「ぐあっ!」
布団から飛び起きると、どこだここ、いや、救護室か。
「天ゆーひゃんダメよぉ~……」
布団の中で龍田が寝ている、裸で……うあっ、俺も裸だっ。えっ、なにこれ。
「おい龍田」
龍田の身体を揺する。
「んゃゆひゃん~」
龍田が寝言を言いながら覆い被さってきた。うわ酒臭っ。
「おい起きろよ。いや離れろよ。何がどうなってんだ」
辺りを見渡すと、俺の服と龍田の服が畳んで置かれていた。ええと……歓迎会で牡蠣食ってて、トイレに行ったんだっけ。で、熊野が来て……あれは本当に深海の肉だったんだ。それから……ダメだ、それ以上思い出せねぇ。つか頭いてぇ。
「やっちまったのか?……いやいや、ないよな」
龍田を見る。うん、ただの酔っぱらいだ。窓の外は……カーテンがしてあるが、光が漏れている。もう朝みたいだ。龍田をどかし、布団から出、服を着る。
「龍田、風邪引くぞ」
「……いひょふあのねぇ~」
ダメだ。ちょっと風にでもあたってくるか。龍田を残し、俺は救護室を出た。
.
時刻は午前六時頃。空は青白く、ひんやりとした吐息のような風がそよいでいた。庁舎を離れ、桟橋へ向かう。するとそこには、翡翠色の髪の先客がいた。桟橋の端に座っている。
「よう」
俺の声に、鈴谷が振り向く。しまった。今は朝だ。つまり。
「あなた、誰?」
記憶がリセットされてる。
「ああ、その、新しく来た天龍だ。第二の旗艦になったから」
「あははは、ジョーダン! リセットしてないよ、まだ寝てないから」
「な、そうか。ん~、隣座るぞ」
「いらっしゃーい」
鈴谷の隣に腰を下ろす。そういえばまだ、鈴谷とはゆっくり話したことがない。
「何してたんだ?」
「ん~? 天龍っちは何しに来たの~?」
「え? いや、別に。ちょっと頭が痛くてさ。海風に当たろうかと思って」
鈴谷がにたっと笑う。
「二日酔いか」
「ちげーよ。酔ってねぇし」
「ええ~? ほんと~?」
「ほんとほんと!」
「あははは。天龍っち面白いねー」
「いや本当だから。信じてねぇだろ」
「ん~、まぁそういうことにしとこっか」
ポチャンッ。水面で何かが跳ねた。二人して音の方を注視する……ただの魚みたいだ。
「魚、結構いるよな、この辺。釣りもするって言ってたし」
「だね~。天龍っちが前いた鎮守府は?」
「全然。けっこう、深海に攻め込まれてたからな」
「へ~。結構最前線だったわけ?」
「っていうより落ち目っつーか。俺がいなくなってどーなってることやら」
「心配な感じ?」
「まぁ、少しは。いや、鎮守府自体はどうでもいいんだけどな。前の仲間が……」
あれ?
「あー、なるほど。提督とのいざこざで追っ払われた感じか」
「そんなんじゃ……」
あれ、仲間のことが……いや、仲間のことは思い出せる。ただ、最後に会ったの、いつだ? ここに来る前に、何人かと挨拶はした、けど……。
「いいっていいってー。ここにいる子なんて皆そんなもんなんだからさ。わたしは障害っちゃったからだけどー」
「うん……」
俺は、提督を半殺しにしたから、あそこから追い払われた……それは間違いない。けど、理由が……理由が思い出せない。
「天龍っち? 大丈夫?」
「ああ……ちょっとな」
「吐きそ?」
「いや、大丈夫。つか、おまえも眠れてないって言ってなかったか?」
「え? あー、違うよ。わたしは二日酔いじゃなくて……昨日楽しかったからさ、寝て忘れちゃうのがもったいなくて」
鈴谷が目を閉じて笑う。
「ああ……大変だよな」
「周りがね、わたしは気楽なもんだよ。嫌なことあっても次の日には忘れちゃうんだから。今のこの気持ちもね。困ったもんだ」
「……眠らないで済めばいいんだけどな」
「あははは。やっぱり天龍っちは面白い! 天龍っちってば旗艦じゃん。メンバーが睡眠不足でフラフラしてたらまずいっしょ」
「まぁ、確かに」
「あはは。いいのいいの。ほら、天龍っちが片目不自由なのと同じようなもんだし」
「そうか……」
「そうそう。それに、もしかしたら明日こそ、全部バッチリ覚えてるかもしれないしね。深海のお肉は万能薬なんだから」
えっ?
