夜霧のような、冷たい深海の流れが頬を撫でていく。いや、俺はそれ程冷たくは感じないが、それはたぶんこの身体のおかげだろう。まるゆは大丈夫か?
「おいまるゆ」
前に座っているまるゆが俺の声に反応し、俺を振り返り見上げる。表情的には、大丈夫そうだな。それにそれほど、この巨大魚に乗りながらも怯えてはいないように見える。
「寒くないか?」
「だ、大丈夫です」
「そうか」
やはり、潜水艦娘の身体はその辺りも丈夫にできているらしい。
後ろの木曾の海中ライトだけが明かりは最小限に、辺りをぼんやりと照らしている。そのぼんやりとした明かりに吸い寄せられ、闇の中を数多の生物が近づいてくる。その気配を感じる。透明な小エビのようなものや、ライターの火のように揺らぐ魚、うん、それらは目視も出来た。けど巨大な気配も複数感じる。大型の気配は目視可能な距離までは近づいて来ず、しかし遠くない距離から俺達を監視していた。深海棲艦かそうでないかは分からないが、たまに赤や青の点がちらつく。あれらは間違いなく深海棲艦だろう。その目の発光だ。
「着イタヨォ~」
巨大魚が止まり、ツバキが這い降りる。俺達も続く。
「うおっ」
降りたところの足場が片方だけなく一瞬焦ったが、大丈夫、ここは水中だ。俺達は海底の巨大な亀裂、崖の縁に連れて来られていた。ツバキが巨大魚に何かつぶやき、巨大魚は元来た方へ戻っていく。
「おお、なんだこれ」
ライトの明かりをつけ崖の下を。
「おいバカ!」
木曾が俺の水中ライトを取り上げ明かりを消した。
「なぁんだよ」
「おい天然か! 深海の奴等がわらわら出てきたらどうすんだ!」
「好都合じゃねぇか」
「バカ、まずは長に話を付けんだよ。まずは長に俺達が敵じゃないことを認めてもらわなくちゃいけねぇだろうが」
「あっ、そっか」
「あっそっかっておま」
「大丈夫ヨ。ソノ程度、モウ気ニスル場所ジャナイカラ」
ツバキの脚の触手の一本が木曾の持つライトに伸び、それを掴み取ると器用にスイッチを入れ、崖の内側を照らした。瞬間、ゾッと背筋が凍る。谷のような亀裂の内側の闇、その一寸先には、どれも俺達の背丈よりも巨大な生物達が、所狭しと揺蕩っていた。巨大なクラゲや、サメ、魚類というより虫類に見えるムカデのような生物も。そのいづれもが巨大で、見たことのない歪さを有している。その歪さはおそらく、複数の生物を掛け合わせたような外見からくるものだ。つまり……これ全部、深海棲艦ってわけだ。
「サァ行キマショウ。長ク靡イテル触手ガアッタラ、ソレニダケハ気ヲツケタ方ガイイヨ」
毒か。ツバキがライトを木曾に返し、崖をふわっと降りていく。異形の渦の中へ。
「どうする?」
俺は思わず、木曾に尋ねた。
「……この任務はそもそも、半分自ら餌になりにいくようなもの、だ。それが視覚化されただけだぜ。けど出来れば今不意に、後ろから誰かに突き落として貰いたい」
まるゆを見ると、もう震えを通り越して半笑いの顔で固まっていた。
「はっ……ふ、す、三人一緒なら食いにくだろ、多少は」
二人の後ろへ回り、潜水服の首と小さな肩を抱え込む。
「触手は提督でガードさせてもらう、ぜっ!」
水を蹴り、崖へ飛び込んだ。
「ひっー」
まるゆの声が聞こえる。二人を掴んだまま、揺蕩う生物達の隙間を目掛け下へ。茶色いブヨブヨとした頭の、巨大なオオムガイか? その群れの隙間を通る。そのすぐ下で象の鼻のような何かが揺らぎ抜けていった。鎧のような頭の平たい魚達、そして縦に引き伸ばされたような巨大なヒトデ達のその分厚く重いカーテンを抜けていく。体内に赤い核を持つ四本脚の透明な揺らめきが水の流れを残して過ぎ去る。巨大な魚の頭が、あっぶつかる! いや、うおっ、魚じゃねぇ。魚の頭からタコだかイカだかの脚が生えている。けど胴がないおかげで触手の間を通り抜けられた。甲板が見える。甲板?
「よっ、と」
着地すると、うん、甲板だ。沈没船か? 木曾が懐中電灯で辺りを照らす。甲板、足場は少し先で折れ、なんだ、異様だ。途中から別の船の甲板に繋がっている。
「俺のライト返してくれよ」
「ああ」
木曾からライトを受け取り……俺も辺りを照らし見渡してみる。これは……この甲板の外にも船が、それも一隻や二隻でなく、何十隻もあるように見える。それらが海底の亀裂、崖の間に挟まり、詰まったようにごった返していた。船の墓場ってやつだ。
「すげぇなこりゃ」
「二人とも注意しろ。特に足の下とか、足の下とか」
二回言った。動転してんのか?
「ビビんなよぉ。そう脆くもなってないぜ」
足を踏み鳴らす。
「おいやめろぉ!」
「ははっ」
「コッチダヨォ~」
ツバキの声。見ると、少し離れた所の船内へと通じる扉から手招きをしていた。いよいよ深海棲艦の、親玉の住処に潜入だ。いや潜入じゃなくて訪問か。でも潜ってるし潜入でいいな。
「行こうぜ」
「ああ」
俺を先頭に、三人でツバキの方へと向かう。
「天龍、船が鉄の船だけじゃないんだ」
木曾が後ろから。確かにずいぶん古そうな木造の船も見えたが、それがなんだ?
