今日の公務を終えたラインハルトは、ウキウキと大型映像端末の前にやってきた。
手にはと市販されているナグルファル戦記関連のジュースと菓子。
背筋を伸ばして座るのが難しいふかふかのソファに座り、時を待つ。
最近整えたこの部屋はいわゆる娯楽室で、中には小説や漫画、映像作品の記録媒体などが収められ、あちこちに模型も飾られている。
皇妃と軍務尚書を全力で説得して手に入れたそれらの精巧すぎる玩具は、圧勝より辛勝の方が強い喜びを得られることを感じさせてくれた。
「・・・良いな」
ラインハルトは近くにある強化プラスチック製の模型をしげしげと眺めてひとりごちた。
これは主人公機ではなく、ヒロインのひとりのヴィクトリカの機体である。
中世の鎧のような重厚感と、スタイリッシュな鋭さがいい塩梅に融合したデザイン。
アニメの機体が細かな部分まで再現されている上に、きちんと関節部分は可動式だし、あれこれパーツを付け替えることも出来るのだ。
完成品も売っているが、試しにと自身で作るタイプの物を買い、以降ずっと同じシリーズを購入し続けている。
子供時代には外で遊んでばかりいたため、この手の細かい作業をするのは初めてだったが、手順書の通りに作ると多少苦戦しつつもきちんと完成させることが出来た。
自身で一生懸命作って出来たものというのは愛着が湧き、さらにこだわりも芽生えてくる。
塗装を変えてみたいだとか、他のオプションパーツが欲しいだとか、他の機体も欲しいだとか、背景もジオラマで作りたいだとかだ。
なるほど。
道理でなかなかパーツなどが手に入らないほど売れているわけである。
皆考えることは同じということなのだろう。
そうこうしているともう放映の時間だ。
当然録画もされているが、やはり生で見たい。
慌てて端末の画面電源を入れると、すぐにオープニングが始まった。
アップテンポの曲に合わせてキャラクター達が現れる。
相変わらずナグルファル戦記のロゴがカッコいい。
男女が交互に歌う歌詞や曲調は、帝国の伝統的なものとは異なり、かなり旧同盟的に荒々しいものだ。
『大きく息を吸ったら♪後は全力で走るだけ♪』
サビと同時に人型兵器が激しい戦闘を繰り広げる。
実際には有り得ない光景とわかっているのに、何故こうも心が躍るのか。
自然と画面の中に自身がいるように、物語に没入していく。
ラインハルトは多くのキャラクターを好いていたが、特に推しているのはエーレンフリート=エルとヴィクトリカ=ヴィッキーだ。
原作を読みだした当初はエルのことは門閥貴族を彷彿させる『傲慢で世間知らずなおぼっちゃん』だと思ったし、ヴィッキーのことは女とも思えない『粗暴で短気な奴』だと嫌っていたが、話が進むにつれて印象が大きく変わった。
エルは戦争の実情を直接目で見て知り、徐々に今までの自身の考えや行動を恥じて見つめなおし、国を変えてみせると真剣に努力を始めた。
当然まだまだ青いところも甘いところも多々あるが、彼の懸命に国を良くしようとする姿勢に賛同した人々が仲間に加わっていく様子が丁寧に描かれているので、見ているこちらも感情移入して全力で応援したくなってくる。
ヴィッキーはラインハルトの実姉であるアンネローゼと同じように権力者の欲望のせいで家族と引き裂かれた過去があり、その傷がまだ癒えずに周囲を怖がっていることがわかってきた。
彼女が乱暴な物言いをするのは、怖いから吠えているに過ぎない。
慣れてくれば、言動の端々から彼女本来の優しさや、頭の回転の速さが伝わってくる。
普段は目のやり場に困るような短さのズボンを穿いているが、ドレスを着せると逆に大変に照れだすという可愛らしいところもある少女だ。
あと彼女がナグルファルを駆る描写がとてもかっこいい。
エイダンの操縦する描写も良いが、彼女の戦い方は華があると思う。
今回のアニメ版ナグルファルは日常回というやつで、主人公達他の戦闘以外の姿が描かれていた。
皆でわいわい食事をしたり、カードゲームをしたりなど楽し気だ。
生まれも育ちも異なる面々で、当然ながら考え方や価値観なども異なるが、互いに違いを認め合って過ごしている。
アニメの描写が良いのも評価出来るが、原作者であるフィリーネは本当にキャラクターを魅力的に描くのが上手い。
他の作品にこんなにたくさんの登場人物がいれば、誰が誰だかわからなくなるだろうに、それがない。
ビッテンフェルトが『ナグルファルは最初の方でキャラの性格がすぐにわかるように書かれている』と言っていたがその通りだと思う。
どんなキャラクターもすぐに良さも悪さもわかり、記憶に残るのだ。