「あ……知ってたんだな、あの肉のこと」
「まぁね。てか、勘づいてたって感じ? あでも、熊野には言わないでおいてね。今のままでいいから。今のままがいいから」
「……わかった。まぁ、余計な事は言わねぇよ」
「よっろしく~」
鈴谷はたぶん、俺が出会った中で一番前向きな奴だ。俺達はしばらく他愛もない会話を繰り返し、食堂へ向かった。鈴谷との距離が近づいた気がしたが、しかし、鈴谷は寝たら忘れてしまうのだろう。それってけっこう、あれだよな。本人の中では孤独。周りがいくら親しくなろうと、本人は、毎朝孤独と共に目を覚ます。いや……熊野がいるか。なら尚更……いや、言わないでおこう、鈴谷が肉の正体に気付いていることは。きっと言わない方がいいんだ。バカな俺の頭じゃわからないが、鈴谷を信用することにした。
.
食堂で龍田に囁かれた。「昨日は良かったよぉ~」だ。耳元で。マジか。やっちまったのか。全然覚えてねーぞ。いやいや、龍田のことだ、俺をからかってるだけの可能性の方が高い。つーか、あいつスキンシップが過剰すぎないか。俺の布団で寝たり、おはようのキスしてきたり、裸で添い寝してきたり。最後のは一線超えてるだろ、普通に考えて。姉妹艦ですぐにお互いを認識できたとはいえ、実際には会ってまだ数日だ。ちょっと普通じゃない。
「提督ー、入るぞー」
そんなことを考えながら、俺は提督執務室の扉を叩いた。正確には叩かずに扉を開けた、だけどな。
「あれ」
誰もいない。木曾提督はお留守のようだ。武蔵のところか? よし、ちゃんと仕事してるか見てやろう。
「入るぜー」
執務室の上質な絨毯を踏み、執務机へ向かう。執務机には、何枚もの書類が山積みにされていた。へ~、ちゃんと提督業やってるんだな。どれどれ……ん? なんだこれ、読めねぇぞ。全部こりゃ、ロシア語だ。木曾が書いた字までロシア語だし。何書いてあんだかまるでわからん。どうしてロシア語なんだ?
「天龍さん、無断入室は控えていただけないでしょうか」
声に執務室の入口を見ると、扉の横に古鷹が立っていた。
「おーわりぃわりぃ。木曾提督に用があるんだけどさ、知らないか?」
「提督は今、赤城さんのところへ行っています。報告でしたら、私がお伝えしましょうか?」
「いや、報告じゃないんだ。赤城さんのとこに行ってみるよ」
古鷹の横を通り、部屋から出る。改めて古鷹の右腕を見ると、かなり迫力のある義手だ。なんつーか、破壊に特化した形状をしている。
「そういや古鷹、所属は第何艦隊なんだ?」
振り返り尋ねると、二色の瞳が俺を映した。
「私ですか? 私は、どの艦隊にも所属していませんよ。秘書艦ですから」
「ふ~ん。そういうもんか」
「はい」
お茶汲み係にしとくにゃもったいない右腕だけどな。(訳:俺もあんな右腕が欲しい)
「いつか見せてくれよ、それぶっぱなすところ」
「この腕ですか? いいですよ。では今度」
「おお! ほじゃなー」
古鷹に手を振る。俺の姿が見えなくなるまで、古鷹はじっと俺の姿を目で追っていた。
.
