一夜明けて放課後の1年B組の教室。
早速帰り支度を終えたアムールトラとルリとユキヒョウの三人。
今日は茶道部兼オイナリ校長先生の会も活動日ではないので放課後はどうしようか、と考えていた。
「「あの…。」」
と同時にアムールトラとルリがお互いに声を掛けた。
「あ、ええとルリから先にええで?」
「ううん、アムさんから先でいいよ。」
お互いに同時に切り出したせいでお互いに譲り合ってしまうという妙な雰囲気になってしまった。
アムールトラはこのまま譲り合っていても仕方ない、と先に用事を切り出す事にした。
「ルリには昨日話をしたんやけど、文化部で作る応援団にユキヒョウとキタキツネとギンギツネも誘おうと思ってな。」
「あ、うん。私も参加するよ。」
ルリも昨夜のうちに応援団への参加を承諾していた。
「という事はわらわも当然参加じゃな。」
それにアムールトラは内心で安堵のため息をついていた。
ユキヒョウとルリの参加を取り付けられた事もそうだったが、いつも通りに会話できる事に何より安心していた。
「ふぅむ。そうなると…。わらわの可愛いルリの為にまた衣装を考えねばの!」
「ユキヒョウは萌絵ねーちゃんみたいな事言うんやな。」
と軽口を叩き合う事だっていつも通りだ。
ただ、もしもアムールトラがここでユキヒョウの言う『また』という言葉を聞き逃していなかったならもう少し展開が違ったかもしれない。
「で、ウチはこれからキタキツネとギンギツネんとこ行って二人も応援団に誘ってこようと思ってるんやけど、ルリとユキヒョウは一緒にくる?」
と、アムールトラは二人を勧誘に誘った。キタキツネとギンギツネの参加を取り付けるならばルリとユキヒョウも一緒に来てくれたら心強い。
だが…。
「あ…。ごめんなさい。今日はちょっと先約があって…。」
とルリは申し訳なさそうに言う。
ルリは今日の放課後、エゾオオカミと合流してユキヒョウと一緒に行動する予定になっていた。
本当はルリはアムールトラも誘って、そこでエゾオオカミの事を紹介するつもりでいたのだが、目論見が外れてしまった。
「気にせんでええよ。そしたら、ウチはキタキツネとギンギツネのトコ行って二人も誘った後にともえ達のトコに結果報告行くな。」
そうなると、アムールトラは結構な時間を取られてしまうだろう。
となるとエゾオオカミとの約束の時間もあるし、アムールトラは誘えない。
「せやから二人は先に帰っててええで。」
ルリが迷っている間にアムールトラはさっさと教室を出て行ってしまった。
それを見送ってからルリはポツリと零した。
「ユキさん…。またアムさんに言えなかったね。私、クロスラピスになってみんなと一緒に戦いたいって。」
「まあ…。うむ。今日辺りがちょうどよい機会になるかと思ったが、間が悪いのう。」
ユキヒョウもアムールトラもまた悩んでいるのは何となく察しがついていた。
出来れば何かしら助言だってしてやりたいと思ってもいた。
エゾオオカミと出会えた事も悪いようには転ぶまいとは思っていたし、よい転機になるかと思っていたのにまさに間が悪いとしか言いようがなかったのだった。
「ともかく、エゾオオカミをあまり待たせるのも悪い。」
「そうだね。エミさんのところいこっか。」
ルリとユキヒョウは1年C組の教室まで行くと、ちょうど教室を出てきたエゾオオカミと合流した。
「よ。ルリ。ユキヒョウ。昨日ぶり。」
と挨拶してくるエゾオオカミ。早速といった様子で二人にさらに訊ねる。
「で、今日はどこに行くんだ?」
「うむ。ルリにはお馴染みの場所なのじゃが、とある場所を予約してあるのでそこに向かう。」
へえ、とエゾオオカミは頷くが今一つピンと来ないようだ。
怪訝な思いが顔に出ていたようで、ユキヒョウはもう一つ付け加えてくれた。
「思い切り身体を動かせる場所じゃよ。あとはついてからのお楽しみといこう。」
そしてユキヒョウとルリ。そしてエゾオオカミの三人は学校を後にして少し歩いてバス停へ。
そこからバスに乗って移動してもうしばらく。
そこはとある体育館であった。
エゾオオカミも何となくは知っている。そこは様々な屋内競技も出来るしトレーニングルームも併設された総合体育館である。
年に数回はプロチームの試合だって組まれる有名な場所だ。
「今日は貸し切りじゃから正体がバレる心配もないじゃろう。」
ユキヒョウは事もなさげに言ったものの、ここを貸し切るなんて中学生のお小遣いでは無理があるのではないだろうか。
エゾオオカミはそう思って尻込みするものの、ユキヒョウはずんずん突き進んで受付へ。
そのままあっさりと受付で名前を言っただけで、「お待ちしておりました。準備出来ております。」と通されてしまったのでエゾオオカミとしては開いた口が塞がらない。
「なあ、ユキヒョウ…。お前、何者なんだ?」
「そうじゃのう。通りすがりの社長令嬢かのう。」
そういえば、とエゾオオカミも思い出す。
同じ学年に色鳥町にある大型ショッピングモール『cocosuki』のオーナー企業の社長令嬢がいるらしいという噂を。
どうやらそれがユキヒョウなのだろう。
と、いう事は…?
