とある休日の日曜日。かばんの案内で皆でお出かけ。
何と出かけた先はともえ達の父親であるドクター遠坂が働くサンドスター研究所であった。
イエイヌとドクター遠坂を対面させたり、みんなでお弁当を食べたり、楽しい時間を過ごした後はヒーロー達の出番であった。
リニア実験線に現れるという暴走珍走セルリアン達を退治して欲しいというのだ。
ドクター遠坂の用意したスーパーマシン、ジャパリバスに乗って戦場へと向かうクロスハートとクロスナイトとクロスシンフォニー。
今回はアムールトラも一緒だ。
高速で移動しながらの戦いに苦戦を強いられるヒーロー達の前に、第4の謎のヒーローが現れた。
その名はクロスラピス。
クロスラピスの協力も得て、何とかセルリアン達を倒したヒーロー達。
そんな中、話の流れでイエイヌはルリとアムールトラが暮らす宝条家へ遊びに行く事になったのだった。
「うっうっ……。い、イエイヌちゃあああん…!」
「一人で寝てもおなか出して寝たりしちゃダメだよ…!」
ともえと萌絵がイエイヌに両側から抱き着き何やら悲壮感を漂わせていた。
「いや、萌絵お姉ちゃんもともえちゃんも大げさです。ちょっとお泊りに行くだけですから明日には会えますよ。」
サンドスター研究所から戻ったともえ達。
イエイヌは話の流れでルリとアムールトラの暮らす宝条家へお泊りに行く事になった。
何せイエイヌが一人で外泊というのは初めてのイベントだ。なので、ともえも萌絵も大分心配していた。
「そうよー。イエイヌちゃんはしっかりした子だからきっと大丈夫よ。」
と言う割には春香も娘達に混ざってイエイヌに抱き着いていた。
「せっかくだから一晩分のイエイヌちゃん成分を補給しておこうかしら、って。」
てへ、と言いたげに小さく舌を出してみせる春香。
三人掛かりでここぞとばかりにイエイヌをモフりまくっていた。
「オイ。三人とも。そんな事よリ、イエイヌの準備はいいのカ?」
見兼ねたラモリさんの言葉にハッとするともえと萌絵と春香。
イエイヌは一旦お泊りの準備をするべく遠坂家へと戻ってきていた。
なんせ明日は月曜日。普通に学校がある。なのでお泊りするなら制服も持っていかないといけない。
「そうね。急いで準備しないと…。ええとまずはイエイヌちゃん用の洗面道具とかをまとめて…。」
「あと明日の授業の準備もだし…。」
春香と萌絵が思案を巡らせつつ手早く即席お泊りセットを作っていく。
「あ、あと急にお腹が痛くなったりしたら困るからお薬も入れておくね!あと寂しくないようにアタシのタオルケット持っていく!?あ、それからセルリアンが急に出たら困るよね。どうしたらいいかな…。」
と、ともえがドタバタと色々準備していたが…。
「イヤ、旅行に行くワケじゃナイんだからそんな大荷物はいらんゾ。」
ラモリさんにあっさり却下されていた。
「あ。ああ…。でもともえちゃん達の匂いがするのは安心するかも…。」
とポツリとイエイヌが呟いてしまったので、「ほらぁ!」とともえが勢いづいてしまった。
しかし、あまりイエイヌの荷物を増やすわけにもいかない。
そこで萌絵は一つ提案してみる事にした。
「じゃあ、制服交換しとこうか。背丈は似た様なものだし、サイズはきっとかわんないから。」
なるほど、それなら荷物は増えないが、ともえと萌絵の匂いは確保出来る。ついでに春香のハンカチを一緒にセットにしておけばバッチリだ。
なので、お泊りセットには萌絵のスクールベストとともえのスカートが一緒に入れられた。
どうにかコンパクトに一晩分のお泊りセットをまとめた春香。
「さて、ルリちゃん達を待たせているし、早く行ってあげましょう。」
