう」

 

 嘘だろ……。

 

 




さとりがゴスロリ着てる絵を探してたらめっちゃ好みの絵が見つかったので満足です。

次回:邂逅

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