深海棲艦との戦争が終わったある日のこと。
ちょっぴり元気のない五月雨ちゃんの、最後の哨戒任務の話を書きました。

昨年の冬コミで頒布された『プレイリスト合同』において、
私が寄稿した作品になります。
合同誌のテーマは『音楽』。
私が選んだ曲はタイトルの通り、
ルイ・アームストロングの名曲『素晴らしき世界』です。

ちなみにこの五月雨ちゃん、
私の初めての艦これ二次創作にも出ています。
つまりこの話は、私の『彼に似た星空』のif的スピンオフです。
でも元は読んでなくても大丈夫です。
元を読んでいていただけると、ちょっと見知った光景があったりする程度です。
https://syosetu.org/novel/56966/

読んで頂く際には、ぜひ曲を聞きながらどうぞ。
五月雨ちゃんがお好きな方、どうかひとつお手柔らかにお願いいたします……

ちなみにこちらは、pixivにも投稿しています。



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What A Wonderful World

 両足に艤装を取り付け、背中には魚雷発射管を背負う。手には連装砲を握った。おそらくは、それらの兵装を身にまとうのは、これで最後になるだろう。この出撃口で、私は静かに水面に立った。

 

「今日で最後ですね。五月雨さん」 

「はい」 

 

 出撃する私の背後で、大淀さんがそう言って微笑みかけた。私は振り返り、大淀さんに笑顔を向ける。ここまで穏やかな気持ちで出撃をするのは初めてだ。私の出撃を見送る大淀さんの笑顔も、戦時中に比べてとても柔らかく、そして優しい。

 

「定期通信だけは忘れないでくださいね」 

「大丈夫です。もうドジっ子じゃないんですから」 

「ですね。練度も金剛さんに次いで高いですし」 

「そうですよぉ~」 

「……では五月雨さん、最後の哨戒任務、気をつけて行ってらっしゃい」 

「はいっ」 

 

 出撃前のいつものやりとり。出撃の度に聞いていた、大淀さんの『気をつけて行ってらっしゃい』。その言葉を聞くのも今日で最後。そう思うと、胸がキュッとしまった気がした。

 

 静かに主機を回す。聞き慣れた『ゴゴゴゴ……』という低い音が私の耳に届き、足元の艤装が静かに水しぶきを上げ始めた。

 

「では第一艦隊旗艦、五月雨。最後の哨戒任務に行ってきます」 

「はい。お気をつけて」 

 

 大淀さんの笑顔の敬礼に見送られ、私は人生最後の哨戒任務に出撃した。

 

 私たち人類と深海棲艦の戦争が終わったのは、今日から数週間前の話だ。制海権を賭けた戦いは、互いに決して少なくない犠牲を出した末に、和解という形で幕を閉じた。終わった当初は、互いの遺恨からくる小競り合いが起こったこともあったが、今では海も平和そのものだ。

 

 私は海の上を静かに走る。出撃前にも感じたが、こんなに気持ちに余裕がある状態で、のんびりと海を駆けることが出来ることに、私は小さな戸惑いと不思議な違和感を感じている。

 

 だけど今日は、波も静かでとてもいい天気。そよそよと心地よい潮風が私のほっぺたをくすぐっていくのが、とても心地良い。

 

「……うわぁあ~……鎮守府があんなに小さい」 

 

 振り返り、背後の鎮守府を眺めた。私が所属するとても大きな鎮守府が、今では手に持つ連装砲のように小さくなっている。

 

 私は今まで、出撃の時に鎮守府を振り返ったことはない。だから私は、こんなにも遠ざかっていく鎮守府を見たことがない。今まで散々遠くの海域まで……それこそ、場合によっては海外の海域にまで足を伸ばしていた私だったが ……自分は今まで作戦のたびに、遠い海域まで何度も足を伸ばしていたんだと、今、改めて実感した。

 

 そうやって後ろを向いたまま前進し、小さくなっていく鎮守府を眺めながら、私は提督と金剛さんのことを思い出していた。

 

「私も金剛さんみたいに、もっと提督に対して積極的になっていればよかったのかなぁ……」

 

 ぽつりとそんな言葉が出る。遠ざかり、今はもう豆粒のように小さくなった鎮守府に重なって見えるのは、金剛さんと提督……二人の幸せそうな笑顔。二人で手を繋いで並び、見ているこちらの気持ちをもぽかぽかとさせる、朗らかな笑顔の二人だ。

 

 そしてその二人の姿に、私の姿は重ならない。

 

 後悔はない。二人がそうなるよう提督をけしかけたのは、私なのだから。二人が幸せになったことは、私もうれしい。

 

 だけど……自分でも未練がましいということはわかっているけれど……もし、あの笑顔の提督の隣にいるのが金剛さんではなく、自分だったら……提督のあの笑顔が向けられるのが、金剛さんではなく私だったとしたら……二人の幸せな姿を感じるたび、私はそう感じずにはいられない。

 

…… 

………… 

……………… 

 

「誰にも指輪は渡さない」

「……へ?」

 

 大本営から『ケッコンカッコカリ』の書類一式と指輪型艤装が届いた日の執務室。椅子に座った提督は書類すべてに目を通し、静かに、だけどハッキリとそう口にした。

 

