下降する。穴の壁には緑色に光る苔が散らばり、その数は徐々に増していく。穴の先には一面の緑が見える。闇じゃない。きっと悪いものは、この先にはない。
「ウフフフフフ!」
「んえっ!?」
ツバキが現れ隣を擦り抜け上がっていった。まずい。
「まるゆ!」
「はい!」
下降速度を上げる。穴を抜けると、一面の緑。地も天も緑に輝く空間。そしてそこに、複数の大小様々な緑の塊と、潜水服の頭、胴が転がっていた。
「木曾!」
木曾の頭に泳ぎより、抱え上げる。
「木曾ー!」
「うるさい!」
木曾の頭が怒鳴った。なんだそうか、生きてるのか。
「やっぱりおまえの妹とは心底気が合わねぇようだ」
「忘れてたぜ」
「それよりどこだ、長はいるか?」
「ええと」
辺りを見渡す。どこだ、深海棲艦の長は。深海の主はどこにいる?
「天龍、足元の物体の確認を。それが何であれ驚かずに報告してほしい」
「ちょっと待てよ、今ぁ長探してんだからよ」
言いつつも、足元に視線を落としてみる。この石は……石じゃねぇな。光り苔に包まれて、けど石じゃねぇ。形が、あぁ、知ってる形だ。深海棲艦、空母ヲ級の頭。それにこの斬り傷は……覚えがある。たぶん、俺が首を刎ねた奴だ。
「深海棲艦の頭だぜ。おまえみたいに生きちゃあいなさそうだけどな」
「他のもそうか?」
「他のは……」
少し大き目の石に、視線を移す。あれも、うん、石じゃあない。深海棲……いや違う……違う! おいそんな!
「長波!」
木曾を放り泳ぎ寄る。石のように動かず横たわる、耀く苔に覆われた、上半身だけの、旧友。沈んだ長波が、ここに流れ着いていた。
「長波よぉ、こんな、あぁ、もう……」
「ひはもうただ殻よ」
顔を上げると、声の主が浮いていた。こいつが深海棲艦の長。しかし、深海棲艦というより……その外見には、もっと適した言葉を俺は知っている。長く揺蕩う白髪に、人間の身体。しかし下半身は、魚のように見える。つまり……人魚ってやつだ。
「チスイか?」
いつの間にかまるゆの腕に収まっていた木曾が尋ねた。
「うむ。あがチスイよ。なは地の兵器よな?」
「そうだ。けど武器は持ってこなかった。戦うつもりはない」
「さな。なればな?」
「話を。戦いをやめる方法はないかと話し合う為に来た」
人魚、チスイが眉を上げ、木曾を観察する。
「……さもあるか。いなし、なは王にあずな?」
「ああ、その通り、王ではない。しかし代表としてここへ来た。人類の代表として。俺は木曾だ。頭だけだが、艦娘、陸の兵器の一部を任されている。俺を抱えてるのはまるゆ。そっちのは天龍。天龍に関しちゃ見てもらえばわかると思うが、俺とまるゆも半分はそちらの血と肉でできている。そちらが侵攻をやめてくれるなら、人類も深海にまでは立ち入ることはよそう」
「あわぬ。あわぬよ」
「うん、だろうな。なに、今のは基準値の話さ。そこから譲歩していきたいんだ。例えば、こちらがそちらの住処の海上での漁をやめるだとか、あるいはどこそこの航路は通らないようにするだとか。人類としてはこれ以上そちらと戦いたくない。だから条件を提示して欲しいんだ」
「いなし、あわぬ。なは知らぬ」
「知らないって、何をだ?」
「あは王にあず。わに王はあず。あはそに古きもの。わはみずくにのみ喰らわん」
「……組織立った指示でなく、個人がそれぞれの意志で人類に攻撃をしているというのか?」
「うむ」
さっきから、木曾の奴よく分かるな、人魚が何言ってんのか。さっぱりわかんねぇぞ。
「なら、それぞれの意志でもいい。どうして人類を攻撃するんだ?」
「……かはわのあやまち。かはなの厄災。人毒のすえ」
「何か、双方に思い違いが?」
「あず。ふつを見よ。緑子(リョクシ)、しもわよ」
「まさか」
「え、なんて?」
「この、あたりに散らばっている緑の苔。上にもあったが、その一粒一粒が全て彼等だと言っている」
「は?」
「緑子より喰らいて形(ケイ)を成し応すがわよ。古きよりな……過くに、人は神なるを祀りて、贄を渡せし。沈みし贄はわのみなに降りて、人を喰らうたわのいつくは人毒に荒れむ。人毒の名を心。まにあやまちよ。わは応なく喰らいて悦とし、いつはくらうかん、いつはりばーすわんと呼し、みなを荒らし、人毒をまぬき、すにあは人食を禁ときした」
