明けましておめでとうございます。今年もじわじわと更新してまいります。
フィリーネ・オルフの挑戦4
書いた話を面白いと言ってもらえて嬉しかった。
多くの人に読んでもらえて嬉しかった。
友達だと言ってもらえて嬉しかった。
でもそれらは自分ではなく、フィリーネ・オルフの功績だ。
オーベルシュタインは何が変わったわけでもない。
ずっとずっと変わっていない。
嫌われ者のオーベルシュタインのままだ。
変わりたいとは思っていない。
参謀として自身の在り方が間違っているとも思わない。
では何故こんなに苦しいのか。
何も予想外なことなど起きていないのに。
当たり前のことがあっただけなのに。
どうということはないはずなのに。
「・・・・・・・・・・・・」
機械的に地上車を手配し、書斎の机に突っ伏してぼんやりとする。
磨かれた黒檀はひんやりとして冷たく、痛いほどだった。
照明をつけない部屋は真っ暗だったが、そこに浮かぶのは初めて出来たと思った仲間の顔だ。
ひとりは友達だと言ってくれた。
あんなに嬉しかったのに、今は顔を見るのが怖い。
怖い?
そう怖い。
オーベルシュタインは公私をはっきりと分ける。
そして公を優先する。
国家のためならば、自身が生まれる前から仕えてくれている執事夫妻も自身すらも贄としてくべるだろう。
だがここ最近、その境界が揺らいでしまったように感じる。
たとえ必要があったとしても、自分を心配し食事を共にしてくれた彼らを殺す自信がないのだ。
以前なら躊躇なくサイン出来たことが出来なくなっているように思える。
距離を置こう。
漠然とそう結論を出す。
今までが異常だったのだ。
こんなに人が近くにいてくれたことがなかったから、勘違いしてしまった。
きっと今ならまだ修正がきく。
彼らはオーベルシュタインの仮面に惹かれて集まっただけ。
自分が好かれたわけではないことを忘れるな。
ため息をついて顔をあげると、今まで気づかなかったが断続的に扉がノックされていた。
「おい、オーベルシュタイン開けろ。何がどうした?説明しろ」
ここ数ヶ月ですっかり聞き慣れた声が、何やら不機嫌そうに唸っている。
オーベルシュタインは無意識に息をひそめた。
かつて父から隠れたように、ぎゅっと身を固くする。
きっとすぐに諦めていなくなるに違いない。
心臓が耳にあるように拍動がうるさかった。
急に言い知れぬ不安に襲われ、電気もつけずにいつも使っている文章入力用端末を起動する。
頬を何か伝ったが、確かめようとは思わなかった。
二時間後、ロイエンタールが食堂に戻って来た時、残っていたのはここで見慣れたふたりだけだった。
「・・・他は?」
「帰らせた。正直全く納得してなかったが」
「だろうな」
どこか疲れた様子のビッテンフェルトの言葉に、ロイエンタールはさらに疲れた様子でため息をつく。
ここまで長時間声を出し続けた経験は覚えがなく、思った以上に疲労していた。
「・・・奴としたことがよほど余裕がなかったと見える」
オーベルシュタインが放った繕い事は雑過ぎて誰も納得するはずはない。
もっと上手い言い方がいくらでもあっただろうに、平時ならば当然のことに気が回らないほど、オーベルシュタインは動揺していたのだろう。
たらふく御馳走を食べさせられただけで帰らされた面々は皆真実を察しているに違いない。
フィリーネ・オルフとオーベルシュタインは同一人物。
信じられなかろうがなんだろうがこれは事実である。
しかし大抵の人間が受け入れ難いことはわかっていた。
上位階級ふたりにまったく臆さない准将は、軍人らしくがっしりした肩を竦めた。
「まあ彼らにバレたところで大した問題にはならないでしょう。閣下自ら口止めしましたし」
彼らとしてはとんでもない秘密を明かされて災難だったと思うが、口が堅いのは間違いないし、万が一彼らが大真面目に真実を広めたところで誰も信じないに違いない。
それほどまでにオーベルシュタインとフィリーネ・オルフは普通結びつかないものなのだ。
駄目押しに細君や子にプレゼントでも贈ればある程度納得してくれることだろう。
フェルナーは上官の自邸にいるとは思えないほどリラックスしてあくびをする。
「さて、我々も眠りましょう。閣下も明日・・あ、もう今日ですね。仕事ですから朝食には部屋を出てこられるでしょうし、その時にゆっくり話を聞きましょうよ」
「・・・・・随分軽いな」
「そっとしておこう期間に突撃したら逆に悪化しますから」
「・・・・・そもそも奴はどうして逃げたのだ?」
ロイエンタールはそれがわからなかった。
ルッツの言葉で蒼褪めたのは見て取れたが、彼の言葉は特に暴言などではなかったし、もし暴言だったとしてもあの絶対零度の剃刀が刃こぼれするとは思えない。
どちらかがすでに揃えた書類を視界の端に置きながら、美丈夫は整った眉を寄せる。
オーベルシュタインの突然の行動に驚かされて今まで忘れていたが、変名で作品を発表することも解せない。
おそらくフィリーネ・オルフというブランドと関係なく世に出したかったからだろうが、いずれ絶対にバレただろう。
文体というのは絵のタッチと一緒で癖が出る。
フィリーネ・オルフの筆致は他人が真似しようとして出来るものでも、簡単に消せるものでもない。
まさかまた引退を考えているのか?
