海が荒れていた。空が荒れていた。波と雲が騒ぎ、ぶつかり合っている。天より神の輝く御手が、天より神の溢るる涙が、全てを叩き、揺らしている。今私の命(メイ)は尽きる。ただし私の命だけが尽きる。命もって、神の御心を鎮める。私はその為に生かされてきた。皆人の祈りを受けて、その祈りを神に伝える。
「おお神よ! 鎮まり給え!」
「神よ! どうか私達を故郷に返してください!」
「私達はあなた様の威光を、まだ世界に広めなければなりません!」
「神の地に住まう、あなた様の名を未だ知らぬ者共の為に」
「今はまだこの水面に平静を」
「神よ!」
船の縁に小舟がつけられた。黒の上衣を脱ぎ、白の衣のみを纏って舟に移り、神具を分けて腰を下ろす。手渡された薬餅を食む。
「務めを果たしなさい。皆それを望んでいる」
私は頷く。ちくり。長針が首を貫く。深く、つき抜ける。痛みはない。感覚もない。上から布が、首に厚く巻かれる。血を、神に見せてはいけない。
「降ろせー! 降ろせ!」
「ああ神よ」
「どうか、どうかお鎮まりを」
「帰りたい。怖い。助けて」
「鎮まり給えー!」
「神よ我々の祈りを受け入れ給えー!」
「我等の心を聞き入れ給えー!」
轟音に負けじと張り上げられた祈りの声に見送られ、動けぬ私を乗せ、舟は荒波に降ろされた。雨と飛沫が顔を打つ。今から私は命を沈める。今から神の御心を鎮める。そして全ては守られる。その為に。
.
「私と契約して正義のヒーローになってみない?」
締め切った車の中でその女は満面の笑みでそう締めくくり、俺の返答を待っていた。
「俺の他にはあと、誰に声を掛けたんだ?」
「誰も。ここではあなただけです。検査で合格したのはあなただけだったからね」
「怪しいな。それにヒーローってのは普通男がなるもんだろ?」
「そういう決めつけはよくないわ。これからの時代はね。自分の可能性を狭めてしまいますよ?」
「そうかな」
「大事起これば奮い立ち♪ 波を蹴立てて海を行く♪」
なんだ、歌い出したぞ。
「光~か~音~か~力か熱か~♪ エイ! ね?」
「ね? ってなんだよ」
「知りません? ハヤブサ」
「知ってるけど」
「かっこいいでしょ? あれになれるのですよ。しかも、もうすぐ削られる戦災孤児支援費分、毎年きっちり私が賄うおまけ付き。それ以上っていうのは厳しいですけどね? 悪い話じゃないわ」
「人攫いの常套句だぜ」
「かもね」
どこまでも胡散臭い。けど嘘をついているようには思えなかった。何か企んではいる。それは確かだが、その企みが、俺や施設のみんなに害を及ぼすものではないことは、なんとなく感じられた。
「……わかった。引き受けるよ。あいつらには……まだこの場所が必要なんだ」
ここを失くさせるわけにはいかない。あいつらの為に。未だ増え続ける、深災孤児達の為に。
「ああ良かった。良かったです。ここで話したことは口外無用ね。じゃあ、すぐ出発しますから、準備をしてきてください。私は指導員の皆さんに話をつけますから。お友達とのお別れも忘れずにね」
頷き、車を出る。まぁ全て嘘なら、逃げ出しゃいいさ。俺は皆に別れを告げる為、施設の門をくぐった。
最早縋れる者に、善人はいない。善人は皆全て差し出してしまった。だからあとは、悪人に縋るしかない。俺達でない、別の何かに敵意を向ける悪人に。ただ利用されるのでなく、利用する為に利用されること、それがこの世界での唯一の生存の道、そうなっていた。俺はこの女を、阿戒恵理子を利用する。そう決めた。
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霞む視界の中、痩せこけた鳥が私を見ていた。日が高く、揺らめいている。雲はなく、太陽は容赦なく私を照りつけていた。どうなったのだ。身体を起こそうとすると、首に痛みが走った。そうだ、針が入っている。この身体は最早、生きながらにしての屍なのだ。しかし……まだ生きている、それがおかしい。
「祈りは」
首に痛みが走る。もう声も出せぬな。頭がぼぉうっとする。締め付けられたように痛む。揺れている。揺れているのは舟か、私の頭か……私を見つめるこの鳥は、いつからだ。いつからそうして、私が完全に死ぬのを待っている? 臆病者め。
「ふっ……うぅ……」
舟の縁に手をかけた。もう一方の手で頭を動かぬよう抑える。泥の中に沈められたように、身体は重い。ゆっくりと身体を起こすと、神具がじゃらじゃらと音を立てた。海は……穏やかに輝いている。何処までも遠く……。
「は……」
私の命は、いらぬかったか。いらぬならいらぬでも、釣り餌にでもしてくれれば良かったものを。この舟は何処にも行き着かぬのだ。
身体を傾け、水面に触れる。鳥よ、餌が逃げるぞ。沈むか浮かぶか、わからぬが……独り占めしたくば早うせい。はぁ……ひんやりと、心地良い。舟は嫌いじゃ。ずるり、と脇腹が舟縁を擦る。頭が水面を抜け、胴が水面を打った。まだ足が舟に引っかかっている。鳥よ、最後のチャンスぞ。
暗き、底無しが見える。しかし……ついぞ最後まで口に出さなんだ。神は本当に居りしかと。よくやったものよ。