1階の喫茶店『two-Moe』でルリとアムールトラとそしてユキヒョウが待っていてくれる。
早いところ戻らないと待ちくたびれてしまうかもしれない。
ともかく準備が出来たのでイエイヌ達は1階へと降りた。
すると、やはり待っていたかのようにルリが立ち上がってイエイヌ達を出迎える。
「じゃあ春香おばさん、萌絵さん、ともえさん。一晩イエイヌさんをお預かりしますね。」
ペコリと頭を下げるルリに春香もまた彼女に笑顔を向ける。
「こちらこそ、おうちの方によろしくね。何かあったら夜でも連絡してくれて構わないから。」
「はい!“教授”もイエイヌさんに会いたいって言ってたので心配しないで下さい。」
ルリもそう返すのだった。
そしてともえがルリとアムールトラとユキヒョウの手を交互に握りつつバタバタしていた。
「ルリちゃん、アムールトラちゃんユキヒョウちゃん!イエイヌちゃんの事をお願いねっ!」
「もう…。ともえちゃん。ですから大げさですってば。明日には学校で会えますし。」
と、逆にイエイヌに宥められる始末だった。
「では行くかの。」
このままではいつまでも出発できない、と苦笑交じりのユキヒョウ。ちょうどよさげなタイミングで出発を切り出した。
「そうだナ。」
ピョイン、とラモリさんがそれに同意しつつイエイヌの腕の中に飛び込もうとした…。
が…。
―ガシリ!
とそれはユキヒョウがインターセプトしてしまった。
「はっはっは。すまぬが今夜はがーるずとーくで盛り上がる予定でのう。殿方の参加はお断りじゃ。」
「ナン…ダト…。」
そう。
せっかくの機会だから、とイエイヌは本当に一人でお泊りに行くことになったのだ。
こちらの世界に来てから常にともえ達が側にいてくれた。短い時間を一人で行動する事もないではなかったけれど、一晩もの長い間ともえ達と離れるのは初めてだ。
春香としてもほんの少し心配がないではなかったけれど、これもいい経験になるだろうと賛成したのだった。
「だからラモリさんも留守番よ。」
と春香がユキヒョウの手からラモリさんを受け取る。
こういう時にイエイヌの側にいる事も多かったラモリさんだっただけに今回も着いて行くつもりでいた。
しばらくの間、センサーアイを明滅させて考え込む様子を見せたラモリさん。
「ナア…。やはり非常用の薬と緊急時のサバイバルキット。それに念のため1週間分の非常食ヲ持って行った方ガ…。」
ラモリさんも今日ばかりは過保護なようであった。
の の の の の の の の の の の の の の
「お、大きいですね…。」
イエイヌがやってきたのは大きなマンションだった。
1階部分にはコンビニやキッチンスタジオがあって2階以降が居住スペースになっているようだ。
全部で6階建てのマンションで間近で見るとその大きさだけで圧倒されそうだ。
そんなイエイヌにユキヒョウとルリが教えてくれる。
「ちなみに、これは集合住宅、と呼ばれる物で…、そうじゃのう、たくさんのおうちを集めた建物と思えばよいかの。」
「そうそう。だから私たちのおうちだけがあるわけじゃないんだよ。」
その解説にイエイヌがあらためて周りを見てみると、なるほど買い物袋を提げた見知らぬ家族連れなどがこの建物に出入りしているのが見えた。
「ウチも最初はこんなでかい家に住むとか掃除だけで大変そうやって思ったもんや。」
どうやら別な世界から来たアムールトラも最初はイエイヌと同じような感想を持ったらしい。
「ほな、いこか?“教授”も待ってる頃やろ。」
言いつつエントランスをくぐるアムールトラ。その扉の前に立つと何かのボタンを押してこう言った。
「アムールトラ、ルリ、ユキヒョウ帰ったで。あとゲストが一名や。」
