身体が軋む。布団から身体を起こした俺は何を見るわけでもなく、ぼんやりとしていた。昨日は……暴れたなぁ。どんだけ沈めたろう。よく覚えてねぇ。四連戦、いや五連戦だったか。撃って斬って沈めて。久しぶりに思う存分やれた気がする。充実感、あったなぁ……なのになんだろうな。フフ。まだ戦い足りない、なんてことはないはずなんだが、もうまた戦いたくて仕方がない。こんな気分初めてだ。高揚が抜けてないってやつかな。結構寝た気がするけど。
「今……」
部屋の時計に視線を移すと、時刻は一四◯◯時。半日近く寝ていたらしい。そりゃ身体も軋むわな……そうだ、隼鷹は大丈夫だろうか。他の奴はほぼ無傷だが、あいつだけは中破したんだ。負傷の具合が気になる。俺は服を着、寝台を降りて救護室へ向かった。
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救護室へやって来ると、そこには片腕片脚にギブスをはめた隼鷹の姿があった。ラジオから流れる戦況放送を、聴いているのかいないのか、いつもの虚ろな目でベッドから窓の外を見つめ、何かを小瓶からストローで飲んでいる。いや、何かってことはないか。隼鷹が飲んでるんだ、酒に決まってる。
「よお、どうだ身体の具合は」
俺が言いながら部屋へ入ると、隼鷹はストローを咥えたまま振り向き、何を言うわけでもなく目を閉じ、眉を上げた。
「なんだよそれ」
笑いながらベッドに近づく。
「どのくらいかかりそうなんだ?」
俺はそう尋ね、ベッド脇の丸椅子に腰掛けた。隼鷹が指を二本立て、俺に見せる。
「二週間か。まぁそんなもんだよな」
艦娘は人間よりも怪我の治りが早い。治る怪我なら、だが。
「じゃあ二週間、ゆっくり休むんだな。いい機会だし酒も控えたらどうだ?」
俺の言葉に、隼鷹は手を横に振る……待て、なんだそれ。
「おい、なんだよ、その首の傷」
隼鷹の首を見ると、そこには大きな縫い痕があった。
「いよいよ歯車が狂い出したってやつかねぇ」
向かいのベッドから声がする。見ると、布団に包まった一人の艦娘がいた。加古だ。初めて起きてるの見たぞ。いや、そうじゃない。
「隼鷹、おまえもしかして声が……」
「出なくなっちまったみたいだよ」
隼鷹の代わりに、加古が答えた。
「……そうか……悪かったな。俺がもっと敵を見れてれば」
「意味ないね」
加古が口を挟む。なんだこいつ。
「あんたさぁ、天龍? だっけ? わかってないねぇ。『見る』ことに関しちゃ、彼女の右に出る者はいないんだわ。それこそ、出る前にその海で死人が出るかまで見えちゃうのが彼女なわけでさ。おまけに大悪運持ちで、仲間全滅しても唯一帰ってくるような彼女が、大怪我して帰ってきたとあっちゃあ、いよいよだね」
「いよいよってなんだよ」
「いよいよは、いよいよさ。地獄の釜が開いたってとこ。天が割れて大厄災神が降臨するって話でさぁ。ふぁ~……」
寝惚けてんのか?
