茹だるような暑さの続く8月、午後二時。一日で一番熱い時間帯のこと。
ピンポンと家のチャイムのなる音がする。来訪者だ。その正体を僕は知っている。
ドアを開けて、出迎える。美しい金色の髪を持った少女がいた。
「いらっしゃい」
「急にごめんなさい」
「別に気にしてない。というか会えて嬉しい」
「そう言ってくれると私も嬉しいわ」
「どうぞ、中に入って」
「ええ。お邪魔します」
千聖さんは柔らかく微笑んだ。
彼女をリビングまで案内する。といっても何度も来ているからその必要はないかもだが。
今日の彼女の訪問は急だった。約30分前に彼女から「時間が空いたから行っていいかしら」と電話があった。問題なかったので二つ返事で了承した。
彼女曰く「特に用事はないけど会いたくなった」らしい。なんとも可愛らしい理由だ。「駄目、かしら」と続けて言われた時は心臓止まるかと思った。
まあ、確かに彼女は芸能人。スケジュール的な問題もあるしスキャンダル的な問題もあるから気軽には会えない。最近はあまり会ってなかった。
「あら? お母様は?」
「さっきまで居たんだけど、出かけたよ」
千聖さんから電話がかかってきた後にこれから来ることを伝えたら急に出かけると言い出した。「お邪魔虫にはなりたくないわ」とのこと。
そのことを彼女に伝える。
「気を使われてるわね……」
千聖さんは苦笑いを浮かべながらそう言った。
「余計なお世話だよ……まったく」
「ふふっ、でも二人っきりにもなりたかったから少し嬉しいわ。貴方は?」
「ノーコメント」
「うふふっ」
彼女が笑う。なんだか見透かされてるなと感じて、僕は気恥ずかしくなった。
「飲み物取ってくるから、適当に座っててよ」
その気恥ずかしさを誤魔化すために僕は席を立った。
冷蔵庫から麦茶を取り出し氷を入れたグラスを2つ持ってリビングへ戻る。
麦茶をグラスに注ぎ、彼女の前に置く。
「ありがとう」
千聖さんはそう言って早速グラスに口をつける。
今日も茹だるような暑さだ。彼女の肌に薄っすらと汗が流れている。
「それでどうしたの? 急に会いたいだなんて」
自分の分を注ぎながら彼女に尋ねる。
「言ったじゃない。時間が空いて貴方に会いたくなったからよ」
「それだけ?」
「……あら、どうしてそう思うのかしら」
「えーと、なんとなく?」
「そこは『愛の力』って言うところじゃない」
「いやだって本当になんとなくなんだよ」
それにそんな歯が浮くような台詞は恥ずかしくて言えない。
「ふふ、でも理由があるのは正解よ。貴方の『なんとなく』って言うのはもしかして『愛の力』なのかもね」
なんて浮かれたことを茶化して言う。普段の彼女じゃ考えられないことだ。お陰でこっちまで恥ずかしい。
そんな僕を見て千聖さんはくすくす笑う。
いつもそうだ。隙あれば照れるようなことを言って僕をからかってくるんだ。
「どんな理由なの?」
「その前にちょっと洗面所借りてもいいかしら」
「? どうして?」
「ちょっと準備が必要なのよ」
そう言って千聖さんは鞄を持って洗面所に向かった。
準備って何、それが必要なことって何、みたいなことを考えながら彼女を待った。
数分後。
「お待たせ」
千聖さんが戻ってきた。僕は彼女を見て驚いた。なぜなら彼女は水着を着ていたから。
「これがその理由よ」
「水着が?」
「そうよ。水着を貴方に見せたかったの」
千聖さんが詳しく説明してくれた。このパスパレで海に行ったこと。最初は日焼けや髪のダメージを気にして海に入らなかったが、丸山さんに押し倒されえて海に入ったこと。吹っ切れて海で遊んだら楽しかったこと。そうしたら、僕とも海に行きたくなったこと。だけど、千聖さんはアイドルだから異性とは海に行けないこと。
家に来るのだって本当なら良くないことだ。不特定多数の人が居る海は余計に不味いだろう。水着だと変装しようもないし。
「だから、せめて水着だけでも貴方に見せたかったのよ」
「そっかぁ」
少し顔を赤くした千聖さんを見て、納得したと同時に彼女のことが愛おしくなった。
「それで、どうかしら? 私の水着は」
千聖さんは見せ付けるために僕に近づいてくる。目の前に立つ彼女を見る。黄色のビキニにパレオのような薄い布を巻きつけている。