「ザ・商売仇!?」
シュビ、っと両手の手刀を前に謎の構えをとってみせるエゾオオカミ。
「ええい!?お主までキタキツネと同じ反応をするでない!?」
商店街で生まれ育ったエゾオオカミとしてはやはり大型ショッピングモールの関係者は商売上のライバルと思えた。
ちなみに、同じ商店街で暮らす同い年のギンギツネとキタキツネは幼馴染でもある。
自分がどうやらキタキツネと同じ反応をしてしまった、というのは何となく気恥ずかしくてエゾオオカミは頭の後ろをかいていた。
「いやまあ、驚きはしたけど納得もしたぜ。それにユキヒョウにも助けられた恩だってあるし…、まあ…その…なんだ。」
「うむ。商売仇でもあり友達でもある。それもキタキツネと一緒じゃのう。」
気恥ずかしさに言葉の歯切れが悪くなるエゾオオカミの胸中をユキヒョウが正確に言い当ててくれた。
何ともやられっぱなしなエゾオオカミはこれ以上は分が悪いと話題を変える事にした。
「で?俺はこれからここで何をすりゃあいいんだ?」
「そうじゃのう。取り敢えずは身体を動かしてみる事からかのう?」
言いつつユキヒョウはルリに魔女の三角帽子と短いケープを着せていた。
最後に目元を隠す仮面をつけてクロスラピスの完成である。
「さて、ルリ…じゃなかった。クロスラピスもまずはいつも通りのメニューをこなしてもらおうかのう。」
「はーい。」
軽い調子で頷いたクロスラピスは三つ編みを伸ばすと体育館の高い天井に張り巡らされた鉄骨の骨組みを掴む。
鉄骨を掴んだ三つ編みを縮めて身体を空中へと持ち上げると、昨日してみせたのと同じように三つ編みを使って空中をビュンビュン飛び回りはじめた。
「いや、何回見てもすげえな、あれ。」
「まだまだこんなもんではないぞ?」
エゾオオカミの感想にまだまだ自慢するには早いとばかりにユキヒョウも応じる。
今度はユキヒョウが出して来たのはバレーボールだった。
ボール籠いっぱいに入ったバレーボールを適当に空中に放るユキヒョウ。
「ほれ。お主も。」
とエゾオオカミにもバレーボールを手渡しそれを適当に放り投げるように指示した。
クロスラピスはと言えば、空中に放られたバレーボールを次々と空中でキャッチ。合い間にボール籠へと戻していく。
「まじか…。」
とエゾオオカミは感嘆の声をあげる。
クロスラピスの空中機動は物凄い高機動力を誇っているが、精度もかなりのもののように思えた。
そんな驚きの表情を見せるエゾオオカミに、今度こそユキヒョウはドヤ顔になった。
「最初はその辺を移動できるという程度の事しか出来んかったがの。練習を重ねてここまで出来るようになったのじゃ。」
それになるほど、とエゾオオカミは納得していた。
ルリ…、いや、クロスラピスはユキヒョウと一緒にここで特訓を重ねていたのだろう。だからこそユキヒョウもこの総合体育館の勝手を知り尽くしていたわけだ。
「ふっふっふ、わらわのルリはさらに可愛くそして強くもなるのじゃよ。」
空中のバレーボールを集め終わったクロスラピスは二人の元へ着地した。
「えっとね、私がセルリアンと戦いたいって言った時、ユキさんがね、ちゃんと訓練するならって賛成してくれたんだ。だから暇を見てこうして訓練してるんだ。」
こうして頑張っている姿を見せられるとエゾオオカミも早く身体を動かしてみたい気分になってきた。
「で、ユキヒョウ?俺はどうしたらいいんだ?」
「うむ。まずは変身じゃな。」
「お、おう…。だけどちょい恥ずかしいから二人とも後ろを向いててくれ。」
エゾオオカミはまだ変身に慣れていない。というか変身ポーズに慣れていない。
昨日の夜、鏡の前で一人、変身ポーズを試してみてあまりの恥ずかしさに悶絶してしまった程だ。
ギャラリーのいる前でそれをするとなるとさすがに恥ずかしさも倍増だった。