牢獄部屋の鉄扉が開いていた。木曾提督はまだ中にいるらしい。声が聴こえる。扉の隙間に近づき、ちょっと、耳を澄ましてみる。盗み聞きじゃあない。目的がないからな。
「やはりそうですか。食料の消費を抑えられればと思ったのですが……」
「心配するな。それに関しては、ここでは全く問題ない」
「はい……ただ本当に、今のところあの薬草茶で副作用は感じないものですから……ですがとてもよく効きまして」
「そうか。まぁ……じゃあ、検討はしておくよ。明石に聞いてみてな。俺はあまり詳しくない。けど薬も過ぎれば毒となるって言うからな」
「はい。ありがとうございます。お手数おかけして、申し訳ございません」
「いいさ。手間でもないし」
「助かります……ところで、木曾さん。古鷹さんは?」
「先に執務室に戻ってる、はずだ。どうかしたか?」
「いえ……ちょっと、妙なことを尋ねても良いでしょうか?」
「うん? ああ、言ってみろ」
「その、古鷹さんは、本当に木曾さんの秘書艦なのですか?」
「……本当に妙なことを言うな。誰かに、何か言われたのか?」
「いえ。ただ、彼女の持つ空気……わたし、この場所からではほとんど相手の姿が見えないので、相手の持つそれぞれの空気というか、雰囲気を、感じるのですけれど……古鷹さんはとても真面目で良い方です。ただ、どこか……この鎮守府では異質、そんな空気を、感じるもので」
「そうか。確かに奴は少々異質かもな。誰にも心を開こうとしないんだ。いや、そんな奴があと二人ほどいるが、そいつらとは違う意味で」
「いえ、その……いえ、ふふ、忘れてください。ここにいると妙な考えばかりが浮かんできてしまうのです」
「その妙な考えが俺達の助けになることも少なくない」
「また木曾さんは、私といると適当なことばかりをおっしゃいますね、うふふ」
「適当じゃないさ。俺は冗談は言わないし、嘘も言わない」
「本当ですか?」
「ああ」
ギイィィィ。あ、寄りかかり過ぎた。
「天龍、今日はいくつ罪を重ねた?」
「あはは。よく誰かまでわかるな」
言いながら牢獄室へ入る。
「おはようございます、天龍さん」
牢獄の中から赤城さんの声がした。
「おはよーさん。ちょっと提督さんに用があってな」
「二日酔いはいいのか?」
「なってねぇし。つか、提督さんよ、ひでぇじゃねぇか。何が、ちょっとくらい飲めるだろ、だ」
「用ってそれか?」
「いや、違うけど」
「ならなんだ」
「んあ、ん、あ、二日酔いじゃあないんだけどな、ちょっと海上の空気を吸って体内を浄化したいんだ」
「近海の偵察がしたいと」
「そう」
「ふむ……いいぞ、許可する」
「おお、さっすが木曾提督!」
「ただし単独行動はダメだ。最低二人で出撃してもらうのがここでのルールだからな。龍驤を連れていけ」
「了解」
「それと、島の反対側には回らないように。行きも帰りもだ」
「ああってるよ~。そんじゃ行ってくるぜ」
木曾提督に背を向け手を振る。
「明日の朝までには帰ってこいよ」
「いやいや、夕飯までには帰るくらいの予定だぜ。じゃなー、赤城さんも」
「お気を付けていってらっしゃい」
「おう!」
俺は牢獄部屋を後にし、龍驤を呼びに行った。
.
「んーっ! 毒が抜けていく感じだぜー!」
潮風と海面を切りながら、両腕を高く伸ばす。深呼吸する。アルコールが抜けていく。
「元気やなー」
少し後ろで龍驤が灰色の煙を引きながら呟いた。
「おまえ二日酔いか?」
「ちゃうよ。うちは、そんな飲んでへんし」
「そうなのか。おまえは酒より煙草か」
「……そんなとこやな」
「今日はあの緑色のやつじゃないのか?」
「あれ、切らしてしもてん……入荷待ちや」
口をすぼめ、悲しそうだ。
「ふーん。美味いのか? あの緑のやつ」
「美味いっちゅーかぁ、あれがあったらもう、なぁんにもいらへんねんほんま。食べたいこともあらへんし、飲みたいことなんてあらへんもんなぁ」
「なんかヤバそうだな」
「ヤバいでぇ、実際……耐性ない子は、吸ったらアカンわ」