「最後の休息だ。あたしゃもう一眠りするよ。地獄で会おうぜ、アミーゴ」
加古はそう言って、頭まで布団をかぶってしまった。再び部屋には、戦況放送の音だけが流れる……そういやこの戦況放送って……その勝敗に関わらず、状況に関わらず、俺達艦娘の名前が出てきたことってないんじゃないか? 俺達の奮闘は本土の奴等にもちゃんと伝わっているんだろうか。
「隼鷹、何か……俺にできることってあるか?」
隼鷹がさっと俺を指差す。そして枕の下から、一枚の紙を取り出した。それを俺に見せる。達筆な字で、こう書かれていた。
『同情するなら酒をくれ』
「仕込んでたのかよ」
思わず笑ってしまう。こんな時でもふざけた奴だな。いい奴だ。それに、どうやらやられたのは利き腕じゃあなかったみたいだ。
「ああったよ。なんか持ってくる」
椅子を立つ俺に、隼鷹が親指を立てる。病人に酒を飲ましていいものかわからないが、ともかく俺は酒を取りに行くことにした。
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酒保が閉まっていた。寮室にも誰もおらず……どこだ。俺は今、龍驤を探して一階の廊下を進んでいる。釣りにでも行っているのだろうか。そう考えていると、窓の外に土いじりをするまるゆの姿が見えた……聞いてみるか。
「よお!」
窓を開け声をかけると、まるゆはびくっとしてスコップを落とし、俺の方を見た。相変わらずビビりだな。
「て、天龍さん……こんにちは」
「おう。こんにちは快晴で土いじりも捗るな。ところでまるゆ、龍驤を見なかったか?」
「龍驤、さん、でしたら……たぶん提督室に、いるかと」
「そうか、サンキュー」
「いえ」
ふとまるゆの足元を見ると、綺麗なオレンジ色の花が植えられていた。
「でもい今は」
「それなんていう花だ?」
窓枠を飛び越え、花に歩み寄る。
「え? あ、これは、クワンソウ、です」
「へ~。形は百合みたいだな」
「は、はい。ユリ科なので……」
「おぉ、やっぱり」
しゃがみ、花弁に触れてみる。ほんとに鮮やかないい色だ。
「眠りに、いいんですよ」
「ん?」
「クワンソウ茶を飲むと、熟睡できるんです。赤城さんも……よく飲んでて」
「そうなのか」
「はい……」
「よしっ」
腰を上げ、まるゆの頭に手を置く。
「提督室行ってみるぜ。ありがとな」
「は、はい」
手の下で、まるゆの頭はまだ少し震えていた。早く慣れてくれねぇーかな。
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「なんでや! おっかしいやろお!!」
廊下まで聞こえる大声だ。扉の先、提督室の中で龍驤が怒鳴っている。どうしたんだ? 俺はとりあえず扉に耳を当て、聞き耳を立てた。
「仕方ないだろ。製造が中止されたんだ。別のルートが見つかるまで確約はできない」
これは、木曾の声。何の話だ? 製造? ルート? 酒保のなんかか?
「あかんわ。昨日どんだけしんどかったと思っとんねん。これだけじゃ割に合わんわ。それに言ったはずやで、初めに。うちは、これが貰えるんなら戦う。貰えんなら、戦わん! て!」
「わかってる。だから探すさ。隠し持ってる鎮守府を。それまで我慢しろ」
「はぁー、ちゃう。せやない。うっそ。ありえへんわ。どーうして切らしてまうかなー。事前に、製造止まる前に策打てたやろ。なんでせーへんかったん?」
「急だったからとしか言えん」
「嘘やろ。キミの情報網でそれはないはずや。それ込みでうちはキミの下についたんやからな? 大嘘こくなや!」
「嘘じゃあない。少し落ち着け、龍驤。最優先で入手してやるから、それまで我慢しろ」
「あぁー、もう、ええわ。ほんま……頼むで」
足音が近づいてくる。扉から離れると、勢い良く開き、危なく吹き飛ばされそうになった。出てきた龍驤と目が合う。
「……おったんか」
「あ、うん」
「……天龍ちゃん、悪いな。うち、しばらく戦線離脱するわ。契約違反ってのが起きてまってな。ストライキだと思ってや。じゃ」
「じゃ、って」
スタスタと、龍驤が歩き去っていく。
「隼鷹も今出られないんだぞ!」
「知らんっ」
行ってしまった。
「天龍、何か用か?」
「え?」
提督室の方を見ると、木曾が執務机の椅子に深く腰掛けて引き出しをごそごそとやっていた。
「とりあえず扉を閉めてもらえると助かる」
「ああ」
俺は提督室に入り、扉を閉めた。木曾が葉巻を咥え、引き出しを締める。
「いやぁ、久しぶりに怒鳴られたぜ」
「何があったんだよ」
俺が執務机に近づくと、木曾は片肘を机の上に乗せ、頬杖をついた。
「うぅん。まぁあれだ。龍驤がいつもやってるあれさ。あれは俺が仕入れてやってるんだが……」
葉巻と口の間から溜め息が吐き出される。ライターないのか?