足が落ち、頭から、この躰は沈んでいく。鳥よ、残念だったな。最早一口も食むことは叶わぬ。指でなぞるような、水流を感じる。暗くなっていく。命の終わりが、なんと、心地良い。呼吸などあるいは、遠に忘れていた。ただ沈むことが許されている。ああ、暗闇に……いや、光が見える。光の帯が。あれは……消えていく。何か……なんだ、私に寄り添い沈みゆくものがある。魚か? なかなか、私の背丈ほどもある。もうよく見えぬが、見事な鱗よ……旅の供か。長い旅になるかもしれぬ。良い。
ああ、意識がいよいよ溶けていく。この魚と共に。この魚の中に。私は……私の終わりを、私のものにすることができた。それだけでもう、満足よ……。
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赤褐色の壁に囲われている。どこだここは。もしかして。もしかして? 扉は閉まっている。どこなんだここは。手が拘束されている。足もか。頭もだ。病衣を着せられている。は? 捕まった? ここは深海? 違う、ラボだ。なんだラボって。天龍か。あ? くそ、頭動かね。天龍……ああ、そういうことか。あるのか。いや、あり得る。どこだ。後ろか? まるゆ、くそ。まるゆ、まるゆは無事か? いやまるゆじゃなかったんだっけ。どこだ木曾。いつからだ。まさか再誕した時から中身が変わってたのか? それで計画を知って。なんだこれ、何考えてんだ俺。いや辻褄が合わない。計画を知ったからまるゆの身体を使ったんだ。とすると、もっと前から。もっと前から、天龍の寄生体のことを知られていた。え、誰に。誰? 決まってんだろ。
「天龍ちゃん!」
扉が開いた。龍田。龍田だ。龍田が入ってきた。じゃあここは鎮守府か。危険だ。龍田が近付いてくる。阿戒め。武器も持たせないか。あの鬼。龍田! 帰ったぞ!
「天龍ちゃん!」
ああ!
「……つた。龍田!」
「……天龍ちゃん」
龍田が安堵したように微笑み、抱きついてくる。良かった。帰ってこれて。大丈夫そうか? どんな感じなんだ。良かった。本当に良かった。
「龍田」
「天龍ちゃあん」
龍田が頬ずりをしてくる。
「はは。どうなってんだ」
確かに爆発したよな。ああ、爆発した。すげぇ爆発だった。そうだ、どれが誰の肉片かすらもわからないような。は? さすが深海の長だぜ。おい。偉大な海の主人。誰だ。この星の主。おい! 生命そのものだ。誰だ頭の中にいんのは!!
「龍田離れろ!」
「え!?」
龍田が離れる。おかしい。
「なんだ、誰かいる。頭の中に誰かいる!」
「……天龍ちゃん」
「おい! 誰だ! 誰だ頭の中にいんの! 落ち着けよ。は? 龍田、こっちはだいたい把握した。いや、正直信じられないんだが」
口が勝手に動いてる。いや違う。俺が喋ってるんだ。
「天龍はまだ状況が理解できていない。天龍は俺だろ。どんな感じだ? 酷い有り様か? 何の話してんだよ? こう見えてナルシストなんだ。気になってしょうがない。何が。フランケンシュタインの怪物みたいか? 目は三つ以上あったりしないか? 俺は俺を見ても正気を保てていられそうか? なあ阿戒!!」
怒ってるのか? ……え、木曾? 扉が開いた。ガングートが立っている。耳までひん曲がった笑みを浮かべて。手に何か持っている。鏡だ。ガングートが身をかがめ、床に鏡を滑らせる。鏡は龍田の足元で止まった。扉を閉め、ガングートが姿を消す。
「阿戒。見えるぞ。おまえの、可笑しくてたまらないって顔。さすがに趣味が悪い」
「好きよ」
部屋に声が響いた。あの女、阿戒の声だ。その返答か。イかれてる。
「龍田、構わない。鏡を俺に向けてくれ」
「……天龍ちゃんは?」
「あ? え? 話がわかんねぇ。大丈夫だ。いや、すまん。考えてなかった。天龍、おまえは爆発の影響で、すっかり違う顔になっちまったかもしれない。おまえが今までに見た何よりも、悍ましい姿になっちまったかもしれない。見た瞬間気絶して死ぬまで運命を呪うかもしれない。けど、現実を受け入れる近道だ。覚悟して欲しい……覚悟できそうか?……頭の中にいるの、おまえか? 木曾か? そうだ。え、なんだよ、意味わかんねぇんだけど。ああ……ああって。鏡を見ればわかるかもしれない……くそ、わかんねぇ。鏡を見ればわかるんだな? わかった。龍田、頼む」
「天龍ちゃん、何もわかってないでしょ」
「わかってない! けど、いい。俺の決断だ。さっきから頭の隅に顔二つの昆虫みたいな悍ましい怪物がチラつく。おまえはただ鏡を俺に向ければいい」
「……大丈夫。大丈夫だから、天龍ちゃん」
龍田が鏡を拾う。
「……ごめんね」
鏡が向けられ、俺は……見た。
「……あ」