 その日私は、大規模作戦に参画していた金剛さんに代わって秘書艦をしていたのだが……提督のその言葉は、流石に予想外だった。

 

「……でも提督、その指輪を装着した艦娘は、さらに強くなるんですよ?」

「艦娘を今よりさらに強くしたいんなら、そういう分かりやすい艤装を開発すればいいだろ。なんで指輪なんだ。それが俺には納得がいかん」

「でも……」

「そもそも『ケッコンカッコカリ』って通称がふざけてる。『カッコカリ』て何だ。相手の指に指輪を通す、相手から指輪を受け取るってのは、すごく重い意味があるんだぞ」

「……」

「それをただの練度向上のための口実に持ってくるのが納得がいかん。俺は誰にもこれを渡すつもりはない」

 

 冷静だが厳しい口調で提督はそう言うと、書類一式を乱暴に机の引き出しの中にしまっていた。机の上には、提督が忌み嫌う『ケッコンカッコカリ』の指輪のケースが一つだけだ。

 

「ちなみに提督、金剛さんはこの指輪が届いたこと、知ってるんですか?」

「知らない。知らせたくもない」

 

 提督は吐き捨てるようにそう答えると、帽子を脱いで立ち上がると、窓のそばに歩み寄り、鎮守府の全景を眺めはじめた。その背中が刺々しい。

 

 私は、提督が金剛さんのことを愛しているのを知っている。

 

 以前、私が小腹がすいておやつでも食べようかと食堂に向かった時、そこで偶然出会った提督に、手作りのショートブレッドをごちそうになったことがある。このショートブレッドがとても美味しくて、私は提督に作り方を聞いてみたのだが……

 

『どうだ五月雨!? どうだどうだ!?』

『もぐもぐ……美味しい! 提督! このショートブレッドとても美味しいですね!!』

『そっかそっか美味しいか! よーしよーし…… ちゃんと作る事ができたな!』

『これ、私にレシピを教えてもらえますか? このレシピ、どこで知ったんですか?』

『これか? これはな……金剛が教えてくれたレシピだ !!』

 

 提督は腰に手をやり、ニシシと笑って得意げに、私にそう教えてくれた。

 

 そんな提督を可愛いと思ってしまった反面……私は、提督が金剛さんのことを愛していることを、その時初めて感じ取ってしまった。

 

 その日以来……提督のそばには、いつも金剛さんがいることに気付いた。提督が迷えば金剛さんがその手を握って寄り添い、逆に金剛さんが落ち込めば、提督が金剛さん抱きしめて励ます……そんな理想の二人に、私の目には映っていた。

 

 そんな、離れ難い二人を隣で見続けてきた私の、直感が告げた。この二人は、互いに互いを必要とする二人なんだ。金剛さんには提督が必要だし、提督に必要なのは、金剛さんなんだ。

 

 ……そう。提督に必要なのは、私ではないんだ。

 

 金剛さんはきっと、提督から指輪を渡されるのを待っている。同じ人を愛する私には、それがよく分かる。

 

 それなのに、提督は『指輪は誰にも渡さない』と言っている。

 

「……提督っ」

「ぉあ? ああお茶か? すまん今淹れ直す」

 

 私が口を開いた途端、勘違いした提督は慌てて執務室の隅に向かい、そこにある急須にお茶っ葉を入れ始めた。確かに提督が淹れたお茶は美味しいけれど、今私がしようとしている話は、それではない。

 

「さっきのケッコンカッコカリのことなんですけど」 

「その話は無しだ」

 

 私が『ケッコンカッコカリ』と口にした途端、提督は真顔になり、私をピシャリと制止する。その様子から、彼がそれに本気で嫌悪感を抱いていることがよく分かる。

 

 でも、だからといって、私も引く気はない。

 

「確かに提督から見れば、〝ケッコンカッコカリ〟は、とてもタチの悪い冗談に見えるかも知れませんけど……」

「これ以上その話はしたくない。だからもう……」

「でも! ……それでも〝ケッコンカッコカリ〟は、私たちにとって大切なものなんです! 提督からそれを申し込まれるのは、私達艦娘にとっては憧れで、夢なんです!」

「……」

「……金剛さんも、きっと……提督から申し込まれるのを、待っています」

 

――私も、あなたから申し込まれるのを、本当は待っていました……

 

「だから提督! 金剛さんに、指輪を渡してあげてください!」

「しかし……」

「練度のためなんかじゃなくて、金剛さんのために! カッコカリなんかじゃなくて! 提督の、金剛さんへの気持ちを込めて……!」

 

 私は必死に、不快な顔をする提督に、指輪の意味を説明した。

 

 私達は人間ではない。だからこそ、指輪の形をした艤装には意味があり、それに私達は憧れを持つ。艦娘なら誰もが、愛する人からそれを渡され、その人と結ばれることを夢見るのだ。

 

 だから、どうか質の悪い冗談だと思わないでほしい。愛する人に指輪をもらい、その人と結ばれる喜びを、金剛さんに届けてほしい。……何度も何度も、私はそう提督にお願いした。

 

 

 私が提督を精一杯説得したその日の夜、提督は金剛さんに指輪を渡したそうだ。翌日、提督と金剛さんが、笑顔で私に報告してくれた。

 