ユキヒョウとクロスラピスの二人は一度顔を見合わせてから後ろを向いた。
それでエゾオオカミの気が晴れるのならそれでいいのだろう。
「り、リンクハートっ!メタモルフォーゼっ!」
エゾオオカミは昨日預かった“リンクパフューム”を構えると、これまた昨日教わった通り人差し指と小指を立てた手を目元に持ってきて決めポーズと共にウィンク一つ。
昨日よりも幾分ウィンクが上手になっているのは練習の成果か。
そしてこれまた昨日教わった通りに手、足、身体と“リンクパフューム”の中身の香水を振っていく。
そうすると昨日と同じようにエゾオオカミの全身がサンドスターの輝きへと包まれた。
エゾオオカミは叫ぶ。
「リンクエンゲージ!ニホンオオカミスタイルッ!」
と同時、茶色の毛並み、茶色のブレザー。そしてピンクのチェック柄のミニスカートが翻り、袖と裾にフリルがあしらわれた。
「もう振り返っても大丈夫だぞ。」
それに二人が振り返るとそこには変身したエゾオオカミがいた。
あらためてその姿をしげしげと眺めながらユキヒョウが言った。
「ふぅむ。しかし、やはり髪色と髪型が違っただけで大分印象が変わるものじゃのう。これではそうと言われんとエゾオオカミとは気づかぬわ。」
「うんうん、髪型ロングなエミさんも可愛いよね。」
クロスラピスの感想はちょっとズレていたが、それにエゾオオカミがプルプルと肩を震わせた。
「どうした?エゾオオカミ。」
と不思議そうに訊ねるユキヒョウに、エゾオオカミは答えとばかりに絶叫しつつクロスラピスへと飛び掛かった!
「お前の方が可愛いだろうがぁ!」
「うわわっ!?ちょっとエミさんっ!?」
思わぬ飛び掛かりにクロスラピスは三つ編みを床に叩きつけるようにして伸ばすと、その勢いを利用して飛び退った。
ユキヒョウはその様子に何事かを思いついたのか、こんな提案をしてみた。
「ほう、面白い。せっかくじゃ、クロスラピスはそのまま低空を逃げ回れ。エゾオオカミはクロスラピスを捕まえてみるのじゃ。」
「ええー!?ちょっとユキさんっ!?」
「へえ、面白れぇ!」
抗議の声をあげるクロスラピスを無視して、エゾオオカミはさらにダンッと床を強く蹴って踏み込む。
と、
「い、行き過ぎたぁ!?」
エゾオオカミは思っていた以上の力に大きく目測を外してしまっていた。
その間にクロスラピスは低空を逃げ回る。
天井の鉄骨の骨組みほどではないが、地面にだって三つ編みで掴める場所はそれなりにある。
例えば観客席の手すりやバスケットゴールの骨組み。非常口を案内する非常誘導灯に被せられた金属製のボール避けカバーだってそうだ。
クロスラピスはそれらを使って器用に逃げ回る。
「はは!さすがにやるなぁ!けどっ!」
エゾオオカミは最初こそ力に振り回されていたものの、段々と狙いも正確になってきていた。
それに何より、この追いかけっこが楽しかった。
昨日はただ背中を眺めているしかできなかったクロスラピスに追いすがれている。その事実はエゾオオカミを高揚させた。
だがそれだけではない。
こうして逃げる獲物を追いかけるていると、どうにも胸の辺りがムズムズとするのだ。
「(やべえ……。これ、面白すぎる!)」
いつしかエゾオオカミはすっかり夢中でクロスラピスを追いかけていた。
逃げるクロスラピスを追いかけるエゾオオカミ。
その様子を眺めながらユキヒョウもエゾオオカミの変身後の特徴を観察していた。
「ふむ。これだけ走り回って息切れどころか体力が衰える様子も見られぬ。大した持久力じゃな。」
それに俊敏性や瞬発力だって、普通の一般人から見たら目にも留まらぬ速さに映る。
“リンクパフューム”での変身は本物のクロスハートにヒケをとらないように思えた。