声を出すと、鏡の口が開いた……俺の顔だ。いや、木曾か? 俺か? どっちにも見える。良かった人間の顔だ。とにかく俺の顔が変わってる。木曾っぽくなってる。いやむしろおまえっぽいだろ。髪は長く、白い。深海棲艦みたいに角が生えている。いやそりゃ前からか。けど形が変わってる。前より捻れてる。そうか? 目。片目は黄色い。俺の目だ。もう片方は緑……俺の目だな。おい、これ頭の中で会話できてね? ああ、できてるな。変な感じだ。変っつか……おまえと俺で、合体したってこと? まぁ、合体っていうと……まぁ合体か。少し幼稚な表現だが。は? 俺とおまえと、チスイ、三人してバラバラに吹き飛ばされたんだ、まるゆの身体を乗っ取った阿戒の手で。けどチスイの力で、俺とおまえはかき集められて、チスイの一部にされた。つまりだな、正確には、この身体は俺の身体でもおまえの身体でもなく、チスイの身体ってわけさ。だからきっと何処かにチスイの意識も潜んでる。黙って聞き耳を立ててるのかもな。ともかく龍田を離れさせた方がいい。チスイは好戦的じゃないとはいえ、こんなことされて黙ってもいないだろ。今は黙ってるが……チスイ、もし聞いてるなら信じてくれ。俺達は何も知らなかった。全て阿戒という人間が仕組んだことだ。だから俺達が仲間と信じる者には手を出さないで欲しい。頼む。頼んだ。
「龍田、ありがとう。もういい」
「天龍ちゃん、は……?」
「うん、いや、案外大丈夫だぜ。両眼も見えるようになったし。深海っぽいのは、まぁ元から既にそんな感じになってたしな……むしろ天龍より俺だ。俺は一気に深海側に近付いたことに動揺してる。してねぇだろ。してるさ。でもおまえも両眼見えるようになったろ? それに頭だけじゃなくなったぜ?」
というか、尻尾も生えてるな。は? わ、マジだ。え、どうやって動かすんだ? 動かせるのか? どちらにせよ尻尾も拘束されている。あぁ、ほんとだ。
「声は、天龍ちゃんなんだねぇ」
龍田が不安そうな顔で言った。不安そうな顔か? 不安そうな顔だろ。う〜ん、俺がいることに不満そうな顔にも見える。で、声はおまえの声か。
「あーあー。いち、に、さん、し。自分だとよく分からんな、声は。で、阿戒、どうだ? 俺は脅威に見えるか?」
「その尻尾が動くか観たいですね。龍田、それの尻尾の拘束を解きなさい」
「……了解しました」
龍田が、若干不満そうな顔で指示に従う。無理もないさ。あんな傲慢な奴がいきなり本当の司令官だと言って現れたんだろうからな。おまえあの女のこと本当に嫌いなんだな。ああ! あれは人間の屑だ!
「解いたら離れてくださいね。危ないので」
龍田は俺の尻尾の拘束ベルトを外すと、そっと、俺から離れた。
「どう? 動く?」
くそ。従いたくはないが、仕方ない。ええと、どこに力入れたらいいんだ? 尻か? もう少し上だろ。ほら。あ。動いたな。尻尾が動き、宙をうねった。
「ふーん。じゃあ次は床を叩いてみてください。思いっきりね」
天龍、いいか、半分の力でだ。力の程を知られたくない。半分の力で叩くぞ。オーケー。床を叩くと、床に、大きな亀裂が入った! 半分の力って言ったろ!? 力加減わかんねぇんだよ!
「よろしい。あなたちょっと馬鹿になってないですか? 龍田、それの尻尾を再び拘束して」
「はい」
龍田が近付いてくる。
「天龍ちゃん、わたしあの人に従っていいのかな?」
小声で俺に尋ねた。
「従え。でないと何をされるかわからん。だそうだ」
「……わかった」
龍田が俺の尻尾を拘束する。
「明石とあきつ丸はどうなった?」
「逃げたわ」
「じゃあ龍田、あなたは下がって」
部屋の扉が開く。
「天龍ちゃん……」
「あとでな」
「……うん」
龍田が部屋の外に出る。そうか、二人は逃げたか。いや待て、なんで龍田だけ捕まったんだ? たぶんおまえを捕らえたと聞かされて二人から離脱したんだろ。なるほど。二人について逃げれば良かったものを。はは、あいつにその選択肢はねぇだろうな。だな。よし、事態はめちゃくちゃだけどよ、いい感じだぜ。なにが。目標だよ。龍田救出が第一目標だ。目先の目標があるってのは良い兆候なんだぜ。う~ん、まず俺達が捕まってるんだが。
「なあ所長さんよお、ちょっと取引したいんだけどさぁ」
「はぁ?」
「いや、取引って言い方悪いな。なんつーかさ、龍田の無事を保証して欲しいんだ。龍田も極秘を知っちまったわけだから、その、処分とか考えてんじゃないかなーと思って」
「……保証しかねます」
「そこをなんとか頼むぜ。ほらさ、こいつ、木曾のやつはさ、かなりあんたのこと嫌ってるみたいなんだけどさ、俺は別にそこまでじゃねぇから。だからこいつが暴走しそうになったら俺が抑え込んで、あんたに危害が及びそうならそれを防ぐよ。代わりに龍田の無事を保証して欲しい。どうだ?」
おまえ、案外頭使うんだな。だろ? けどどうだろうな、阿戒は人間の屑だ。
「……そういうことなら、まぁ」
ほら。う〜ん。
「別の龍田じゃないぞ。これまで俺と一緒に第二艦隊に所属してた龍田だ」
釘を刺しておいた方がいい。
「ええ。いいわ。保証しましょう。その代わり私の指示には従ってね、天龍ちゃん」
「おうよ」
はは、気に入られたな俺。いやいや、油断しない方がいいぞ。
「じゃあ早速、質問に答えてください。そこにチスイはいる?」
「いる、と思うけど、奴の声はまだ聞こえない。怒ってんのか怒ってはいないのか、どっちだろうなって木曾と話してたところだぜ」
「なるほど。ではまだ、主導権がどうなるかはわかりませんね。力も充分にあるみたいだし、拘束はしばらく解いてあげられそうにないわ」
「主導権が天龍なら拘束を解いてくれるのか?」