「五月雨。……昨日、俺たちケッコンした」

 

 そう言ってはにかむ提督と、その横でほんのりとほっぺたを赤く染める金剛さんを見た時、いいようのないイヤな感触の生ぬるい風が胸を駆け抜けた。自分自身が二人に見せる笑顔とは裏腹に、体中を嫌な感覚が駆け巡り、足から次第に力が抜けていくのがわかった。

 

「……提督! おめでとうございます!!」

「ありがと。昨日五月雨が俺を怒ってくれたおかげだ。ほんとにありがとう」

「いえいえ!」

「話はテートクから聞いたヨ。ホントにサンキューネー五月雨」

 

――チクッ

 

「いえ! だって、私たちって最初からずっと一緒だったじゃないですか! だからそのお二人がケッコンして、私も、うれしいです!」

「そっか。……そうだよな。五月雨は初期艦だし、資材全部と引き換えに最初の建造でやってきたのが金剛だったし」

「そうデスネー。ワタシたち、最初からずっと、一緒に頑張ってきたのデス!」

 

 二人の輝く笑顔に負けないよう、私も努めて笑顔を向ける。喉の奥がキュッと締まって痛くなってきたけれど、努めて、声を震わせないように……笑顔が歪んでしまわないように、気をつけて口を開いて声を出すのだけれど……。

 

「えっと……提督!」

「ん?」

「えっと……私、ちょっとー……忘れ物しちゃったんで、自分の部屋に戻りますね?」

「んお? 忘れ物?」

「はい!」

 

 でも、それも難しくなってきた。私は適当な嘘をついたあと、逃げるように執務室を後にする。執務室から私を呼ぶ提督の声が聞こえた気がしたけれど、何て言っていたのかはよくわからない。聞いていられない。提督の声を注意深く聞いてしまえば、私の目に涙が溢れてしまうから。

 

 俯いたまま、全速力で廊下をまっすぐ走り、曲がり角に差し掛かったときだった。

 

「あだッ!?」

「いだッ!?」

 

 私のおでこに『ゴツン』と鈍い衝撃が走り、私はその反動でその場に腰をついてしまった。そのままおでこを押さえる。ズキンとした痛みが走り、それが後にたんこぶになってしまうであろうことを、私は予感した。

 

「いだだだ……ってーなー! 走るんなら前見て走りやがれってんだべらぼーめぇ……!」

 

 私と衝突してしまった人物が、同じくおでこを押さえながら文句を口走る。服を見ると、私と同じ制服だ。これは涼風ちゃん。私の妹だ。

 

「いだだだ……ごめんね涼風ちゃん……」

「なんだ五月雨か? ったく……」

 

 私はおでこを押さえる手を離し、涼風ちゃんの顔を見た。涼風ちゃんも私と同じく、おでこをぶつけたようだ。涼風ちゃんのおでこが赤く腫れている。悪いことをしてしまった……。

 

 涼風ちゃんは顔をしかめながらおでこから手を離し、そして私の顔をジッと見た。

 

「これから気をつけ……て、五月雨?」

「いだだだ……な、なに?」

「……どうした? 何かあったか?」

 

 ドキンとした。どうしよう……何か言わなきゃ……適当にごまかさなきゃ……涼風ちゃん、すごく真剣な顔で私のこと見つめてる……

 

「え、えっと……えっと……ね?」

「おう」

「その……えっと……」

「……」

「て、提督がね」

「おう。提督がどうした?」

「……こ、金剛さんとね、ケッコン……した……って」

 

 しまった……最近はそうでもなくなってきた気がするのに……まだまだ私は一人前じゃない。こんな肝心な時に、私はドジをしてしまった。涼風ちゃんに、本当のことを言ってしまった。

 

「……ホントか?」

「う、うん……」 

 

 途端に、涼風ちゃんの顔が険しくなる。涼風ちゃんは、私が提督のことをずっと好きだったことを知っている。だから涼風ちゃんのこの反応は、とても自然だ。

 

「……で、でもね涼風ちゃん! 私はうれしいよ?」 

「……」 

「だって! 私と提督と金剛さんは、最初からずっと一緒だったんだもん! 二人とも大好きなんだもん!そんな二人がケッコンしたんだよ? 私は嬉しいよ?」 

「……」 

 

 途端に、口から弁明の言葉がつらつらと出始める。険しい顔をして私を見つめる涼風ちゃんに、私の本心がさとられないように、必死に『私は嬉しい』と言い続ける。

 

 ひとしきり私の言い訳の言葉を聞いた涼風ちゃんは、ニコリと微笑み、そして…… 

 

「……五月雨っ」

「涼風ちゃ……ん……」

 

 ぺたんと腰を下ろす私をふわりと抱き寄せ、そしてそのまま、両手で私を優しく、だけどギュッと強く抱きしめてくれた。その涼風ちゃんの暖かさが、私の胸にじんわりと心地いい。でもその暖かさが、今はとても胸に痛くて。

 