「ようし、そこまでじゃ。」
「ええー?もうちょいいいだろ?せっかく面白くなってきたってのに。」
ユキヒョウの制止にエゾオオカミは不満を漏らすが、反対にクロスラピスはホッとした様子を見せた。
「まあ、そう言うでない。次は一番重要なお主の火力を見せてもらうのじゃからな。」
なにせ、クロスラピスの一番の弱点はパワー不足だ。
そのパワーはユキヒョウを軽々と持ち上げる事は出来るものの、他のヒーロー達に比べたらあまりにも貧弱だった。
もしかしたら、一人ではセルリアンの『石』を砕く事も出来ないかもしれない。
苦肉の策として、慣性を利用した投げ技も練習はしていた。
ちょうど、その甲斐あって、先日はビールケースのセルリアンを倒す事が出来たのだ。
ただ、エゾオオカミのパワーが十二分に強ければ苦肉の策に頼らずともよくなる。
エゾオオカミに一番求められるのは、そのクロスラピスの弱点を補う火力なのだ。
「さて、では少し準備するとするか。すまぬが二人とも手伝ってくれるかの?」
言いつつユキヒョウは倉庫へと向かう。
三人の特訓はまだまだ続くようだ。
の の の の の の の の の の の の の の
サンドスター研究所、所長室。
相変わらず大忙しのドクター遠坂であったが、そんな彼にもわずかばかりの休憩時間はある。
そのドクター遠坂の憩いの時間は、とある二つの理由で潰れようとしていた。
その二つの理由はどちらも彼のPCに映し出されていた。
まず片方はラモリさんからのメールだ。
彼にしては珍しく機能アップデートの要望だ。
さして難しくないアップデート内容だったので、休憩時間中にプログラムを組んでしまおうかと考えていた。
ドクター遠坂の指は凄まじい速度でキーボードを叩いていたが、目線は主に別なモニターの方を向いていた。
その別なモニターに映されていたのが二つ目の理由であった。
『まったく。遠坂先輩は相変わらず仕事人間だね。そんな事で姉さんに愛想をつかされないか心配だよ。』
と、テレビ通話でそんな軽口を叩くのは宝条和香こと“教授”であった。
「いやあ、僕としても放り出せるものなら全て放り出して家に帰りたいんだよ。春香さんにはもちろん、萌絵にもともえにもイエイヌちゃんにも会いたいし。」
『ああ、イエイヌ君なら先日私の家にも遊びに来てくれたよ。中々可愛い子じゃないか。』
そんな画面の中の“教授”に対しドクター遠坂はくわっと目を見開いて言った。
「中々じゃなくてめちゃめちゃ可愛かったよっ!毛並みも素晴らしかったし、尻尾もふさふさだったし!」
『そうだね。うんうん。わかるよ。』
「あとなんていうか健気な子だなあって思ったよ。最近全然家にいなかったのにこんな僕にも気を使ってくれたし!」
そんなドクター遠坂のイエイヌ自慢は止まりそうもなかったが、それでも指はキーボードを叩き続けている辺り、完全に話しに没頭しているわけでもないのだろう。
『遠坂先輩。私にそういう話をするのはいいんだが、娘さん達の前ではやめておいた方がいい。さすがに引く。』
と“教授”に言われて一瞬ドクター遠坂の手も止まる。
「うん…。さすがにそれは分かってはいるからあまり出さないようにしているよ。」
心なしかキーボードを叩くドクター遠坂の手が遅くなっているようにも思える。
しかし、ドクター遠坂もやられっぱなしではない。
「ああ、そうそう。ルリちゃんとアムールトラちゃん。あの子達も中々いい子だったじゃないか。」
『だろう!?』
と今度は“教授”が勢いこんで言った。
『ルリの作ってくれるご飯は毎日美味いんだ。いやあ、向こうでは大体カロリーバーとかそういうモノならまだマシで自作の料理とかは…うん…思い出したくない…。』
そこで一旦トラウマでも思い出したかのようにげんなりとした表情を見せる“教授”。
