パソコンが死亡したり、副業始めて休みが消えたりしたためペースは保証出来ませんが、これからも書いていきます。
よろしくお願いいたします。
ラインハルトは機を窺っていた。
上層部が集まる定例会議。
予め決められた議題が終わり、そろそろ解散をいう段階。
オーベルシュタインが自分に解散を促す一瞬前に切り出す。
「・・・軍務尚書」
「はい」
「まだ会議は解散しない」
「はい」
「・・・えーとな」
「はい」
「・・・」
「はい」
「・・・ナグルファルオンリーイベントに行きたい」
いつも威風堂々たる皇帝の、恐る恐ると言った様子のぼそぼそとした願いが絞り出された。
この発言に会議室は騒然となる。
皇帝は退屈しのぎに芸術鑑賞をしたことがあったが、このように誰かに伺いを立てることはなかった。
これはつまり申告せずに決行しようとした場合間違いなく反対されるとの判断からだろう。
今までの暇つぶしと違い、今回は本当に心から行きたいと思っているらしい。
さもありなん。
最近この若き皇帝が子供向け(のわりには内容がハードだが)ロボット戦記に夢中なのは周知の事実だ。
ゴールデンバウムの歴代皇帝などと違い贅沢には興味がない彼だが、最近皇妃と一緒に読書を楽しみ始め、同じ作者の作品であるナグルファル戦記を知った。
あまり大きくはないが娯楽室を作り、仕事が終わると頻繁にそちらを訪れて、模型を作ったりアニメを見たり読書をしたりして過ごしているようだ。
芸術鑑賞と違い、無理に付き合わされる人間がいないため、諸将からは密かに評判がいい趣味である。
集めている模型なども子供の小遣いで買えるような値段なため、財政にもとても優しい。
夢中になりすぎて夫婦間の話題が偏ると少々困り気味なのは皇妃だけである。
諸将は無言で視線を交わし、オーベルシュタインを見つめた。
皇帝は見ることがなかったが(故意にカットしていたのだが)、今回のイベントについては頻繁に宣伝が行われているため皆ある程度の内容は知っている。
プロアマ問わずの同人誌即売会。
企業協賛グッズ販売。
コラボカフェetc.
などが予定されており、場所もフェザーン最大級の会場を貸し切って行われ、混乱を避けるためにチケット制を採用していたはずだ。
それでも云十万単位の人間が参加する。
チケットは完売と出ていた気がするが、まあそのあたりはどうにかなるだろう。
問題になるのは警備である。
芸術鑑賞の場合、皇帝自身は基本的に決まった場所にいて、他の参加者は地位があるものが多い上に、せいぜい数百人程度。
誰が来ているかなどはもちろん把握出来るし、会場内の人の移動も時間がある程度決まっているため警備がしやすい。
だが、今回のオンリーイベントの場合、祭りなどと一緒で不特定多数の人間が常に移動している状態であり、参加人数の関係上人員やら手間の問題で荷物検査なども十分に行えない。
事前に皇帝が行くと触れ回ればテロが起きる可能性が高まるし、いきなり行けばパニックになるだろう。
これでは反対せざるを得ないのは当然だ。
「了解いたしました」
しかし予想外にドライアイスの剣はあっさりと首を縦に振った。
会議室内に激震が走る。
どうしたのだ。
絶対に『行けるわけないだろ、立場考えろ(意訳)』と切り捨てると思っていたのに、何か悪いものでも食べたのか?