「……そだな。五月雨が大好きな二人だもんな」

「うん……大好きな二人だもん。だから私はうれしいよ?」

「だよな。五月雨、二人が大好きだもんな」

「うん。……だからね。私、笑顔で『おめでとう』って言ったよ?」

「そっか」

「がんばって、笑顔で言ったよ? 泣かないで最後までがんばったよ?」

「そっか。がんばったなー五月雨。さすが、あたいのねーちゃんだ」

 

 私の意志とは無関係にべらべらと話してしまう私の言葉を、涼風ちゃんは黙って、ただ静かに聞いてくれた。私をギュッと抱きしめ、私の頭を優しくなでてくれながら。

 

 そんな涼風ちゃんの優しさに、私は我慢ができなくなってきた。喉の奥も痛く、涙が流れてしまうのを我慢しようとするけれど……それが出来ない。ひっくひっくと、声がしゃくれあがってしまうことを我慢できなくなってきた。

 

「ひぐっ……涼風ちゃん、私、うれしいよ?」

「おう。うれしいなー。大好きな二人がケッコンしたのは、うれしいなー」

「だからね? ひぐっ……私、頑張って、笑顔で『おめでとう』って言ったよ? がんばったよ? 最後まで……ひぐっ……がんばったよ?」

「そっかー。偉いなー五月雨ー。あたいが大好きな五月雨は、がんばりやさんだなー」

「うん。ひぐっ……ありがとう涼風ちゃん」

「いいってことよ。五月雨のことは、あたいも大好きだからなー」

「うんっ。ひぐっ……ありが……ひぐっ……ありがと……」

 

……………… 

………… 

…… 

 

 そうやって、あの日は涼風ちゃんに抱きしめられながら、最後には大声で泣いてしまった……戦争が集結する、数日前の話だ。

 

 停戦が大本営から発表されたとき、喜びで大騒ぎするみんなに紛れて、泣きながら抱き合って喜ぶ二人を見た。その時ほど、私の心に複雑な感情が浮かんだことはない。もう戦わなくてもいいという喜びと、愛する人が別の人と結ばれた悲しみ……そしてその二人は私が大好きな二人……自分がどんな表情を浮かべればいいのか、私自身も分からなかった。

 

 そしてその状況は、今も変わらず続いている。

 

 すでに充分距離が離れた鎮守府が、私の視界から消えた。私は再び前を向き、いつもの哨戒ルートを進む。眼の前の視界には、何も映らない。ただ、空と海があるだけだ。その空と海を、笑顔とも泣き顔とも無表情とも形容出来ない顔で、私はただ見つめて進む。

 

「この哨戒任務が終わったら、私は一人かぁ~……」

 

 ため息とともに、ポツリと出てきた独り言。提督と金剛さんは、鎮守府の後始末が終わった後、軍を退役して籍を入れるそうだ。昨日、本人たちからそう聞いた。

 

 私も、この哨戒任務を最後に軍を退役する。涼風ちゃんと一緒に、普通の人間の学校に通う予定だ。だから、本当は一人ではないんだけど……元々この鎮守府での生活が始まったときからずっと一緒にいた二人と別れ、私は一人になる。だから、あながち私の独り言は間違ってない。

 

 だからなのだろうか。この最後の哨戒任務は、どうしても一人で遂行したかった。提督から『この鎮守府最後の哨戒任務は、五月雨が艦隊を率いてほしい』と言われた時、私はこの鎮守府に来て初めて、『一人で行きたい』とワガママを言った。

 

 私のワガママを聞いた提督は、最初こそ戸惑っていたが、最後には『じゃあこの鎮守府は、五月雨から始まって、五月雨で終わることになるな』と笑顔で許してくれた。

 

 うつむいて、自分の足元を見た。海の水は緑がかった青色で、海の底はまるで見えない。もうだいぶ沖に出たようだ。振り返れば、陸がもうだいぶ遠くに感じられるだろう。私は俯いたまま、しばらく海の上を走っていた。

 

 俯いたまま一人でぽつりと沖を進み、しばらく経った頃だった。私の無線に、唐突に通信が入った。このチャンネルは鎮守府からのものではなく、一般船舶からのものだ。

 

『進路変更されたし。当方客船。このままでは衝突の危険あり』

 

 唐突に入った無線通信は、そんな言葉を冷静に繰り返していた。それと同時に、お腹の奥底にまで響いてくるような、低音で大きな大きな汽笛が、周囲にブォォォオオオッと鳴り響く。ひどくぼんやりした頭を持ち上げて、私は前を向いた。

 

「……船だ」

 

 私の視界を右からまっすぐ横切るように、大きな船が海上を走っていた。ブルーに染められた船体には虹色のアクセント。そして艦橋は真っ白でよく目立つ。私が海上で今までに出会った何よりも、その船は大きい。

 

 様子を見るに、そのとても大きな船はフェリー。この辺の海域を航路にしている船だろうか。私の視界を右から横切るように、時折白波を立ててゆっくりと前進している。

 

「……丁字不利だ」

 

 私はまだまだ、戦時下でのクセが抜けきってないらしい。私の視界を左に横切ろうとしているそのフェリーを見た時、反射的にそんなことを考え、そしてポツリとつぶやいていた。

 

『繰り返す。進路変更されたし。当方この図体ゆえ、小回りが利かない。このままでは衝突の危険あり』

 