例えば、今主人公達と話している先輩パイロットのトバルカイン。
歯に衣着せぬ物言いと確かな実力、そして面倒見の良さが特徴で、非常に男くさい野獣のような男だ。
自身は前衛で活躍しながらも、軽視されがちな後方の整備や補給担当達もとても大切にする、男女ともにモテるエースパイロットである。
未熟な主人公達を容赦なくしごき、彼らの才能を伸ばした師のポジションだ。
ちなみに彼に関しては、ロイエンタールが『この手のキャラは長生き出来ない』と発言したため、会議後の雑談が舌戦となったことがある。
その場にいたオーベルシュタインの冷気が増大したので戦いは強制終了となったが、ラインハルトはトバルカインは生き延びるとの見解を変えていない。
きっと彼は戦後も生き残って、引退後も教官として優秀なパイロットを輩出するだろう。
まるでラインハルトの考えを読み取ったかのように、画面内の面々は近い未来くるはずの戦後について話していた。
微笑ましく見守っていると、珍しいことが起きた。
いつもはないはずのエピソード間の宣伝映像が流れたのだ。
実はオーベルシュタイン他が今までカットしていたのだが、そのことをラインハルトは知らなかった。
銀河帝国皇帝は幼少期以来久しぶりに見るそれに釘付けになる。
それはナグルファル戦記のファンイベントの宣伝だったのだ。
オーベルシュタインは最近完全に共用娯楽室と化した書斎で、端末を使って電子書籍を読んでいた。
多種多様なジャンルの小説を書く『フィリーネ』は、知識の収集を常に行っている。
輪転機で流れてくるような速度でスクロールされる文章を追いながら、近くでごそごそやっている友人に文句を口にする。
「フリッツ。机の上に物を増やさないでくれ」
しかし、声の温度が冷たくないところをみると、そこまで本気で排除させたいわけではないらしい。
現に視線は端末から上げることはない。
「良いではないか。カッコいいぞ。お前がデザイン担当と必死に考えただけある」
「・・・」
きらきらとした鳶色の眼で語られた方は諦めたようなため息をついた。
ようやく顔を端末から上げ、机の上に並べられた模型の数々を眺める。
主人公機であるナグルファルと他味方機体、味方戦艦、敵量産型機体。
さらにはヒロインや主人公がポーズを取っているものもあった。
これらは全てフェルナーとビッテンフェルトが買ったり作ったりしたものである。
幸いなことに一番最初の共犯であるロイエンタールは特に参加していないため、この程度で済んでいると言えた。
あの凝り性がハマった日には、部屋が一つ埋まるだけでは終わらないだろう。
「いやあ、ナグルファル様様ですよ。国内での経済効果にどれだけ貢献したことか。歴史に残る作品になったのは間違いありますまい」
上司の家のソファに行儀悪く座る部下の言葉に、オーベルシュタインは興味なさげに呟く。
「後の世の評価は知らぬ。そもそも創作物は同じ時代に生きて読まねば味わいきることが出来ぬものだ」
価値観や常識は時代どころか世代ごとに移り変わる。
フィリーネの作品だって、ゴールデンバウム朝時代では出版すら出来なかった。
『彼女』の作品には戦う女性が多く登場する。
時には銃をとり、時には頭脳を絞り、男と遜色なく戦う。
旧同盟では珍しくない設定だろうが、帝国では以前まで『品がない』『とんでもない』と非難された内容だ。
だが今こうして多くの人間が熱狂している。
そして後の世では珍しくもなんともない、ありふれた内容となるだろう。
本来ならば作家として自分の作品が埋もれるのは寂しく感じるだろうが、フィリーネ=オーベルシュタインはそうは思わなかった。
現在の多くの人間に受け入れられたという事実への喜びと、見えない誰かに対する『ざまあみろ』という溜飲が下がる思いで充たされている。
だからこそ自分の物語を受け継いだ作家達の誕生を心から祝福出来た。
二次創作などをおおらかに許容出来る理由もそれだ。
しかし、作家本人はそうでも、一部の熱狂的なファンはそうではないらしい。
物語の解釈の違うファン同士の諍いで殺人が起きた例もそれなりにあると聞く。
この前のスピンオフ作家の殺害もそれの類だ。
殺されたのはアウグスト・クレッチマー。
ナグルファル戦記のスピンオフ漫画を描いていた男だ。
内容としては女性キャラの服が脱げたりなんなりする、要するに男性向けである。
スピンオフ作品は無数にあるので、さほど注目はされていなかったが、内容が本編とかけ離れているため『ナグルファル戦記である必要がない』、『ナグルファル戦記の名前を利用しただけのエロ本』などとあまり評判が良くなかった。