すると女性の声を模した機械音声がする。
『確認しました。お帰りなさいませ。ようこそ、ゲスト様。』
それと同時に自動ドアが開いて4人を出迎える。
心なしかドヤ顔のアムールトラである。
「すごいです!アムールトラ!なんだか難しそうな機械をちゃんと使えてるんですね!」
そんなアムールトラをイエイヌはキラキラした目で見つめる。
思ってた以上に褒められて今度は照れ臭そうにしているアムールトラ。そこにイエイヌの追い打ちが入る。
「ショッピングモールとかでも思いましたが、アムールトラはわたしよりもコチラの世界に慣れてるような気がします。」
「あ、ああ。多分やけどイエイヌよりもウチの方が先に来てたんやないかな。こっちに引っ越してくる前も“教授”が色々教えてくれとったしな。」
そんなイエイヌの手放しの褒め言葉にアムールトラはむずがゆそうにほっぺをポリポリして見せた。
そんな二人の様子にルリもユキヒョウも顔を見合わせて微笑み合う。
そして、エレベーターを抜けて4階の一画が宝条家であった。
「ただいまー。」
「いま帰ったでー。」
「今日も邪魔させてもらうぞ。」
ルリ、アムールトラ、そして勝手知ったると言った様子のユキヒョウの後に続いて玄関をくぐるイエイヌ。
中も思っていたよりも広く感じられた。
「ふっふっふ。2階、3階は一人暮らし向けの間取りになっておるが、4階以降は家族で暮らせる間取りとなっておるのじゃ。」
今度はユキヒョウのドヤ顔である。
なにせこのマンションはユキヒョウの両親がオーナーなのだ。やはり驚いたりしてもらえるとそれだけでも嬉しいようだ。
ちなみに、間取りとしては4LDK。宝条家なら余裕がありすぎるくらいだった。
リビングには椅子とテーブル。それにソファーとあまり物は多くないように思える。
「あまり物を置いてもルリの負担が増えてしまうからの。まずは機能優先じゃ。」
どうやら家具などの配置は色々とユキヒョウが世話を焼いたらしい。ふふん、と胸を逸らしてみせるユキヒョウの背後からするり、と首元に何者かの手が回された。
「うん。機能優先は私も好きだよ。シンプル・イズ・ベスト。ユキヒョウ君には頭があがらないね。」
突然あらわれたように見えるその暗緑色の癖っ毛をした女性は、実は最初からソファーに寝ころんでいてその影から現れただけだった。
ちょうどユキヒョウが近くに来たのでしなだれかかってみた、というだけだったりする。
「まったくお主は…。そう思うのじゃったら少しはわらわの言葉にも耳を傾けて早起きしてくれんかの?お主、今日は何時まで寝ておったのじゃ?」
「今日は…13時くらいには起きたよ。」
「もう午後に突入しておるではないか…。まったく。で?本当は何時に起きたんじゃ?」
「15時。」
「オヤツの時間ではないか…。まったくお主というヤツは。」
イエイヌから見ればなんだかドキドキするような不思議な光景なのだが、もうユキヒョウは慣れっこなのか普通にその女性に説教を始めていた。
まずは暗緑色の癖っ毛が特徴的な女性だが、黒いジャケットに赤いシャツ。それとひざ丈のハーフパンツにストッキングという服装だった。
そして身体つきとしてはアムールトラよりもさらに豊かで色んな部分が大きくメリハリのあるプロポーションをしていた。
一見するとかなりの美人と言っていいのだが、そう言い切れない理由があった。
それは目元がやたらと疲れているように見える事だった。
それがやたらと退廃的というべきか蠱惑的というべきか、そういった種類の雰囲気を感じさせる。イエイヌが初めて相対する艶っぽさを持つ女性であった。
「ほれ。客人が来ておるのじゃ。挨拶くらいせぬか。」