 再び周囲に汽笛が鳴り響き、私に進路変更を促す無線通信が入った。相当にぼんやりしていた私の頭は、その時、初めて事の重大さに気がついた。

 

「……あ!? 早く避けなきゃッ!!」

 

 慌てて舵を切り、逆回転させて船速を落とす。前進していた私の身体が後ろに引っ張られるような減速の感触を感じ、自分のスピードが急激に下がっていくことを感じたが、それでも客船の船体はもう目の前まで迫ってきた。衝突せず止まれるか怪しい。

 

 汽笛が再びブォォオオオオオオッと鳴り響いた。私の身体は減速されてもなお、けっこうなスピードのまま前進を続けている。

 

「止まって~! お願い止まってぇぇええ!!」

 

 私は両手を前に突き出してパタパタと振りながら、必死に衝突を回避しようとしたのだが……時すでに遅し。私の身体はそのままさっきよりも幾分下がったスピードのまま、フェリーの船体へと衝突した。

 

「ぶっ!?」

 

 その瞬間、私の耳には『ごん』というずいぶんと情けない音が届き、そして鼻とおでこには、涼風ちゃんとぶつかったときよりも、幾分弱い衝撃が走った。

 

「あいったぁああ……」

 

 私は鼻を両手で押さえ、その場にぺたりとへたりこんだ。口を思いっきりもごもごと動かし、鼻の調子を伺ってみる。ズキズキと痛むが、鼻血が出たりひどい怪我を負ったりはしてないようで、一安心だ。

 

 だが続けざまに……

 

「うひゃっ!?」

 

 フェリーからの大きな水しぶきが私の全身にかかってしまい、私はずぶ濡れの濡れねずみになってしまった。

 

「うう……もうドジっ子なんて卒業したと思ってたのに……」

 

 これは恥ずかしい……前を見ないでぼーっとしていたせいで、こんなに大きなフェリーの接近に気付かないばかりか、たとえ目立った損傷はないにしてもその船体に衝突した挙げ句、水しぶきで全身ずぶ濡れになるなんて……

 

『こちら客船〝富士〟。こちらは目立った損傷はないが、貴艦は大丈夫か』

 

 私が自分のドジっ子属性が解消されてないことに愕然としていたら、厳しい声で再び無線通信が入った。どうやら相手は、今私が衝突したフェリーの船長さんのようだ。慌てて私も回線を開く。船長さんに謝らなきゃ……

 

「あ、あの、すみません! なんか、ぼーとしちゃってて……」

『貴艦は損傷はないか』

「大丈夫です。そちらも何事も無いようでよかったです。すみませんぼーっとしちゃって……」

 

 無線の向こうの船長さんは、私の必死の弁明を聞いたあと『ふぅ』と小さくため息を漏らし、そして……

 

『こちらも警笛を鳴らすのが遅れたのは申し訳ないが ……航行中は、前方に集中するように』

 

 と、まるで気難しい提督や教官のような、お小言に近い注意を口にした。

 

「はい……すみません……」

 

 そんな船長さんの注意を受けて、私はなんだか気持ちがしょぼくれてきた。鎮守府でずっと深海棲艦と戦ってきた私は、何度も何度も海戦をくぐり抜けてきた。今ではそれなりに練度も高く、それは私の自信にもつながっている。

 

 それなのに……今の私は好きだった提督からも選ばれず、金剛さんからも離れ……一人で沖に出れば満足に海上を航行することも出来ず……挙げ句、こうやって航行中のフェリーと衝突事故を起こす始末……『前を見ろ』という船長さんの言葉には、ぐうの音も出ない。

 

「……」

 

 なんだか涙がじわじわとにじみ出てきた。あんなに頑張ってきたのに……私は今まで、一体何をやってきたんだろう……あれだけの激戦をくぐり抜けてきたのに、一人で満足に航行すら出来ないなんて……無力感と情けなさが嫌になる。

 

『あー……ところで』

 

 そうやって私が自分の無力さとドジさ加減に辟易していたら、さっきの船長さんから再び無線通信が入った。にじむ涙を慌てて手袋で拭い、私は船長さんからの無線通信に、声が上ずらないよう慎重に返事をした。この短い時間に泣いていたってバレないように。

 

「は、はい。なんですか?」

『見たところ、任務中の艦娘とお見受けするが……よろしければ、名前と所属を伺ってもよろしいか?』

「はい。海軍西小田浦鎮守府所属、白露型駆逐艦の五月雨です。現在、哨戒任務中です」

 

 一瞬『勝手に答えちゃっていいのかな』と疑問に思ったのだが……無線の向こうから聞こえてくる今の船長さんの言葉には、不思議な安心感があった。この、提督よりももう少しだけ厳かな声をした船長さんの言葉には、『この人なら言っちゃっても大丈夫』という、妙な確信があった。

 

 無線の向こうの船長さんは、小さな声で一言『五月雨か……』と口ずさんだあと、相変わらず提督よりも若干厳し目に聞こえる声で、私に再び話しかけてきた。

 

『……五月雨。もし任務に支障がなければ、しばらく並走していただきたいのだが……』

「へ?」

『よろしいか?』

 

 船長さんからの予想外で意味がわからないお願いに、私の頭は混乱した。船長さんの思惑を必死に推理するけれど、私の頭ではどう頑張っても答えは出ない。

 