「あらら? 木曾ちゃん勘違いしないで? 天龍なら、なんてことはないわ。あなた方を反逆者扱いするつもりはありませんし、むしろ深海棲艦との和解? なんて可愛らしい発想なのでしょう。建設的且つ独創的で良いかと。それに私、の分身も言ったはずですよ。深海棲艦の温厚化は既に私も試したと。明石ちゃんが言った手法に加えて、みんな大好きロボトミー手術なんかもね。だから私と同じ道を辿ってくれて大変喜ばしいです」
「おまえが深海棲艦を温厚化させようとしたのはどうせ、奴等を従順なペットにするためだろ。それに俺の質問の回答にもなってないしな。いやなってるのか。主導権が俺にしろ天龍にしろ拘束を解くつもりはない。違うか?」
「ちが、いま、せん!」
「はは、今のいいな」
ガングートの声が聴こえた。どこまでもふざけてるぜ、この二人。そうだ。けどだからこそ気を付けろ。油断しそうになる。
「まぁそう、そういうことですからね、処遇決めるまでそのままでいてもらいます。でもほんと反逆罪とかに問うつもりはないのよ? 明石ちゃんに関してもね。あきつ丸くんは、知っていい以上に知っちゃってることに関してはちょっと、考えなくてはいけませんけどね」
そうか……うん、天龍、さっきの全力で床を叩いたのは、逆に良かった。そうなのか? ああ。阿戒はおそらく、粛清部隊を出すつもりでいた。あきつ丸を捕らえるために。けどさっきので、少しばかり俺達が力技で逃げ出す可能性が出てきたわけだ。今戦力を外に出すわけにはいかなくなった。考えなくてはいけないってのはそういうことだぜ。で逃げ出すなら、より強固な拘束を用意されるまでがタイムリミットだな。おお、なるほど。
「ねぇ、聞いてる?」
あ、イラだった声だ。なんか聞いてきてたらしい。頭の中で話してると注意散漫になるな。
「ん?」
「ん~、木曾ちゃん、どう逃げるか企んでますね?」
「ああ。けど全然思いつかねぇや。良かったら教えてくれ」
今のおまえの真似。は?
「ふふっ。そうね。身体をバラバラにして、排水溝から逃げてみたら?」
「もうバラバラにはなりたくねぇな」
「じゃあ諦めなさいな」
「そうだな」
うん、いける。え?
「さて、じゃあ私達はそろそろ行きましょうか。あなたの新しい名前はゆっくり考えることにするわ」
「何処に行くんだ? もうお喋りの相手はしてくれないのか?」
「ええ、申し訳ありませんけれど、私とグートスマイルは忙しいの」
マイクの切れる、プツ、という音がした。
「当てようか?」
お? 俺は何を当てるんだ? うるさい黙ってろ。
「何を?」
マイクの音が戻ってきた。
「まず人間よりも強い兵隊を造ったな。その次はそれらの大量生産だ。死んでも生き返る兵隊も作った。最後に造りたいのは死なず再生する兵隊だぜ。あの海域の調査過程で、何か発見があったんじゃないか? あの海域の深海棲艦特有の、例えばそう、他よりも高い再生能力。怪我を治す寄生体もそれ故に生まれたものかもな。もしかするとおまえのことだ、調査じゃあなく天龍に潜り込んだ寄生体の存在からその答えに行きついたのかもしれない。とすると、まるゆに成り代わって俺達についてきたのはその再生能力の根源たる、あの海域の深海棲母、チスイの細胞を得る為か。再生能力の確認の為に俺達諸共吹っ飛ばして。そうして……まんまと手に入れたわけだ、それを。だからおまえとガングートは、別室に置いてあるそのおもちゃで遊ぶのに忙しい、だろ?」
「当たりです。あとでご褒美にセブンアップあげましょうね。バイバイ」
マイクが切れた。なんだ妙にあっさりしてるな。いや、あれは割と虚を突けた反応だ。というかこれで確信を得られたわけだが、おまえいつ寄生体のことを知られた? は? 俺も知らなかったことを俺が知られたのを知ってると思うのか? 変な言い回しだな。けど確かにそれもそうか。ん、部屋の明かりが消えた。
「……」
行ったな。龍田は? 龍田もだろ。きっとどこか別の部屋に監禁されるはずだ。おまえを逃がす可能性があるからな。うん、だよな。さて……どういうプランで行くかな。プラン? 阿戒を告発する。倒す、じゃなくて? 倒せない。深海棲艦との和解も絶望的、いや、可能性はあるが、攻撃性の除去な。それでも、というか、それだと相当時間がかかる。かといって今回の件を告発したところでそれが悪意ある行為だとする証拠もない。そこでだ、捕り物劇の常套手段といこうじゃねぇか。別件逮捕だ。ほう。今俺達がいるここは、地下工場の更に下に位置する、阿戒とガングート、あとはその取り巻きしか入れない区域だ。おそらくな。俺も今まで来たことがない。侵入できなかった。けど今回はこうして、向こうから歓迎して連れてきてもらえたわけだ。ここにはいるはずだぜ、二十年前に阿戒が盗み出した、深海棲母、カースィッド・ソングが。そいつを連れ出し総司令部へ持っていけば、阿戒の企みの証拠とすることが出来る。それを隠し盗み出したという事実それ自体が。なるほど……けど、まずはこの拘束解いて、部屋から脱出しねぇとなんもできねぇんじゃねぇの? ああ、それなら心配ない。
「はぁい、司令官」
!? 誰だ!? 暗闇に知らない声が響いた。いや、暗闇だが、違う見える。深海の特性か。そんなことどうでもいい。部屋の隅の排水溝、その中に顔がある。二つの瞳が光って見える。けど待て、あんなところに人が入れるのか!? 入れるやつが一人いる。は!?