「火、つけようか?」
「いや、いいんだ。明石がうるさいんで、節煙してるんだよ」
「でも咥えてるじゃねぇか」
「節煙てのは煙を吸わないことさ」
なんだそれ。
「話を戻すが、あれは軍が秘密裏に開発した、戦闘能力を向上させる効果も持つ興奮剤でな。龍驤は元々、あれの永続的な供給を条件にここに着任したんだ。ラダー中毒でここに送られたと言ってもいいけどな。まぁ要するに、あいつにはラダーを受け取る権利が」
「ちょっと待て。ちょっと、待て」
「どうした?」
「ラダー。ラダー……」
どこかで聞いた。どこだ。
「ラダーってのが、あの緑色の煙の煙草の名前ってことだよな?」
「そうだが?」
考えろ。思い出せ。なぜ? わからないが、そうしないといけない。思い出さないといけない、気がする……どこで聞いた。いつ聞いた。頭が、痛い。
「……」
だめだ、思い出せねぇ。木曾が、俺の顔をじっと見ている。
「なんか、思い出せそうなんだけどさ……なんだと思う?」
「……んっ? いや、俺にわかるわけないだろ」
「だよな」
頭を掻く。風呂でも入ったら何か思い出すかな。
「ともかくだ……用を聞こう」
「用? ああ……いや、龍驤に用があったんだけどよ、あれじゃなぁ……酒持ってねぇか?」
「怪我人に酒をやるつもりか」
一瞬で見抜かれた。
「んあや、その」
「まぁいいさ。ちょっと待ってろ」
木曾が椅子を立ち、背後の戸棚の下段、その奥の方から木箱を取り出す。
「一級品だ。これを持って行ってやれ」
そう言って木箱を俺に差し出した。片面がガラスになっていて、中には高そうなウィスキーが入っている。
「いいのか?」
「ああ。できるだけ上等な方がいい。でなきゃ一気に飲んじまうだろ? あいつは。それじゃ怪我の治りも遅くなる」
「なるほど」
「それに……奴には名誉負傷章があってもいい」
「……だな。じゃあこれ、持っていかせてもらうよ」
「ああ。頼む」
木曾提督の粋な計らいを手に、俺は提督室を後にした。
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「こういった、小春日和は抹茶風味が欲しくなりますのよ」
救護室へ向かう途中、食堂から声が聴こえてきた。廊下から見ると、熊野と鈴谷が二人、グラスに盛られた緑色のゼリーをスプーンで掬っている。仲良いなこの二人。
「ね~、わかるぅ。なんなんだろうねー。抹茶はまったりするから、ぽかぽか陽気のまったり気分と調和するのかなぁ」
「それは、確かに。有り得ますわね」
「だしょ~? まったりまったりぃ……ねね、熊野」
「はぁい?」
「こう、目を閉じて抹茶パフェ食べるとね……」
鈴谷が目を閉じてスプーンを口へ運ぶ。
「日本庭園にいるみたいな気分になるっていうかぁ」
口の端に緑の痕跡を残し、夢見心地で言った。
「ふふ。本土に降りるまでもありませんわね。鈴谷、ちょっとじっとしていて」
微笑み、ハンカチを取り出す熊野。桃色のハンカチで鈴谷の口元が拭かれていく。そして……確かに俺はそれを見ていたんだが、まず、窓の外からの狙撃か何かだと思った。あんまり信じられないことが起こると、目にしたことより推測が先に来るらしい。床に、いや壁まで殴り飛ばされた鈴谷が驚愕の目で熊野を見つめている。熊野は、何事もなかったかのようにゼリーを口にした。
「え……え?」
赤く腫れた頬に手を当て、鈴谷は、困惑の表情を熊野に向ける。熊野は無表情だ。自分で殴り飛ばした鈴谷を見ようともしない。
「な……」
鈴谷が壁に手を着き、立ち上がる。
「なん……」
たぶん、鈴谷は「なんで」と言おうとした。けどその言葉は、最後まで続かなかった。頬に手を当てたまま、視線を落とし、俯く。なんなんだ。誰か説明してくれ。
「……ごめん……」
呟くような鈴谷の声が聴こえた。俯いたまま、こちらへ来る。食堂から出てきた鈴谷と、目が合う。
「ぁ……」
鈴谷が小さく頭を下げ、寮室の方へ、足早に歩き去っていく……追って声をかけた方がいいか? いや、でも……今の反応、鈴谷は俺を忘れてる。なら熊野に、理由を……聞いてどうするんだ? 全然わからん。何が起こった。熊野がこちらを向く。俺は思わず死角に隠れた。見られたか? くそ、なんなんだよ。なんで急に? 足りない頭で考えようとしていると、熊野が、椅子から立ち上がる音が聴こえた。こっち来るのか? どうしよ。