とユキヒョウに促されたその女性は彼女から離れるとイエイヌの目の前までやってきて膝をついて目線を合わせる。
「やあ。はじめまして。私の名前は宝条和香。みんなは“教授”と呼んでいる。」
そうされると下から見上げられるような形になるのだが、その上目遣いも今まで感じた事のないような類のものに思えるイエイヌ。
そんな戸惑いを余所に“教授”はそのまま言葉を続けた。
「イエイヌ君。キミには感謝している。ルリとアムールトラが随分世話になった。ありがとう。」
と今度はそのまま頭を下げて来た。今度はイエイヌにはその姿が自分に対してされるには過剰に丁寧な気がして却って恐縮してしまう。
「それに萌絵君にも礼を言わねばなるまいな。彼女は元気かな?」
「ええと…、萌絵お姉ちゃんの知り合いですか?」
知っている人の名前が出てきてようやく言葉を絞り出す事に成功したイエイヌ。
「ああ。彼女がまだ小さい頃に何度かね。病弱だったあの子が健やかに成長しているようで私も嬉しいよ。」
そう言ってみせる“教授”の姿にようやくイエイヌも落ち着きを取り戻せた。萌絵の事を話す姿に自然と緊張が解けてくれたようだ。
「いずれ礼を言いにいくつもりだから、その時はよろしく頼むよ。」
それに大きく頷きながら、イエイヌは今更ながらきちんと自己紹介すらしていなかった事を思い出した。
「あ、あの。わたし遠坂イエイヌで……うわひゃああああ!?ななな、なにを!?」
と自己紹介しようとしたところでイエイヌは素っ頓狂な声を出してしまった。“教授”がイエイヌの首もとに顔を近づけていたからだ。
その吐息のくすぐったさすら感じられる距離に“教授”の顔があってイエイヌは再び硬直してしまう。
「ほうほう…。これが噂の“ナイトチェンジャー”か。けものプラズムに何らかの作用を与える補助具…。一旦けものプラズムの波形を電気信号に置き換えているのか?…なるほどだとすると…。いやいやこれは面白い発想をしたものだ…。」
“教授”がやたら熱心に見ているのはイエイヌが首につけたチョーカー、“ナイトチェンジャー”であった。
「ったく。“教授”はこうなると周りの事お構いなしやもんな。ほれ。イエイヌが困ってるから程々にな。」
「あぁー…。も、もう少しいいじゃないかぁあああ。」
見かねたアムールトラは猫の子をつまみあげるように首根っこをヒョイと摘み上げて“教授”をイエイヌから遠ざけた。
名残惜しそうにまだジタバタしてみせる“教授”。
しかし、ハタ、と思い出したかのように動きを止めると今度はルリの方を見る。
「そういえば今朝のお弁当美味しかったよ。ルリ。ご馳走様。」
どうやらルリは“教授”用のお弁当をきちんと置いていっていたらしい。
イエイヌはコロコロと表情を変える彼女の事をなんだか忙しそうな人だなあ、なんて思っていた。
「しかし、お主がそれを食べたのはオヤツの時間以降じゃろ?今朝、という表現は正しくない気がするのじゃ。」
とユキヒョウのツッコミが入るものの…。
「私にとっては朝さ。なんたって私は夜行性だからね。」
「いや、お主はヒトじゃから間違いなく昼行性じゃ。」
“教授”の返しにユキヒョウは頭を抱えた。
「ところでルリ。今日のお昼はなんだい?」
「そうだねえ。今日の夕ご飯はイエイヌさんが遊びに来てくれてるし…。ハンバーグとかにしようかなって思ってたよ。」
既に時間のズレを気にする事なく会話している“教授”とルリ。これがいつもの事なのでもう慣れてしまっていた。
ルリは早速エプロンを着けて夕飯の準備に取り掛かろうとしていた。
「ああ、その前にコーヒーを淹れてもらえないかな?どうにも目がすっきり覚めきらない感じがしてね。」