「青葉、いいタイミングだぜ」
青葉? 死んだんじゃないのか? 誰もそんなこと言ってないだろ。
「恐縮です! いえ、ずっと話は聞いていましたけどねー」
排水溝がパカッと開き、ぐねぐねと青葉が出てくる。蛇みてぇだな。うん、哺乳類の動きじゃない。青葉が立ち上がり、おかしな方向へ曲がった腕をコキコキと、関節にはめていく。
「天龍さん、もそこにいるんですよね?」
青葉が身体全体をくねらせながら近づいてくる。ちょっと怖えぇ。
「ああ、いるぜ。おまえずっと鎮守府にいたのか? よろしくな」
青葉が俺に顔を近づけ、俺の顔を、好奇心に満ちた目で覗き込んでくる。
「よろしくもなにも、私は天龍さんが来たその瞬間から、ずっと天龍さんのことを見ていましたよー、壁の間から。鎮守府外では龍驤さんが、鎮守府内では私が、監視役を務めさせていただいておりました。本当に恐縮ですけどー」
あ、そうか。着任した時感じた視線、こいつか。おまえの視線だと思ってた。ん? ほう、気配は感じられてたのか。
「拘束解いちゃっていいですー?」
「ああ、頼む」
「はーい」
青葉が俺の頭の拘束を、手の拘束を解いていく。
「ここはラボでいいんだよな?」
「そうですよー。やっと司令官も地獄の底に来れましたね」
「他の奴はどうしてる?」
「武蔵さんは近海で待機、明石さんとあきつ丸さんは潜入する機会を窺っています。本物のまるゆさんは見当たりません。おそらく工場のまるゆストック庫の中で眠らされているのだと。現在出撃中の艦はなしです」
「わかった。そしたらな、新たに作戦を開始する。まずこの部屋からの脱出を手伝ってくれ。それからカースィッド・ソングの居場所、検討はついてるんだよな?」
「はい。この階の最奥に、完全に独立した区域があります。壁も繋がっていません。おそらくそこに」
「よし。そこへ案内してくれ。いや、場所を教えてくれるだけでいい。あと上への上がり方も。で、その後はケルベロスを野に放て」
「わかりました」
ケルベロス? 加古のことか。そうだ。
「そして明石、あきつ丸と合流。状況を説明し、あきつ丸にまるゆを救出させろ。次いでおまえは可能なら龍田の救出だ。一度地上まで出てそこから再び地下へ潜る形だ」
可能なら? 見捨てる気か? いや、カースィッド・ソングを奪った後俺達で助けに行く、が、そう上手くいくかわからない。保険だ。そうか保険か。頭ん中繋がってなきゃ全然信用できねぇな。信用しろよ。
「やっと姿を現した隠し玉にいきなり随分注文を付けますね」
穴埋めをしてもらわなくちゃあいけないからな。おそらく天龍の寄生体がバレたのはおまえが目を離した隙なんだ。と言いたいところだが、こいつは調子に乗らせとかないとパフォーマンスが著しく低下する。おだてておこう。おまえの頭の中の声聞きたくねぇなぁ。
「今この瞬間この場所でおまえほど自由に動ける奴は他にいないんだ。だから今、おまえだけが持ってるスキルを最大限に活かしてほしい。その活躍が人類の行く末を変えることになる」
「人類の行く末、ですか……わかりました! 青葉にお任せを!」
よしよし。うわぁ。
「解けましたよ」
最後に尻尾の拘束が解かれた。
「助かったぜ」
足踏みしてみる。あ、裸足だ。
「奪還&告発作戦ってことですよね?」
「そうだ」
「いいですね、告発は好きです。真正面から阿戒氏の罪を暴きましょう」
「ああ」
「ではこちらに」
青葉が入口の方、ではなくその反対側の壁に近づく。
「えーと」
壁に耳を当て、コンコンとノックし始める。青葉のもう一つの特技だぜ。
「うん、ここ。ここです司令官。この辺りをその尻尾で破壊すれば、道は開かれるはずです。ちょっと薄くなってますので。大きさもぎりぎり、通れる大きさかと。隣の部屋は無人です」
「流石だな。隣の部屋を出たら、カースィッド・ソングはどっち方向だ?」
「右です。部屋を出たら右へ。奥まで行きますと大き目の実験室があります。その更に奥に独立した区域が。それと上階へのエレベーターは部屋を出て反対方向に。工場階のような複雑な構造にはなっていません」
「そうか、わかった。それじゃあ上の方は頼んだぞ。騒がしくなったらここを壊して俺も動く」
「はい」
青葉が出てきた溝の方へと戻っていく。
「それでは、また後で」
全身の関節を抜き崩れるように倒れたかと思うと、グネグネと身体を収縮させ溝の中へ潜り込んでいった。あいつにゃサーカス団の方が向いてるな。同感だ。
「浮かぶ、浮かぶよ、わたし達は~、ぷーかぷか、浮かぶ。だって、艦娘、だから~、浮かぶ」
溝の先で何か言ってるぞ。あ、聴こえなくなった。気にするな。
「……」