絶対に認めたりはしないが、そうだったとしても何故ファンクラブ会長である自分に明かさなかったのかと不満であるし、今になってもまだ隠し事をすることも納得いかない。
月も恥じらう美貌が明らかに不機嫌の色を浮かべるのを見て、ビッテンフェルトがおずおずと言葉を挟んだ。
「そりゃあ、ルッツ達の反応が悲しかったからだろう」
「は?何故だ?ただ驚いていただけだろう?」
「いや、なんというか『嫌だ』という顔をしていただろう。『オーベルシュタインがフィリーネだったら嫌だ』と。だからではないか?誰でもあからさまに嫌われては悲しいものだ」
「・・・・・・・・・・・・」
帝国の智将は鈍い男ではない。
むしろ非常に鋭い性質だ。
だからここまで言われてわからぬはずはない。
今まで散々オーベルシュタイン批判をしていた人間が言うことではないだろうと思いつつも理解する。
自身が以前指摘した通り、オーベルシュタインは何もかもを諦めていた。
期待することを恐れていた。
「・・・ああ、無意識に期待していたのか」
美丈夫は思わずそうひとりごちる。
皆に受け入れてもらえることを。
公のオーベルシュタインはそんなことを思わないどころか、思いつきもしないだろう。
だが、私人のオーベルシュタインはただの大人しい勉強家だ。
人並みに不機嫌になったり、非常に地味に喜んだりと見慣れればわかる程度に感情を表している。
要するに今回、鎧をまとっていないところを言葉で刺される形になったらしい。
「・・・また、恐くなって逃げることにしたのか。あの繊細者は」
「おや、それはあんまりなおっしゃりようです。うちの閣下はミッターマイヤー元帥ではないのですから、そのあたりは考えて接してくださいませんと」
「・・何故今ミッターマイヤーの名前が出る」
「え、だってミッターマイヤー元帥ならば貴方がどれだけ強引に話を進めても、事後承諾でも笑って許してくださるでしょう?」
「・・・・・・・・・・・」
ロイエンタールは咄嗟に言い返せなかった。
確かに今まで強引が過ぎたところもあるだろう。
サイン会のことにしても、ファンクラブのことにしても、なんとか説得して許可を取り付けた。
文句を言いつつ最終的に認めるところをみると、実はあまり嫌がっていないのではないかと考えていたことも認める。
しかしこの生意気な小僧に言われると腹が立つ。
言葉にせずとも煽る気満々のフェルナーと、静かに不機嫌さを増すロイエンタールに気付いたビッテンフェルトが慌てた様子で割って入る。
「まあ、とにかくだ。少し時間を置くのは賛成だが、あまり時間を置きすぎるとさらに意固地になるだろう。もう少ししたら俺も行ってみよう」
「一晩程度なら大丈夫ではないですか?我々は出禁になってませんからロイエンタール元帥より時間的余裕はあるはずです」
「おい」
三人の声は真夜中まで途切れなかったと、後に起きてきたメイドが証言している。
いつの間にか寝てしまったらしい。
キーボードの上に額を載せた状態で意識を取り戻した家主はぼんやりと顔を上げて、朝日に目を細める。
時刻は午前6時。
ベッドでなくとも長年の習慣は変わらず機能したようだ。
ぼんやりと入力端末を見れば、同じ文字がびっしりと続いている。
それらを削除すれば、しっかりと完結まで書かれた物語が姿を現した。
きちんと終わらせてから意識を落したのが幸いである。
素早く見直しをして文章を保存し、立ち上がり、固まった体を伸ばす。
まだ心の痛みは消えないが、それでも眠ったことで落ち着いたように感じた。
室内はとても静かで、微かに窓の外から鳥の声などが聞こえる程度だ。
かつては愛した静寂だったが、今はどこか悲しく寂しい。
騒々しい読書感想が響くことに慣れてしまっていたようだ。
仕方のないことだ。
また割り切るしかない。
ひとまずシャワーを浴びて、普段の自分に戻ろう。
そう考えながら書斎のドアを開けようとしたのだが、
「・・・・?」
開かない。
ドアノブは回るが、何か扉の前に重いものがあってつっかえているらしい。
閉じ込められたのだろうか?
出てこないならば閉じ込めてしまえと?
随分子供じみたことをする、発案者は誰だと呆れながら力を入れて扉を押すと、ようやくできた隙間からドアの中心よりも低い位置にオレンジ色の髪が見えた。
隙間から複数の寝息が聞こえる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
静かに扉を閉めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
今自分がどんな顔をしているのかわからない。
ただひどくみっともないのは間違いないだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
取り出したハンカチで顔をごしごし拭い、大きく深呼吸をした後、思い切り扉を押す。
直後に驚いた声や苦情が聞こえて、少し笑った。