「おい木曾、訳してくれ」
「彼等は……古くからこの深海にいた。もしかすると人類よりも古くから。やがて人間が神というものを信仰するようになり、祈りの為の生贄として、人間を海に流した。流された人間はやがて死に沈み、それを彼等は他の食料同様に食らった。するとしかし、人間には心という名の毒があり、人間を食べた者の内のいくらかは毒に蝕まれ、彼等特有の環境適応や食事の為でなく、ただ愉快さの為に破壊や殺傷を行うようになってしまった。中には人間からクラーケンやリヴァイアサンと呼ばれ恐れられた存在もいる。しかしそれらは海自体をも破壊する存在であった為、また船を沈め新たに人を深海に招く存在であった為、チスイは人を食うことを禁じたと、そう言っている」
「うむ。いなし、過くになく人人の、みな上にて砲を噴し血垂らし、沈み、あまつの人ていすえあの目つたさず、禁はおあされ、ふたに喰らいし」
「しかしやがて、かつてなく人々が人間同士海上で争う事態が起きてしまった。あまりにも多くの人間が海に沈み、チスイの目が届かないところで彼等は再び人を食うようになってしまった」
「さこそまにあやまち。人毒は過くよりも災い、帰この念、憎うの念、わの根さうを蝕み、帰この念のみくに浮上し、憎うを撒き散りし」
「それこそが本当の過ちだった。人の毒はかつてよりも強力になっており、人を食べた者は陸に帰りたいという想いと敵を憎む心に支配され、その想いのままに海上へ浮上し破壊を繰り返しながら陸を目指すようになってしまった」
「喰らいし内の過く人の心すえ、応なく喰らい、地をはす」
「取り込んだものの内のかつての人間の心が、破壊の衝動と陸を目指す行動をもたらしている……か」
木曾が目を細め、唇を噛む。つまり、分かるぜ、俺にも。和解は不可能だ。深海棲艦はそれぞれが個別に動き、話して分かるような奴は初めから人類と敵対すらしていない。ある意味人間が撒いた、人間の毒に蝕まれた個体が、人間が持つ醜さ故に人類を攻撃してきている。言ってみりゃ、自業自得ってやつなのかもしれない。
「食人を禁じた時のように、人間を襲うことを禁じることはできないのか?」
「こうてしな、あは王にあず。過くに禁組むすはわのもぬるすえ。もすにひにすえなし」
「最早決まりを守る理由のない者を縛ることはできないか」
「いなし……人毒のひにいつく地を渡さば、しむはな?」
「陸への郷愁を埋めてやればもしかしたら大人しくなるかもしれない?」
「しむは、あまつ地を解さん」
「あるいは陸を破壊しつくしちまうかもしれない、だな。今のはわかったぜ」
「う~ん」
木曾の頭が考えている。目を瞑って。そして口を開く。
「人類は……おそらく人の毒に侵されていない者も攻撃するようになるだろう。いや、これは脅しなんかじゃあなくてな。人類の中には人類側にある俺達でさえ吐き気を催す邪悪みたいな奴がいるんだ。だから脅しじゃあなく、そんな事態にならないようそちら側にも協力して欲しいのさ。チスイ、あんたは悪い奴には見えないからな」
「あは良きか。わの人を喰らうは悪に見つるか?」
「チスイが言ったんじゃないか。人を襲うのは人の毒に侵された者だと。毒こそ悪、病こそ悪、そうじゃないか?」
「うむ……かして、あに言なし。いなし……地に緑子なし。わのみなにあず。人よみなに渡せず、地にて人毒を鎮ぜ」
「海に出ず陸で人の毒を散らせと。しかしそれだと、こちらの被害が計り知れない」
「そつは人のまぬき。しくばかり組むすは理(ことわり)よ」
「ふむ……参ったな」
木曾が口をへの字に曲げて俺を見る。いや俺を見られてもな。
「あーあー、チスイさん、ちょっとお尋ねしたいのですが」
木曾の潜水ヘルメットの内側から明石の声がした。
「声だけで失礼します。私は木曾さんの仲間の明石と言います」
「頭ぬみの次ぐは声ぬみか。なも地の兵器か?」
「ええ、そうです。私も陸の兵器、半分は深海の皆さんと同じ血を持つ者です。でですね、例えば、その人毒を中和する薬をお渡ししましたら、そこの緑子に撒いてもらえたりしますか?」
おお? 人毒を中和する薬? そんなのあるのか?