オーベルシュタインとしてはきちんと使用料が払われれば頓着することでもないし、それも一種の表現であると納得もしていた。
彼の死因は背後から鈍器による撲殺。
それだけなら特にナグルファル戦記に結び付けられるものでもないが、金品に手が付けられていなかったことと、代わりに被害者作のスピンオフ作品が部屋から全て消えていたこと。
さらに遺体の横に『罰 エイダン・ガードナー』と書かれた紙があったことなどから、無関係とは言えなくなった。
エイダンはナグルファル戦記の主人公の名前だ。
どうやら作品のキャラクターが罰を与えたという見立て殺人らしい。
オーベルシュタインが何気なくクレッチマー殺害についての話題を出すと、ファン代表ふたりは非常に渋い顔をした。
「・・・犯人もファンではないだろう。本当のファンならばキャラクターや作品を汚すような真似はすまい。大体エイダンは正義感が強いからそんなことしないだろう」
「もう一種の信仰かもしれませんよ?ほら、地球時代の宗教戦争でもよくあったそうじゃないですか。要するに自分が気に入らない相手を排除する理由付けにしてるわけですよ」
「どちらにしても胸糞悪い話だ」
ビッテンフェルトは内側に溜めておくと爆発してしまうとばかりに、大仰に息を吐いた。
そこではっと思いついたように厚い手を打つ。
「もしや、ファンではなく逆ではないか?フィリーネを嫌う奴がやったのかもしれんぞ」
「どれもありえる話だ。つまり実質全く絞り込めていないということだな」
「ぬう」
作者の現実的な言葉に、熱狂的なファンは言葉を詰まらせた。
実際犯人がどこの誰でどういう動機だったとしても、直接的には関係はない。
品性がないメディアが騒ぎ立て、馬鹿がそれに乗っかるだろうがそれだけだ。
フィリーネ・オルフは名実共に銀河帝国建国以来最上の文豪だろうが、ファンが多い分批判者も多い。
今回のナグルファル戦記にしても一部地域では『戦争を礼賛している』、『子供の教育に悪い』などと有害図書として発禁になっているほどだ。
作品をまともに見ていれば礼賛しているなどという頓珍漢な感想は出てこないはずだが、膏薬と理屈はどこにでもつくものである。
自分が気にくわないというだけの癖に、主語を大きくして批判し排除しようとする輩はいつの時代もいるものだ。
実際いくつかの団体に正式な抗議を入れた。
場合によっては法的手段に出る必要があるだろう。
相手の機嫌を伺って譲ってやるつもりはない。
むしろ、そんなことをすれば後に続いて筆をとった者達の大きな妨げになってしまう。
それ故に絶対に折れるわけにはいかないのだ。
あの手の連中はこちらが一歩譲ると百歩踏み込んでくるし、沈黙すれば非を認めたと囃し立てるものだ。
まあ、どう動いても騒ぐ生き物なので、臨機応変に大人しくさせるしかない。
普通の作家では批判に負けてしまったかもしれないが、フィリーネの中身は泣く子どころか大人も黙る『ドライアイスの剣』オーベルシュタイン軍務尚書である。
本職の方では忌み嫌われる彼の尋常でない打たれ強さは、こと創作活動においては後進達からの羨望の対象だった。
今回もその期待に添う予定である。
オーベルシュタインは再度端末に目を落としつつ、終礼の鐘の如き声で言い放つ。
「幸い憲兵隊は優秀だ。いずれ犯人の首級があげられることだろう。直接かかわることのない我々が気をもんでも仕方あるまい」
「うむ」
「左様でございますね」
ふたりは納得して、各々好きに過ごしだす。
オーベルシュタインも時折、彼らから振られる話題に答えつつも知識の補給作業に戻った。
しばらく経った時、フェルナーがふと思い出したように話題を振る。
「・・・そういえばもうすぐかなり大きなナグルファル戦記のファンイベントがありますね。小官は行く予定ですが、皆さんはどうされるご予定ですか?」
「うーん。別に行かずとも良いのではないか?祭の類は好きだが、所詮小さな同好の集まりだろう?どうにも地位があると目立つしな」
「ふふふ。それがですね。かなり大規模でして
フェルナーがそんなことを言いかけた時、廊下から聞き慣れた足音が近づいてきた。
どうやらようやく彼の仕事が終わったようだ。
少し荒々しく扉を開けた人物は、予想違わぬ美丈夫である。
いつも冷静沈着な彼には珍しく、その美貌が引き攣っていた。
「・・・誰がどうした?」
部屋の主が端的に尋ねると、ロイエンタールは疲れた表情で言った。
「陛下にファンイベントの存在を知られた」
室内の面々は皆同じように頭を抱えた。