水着も大変魅力的だが、彼女の身体も同じくらい魅力的だった。お陰さまでどこを見ればいいのかわからない。
「なんだか恥ずかしいわね」
僕の視線に気付いて、少し恥ずかしそうに身を捩らせる。
「千聖さんは仕事で見られることに慣れてるんじゃないの」
「仕事で見られるのと貴方に見られるのは全然違うわ」
千聖さんは口を尖らせ、拗ねた顔で言う。
「水着だけ見なさい。……髪は見ちゃダメよ、少し痛んでるから」
「痛んでるんだ。そんな風には見えないけど」
彼女の髪はいつも通り綺麗に見える。
「嬉しいけど痛んでるのは事実よ」
千聖さんが言うならそれが事実なんだろう。
「それで水着の感想をそろそろ教えてほしいわね」
「……綺麗です」
出てきたのは単純な言葉。
本当はもうちょっと気の利いた台詞を言いたかった。だけど僕の足りない頭じゃ思い浮かばなかった。
「ふふっ、もうちょっと気が利いた言葉がほしかったわ」
「うっ」
なんだか千聖さんに全部見透かされているような感じ。その上でいじられてる。
「でも、うん。……とてもときめいたわ」
そう言って微笑む千聖さん。それを見て僕はますます彼女のことが好きになる。
「もしかして疑ってる?」
彼女はからかうような笑みを浮かべて言う。
「そんなことないよ」
「……確認してみたくはない? 私が本当にときめいてるか」
「どうやって」
「こうやって」
千聖さんは僕の手を掴み、自分の胸へと押し当てる。大きすぎず小さすぎない彼女の胸が少し形を変える。柔らかな感触に僕はくらくらしてきた。
水着があるとは言え、薄い布。ほぼ素肌みたいなものだ。今僕は彼女の胸を直接触ってるようなもの。僕の心拍数が上がってきたのが自分でもわかる。
「ほら、感じるでしょ? 私の鼓動」
感じる。ドクドクって。普通よりも早い鼓動がわかる。僕と同じぐらい。
「うん、わかる。千聖さんドキドキしてるんだ」
「でしょう。でも貴方に触られて余計にドキドキしちゃうわ」
これ以上触ってると不味いと思い、僕は掴まれてる手を解き彼女の胸から手を離す。
「あら残念」
からかうように千聖さんは言うけど、その顔は真っ赤かだ。
「……いつか二人で海行きたいわね」
「そうだね」
それはいつ頃になるかわからないけど。行けたらいいなって思った。
「ちょっと待たせちゃうかもしれないけど……いいかしら?」
千聖さんは不安げな顔で僕をうかがうように見る。
「じゃあ、それまでは今日みたいに家の中で着て僕にだけ見せてよ」
「エッチね」
茶化して返すと千聖さんは笑ってくれた。
僕は彼女の手を取り、握り締める。
「大丈夫。ずっと側にいるからそのうち行けるよ」
その言葉を聞いて彼女はきょとんとした。おかしなことを言っただろうか。
「……それプロポーズかしら」
「え」
「だってずっと側にいるって」
「あ」
言われてから気付いた。確かにプロポーズにしか取れない。
「それとも冗談、だったのかしら」
悲しげな顔をする千聖さん。十中八九演技だ。だって口元が微かにニヤついてる。
多分彼女が本気を出せば隠せるのだろう。あえて隠してないんだ。からかってる。
なんだかからかわれてばかりだ。でも悪い気はしない。好きだからかな。
「冗談じゃないよ。ずっと側にいてほしいのは本当だから」
「っ」
千聖さんの瞳が大きく開かれる。
「私も」
彼女は微笑みを浮かべて言う。
「貴方にずっと側にいてほしいわ」
「うん、わかった」
「……ありがとう」
少し小さな声で申し訳なさそうに、でも嬉しそうに彼女はそう言った。その言葉だけでなんだか頑張れる気がした。
「ねぇ、私にこういう水着着てほしいっていうのはあるかしら」
「そうだな……もうちょっと布面積が小さい奴?」
「変態」
やられっぱなしだからこっちからやり返そうとしたら、ばっさりと冷たい一言を頂いた。心なしか視線も冷たい。
千聖さんがそういう水着を着ているのを見てみたいというのも本音だ。
「家で僕にだけしか見せないからいいじゃん」
「まぁ……そうね」
諦めきれなくて言ったその言葉に千聖さんは笑った。僕も笑った。
いつか堂々と二人で居れる日まで、隠れて二人で過ごす日を過ごすのも悪くないな。そう思った。