「……分かりました。並走すればいいんですね?」

『ああ。よろしく頼む。幾分距離は離れたが、貴艦なら充分追いつけるだろう。こちらは船速を落とさず、そのまま進む』

 

 答えが出ないのなら、素直にこの船長さんに従ってみるのも一つの手だ。私は顔を上げ、先に進むフェリーを見た。船の白い軌跡が、私がいる場所からフェリーまで、ずうっとつながっている。へたりこんだ両足に力を込めて立ち上がり、私はフェリーの後を追いかけた。

 

「距離はどれぐらい開ければいいですか?」

『我々の船から、貴艦の全景が見える程度……そうだな……五メートルほど離れてくれ』

「右舷と左舷、どちらにつけます?」

『どちらでも構わないが……陸が左に見えるから、左舷に来てもらおうか』

「はいっ」

 

 船長さんからの具体的な指示のままに、私はフェリーの左舷を並走する。五メートルほど距離を取り、船速をフェリーに合わせたところで、無線の向こう側から『船内放送をこの無線にも繋げ』という小さな声が聞こえた。

 

「船長さん、左舷につけましたよ。今、同じ船速で並走してます」

『了解。ありがとう』

 

 船長さんのお礼が終わった、その直後だった。私の無線から、今まで流れたことのない、ハキハキと明るい女の人の声が流れてきた。

 

『みなさま! ただいま左側に、駆逐艦の艦娘、五月雨さんが並走しております!』

「へ!?」

 

 その途端に素っ頓狂な声を上げて驚く私。だがそんな私に、さらに追い打ちがかかる。

 

「ホントだ! 女の子がいる!!」

「すげー!! マジで海の上を走ってる!!!」

「か、可愛い……!!」

 

 戸惑う私に追い打ちをかけたのは、たくさんの人達の歓声。声の発生源を探り、右を向く。並走するフェリーの甲板に人だかりが出来ていて、その人たちが、みんな私のことを眺めていた。人だかりの中には子供もいれば大人の人もいる。男の人も女の人も、お年寄りの人も……たくさんの人達が甲板から身を乗り上げ、私の方を物珍しそうに眺めていた。

 

「こんにちはー!!!」

「ぇえ!? あ、あの……」

「お姉ちゃーん!! こんにちはー!!!」

 

 そんなたくさんの人達にまぎれて、何人かの子どもたちが、私に向かって手を振っているのが見えた。子どもたちはまるで涼風ちゃんのような満面の笑顔で、私に向かって必死に、小さな手をブンブンと振っている。

 

『ほら。貴艦も挨拶を』

「は、はいっ……こ、こんにちはー……」

 

 無線の向こうの船長さんからポソリと促され、場の雰囲気に圧倒されながらも、私は小さく手を上げ、みんなに返事をした。

 

 私の声は無線を通して、船内放送でフェリー内にも聞こえたようだ。私が返事をした途端に『ぉおおお!!!』『返事した! お姉ちゃんが返事してくれた!!!』『こ、声もかわいい……天使だ……!』というたくさんの声で、フェリーの甲板がどよめいていた。

 

「えぇぇえぇえええ!?」

 

 戸惑い、恥ずかしくて顔が真っ赤っ赤になってしまった私の声を無線が拾い、それがフェリーの船内にこだまする。途端にフェリーから盛大な笑い声や歓声が響き、それがまた私の恥ずかしい気持ちに拍車をかけた。フェリーの乗客からの歓声は、容赦なく周囲に響き続けている。

 

 私は生まれてこの方、こんなにたくさんの人達に一斉に声をかけられたことなど無い。ましてや『可愛い』などと言われたことなど皆無だ。そら鎮守府にいた頃は、冗談交じりに『五月雨ちゃんカワイイ!』って言われることもあったけど……。

 

 だけど、こんなにたくさんの人達から『カワイイ』などと言われることなんか今までなかったし、想像したことすらない。

 

 恥ずかしい……私がなんとも言えない居心地の悪さを感じ、俯いてもごもごしていたら……たくさんの人達の歓声に混じって、男の子のハリのある声が私の耳に、ハッキリと届いた。

 

『艦娘のお姉ちゃん!!』

「?」

 

 男の子の声は、妙に私の注意を引いた。私は顔を上げ、フェリーの甲板を見上げる。真面目な顔で私の顔をキッと見つめる、十歳ぐらいの少年と目が合った。

 

 その少年は、私の目を真っ直ぐに見つめ、両手でメガホンを作り、そして……

 

『ありがとー! 僕たちを守ってくれて、ありがとー!!』

 

 意志の乗ったキッとした真剣な眼差しで、私へ感謝の言葉を述べた。

 

「へ?」

『そうだ! 海を守ってくれてありがとう!!』

『戦争を終わらせてくれてありがとう! ずっと守ってくれててありがとう!!』

 

 そして、その男の子の言葉に呼応するように、みんなが口々に『ありがとう』と私に感謝の言葉を投げかけた。

 

 こんなにたくさんの人から『ありがとう』と言われた経験なぞ、私にはない。ただでさえこんなにたくさんの人から注目されることなんてなかったのに……初めての事だらけで私の頭がパンクしかかっていた、その時だ。

