「まったくよ、この町は、時間が止まってんのさ」
酒を啜り……畳の綻びをいじくる。あたしは、なんだってさ、こんなボロ居酒屋にいるんだか。
「おいやめないか。うちの店これ以上ボロにせんでくれ」
店主のおっさんが、すぐ側の厨房、とも言えないような、カウンター席に囲まれた区画から身体を乗り出して言ってきた。
「あぁ、ごめん。綺麗にしてやろうと思ってさ」
「バカ言ってんなよ」
「バカなんて人に言うもんじゃないぜ」
「純子ちゃん何歳?」
「二十一」
「嘘つけや」
「あぁ、青春が恋しいや」
低い裸電球を仰ぐ……ほんと、狭い店だ。畳席ってより、玄関の段上に畳を敷いたような席だし、そこ含めて八人も座れやしない……まぁ、この店に八人もお客が入ることなんてないけどさ。今もあたし以外いやしない。
「はぁ。この町の終わりが見えるぜ」
「まーた言ってら。不満なら都心の方へ行きゃいいだろ」
「……行ったよ。けどね……奴等だ。全部奴等さ。海町生まれの奴ぁ雇いたかないってよ。住まわせんのもごめんだと」
「言われたのか?」
「顔に書いてあってね。聞く耳なし芳一さんだよ。顔中体中に書いてあるもんだから、あたしみたいのは近づけないや」
酒を舐め……ああ何だこの酒は、しかし。辛うじて酒だってわかるようなもんだ。よく客にこんなもん出すぜ。
「気の毒だったね」
擦れた視界。おっさんの顔はよく見えないが、たぶんお気の毒に、といったような所謂そんな顔をしてるんだろう。実際言ったしね。けど「お気の毒」か。
「……は……ははは」
「おいおい、本当そう思ったんだよ。悪く取らないでくれ」
「いや……いやいや、そうじゃなくてさ。正にそれなのよ。気の毒だ。ちゃんと親父だって、おかしな魚は間引いてるよ。売ってんのも食ってんのもちゃんと魚の形してんのだけ。毒なんてありゃしない。あたしがぴんぴんしてんのがその証拠。なのに毒に侵されてるだ、触るとうつるだ……気の、毒、ってのは、まさにそれだと思ってね」
「……ひでぇ話だ」
「つまみに魚出してくれよ」
「……」
「ん?」
「……あぁ、いや、今日は仕入れてなくてさ」
「はっ! いいよいいよ。分かってんだ。ごめんね。いい年した大人からかいたくなっちゃったんだ」
「……ごめんな」
「いいよ……けどね、どうすっかな」
使い道のない割り箸でグラスを叩く。チーンチン、チン。なんとも寂しい音が鳴る。
「純子ちゃんよ、とりあえずこの町にいれば、あんたを嫁にしたいって奴ぁわんさかいるぜ?」
「美人だからね」
「お、おう」
「いーやいや、冗談だぜ」
「冗談じゃないよ」
「そう、冗談じゃないよ、だ。こんな町にいたかない。だからなんで、こんなボロ居酒屋にいるんだって、あたしは考えてたんだね」
酒を啜る。不味くは、ない。酒だもの。アルコールが入ってりゃいいんだ。しかしこれは旨くはない。
「今日のところは帰って、ゆっくり寝て考えなよ」
「帰るね~」
壁に背をもたれ、大きく欠伸をしてやった。こうすると店としちゃ、そのまま寝ちまわれるんじゃないかと心配になる。
「もう……帰らないと決めて、家を出たんだ……なのになんで、あたしはこの町に戻ってきてんだよ」
「親父さんが恋しくなったからだろ?」
「はっ。恋しくなったとしてもさ、親父の隠し酒くらいだね」
くせっ毛を、掻きむしる。あぁ、どうしようもなかった。
「時期がまだよくないんだよ。時期と、それと深海棲艦がさ」
「あいつらさえいなけりゃ」
「そう。そんでもって、もう少しの辛抱だ。艦娘さん達、随分活躍してるらしいよ」
「艦娘ねぇ」
「そう。あんな小さな女の子達に戦わせて、正直男としては情けない限りだけどね。けどもなかなか、実際見た奴の話じゃ、情けないなんて思うのが失礼なくらい強いらしいや」
「……特殊な訓練でもやるんかね?」
「さぁ。ただちょっとやそっとの力自慢じゃ持ち上げられないようなもんも軽々持ち上げちまうらしい」
「ふ~ん」
「まぁ、それなりのね、訓練やらはするんだろうよ。命懸けなんだから」
「ふむ」
目を瞑り……考えてみた。いや、考えるふりをしてみたってところが本当のところかな。あたしの頭は考えるのをもう面倒がってたし、考えてもしょうがないことってのは大抵わかってたからね。まぁ……いっそそれもいいのかもしれない、そう思ったんだ。
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その後隼鷹となったあたしは、その時、実は酒が入ってない時でさえほとんど物の輪郭しか見えなくなっていた。原因は今ではもうわからない。隼鷹となり、あたしは正常な視力を取り戻した。