待つのか? 待つ。加古が暴れ出すのをな。そうか……静かだ。何も聞こえない。いや耳を澄ませると、上の方から僅かに、ゴウンゴウンという音が聴こえる。工場の音だ。そうか……なぁ木曾。ん? 俺達はもう、一生一緒なのか? うん……病める時も、健やかなる時も……やめろよ、結婚したみてぇじゃねぇか。それより酷い表現あるか? なんだそれ……たぶん、今だけだろう。何が? こうして会話できてるのは、だよ。いずれ俺達の意識は統合される。俺もおまえも、一つの存在として。自分がどっちなのかわからなくなる。きっとな。そしたら……一生一緒じゃない。いずれ俺もおまえも、一つの違う者になる。願わくば、今潜んでいるかもしれない、チスイに全てを持ってかれないことを。なるほど……普段おまえの言ってることは半分もわからないが、一つの頭になったおかげでちゃんとわかるぜ。そうだな。俺もそう思う。そう思ってるのは俺なんじゃないか? ん? 俺が思ってることをおまえが思ってると思い込んでるんじゃ? んん? 今のはどっちの言葉だ? やめろやめろ、おい木曾、遊ぶな。ふふ、はは。やべぇ、おまえ思ってたより暢気な奴だな。頭の中じゃあな。どこまで嘘吐きだよ。死が二人を分かつまで。
パチッ。音と共に電気がついた。やべぇ、どうすんだ? うん、どうするかな。おい、落ち着いてる場合じゃねぇぜ。おそらく部屋の外にモニター室がある。そこに誰かが戻ってきて、様子を見る為電気をつけた。そりゃわかってるよ。阿戒とガングートは新しいおもちゃで忙しい。他にぞろぞろ連れて歩くような奴はいない。来たのは一人か二人。ならまず阿戒に連絡するだろう。そうして阿戒は来るか? 否だ。危険があれば奴は近づかない。早急に対策を練り、別の者をここへ向かわせる。より強固な拘束具を持たせて。その間、そして拘束具を付けるまで、俺をどうやって大人しくさせる? 周りを見てみよう。あった、通気口だ。あそこから睡眠ガスが流れてくる、たぶん。じゃあ次は耳を澄ませよう……ん、音がしてきたぜ。シューって。始まったな。息止めるぞ。おう……で? 待つ。え? 上が騒がしくなるのを待つ。待つだけ? 限界まで来たら壁を壊す。深海の身体だ。しばらく無呼吸でいけるだろ。そうか。そう願うぜ。
「……」
何分くらいもつと思う? 知るか。
「本当に困った人ですね」
声だ。阿戒じゃないな。古鷹だ。古鷹だったか、来たのは。なら一人の可能性が高い。ということは、拘束具を取りに行くのは、うん、霞と満潮かな。
「息止めてますね? 無駄ですよ。仮に眠ったふりをしたとしても、しばらくは流し続けます」
容赦ねぇぜ。日頃の行いかな。自分で言うんだ? 思っただけさ。さて、息は続く。そしたら、壁を壊してこの部屋から出た後だが。拘束具はどっちにあるかな。出口方向か、カースィッド・ソングの方か。いや、考えてもわかんらんな。けどカースイッド・ソング側にあるとすれば、うん、霞と満潮の二人と鉢合わせることになる。そして背後には古鷹。挟み撃ちにされるな。それを想定して、どう動くか……おまえ色々考えんだな。おまえも少しは考えろ。いや、考えないでいい。混線する。そうだぜ。
「どうしてそう、あなたは阿戒様に反抗するのでしょうね。阿戒様はあなたを信頼しているからこそ、提督という地位につけていたのですよ?」
「それは違うな」
「違いません」
「阿戒の辞書に信頼なんて言葉はないぜ。それに相手が相手なら、信頼されてるから裏切っちゃいけないなんて道理もないしな」
「木曾さんは本当に、達者な口を得る代わりに人の話を聞く耳を犠牲にしてしまったのではないかと疑います。ですが天龍さん、あなたにはわかるはず。いえ分からずとも、今一度考えてみてください。真の正しさはどちらにあるか。人類の未来はどちらにあるか」
「頭の中いじっちゃダメだろ」
「悪事を防ぐ為です。人同士争うこと、人が人を道具のように使い捨てること、それを防ぐ為には、十分に管理された平等な社会が必要なのです。規則や法律と一緒ですよ。ですがただ定められただけのそれらは不完全なのです。必ず守られるものでなければ完全に機能しているとは言えません」
「しかしその規則や平等は、阿戒の価値観で決めるわけだろ?」
「初めはそうせざるを得ません。一人であれ一部の代表集団であれ、同じことです。AIでもです。ですのでまずは完全なる平等を目指さなければなりません。完全なる平等の上で選ばれた代表者こそが、人類の総意を体現することができるでしょう」
「まず初めに阿戒ありき、そこが問題なんだけどな。あいつはいったいどれだけの法を破りどれだけの人間を道具として扱ってきた?」
「阿戒様は御自分が最後の悪人になると言っています。人類における悪は御自分で終わらせると。御自分は最後の必要悪だと」
「必要悪じゃあなくてダブルスタンダードって言うんだぜ、それは」