 

『陸を見たまえ』

 

 無線の向こう側から、船長さんの優しい声が聞こえた。さっきのような、威厳のある厳しい声ではない。静かな、とても優しく柔らかい声だ。

 

「へ? 陸ですか?」 

『ああ』 

 

 再度促され、私はフェリーに背中を向けて陸を見た。ちょうどその時、無線の向こう側から、しわがれた男性が歌う、とても静かな歌が流れ始めていた。

 

「……あ」

 

 途端に私の口から、感嘆の声が漏れた。

 

 私の眼前に広がっていたのは、とても色鮮やかな、美しい光景。

 

 白に近い山吹色のお日様が眩しい空は、どこまでも続く晴天。真っ白な雲が所々、青々とした空にぷかぷかと浮かんでいる。緑色を帯びた群青色の海は、お日様の光を反射して、キラキラと眩しく輝いて、私の目にとてもまぶしい。

 

 そのずっと向こう……ここから見える海岸線と町並みには、フェリーに乗る人たちに負けないぐらい、たくさんの人達の姿が見えた。手を繋いでのどかに散歩する一組の男女や、二人の子供に急かすように両手を引っ張られるおじいちゃん。オレンジ色のTシャツに黒の短パンを履いている男の人はランニング中なのかな。海岸線の防波堤の上を軽快に走っている。

 

 虹色のパラシュートでパラセイリングを楽しむ人が、視線の隅で気持ちよさそうに空を漂う。その向こう側には鮮やかな緑に彩られた山々が連なり、真っ青な空にぽっこりと浮かび上がっているように見えた。山の緑は木々の緑。木の一本一本の緑が、私にはハッキリと見えた。

 

「……きれい」

 

 そう。私の目の前に広がる光景は、色鮮やかで、とても美しい。

 

 そして、その色鮮やかな光景の中で思い思いに過ごす人たちは、とても生き生きとして楽しそうだ。

 

『ありがとー! 艦娘のお姉ちゃん、ありがとー!!』

 

 フと我に返り、私は再度、フェリーを振り返った。

 

 鮮やかな青に塗られ虹色のワンポイントが映える美しいフェリーの甲板には、満面の笑顔の人々。みんなが笑顔で、私に向かって楽しそうに手を振っている。

 

 ……今気づいた。今、私の周囲に広がるこの光景は、キラキラとした輝きに満ちていてとても美しい。水面だけでなく私の周囲のものすべてが、お日様に照らされてキラキラと輝いているように見える。

 

 そして、それらをさらに輝かせているのが、無線の向こう側から聞こえる優しい歌。伴奏はどこまでも柔らかく、おじいちゃんのようにしわがれた歌声は、限りなく優しい。まるでこの美しい景色に囲まれたことがうれしいかのようだ。歌っているおじいちゃんの優しい微笑みが、私の頭の中で自然とイメージ出来る。

 

『……五月雨』

 

 おじいちゃんの優しい歌とみんなからの歓声、そして輝く景色に囲まれた私に、船長さんが無線を通して話しかけてきた。船長さんの声も、どことなく私の耳に優しい。

 

『貴艦らが命を賭して深海棲艦と戦ってくれたから、この美しい光景も我々の日常も、壊されずに済んだ。この美しい光景は、キミが守ったんだ』

「へ……あの……」

『何より……こうして、今日からまたフェリーの運行を再開する事ができた。これは、貴艦のおかげだ』

『……』

『我々からも礼を言う。ありがとう。白露型駆逐艦の五月雨』

 

 優しい声で紡がれる、船長さんの『ありがとう』……そして、フェリーの甲板から聞こえる元気な『ありがとう』。私に向けられた二つの感謝の言葉が、色鮮やかな景色に包まれた私の胸の中に、じんわりと静かに広がっていく。

 

 みんなから『ありがとう』と言われるその瞬間までの私は、どうやら自分への自信を無くして、少々ふさぎ込んでいたみたいだ。愛する提督には選ばれず、ずっと一緒にいた二人とは離れ離れにならなければならず……そんな気持ちで哨戒任務に出ていたから、フェリーと衝突事故なんて起こす羽目になり、挙げ句船長さんにお小言を言われてしまう……そんな私は、何もかもに自信を無くしていたようだ。

 

 今なら分かる。自己嫌悪に陥っていた私の目からは、色彩が無くなっていた。何もかもが灰色に着色され、目に入る物すべてが、色褪せて見えていた。

 

 だけど。

 

――僕たちを守ってくれて、ありがとー!!