大丈夫かこいつ。なんだか今日は目が虚ろだ。隼鷹ほどじゃないが。
「なあ、おまえはここに来て古いのか?」
「あ? 忘れたわ。もうずーーっと、こんな場所にいる気もするし」
龍驤はそう言って遠い空を見つめる。
「いや、誰より先に来たとかさ。第二で一番古いのは誰かわかるか?」
「あー、そゆこと。隼鷹やな。その前に五十鈴もおったけど。隼鷹の次がうち。それから青葉。そん次龍田が来てぇ、鬼怒。ほんで熊野と鈴谷、でキミ」
「五十鈴の名前は聞いたけど、青葉と鬼怒って奴もいたのか」
「すぐおらんくなってしもたけどな。青葉は出撃やのうて、ある日突然行方不明に。鬼怒は持病が悪化して陸上がりに。どっちももう生きてるか死んでるかもわからへん」
「おいおい」
突然の失踪に、陸上がり。どっちも珍しい話じゃない。前者は大抵、息抜きに単艦で海に出た艦娘が深海棲艦に出くわして轟沈ってやつだ。妨害電波を出すヲ級が関わってる場合が多いが、なんにせよ、自分の力量を知らねぇとそうなる。後者は、いわゆる引退だ。木曾提督のように四肢を失くしたり、臆病風に心をやられて戦えなくなっちまった奴は陸での仕事に就く。うん……確かにそうして陸での仕事に就いた奴の話は、何度か聞いたことがある。けど実際、そいつらに再会したって話はほとんど聞いたことがない。木曾提督はもしかしたらそれに該当するのかもしれねぇが、例外的過ぎるな。怪しいもんだぜ。
「じゃあ……五十鈴は、今は何してるんだ?」
「そな、言わんでもわかるやろ。戦死したわ」
「ああ、やっぱり……」
だと思ってたが、熊野の話は鈴谷にショックを与えないための嘘だったか。
「レ級と刺し違えてな。立派やったで。あれ逃してたらうちの鎮守府あかんかったかもしれへん」
「レ級な。噂には聞いたことあるぜ。駆逐艦みたいな見た目で、けどそこらの戦艦より相当強いって」
「相当どころやないわ。鬼レベルやで。今出くわしたら大破して逃げ切れるか逃げきれないかや」
「そう相手さん持ち上げられるとよぉ、やり合ってみたくなるぜ」
「死にたがりさんかいな」
「なわけあるか! 俺はまだ真の実力をここでは見せちゃあいない。それに俺等は強い敵と戦ってなんぼじゃねーか」
「はぁ。そのわりに、早速潜水に沈められそうになってたようなぁ」
「いや普通に刀で突き刺すところだったから! 龍田の薙刀がなくてもだな……つか、見てたのかよ」
「……まあ。そんなことよりこれ、どっち向かってるの?」
「どっちって、適当だぜ」
「適当かいな」
「逆に聞くけどさ、いないのか? 敵さんはよお」
「さっきいたけど」
「おい! 言えよ! 行こうぜ!」
「管轄外の方や。しかも軽巡棲鬼やで? アカンわ。うちら二人じゃ荷が重い」
「いけるいける!」
「あんなぁ……軽巡棲鬼知らんやろ?」
「知ってるって。あの脚がない奴だろ?」
「……知っとるんか。わかった。じゃあ護衛艦なかったらな? いたら気付かれる前に撤退や」
「龍驤よー、俺のこと舐めてんだろ」
「別に舐めてへんけど」
「いーや舐めてるね。まぁ見てろって、見直すから。な! ほら行くぜ!」
「けったいな仕事引き受けてまったわ……そっちやないよー」
その後、龍驤の案内で敵を追ったが……発見には至らなかった。龍驤の奴、わざと敵を逃がしたんじゃないかとも思ったが、それは憶測の域を出ない。結局俺達は手ぶらで鎮守府へ戻ることになった。
第8話あとがきです。
艦娘の退役後の行き先についての二次創作、とても好きでして、まぁでも大抵、悲惨な末路なのです。いや、私達がそういうのを好んで読んでるだけか。ともかく退役した艦娘がどうなるか、どんな生活を送るかというのは、各艦娘の性格よりはむしろ、その世界観の中での社会状況と艦娘が人間であるか否かの設定の方が強く影響するんじゃあないだろうか。
龍驤のセリフの一部は映画「夜霧の決闘」より。
さて次回、明石さんが天龍ちゃんをメンテナンスするお話です。戦場から戻るとき、艦娘に必要なのは自身が築いた記憶だけ。握り締めた手を開くまで、帰還の真偽は定まらない。