「違います。結果とそこに至るまでの過程で相反するものが存在することをそのようには言いません。ある種の破壊と創造が種と文明を発展させてきたのですから」
「まるで阿戒はシヴァ神だとでも言いたげだな。本当に何か、破壊するつもりなんじゃないか?」
「……」
まさか。まさか?……今の古鷹の口振りさ。阿戒はもしかして、もっと積極的に……ただウィルス攻撃を待つだけってわけでもないのかもしれない。つまり、自分からウィルスを撒くつもりなんじゃないかって? それは……わからないが。
「変化と破壊は、単なる言い換えに過ぎませんよ。それに生存の為にも、人類は環人類として、次なる段階へと進まなければならないのです。でなければ、ええ、その事実を知る者は多くありませんが、この星の真の支配種たる深海棲艦に、人類は滅ぼされてしまいます。この戦いは人類史において初めて、上位種を相手取った戦いなのですから。自然の理に反して勝利を得る為には、精神的にも肉体的にも人類は次の」
ドーーンと、何か天井の先から爆発音が聞こえてきた。加古が暴れ出したみたいだな。
「なんですか今の音は」
「さあな。深海棲艦の襲撃じゃないか?」
「深海棲艦の襲撃ではないということですね。まったく次から次と」
ドーーン! また音がし、部屋が揺れた。辺りに警報音が鳴りだす。工場壊してるのか? そうだ。おいおい、艦娘造れなくなったらまずいだろ。工場は別の場所にもある。それにこれで、粛清部隊は加古鎮圧に向かったはずだ。ガングートは緊急時阿戒からは決して離れない。残るは古鷹と霞満潮。となると、うん、いけるだろ。ここに赤城が加わると絶望的だったんだ。だから……だから先に始末しておいた、か。やっぱクソだなおまえ。いやこのことはちゃんと説明しただろ。そうだけどこの状況で、クケケ、計画通りだぜ、みたいに考えてるところがクソだぜ。しょうがないだろ考えちゃうんだから。阿戒がおまえを提督に就かせたのはそういうところを買ってだな。なんか俺みたいに指摘するのやめろよ。げっ、もしかして俺の部分もおまえみたいになってきてるってことか? 嫌だな。ああうるさい、壁壊すぞ。いや待て、壁を壊そう。はいはい。
「こうなってしまうと明石さんも含め、皆さん反逆者として対処せざるを得ませんね」
「明石が関係してるのか?」
尻尾に力を入れる。尻尾だぞ? ケツに力入れて漏らすなよ? おいやめろ、笑う。いやマジだぜ。
「まだとぼけますか。しかしすぐにわかります。ビスマルクさん達がすぐに……ちょっと、何を」
尻尾をうねらせ、太い鞭みたいな感じだ、イメージしろ。おう。スナップ効かせてぶち壊せ!
「オラァ!」
空を揺らし、尻尾が派手に音を立て、壁を叩き壊した!
「ああ!」
「古鷹、世話になったな!」
と言っておく。よし、通れるぜ。飛び込もう。
「あばよ!」
隣の部屋へ飛び込む。後方から古鷹が何か言う声が聞こえた。なんでもいいさ。部屋は青葉が言った通り空だ。扉へ向かい、うん、鍵はされてない。外へ出た。赤褐色の通路。警報音がうるせえ。右だな。いや左だ。は? いいから左! 左へ走る! ああ木曾、俺の身体引っ張んな! 通路沿いの扉が開き、古鷹が出てきた、っところをドーン! おわ! 俺の右足が古鷹を部屋の中へ蹴り飛ばし戻した! 見たか今の驚いた表情! いかにも逃げ去りそうな台詞吐いといて自分の方へ向かってくるとは思わないぜ。古鷹大丈夫か!? 部屋の中、モニター室だ。古鷹が倒れ気絶している。死んでねぇよな? 艦娘がそう簡単に死ぬか。あ、そうだ。古鷹の腕貰っとくか。は!? おまえ欲しかったんだろ? いやいやいや悪ぃよ! 悪ぃよっておまえ、面白いな。古鷹に近づき、確かこれだ、赤いボタンを押す。すると巨腕の隙間から空気が噴き出し、古鷹の腕が抜けた。うお、やっぱ結構重いな。接合部分は筒のように空いている。古鷹怒るだろこれ。だろうな。けどこれは役に立つ。上手く深海棲母を奪還したとして、どうやってこの階から出る? エレベーターだろ? そのエレベーターに鍵がかかってるのさ。鍵はいくつかあるが、この古鷹の腕もその一つ。これがあれば上へ戻れる。ついでに古鷹が目覚めても安心だしな。なるほど。で、これを? 腕か尻尾につけよう。うまく嵌まるのか? やってみなけりゃわからん。そうだな。腕か? 尻尾にしよう。腕に嵌めたら邪魔だろ。尻尾で操作できるのかよ。深海の奴等はできてる。それもそうだな。古鷹の巨腕を、尻尾にはめてみる……痛っ! おいなんか刺さったぞ!? うあっ! ピリピリ来てる! なんだなんだ! 電気か!? うるさいな。いやこれ大丈夫なのかよ!? 尻尾痙攣してるぞ!? 機械体にはよくあることだぜ。なんだその経験あるみたいな言い方。あ、経験あるのか。そうだよ……ほら、落ち着いてきたぜ。試しに壁撃ってみるか。おお撃てるのか? ええと、う~ん……わかんねぇな。おい! はは。まぁいいじゃねぇか。そのうちわかるさ。さあ、お宝を奪いに行こう。案外適当だな。