『それと比べれば雲泥の差さ。家の事もほぼ全てやってくれているし全く私などにはもったいないくらいにいい子さ。』
「そうだね。私もルリくんのお弁当を少しいただいたけれども美味しかったよ。しかし、ルリ君はどうやって料理を覚えたんだい?」
ドクター遠坂の記憶によれば、宝条和香は何故か料理や家事は苦手だった。というよりも壊滅的だった。
そんな彼女がルリの料理や家事の指導など出来るはずもない。
『ああ、私の中の女王がね。ずっと以前に接触した人間をモデルにしたから、だそうだよ。彼女は野外活動が好きな女の子だったそうだ。ボーイスカウト、と言えばわかりやすいかな?』
つまり、ルリのモデルとなった人物は、宝条和香の渡った世界にいた一人の少女だった。
彼女を模して女王が生み出したのがルリだったのだ。だからこそ、元の人物となった女の子の特技などを一部再現出来たりするのだ。
結局、女王と和解して融合を果たした和香が保護者となって、まだ孵化する前の卵をこちらの世界に持ち帰って、そして生まれた彼女を育ててきた。
『だからこそね。萌絵君には感謝している。もしもルリが世界に受け入れられなければ、私がこの世界を滅ぼす事になっていたかもしれない。けれどそうしなくてよくなったわけだし。』
随分と剣呑な事を言う“教授”であったが、ドクター遠坂は少しばかり手を止めて口元を覆った。
そうしないと笑いがこぼれそうだったからだ。
『何か可笑しかったかな?』
いくら笑いを堪えたとはいえ、それは画面越しでも伝わってしまったようだ。
“教授”は少しばかりの怒気を滲ませている。
しかし、続く言葉であっさりとそれを砕かれてしまった。
「いやね。和香君もしっかりと母親をしているのだな、ってね。」
『ななななにを言っているのかな遠坂先輩は。私はあくまでルリの保護者であって…その…母親と名乗れるのかと言われると…。むしろ仇みたいなものだし…。』
画面の向こうの“教授”は今までに類を見ないくらいに狼狽してみせた後、後半は尻すぼみになっていた。
「例え世界を敵に回そうとも娘の為に戦うなんていうのはまさしく母親だと思うよ。」
『いやもう勘弁してくれ…。』
最後は画面が暗転する。
真っ赤な顔を見られまい、と“教授”が咄嗟にWEBカメラを手で隠してしまったからだった。
『まあ…。そうしなくてよくなった事は萌絵君のおかげだし、アムールトラの事でもともえ君にもイエイヌ君にもすっかり世話になった。』
「和香君が萌絵のアドレスを教えてくれ、と頼んできた時は何事かと思ったけれどね。」
と、ついこの前に発生したイエイヌとアムールトラの喧嘩の一部始終を思い出すそれぞれの親達。
『Professor.W』こと“教授”が萌絵にメールを送れたのも、ドクター遠坂からアドレスを聞いたからだった。
『しかし、萌絵君は天才だな。パーソナルフィルター発生装置もそうだし“ナイトチェンジャー”も面白い発想だった。』
「だろう!?いやいやあの子は親のひいき目を抜きにしても天才だと思うんだ。」
『しかも姉さんに似て家事全般万能なんだろう?完璧過ぎやしないかい?』
「はっはっは。もっと褒めてくれてもいいんだよ。」
『うちにお嫁に来てくれないかなあ。』
「それはまだ早い!」
そうしてひとしきり談笑した後にドクター遠坂はポツリと呟く。
「なあ。和香君。やはり一度、キミもうちに遊びに来てくれないかな。」
それには“教授”もしばらくの沈黙でもって答えた。
「春香さんだってキミに会いたいと思っているはずだ。それに僕は隠し事が苦手で春香さんは勘が鋭い。こっそり和香君と連絡していたなんてバレたら大目玉だよ。」
続けるドクター遠坂に“教授”もしばらくの間考え込む様子を見せてからこちらもポツリと返した。