「……毒を鎮づをふ毒をもうてか?」
「いえ、決して別の毒などでは。といいますかそのようなものはまだ造ったこともないので、もし仮に造れたらというお話でして。新たな毒とならないよう、全力を注がせていただきますよ」
「さば、あは待ちし。まに無毒なるば、組むさむ」
「ありがとうございます」
「明石、だいたいでいい。見込みはどの程度ある?」
「全くわかりません。ただ薬物的アプローチだけでなく電子記憶によるアプローチや、消去だけでなく付与の方向でのアプローチも試せば、あるいは」
「無駄ですよ。すでに検証済みです」
それまで黙っていたまるゆが急に口を挟んだ。
「人毒、既に侵された被験体にその認識はありませんでしたが、大方の予想は。ですが確証を得られる証言が聴けて、それは一つの成果として喜ばしいことです」
「まるゆ、どうした?」
「でもねチスイ、あなたもなかなか食えないわ。毒と言いつつ、それをこの場に置いて緑子の餌にしているのはどうしてです?」
「おいまるゆ、おまえ」
「くそ! やられた! こいつはまるゆじゃない!」
まるゆの腕の中で木曾が大声を出した。
「わは再生の種。喰らい応すがわの理。いつ来しは人毒も組むさむ」
「ええそうね。きっと全て滅ぼして、そしたらいつか人の毒も克服できるかもね」
「天龍! こいつを連れてすぐに浮上しろ!」
「え?」
「どれほどかかるかわからないけど、種としての死を知らないあなた方には大した問題ではない」
「こいつはまるゆじゃない! 阿戒だ!」
「わかった木曾ちゃん? 和解なんて夢物語です。彼等にとって人間は餌の範疇を超えるものではないのだから」
「阿戒? まるゆの中に阿戒が?」
「そうだ!」
「さて、お遊びはここまで。本作戦を開始します。位置取りはオーケー? グートちゃん」
「なんかわかんねぇけど!」
まるゆに摑みかかる。しかし躱されてしまった。
「よろしい。天龍ちゃん、追いかけっこ楽しいですね?」
まるゆが推進し、木曾を挟むようにしてチスイに抱きついた。くそ離れろ!
「天龍引け! 離れろ!」
木曾が叫んだ。けど俺の手はもうまるゆに触れる。
「天龍引け!」
「どっちだよ!」
「Boom!」
まるゆの身体が膨れた気がした。けどわかんねぇ、辺りが真っ白だ。緑の光、緑子はどこいった? なんかすげぇ音した気がしたけど、いや無音だ。何か……なんだ? 何か、ピンク色の物体が目の前を浮かんでいるが、掴もうと、あれ、掴め、ねぇ。なんで。手が出ない。手が、手、手は何処だ? あれこれ、腕そんな方に曲がんねぇだろ。視界がズレていく。違うそっちじゃ。あれ、暗
第25話あとがきです。
阿戒博士はまるゆの電子記憶を抜き取り自身の電子記憶のコピーを埋め込むことで、まるゆの中身を自身のコピーにすり替え、まるゆになりきっていました。なりきりこわ。
そして物語はバッドエンドで終わり、ません。次回「エリコの壁」。1週間後に!