モニター室を出、今度は通路を逆方向へ。ぼんやりとした赤い照明に照らされた、赤褐色の通路を走る。慎重に、でも急げ。気味悪ぃ。うん、悪趣味だ。左右の扉は全部監禁部屋だろうか。監禁部屋兼実験室だな。見覚えがある。え? いつかわからねぇけど、見覚えあんだよ……そうかもな。一度連れて来られて、それで、寄生体を調べられたか。曲がり角だ。気を付けろ。おう。角を曲がる。戻れ! 角手前に引き返し身を隠すと、前方を弾丸の嵐が襲った! いた、見たな? おまえが見たんだから俺も見てるぜ。その通りだ。霞と満潮だ。二人が曲がり角の先にいた。あいつら拘束具取りに行ったんじゃ? 二人の背後にあったぜ、黒い、でかい箱がさ。あれがきっとそうだ。撃ってきたのは霞か? ああ。機関銃だ。満潮の方は火炎放射器を持ってた。どうする? 今背後から攻めて来られるとまずい。突破するしかないぜ。でもどうやって?
「くそ! あんたが外したから出てこないじゃない!」
「しょうがないでしょ! 警報機がうるさくて足音ちゃんと聞こえなかったのよ!」
「私はちゃんと聞こえてたわ!」
「はあ!? あんた棒立ちだったくせに!」
「火炎放射器の間合いじゃなかったからよ!」
「そもそもなんで火炎放射器!?」
「あんたがハチノスにして私が焼いてグートにホルモン焼肉お待ちどうさまぁって持ってったら絶対ウケると思っ」
「頭沸いてんじゃないの?」
「ぶっ殺すわ! あいつらの後にね!」
「あちょ、何すんのよ!」
「機関銃貸しなさい!」
「やだ、やだあ! これは私の、ちょっと掴まないで!」
「あんたじゃどうせ当てられないんだかっら!」
「やめ、ほんと止めなさいよね! ちょ、離して!」
「このおおお!」
うん、今だ。うん。角から飛び出る。二人が俺の方を向く。油断するな、あの二人はあれで赤城や龍田の同期だ。へっ! 関係ねぇ! 地を蹴り壁を蹴り、俺は二人に殴りかかった。
第26話あとがきです。
チスイの名前は漢字にすると、治水、もしくは持衰。持衰はジサイとも。この持衰という言葉は魏志倭人伝に出てきます。簡単に言えば船旅で安全祈願の為にその身を捧げた者のこと。海で死んだ者はその身が家族の元に帰らず、充分な供養もされないために生への未練が強く、生き返りたいという想いから生者の血を求め船を襲うと考えられていました。即ち「血吸い」です。この「血吸い」を退ける為、同類であると示すために持衰は「血吸い」を模した格好をしました。喪服がそれです。衰という字には喪服という意味があり、持衰は喪服を着ていたことも意味しています。そして肌も死者を真似て可能な限り白く。白い肌に黒い服。資料等では男性がその役を務めたと思わせるものが残っていますが、生者の証である血を見せてはいけないというところから、初経前の女性であったという風にも考えられます。とすると、つまりこれが、艦娘適性、深海棲艦の遺伝子には女の子供が適応しやすい、元々そう言った遺伝子を取り込んでいたから、という根拠になるわけです。このお話ではそういう設定です。持衰はそして、船旅が上手くいかないと神への捧げものとして海に流されました。神に、死者達を鎮めて貰うために。薬餅は麻酔代わりです。そしてこの段階で血を隠すのは、穢れを隠す為。悲劇ですね。
さてあと、ハヤブサ。これは特撮ヒーローの海底人8823のことです。主題歌の「波をけたてて海を行く」のあたりは正に艦娘風味かと。それでこの、天龍ちゃんが椿三十郎を観たり木曾が海底人8823を見ていた1960年代前半というのは、第二次世界大戦の戦災孤児達が社会人として仕事に付き終える当たりの頃でした。現実ではそれで孤児院等への支援費が削られるということはほとんどなかったかと思いますが、深海棲艦の脅威の真っただ中にある世界ではまだまだ軍事費に多くの資金が割かれていたのです。深海棲艦の脅威によって孤児となった子供達、深災孤児達の多くは路頭に迷うことになったのです。
また長いあとがきになってしまった。でもあと青葉について少しだけ。ITのパロディをしながら現れた青葉ですが、実は始めからいました。そして天龍ちゃんの監視を。ただ天龍ちゃん歓迎会の時だけは、食堂の壁の中で、監視よりもお酒に夢中になっていたわけで……見逃してしまったわけです。
さて次回、阿戒陣営との直接対決が幕を開けます。果たして深海棲母の強奪は成功となるのか。鎮守府から脱出することはできるのか。続きます。一週間後に