「あー、天龍ちゃんはっけ~ん」
廊下の向こうに龍田が現れた。呼ぶなっ! タイミング悪っ……いやそうでもないか。
「おお龍田。探してたんだよ」
龍田の方へ歩み進む。後ろは振り向かない。
「あらぁ~。わたしも探してたんだよぉ~? やっぱり心が通じてるのねぇ~」
「龍田」
龍田の隣まで来たところで、俺は小声で尋ねることにした。
「俺の後ろ、誰かいるか? 誰か見てるか?」
「……」
龍田が俺の後方に視線をやり、俺に、視線を戻す。
「黒い長髪の、青白い女の人が見てるよ……」
「そうか。ならいい。ちょっと来てくれ」
龍田の手を取る。
「ああん。天龍ちゃん冷たぁ~い」
「今のであったかい応答なんてないだろ」
俺は一旦、龍田を連れ外に出ることにした。
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庁舎外の木陰まで来たところで、俺は龍田にさっき目撃したことを話した。
「つまりだな。二人で仲良さそうにパフェ食べてたのに、急に、熊野が鈴谷を殴ったんだよ。びっくりしちゃってさ」
「それで怖くなって逃げてきちゃったのね~」
「えっ? こわっ、ちげぇよ。でもどうしたらいいかわかんなくて。鈴谷も何も言い返さないで寮室の方に行っちまうし」
「なるほどね~」
龍田は俺の話を聞いても尚、いつものほにゃ~っとした表情だ。初めてじゃない? 何度かあったことなのか?
「……なんでだかわかるか?」
「ん~」
龍田が人差し指を顎に当て、目を閉じる。
「推測だけどぉ~。直前、鈴谷ちゃん何か言ってたぁ~?」
「う~ん、言ってはいたけど、悪態とかじゃなかったぜ。パフェの感想っつーか」
「それねぇ~」
「それって?」
「きっと、前にも同じような状況で、同じことを言ったんだよぉ~、鈴谷ちゃん」
「それでどうして? それにあいつはいつものことだろ?」
「でも、ねぇ~。昨日の大変な出撃の後で、暖かな昼下がりに、ご褒美パフェ。二人の特別な時間。なのに、前と同じことを言う鈴谷ちゃん。昨日の大奮闘だけでなく、二人の特別な時間さえ、忘れられちゃってる。この特別な時間も、きっと同じように忘れられちゃう。熊野ちゃんはそれが悲しくなっちゃったんじゃないかなぁ~」
「でもだからって殴るか?」
「殴るんじゃなぁい? だって、熊野ちゃんだってね、もう狂っちゃってるんだから」
「……確かに、戦い方はそう思うけど」
「陸に上がったらまともに戻る、なんてことないよぉ~? み~んな狂っちゃってるんだから、ここの子は」
龍田の口振りは、なんだ、日常の諸事を話すような、そんな感じだ。
「……鈴谷は何で、何も言わない?」
「それは、そうだよぉ~。だって、自分が熊野ちゃんを狂わせちゃったんだからぁ。今頃、寮室で一生懸命眠ろうとしてるんじゃないかなぁ~。眠りさえすれば、嫌なことも忘れられるし、熊野ちゃんの後悔も、少しは紛らわせられると思って」
「……無茶苦茶だ」
「でもどうしようもない。きっと、熊野ちゃんだって無意識。気が付いたらそうなってたんだよ。わたしは熊野ちゃんのこと、責められないなぁ……でも安心して、わたしは天龍ちゃんが何を忘れちゃったりしても、ぜぇ~ったいに怒らないから」
龍田はそう言って、全てを受け入れるような微笑みを俺に向けた。まるで、俺が何か龍田との大切な思い出を忘れてしまっているかのように……いや、今は俺の話じゃない。今は鈴谷と熊野のことを考えねぇと。このままでいいわけがないんだ。だって、繰り返された出来事は鈴谷の記憶にも留まるんだし。熊野がそれを忘れてるとも、思えないが……俺に、何ができるだろう。
第11話あとがきです。
クワンソウ、またの名をアキノワスレグサはそのまま忘れ草とも、眠り草とも。お茶にして、沖縄ではよく飲まれているらしいです。
ところで木曾の「節煙てのは煙を吸わないことさ」というこの台詞は刑事コロンボ第19話「別れのワイン」から来ています。シリーズの代表作の一つですね。そういえば木曾は初登場時も葉巻を咥えていたし、役者になりたいっていうのももしかすると……。
さて次回、明石さんが余計なことをします。そして新たな作戦の発令。動き出した時計の針は、もう、止まらない