「船が繋がってる。材質同士でだ。鉄と木が繋がってるんだ」
「おまえの身体も似たようなもんだろ?」
「違う、そうじゃない。俺が言いたいのは」
「すげぇお城だな!」
「オ城? フフ、ソウネェ~、オ城、フフ。コッチ」
ツバキに続いて船内に入ると、何だ、妙な明るさがあった。ほんのりと、緑色に発光するものがある。苔、だろうか。それが壁や床、天井に転々と散らばっている。そしてそれらの間には植物のような蔦が、あちらこちらに伸び広がっていた。船内だが洞窟に近い雰囲気がある。水温も外より少し暖かい。
「迷子ニナラナイヨウニネェ~」
ツバキが通路の先へ進んでいく。ツバキを追って、俺達は捻じれた通路を進んだ。
.
船から船へ、傾いた船内通路を泳いで下降していく。妙な感じだ。船から船へってのも、船内を泳いでってのも。けどこの妙な感覚は、それだけじゃない気がする。光る苔の数が増してきた。
「でかい家の割りに賑わいがないな?」
木曾がツバキの背に尋ねる。他の人型深海棲艦が気になってるんだろうか。
「コノ道ニハネ。チスイハ一人ガ好キナノ」
「チスイ?」
「コレカラ会イニ行クワ」
ツバキの姿が消える。いや違う、床の穴だ。そこに入った。俺も続く。つーか迷路だな。これツバキいねぇと帰れないんじゃ。もし途中でツバキが離れたら……。
「右、左、直進、右、下」
まるゆが小さく呟いている。なんだ、道覚えてるのか。頼りになるじゃねぇか。
さらにしばらく下降し進んだところで、ツバキは船室の扉を開けその中へと俺達を導いた。
「四番目、部屋……」
「邪魔するぜー」
部屋に入ると、うん、割と広い部屋だ。けどそれしかわかんねぇ。全てが錆と藻と蔦とフジツボと光る苔に覆われ、家具らしきものは酷い腐食でそれが何かどころか何で出来ているのかもわからない。そして、そこには誰もいなかった。
「ここがその、チスイ? の部屋なのか?」
「ウウン、違ウヨ」
「何ヲ連レテルノ」
ツバキとは違う、深海棲艦の声が聴こえた。すぐ側で。けど辺りにツバキ以外の深海棲艦は見当たらない。
「上だ」
木曾に言われ上を見ると、え、上を見て、思わず息を飲んだ。天井の一部がぎょろりと俺達を見下ろしている。天井、じゃない。顔だ。巨大な人の顔。半分近くは天井の大きさに納まってもいない。人型でこのサイズなんてのは聞いたこともねぇぞ。
「サッキカラ、私ノ中ニ妙ナモノヲ連レ込ンデ……不幸ダワ」
チスイの部屋じゃないって、もしかして、そうか、この部屋自体がチスイ、この沈没船群全体がチスイ、深海の主、そういうことなのか?
「妙ナモノジャナイヨ。ワタシ達トホトンド変ワラナインダカラ、オ友達モ同然デショ?」
巨大な目が俺達を順番に観察していく。
「私達ノ敵トハ違ウ。武器ヲ持ッテナイ。ケド仲間ニハ見エナイ」
「イイカラ開ケテ。コノ子達ハチスイニ会イニ来タノ」
ん? こいつはチスイじゃないのか? 巨大な瞼が半ば閉じ、疑わし気な視線が俺に、降り注がれる。
「会ッテドウスルノ?」
俺が、答えるべきだろうか。
「ツバキが言ったように、俺達とおまえ達は根本的なところでは大差ない」
あ、良かった。木曾が答えてくれてる。
「だから戦う以外の道があるんじゃないかと、それを話しに来たんだ」
「……何モ知ラナイノネ。不幸ダワ」
「イイカラ開ケテ、ヤハタ」
「知ラナイワ。知ラナイ。知ラナイカラ」
地響きがする。次いで船が長く重く軋む音が響いた。部屋奥の床が、ずれ重なっていく。大きな穴が現れていく。
「感謝する」
木曾が礼を言うと、しかし天井の顔は瞼を閉じ、ぴくりとも動かなくなってしまっていた。
「行キマショウ」
ツバキが床の穴の中へ、滑り降りていく。俺の頭には嫌な記憶が蘇ってきた。
「行こう」
木曾が穴の方へ進んでいく。
「ちょっと待ってくれ、最悪を想像する時間をくれよ」
「おまえの想像力じゃ無理だろ」
木曾が穴の中へ消えた。
「天龍さん……」
まるゆが俺を見上げる。
「だ、大丈夫だよ。わかんねぇけど解体工場よりはマシだろ、たぶん……よし」
穴へ向かう。嫌だなぁ~、下へ向かう穴ってのは。
「まるゆ、一緒に行くか?」
「はいっ」
まるゆと手を繋ぐ。いよいよご対面だな。ツバキと木曾を追い、二人で穴に飛び込んだ。地獄への穴パート2の始まりだ。
第24話あとがきです。
巨大深海棲艦、ヤハタ。山城さんの口癖は深海棲艦化しても治りませんでした。不幸だわ。そんな彼女のヤハタという名前は戦艦山城内の艦内神社が石清水八幡宮からの分祀であることに由来しています。
そしてさて、本当は章を分けるつもりはなかったんだけど、天龍ちゃんが勝手に区切って次章のタイトルを言ってしまったので、今回はここまで。いえ、続けて投稿致します。25話へどうぞ。