「たまには自分でやってみたらどうじゃ?インスタント程度ならお主でも何とでもなろう。」
そんな“教授”のリクエストに甘やかす気はないぞ、と言わんがばかりのユキヒョウ。
彼女もまた宝条家に置いていた自分用のエプロンを着けるとルリの手伝いを始めた。
すっかり無視された格好の“教授”はほっぺたを膨らませてみせていた。
とそれを見兼ねたのか、イエイヌが控えめに挙手した。
「あ、あのー…。でしたらわたしがコーヒー淹れましょうか。」
「本当かい!?」
“教授”はイエイヌに勢いこんで迫っていた。せっかく落ち着きを取り戻したというのに、またまた“教授”の顔が思いっきり近くに来て再び緊張を強いられるイエイヌ。
そんなイエイヌへ助け船を出したのはアムールトラだった。“教授”の首根っこを捕まえてイエイヌから遠ざけつつ言う。
「せやけど、うちにはインスタントコーヒーとかしかないで?ウチもルリもあの苦いのはあんま好きやないからなあ。」
「飲んじゃうと夜寝られなくなったりするもんね。」
アムールトラにルリも頷いていた。ついでに言えばイエイヌもあの苦いコーヒーはあまり得意ではない。
けれども、イエイヌはちょうどインスタントコーヒーでも美味しく淹れるコツを春香から教わったばかりだったりする。
遠坂家でコーヒーを普段から飲むのは春香とドクター遠坂だけなのだが、なかなか試す機会がなかったので味見役としてもちょうどよかった。
イエイヌは電気ポットのお湯を確認し、それを急須に注ぐと蓋を外したまま放置した。
そして湯気を立てるお湯を後目に今度はインスタントコーヒー適量をコーヒーカップに入れると、それにティースプーンで少量の水を垂らしてかき混ぜはじめた。
「へぇー。それが美味しくコーヒー淹れるコツなん?」
「ええ。春香お母さんから教わったんです。」
イエイヌの手元を興味深そうに眺めるアムールトラ。
やがてインスタントコーヒーを水で練ったようなものが出来上がると、先程放置した急須のお湯を注いだ。
途端にリビングにコーヒーの香りが満ちた。
もう一度ティースプーンでかき混ぜてからイエイヌは“教授”の前にコーヒーカップを置く。
「なるほど。カフェインは温度が高いと抽出されやすくなって苦みが強くなるし、コーヒーの香りが飛びやすくなるから敢えてお湯の温度を下げたわけか。興味深いね。」
“教授”は言いつつ軽くコーヒーの香りをかいでから一口。
いつの間にやらルリもユキヒョウも夕飯の準備の手を止めて“教授”の感想を待っていた。
「うん。普通にお湯を注いだだけよりも香りもいいし、味もなんだかまろやかになってる気がするね。」
その“教授”の言葉にイエイヌもホッと一安心。そしてルリもアムールトラもユキヒョウもパッと顔を輝かせた。
「イエイヌさんすごい!ちょっとの手間でインスタントコーヒーを美味しくできるなんて!」
「せやな!お茶を淹れるのが得意とは聞いてたけどほんますごいな!」
「ああ!これは茶道も仕込んだらそちらも美味しい茶をいただけるかもしれんのお…!」
口々にイエイヌを褒める三人。“教授”はそんなイエイヌ達の様子に目を細めるとポツリと言った。
「これは春香姉さんに教わったって言ってたね。何だか懐かしい味がするのはそのせいか。」
「春香……姉さん…?」
“教授”の言葉にイエイヌは首を傾げた。
「ああ。遠坂春香の旧姓は宝条なんだ。つまり私の姉だね。」
つまり“教授”にとっての春香はイエイヌにとっての萌絵やともえと同じということだろうか。
それなら萌絵の小さい頃を知っていてもおかしくない。
思わぬ繋がりにイエイヌは驚いていた。
「確かに春香姉さんが淹れてくれたコーヒーは一味違っていたように思えたが、まさか今日それが味わえるとは思わなったよ。ありがとう、イエイヌ君。」