『いや…だって…。私、お姉ちゃんよりお姉ちゃんになっちゃったし…。』
「断言しよう。和香君は昔とちっとも変ってないよ。僕ですらそう思うんだから春香さんがそんな事を気にすると思うかい?」
普段のクールな調子を崩してしまった“教授”にドクター遠坂はそう言って頷いて見せた。
それは紛れもない本音だったし、出来る事なら和香を家に呼んで歓待したくもあった。
何せ和香には大きな恩がある。
それに何より、彼女の頼みとはいえ、和香がこちらに戻っている事を春香に内緒にし続けるのは心苦しくもあったのだ。
『ともあれ、それは考えておくよ。』
どうにかいつもの調子を取り戻した“教授”はそこまでを言って通話を終了した。
通話を終えた“教授”はイスの背もたれに身を預けるとぐったりとする。
そうしてから胸元に手を入れると、首からチェーンでしっかりと提げられた二つの“メモリークリスタル”を取り出した。
それはそれぞれハチミツ色とレモン色の輝きを放っていた。
「さてさて。どうしたらいいと思う?」
と、その二つの“メモリークリスタル”に問いかける。
それは物言わずに変わらずハチミツ色とレモン色の輝きを放っていた。
その輝きをしばらく見続けてから、“教授”はハタと気づいてしまった。
「そうだった。遠坂先輩に“リンクパフューム”の事を相談しようと思っていたんだった。」
すっかり娘自慢談義に花を咲かせて当初の目的を見失ってしまっていた。
つい先ほど自動モニタリングしていた“リンクパフューム”のデータが届いたのだった。
それはちょうどルリとエゾオオカミがユキヒョウの特訓を受けた際に得られたものだったが、“教授”はそのデータを見てこう言わざるを得なかった。
「失敗……かな。」
の の の の の の の の の の の の の の
「いやあー。思いっきり動いたら腹が減っちまったな。」
体育館での特訓を終えたエゾオオカミとルリとユキヒョウの三人は色鳥町商店街へとやって来ていた。
「そうだなあ。この時間だとお弁当屋さんのコロッケが揚げたてだから行こうぜ。特訓に付き合ってもらった礼に奢るぜ。」
さすがに商店街はエゾオオカミのホームグラウンドだ。
お弁当屋さんの店先から美味しそうな匂いがしている辺りエゾオオカミの言う通りなのだろう。
「あそこのコロッケは絶品なんだ。マヨネーズたっぷりつけて食うと美味いぞ。」
「ほう?エゾオオカミはコロッケにはマヨネーズ派だったか。」
ユキヒョウの言葉にエゾオオカミは「あれ?」と一瞬怪訝な顔をする。
コロッケにマヨネーズ。
なくはない組み合わせだが、メジャーとは言い難い。
むしろ普通にウスターソース、次いでケチャップの方がエゾオオカミの好みだった。
ただ、何故かわからないが、今日はマヨネーズな気分だったのだ。
「ま、いいか。」
エゾオオカミは深くは考えない事にした。
何せお弁当屋さんは目の前。揚げたてのコロッケがよい匂いで誘惑してくる。
マヨネーズだろうがソースだろうが塩コショウだろうが美味いものは美味い。
「そういえばね、変身するとお腹が空きやすくなるみたいだよ。」
とルリがかつて聞いた事をエゾオオカミに解説してみせる。
「えっとね、身体の中から減ったサンドスターを補充する為にたくさん食べたくなってお腹が空きやすくなるみたい。」
「へえ。そっかあ…。どおりでいつもより腹ペコなわけだ。」
言いつつ、エゾオオカミはお弁当屋さんから受け取ったコロッケをルリとユキヒョウにも手渡す。
そして店先に用意された調味料をトッピングだ。ルリはケチャップ、ユキヒョウは塩コショウ。そしてエゾオオカミはやはりマヨネーズを選択していた。
「エゾオオカミ…。お主、そんなにマヨネーズつけるのかの…?」