 

 あの男の子から『ありがとう』と言われ、私の目が色彩を取り戻した。

 

 確かに私は、愛する人と結ばれず、大好きな人達と離れ離れにならなければならない。その事実は悲しい。

 

 だけど、私はこの少年たちを守ることが出来たじゃないか。この少年たちの笑顔と日常を、私は守り通すことが出来たじゃないか。

 

 その事実に気づいたとき、私の周囲は輝きを取り戻した。真っ青な大空や群青色の海、鮮やかな緑色の山々や、そこで暮らす人達……すべてが白色を帯びた山吹色のお日様の光の下で、再びキラキラと輝き出した。

 

 そして。

 

――この美しい光景は、キミが守ったんだ

 

 船長さんは、そんな風にまばゆく輝く周囲の美しい景色を、『キミが守ってくれた』と、改めて気付かせてくれた。

 

「私が守ったんだ……」

 

 『私が、この素晴らしい光景を守った』。船長さんが教えてくれたこの事実は、私の心に自信と喜びをもたらしてくれた。

 

 私は改めて、甲板を見上げた。甲板にいる人達は、相変わらず私に思い思いの感謝の言葉を投げかけて、手を力いっぱい振ってくれている。私は顔を上げ、満面の笑顔で、甲板に向けて力いっぱいに両手を振った。

 

「こーんにちはー!!」

『! こーんにーちはー!!!』

「こんにちはー!! こーんにーちはー!!!」

 

 そして力いっぱい、声を張り上げる。私に自信を取り戻させてくれたみんなに、『ありがとう』の気持ちをいっぱい込めて。

 

「みなさんのおかげで元気が出ました! ありがとうございます!! ありがとうございまーす!!!」

『ありがとー!!!』

 

 私の『ありがとう』を聞いた甲板の人たちも、私に負けじと『ありがとう』と言い返す。暫くの間、周囲には私とみんなの『ありがとう』の大合唱が続いた。さんさんと眩しく照りつけるお日様の下、おじいちゃんの歌を背景に、私達は互いに『ありがとう』を伝えあった。 

 

 そうして、しばらくの間『ありがとう』の楽しい応酬を続けたせいで、おでこにうっすらと汗をかき始めた頃だった。

 

『多少は気が晴れたか?』

 

 未だ終わらないおじいちゃんの優しい歌の中、私の無線から船長さん優しい呼びかけが届いた。その呼びかけ方は、どことなく、私が愛していた提督の雰囲気に似ている気がした。

 

「はい! さっきまではちょっと元気なかったんですけど……船長さんのおかげで、元気出ました!!」

『ならよかった。それに、我々も乗客への特別サービスが出来た』

「私が落ち込んでたこと、気付いてたんですか?」

『……知らん』

「えー……ふふっ」

『……』

 

 かと思えば突然ぶっきらぼうになったり……だけど、さっきまでの威圧感や威厳はもう感じられない。口を尖らせて言う『知らん』のセリフも、どこか愛嬌があって可愛げだ。この人も提督と同じで、大の大人にしてはどこか可愛げがある人なのかも。

 

 私達を優しい音色で包み続けたおじいちゃんの歌が、終盤に差し掛かってきたようだ。英語の歌だから、どんな言葉を歌っているのかはわからない。だけど、優しさとそれ以上の喜びで満ちているこの歌は、私達をずっと見守り続けてくれていた。

 

「船長さん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

『お?』

「その、おじいちゃんが歌ってる歌!」

『ブホッ!?』

 

 私は船長さんに、この歌がどんな歌なのか聞こうと思ったのだが……私が『おじいちゃんの歌』と言った途端、船長が吹き出す音がしっかりと聞こえた。『船長!? コーヒーが!?』という悲鳴も聞こえたから、ひょっとしたら船橋は今、大騒ぎをしているかも。私、そんな変なこと言ったかなぁ?

 

「えっと……私、何か変なこと言いました?」

『いや……だけど、『おじいちゃんの歌』と来るとは思わなくて……ゲフッ』

「大丈夫ですか?」

『ああ大丈夫。それで? この歌がどうかしたか?運行中のBGMとして船内放送で流してるんだが……』

「英語の歌ですけど、どんな歌なんですか?」

 

 船長さんはひとしきりむせた後、私に『ありがとう』と言ってくれた時と同じ、柔らかく穏やかな声で、おじいちゃんの歌のことを教えてくれた。

 

『ルイ・アームストロングというおじいちゃんの歌だ』

「やっぱりおじいちゃんっ! 何てタイトルなんですか?」

『”What A Wonderful World”』

「わ……? わんだふる?」

『”キミが守ったこの世界は、なんて美しく、素晴らしい世界なんだ”……そんな感じの歌だと思えばいい』

「へぇえ~」

 

『なんて美しく、素晴らしい世界なんだ』その言葉が、私の周囲の景色に、さらに輝きをもたらしてくれた。『素晴らしい世界』。この大空も大海原も、緑の山々も甲板の人々も……私を取り囲むすべてが、キラキラと輝いてとても美しく、そして素晴らしい。

 

 ……そして、そんな素晴らしい世界を守ったのは、私自身。

 

 その事実に気付かせてくれたのは、今私と並走している船長さんだ。私は船橋を見上げた。こちらに笑顔を向ける船長さんに、感謝の敬礼を向けながら。

 

「船長さん! ありがとうございました!!」

『……こちらは何もやってない』

「えー……このままもう少し、並走してていいですか?」

『貴艦の任務に支障がなければ、いくらでも並走してくれて構わんよ』

「はい!」

 

 もう少しの間、この素晴らしい景色に囲まれることが出来る喜びに胸を躍らせた私は、後ろを振り返り、私達の軌跡を眺めた。群青色の水面に浮かび上がる純白の軌跡は、私達が通ってきた道筋を、どこまでもどこまでも、くっきりと残し続けていた。

 


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