そうしてまだ驚きで固まったままのイエイヌを撫でる“教授”。
そうしてから“教授”はパン、と一つ手を打った。
「ルリ。ユキヒョウ君。イエイヌ君がお腹を空かせる前に夕飯を準備してくれると助かる。」
「あ、そうだった!すぐに準備するね。」
「まったく。そう思うんじゃったらお主も手伝わぬか。」
ルリがハッと気づいてキッチンに戻るのだが、ユキヒョウはやれやれ、と言いたげに肩をすくめてみせる。
そのユキヒョウの言葉に“教授”はニヤリとしてみせた。
「いいのかい?私が手伝うとせっかくのルリのご馳走がダークマターになってしまうよ?」
「うん。“教授”はウチらと一緒に大人しくしとこ?な?」
アムールトラは慌てて“教授”をソファーに戻した。
「そうだ。アムさん。イエイヌさん。まだ夕飯の準備にしばらくかかるから二人とも先にお風呂入ってきたら?今日は二人ともセルリアンと戦って汗かいちゃったでしょ?」
「ええと、それはルリさんも一緒では…。」
ルリの提案についつい言ってしまったイエイヌ。そうしてからハッとした。
今日、ルリはクロスラピスとして危険な戦場へと赴き、そしてセルリアン撃破に一役を買った。
だが、それをアムールトラがどう思っているのかは実はあまりわかっていない。
何となく剣呑な雰囲気になりそうだったところに割って入って思いつくままに今日のお泊り会をねだってみたのだ。
喧嘩になっているわけではなかったが、イエイヌはルリとアムールトラの間に微妙な空気を感じていた。
なので、道中も特にクロスラピスの事を話すのは躊躇っていたのだ。
思わずアムールトラの方を振り返るイエイヌだったが、それにアムールトラは苦笑を浮かべるばかりだった。
「ま、せっかくやしお言葉に甘えよ?な?」
言いつつアムールトラはイエイヌの背中を押すようにしてバスルームへと向かった。
そんな二人を見送る“教授”とルリとユキヒョウ。
二人がバスルームの方へ消えていってから、ルリが「あ」と声を挙げた。
「大変。サラダ油切らしちゃってた。」
「むう。そうなるとフライパンに油をひけぬのう。うちから持ってくるか。」
ユキヒョウの家も同じマンションだ。ちょっと戻ってサラダ油を取って来る事だって難しくない。
だが…。
「いや、それには及ばない。たまには私がお使いしてこよう。」
と“教授”が立ち上がった。
意外な申し出にユキヒョウが目を丸くする。そんなユキヒョウの驚きを察した“教授”は苦笑交じりに言った。
「なあに。せっかく目も覚めた事だし少し歩きながら考えたい事が出来たのさ。」
そういう事なら、とユキヒョウも頷く。
「それじゃったら大体3~40分くらいで戻ってくれ。その頃には焼き方の準備も出来るじゃろうからな。」
これからハンバーグのタネを作って少しばかり寝かせて、焼き方に入るのはちょうどユキヒョウの言うくらいの時間になりそうだ。
そのくらいにサラダ油が届いていれば問題ない。
「“教授”ありがとう。じゃあお願いね。」
二人の言葉に頷きつつ、“教授”は夕暮れの町へと向かうのだった。
―後編へ続く
【登場人物紹介】
カコ博士
サンドスター研究所で働く女性職員。
特にセルリアンとサンドスター・ロウの研究を専門としている。
研究者としても優秀だが機械操作に長けており、オペレーターのような役割を果たす事もしばしばである。
彼女のデスクには糖分補給用のチュッパチャップスが常備されていたりする。
ドクター遠坂程ではないが、彼女も食は軽視しがちなようである。
なお、原作ではもう少し柔らかい話口調なのだが、作者イメージ優先でぶっきらぼうな話口調である。