ユキヒョウが驚きの表情を見せる。何せエゾオオカミがコロッケに大量のマヨネーズをかけていたからだ。
「いやあ…。なんかこうしたい気がしてさ。」
たっぷりとマヨネーズをつけたコロッケを一口頬張ると、いつもよりも美味しいような気がした。
エゾオオカミもルリもそしてユキヒョウも知らなかったが、それは“リンクパフューム”に取りつけられていたメモリークリスタルの元となったフレンズ…ニホンオオカミの好物だった。
それはともかくとして、身体を動かしたおかげで腹ペコな三人はあっという間にコロッケを平らげた。
そのまま商店街を歩く。
と、昨日も訪れた駄菓子屋の前にさしかかった。
そこは今日も子供達のたまり場となっていた。
エゾオオカミを見つけるなり、駄菓子屋の前にたまっていた子供達が一斉に彼女の方へ殺到した。
「エゾオオカミ姉ちゃん、大変大変!」
「大変なんだよ!事件なんだよ!」
「ともかくこっち来てっ!」
いつにも増して騒がしい子供達の様子にエゾオオカミもイヤな予感がする。
子供達に囲まれたエゾオオカミは手を引かれて駄菓子屋の店先へやって来た。
そこには駄菓子屋店主のおばあちゃんが困った顔をしていた。この人は自分が子供のころにもよく世話になっていた人だ。
子供達に事情を聞くよりは店主のおばあちゃんに話しを聞いた方が早そうだ。
「ばあちゃん、どうしたんだ?何かあったのか?」
「ああ、エゾオオカミちゃん…。実はねえ…。」
困った表情のままにおばあちゃんは話はじめる。
「ここにガチャガチャの機械があったでしょう?実は今朝からそれがなくなっちゃったのよ。」
確かに、そこにはガチャガチャの機械があったはずだ。なのにそこには台座の跡があるばかりで何もない。
子供達が血相を変えるのも頷ける大事件だ。
「ばあちゃん、警察には?」
そう。
誰かがガチャガチャの機械を持ち去らないとこうはならないはずだ。
つまり泥棒の可能性が高い。となれば警察の出番だろう。
「ええ。さっき交番のお巡りさんが来て調査してみるって言ってくれたんだけど…。」
どうやらおばあちゃんの口ぶりからは警察も捜査してはくれるようだが手がかりが少ないのだろう。あまり期待出来そうもないように思えた。
だが、自分なら?とエゾオオカミは自問する。
自分には“探偵の勘”がある。
なくなったガチャガチャの機械も自分ならば見つけられるのではないか。
そう考えるエゾオオカミだったが一方で迷う。
何せこれは泥棒なのかもしれない。
商店街始まっていらいの大事件であり、大人や警察に任せるべき出来事だ。
迷うエゾオオカミの前に子供達がそれぞれに何かを差し出してくる。
それはドングリだった。
「お前ら…。」
子供達は真っ直ぐにエゾオオカミを見上げている。
その視線に言葉はなくとも言いたい事は分かっていた。
木の実探偵ならばこの大事件も解決出来るのだ、と。
そして、子供達の大切な場所であるこの駄菓子屋の危機を救って欲しい、と。
誰もがそう願っているのだ。
だが、エゾオオカミにはもう一つだけ迷う理由があった。
それはルリとユキヒョウの事だった。
きっとエゾオオカミがこの依頼を引き受けたなら、二人も手伝うと言い出すだろう。
果たしてこの大事件に二人を巻き込んでしまっていいものか。
「エミさん。」
迷うエゾオオカミにルリが頷く。
「まったく。少しでも危ないと思ったら警察に連絡するからの。」
ユキヒョウも苦笑と共に頷いていた。
二人ともエゾオオカミの迷いまでも見越した上で付き合うつもりでいるのだ。
ならば、とエゾオオカミは子供達が差し出すドングリを一つ摘まみ上げた。
それを軽く空中に放ると、落ちてきたそれをパシリと握りなおして言った。
「この依頼はこの俺…いいや。俺たち木の実探偵が引き受けた。」
――⑤へ続く。