皇帝を含む皆がどよめく中、一部(フィリーネ・オルフ公式ファンクラブ幹部と皇妃)だけは何かを察したような表情を浮かべていた。
「・・・よ、良いのか?」
「はい。具体的なスケジュールが決まりましたらご連絡いたします。憲兵総監。警備について話がある。この後を空けてくれ」
「はい。了解いたしました」
話がとんとん拍子に進みそうだ。
ラインハルトは一瞬嬉しそうにしたが、ふとある可能性に気付き、さっさと退席しようとするオーベルシュタインを引き留める。
「オーベルシュタイン」
「まだ何か?」
「・・・卿はどのようなスケジュールを想定しているのだ?」
驚いたのと浮かれたのとで流しそうになったが、軍務尚書は主君の細かな要望などを確認していない。
ちゃんとコラボカフェでの飲食も予定に入れてくれているかどうか確かめねば。
心配している唯一の主君に対し、オーベルシュタインは相変わらず仮面のような顔で返答する。
「具体的には今から憲兵総監と話し合います」
「いや、卿の中である程度は決まっているのだろう?ちなみに滞在時間はどれくらいを想定しているのだ?」
「・・・」
細面な顔がかくりと傾いだ。
「30分くらいが限度かと」
「30分!?」
いくらなんでも短すぎる。
思わず皇帝の口から大きな声が出た。
「30分では会場の端から端へ歩くだけでも足りんではないか!?」
「歩かれるご予定だったので?」
「当然だ!オンリーイベントというのは祭りだろう!?自分で見て歩いて、気ままに欲しいものを買って、混雑や行列に辟易しながらも熱気やら何やらその場の空気を味わうものだろう!?」
「商品などは適正価格で事前購入されれば良いでしょう。出店者はすでにリスト化されております。連絡先も調査済みです」
軍務尚書はやっぱり平常運転だった。
彼にしてみれば当然のことしか言っていないのだが、ぬか喜びさせられた方としては納得がいかない。
もしや最初に妥協して見せたのは作戦か。
うっかり騙されるところだった。
「商品が手に入れば良いというものではないのだ!!余はイベントを楽しみたいのだ!!」
「さようでございますか」
オーベルシュタインはここで言葉を切ると、皇妃をじっと見つめた。
本来感情を表さない義眼には『私が言っても平行線ですので、皇妃も説得をお願い致します』と書いてある。
その視線を追った皇帝も、『皇妃もなんとか言ってやってくれ!余はイベントに行きたい!』と目で主張している。
皇妃はもちろん夫を味方してやりたいが、現実的な正しさではオーベルシュタインに分があるのはわかっていた。
なんと言ったものかと困っていると、ラインハルトが縋るように訴えてくる。
「皇妃も・・・行きたいよな?主人公達が好きと言っていたではないか」
戦場では武神の如く見事な采配を振るう皇帝も、今回のことに関しては苦し紛れの道連れ作戦に出た。
実は皇妃はそこまでナグルファル戦記に熱心ではないことは知っていたのだが、こういう時くらい話を合わせてほしいという熱意だけはよく伝わってくる。
ヒルダは今度こそ苦笑し、何と答えるか真剣に考え始めた。
彼女は別にナグルファル戦記が嫌いなわけではない。
ただ読んだり見たりするとあまりに感情移入し過ぎて疲弊してしまうのであまり見ないようにしているだけだ。
たとえば主人公のひとりのアリス・オードリー。
彼女は主人公達の中で唯一両親が健在だ。
連邦内の中流階級の上の方の家庭に生まれ、虐待もされていなければ学校でいじめなども受けていない。
ただ両親から全く理解されていなかった。
両親が悪人というわけではない。
彼らなりに娘を愛し、心配している。
だが驚くほど彼らは娘の心情を無視し続けていた。
看護の道へ進みたいという娘を心配して、別な道を強要する。
本人の希望を聞かずに勝手に誘いを断り、良かれと思って可能性を潰す。
万事がその調子だった。
アリスは芯が強い、勇気ある少女なのに、過剰なまでに庇護され続けたせいで逆に病みかけてしまっていた。
反対を押し切ってエイダン達と一緒に戦う道を選んだのは、彼女のせめてもの反抗だろう。
たとえばホープ・オルコット。
彼の母は息子を産んだ直後に家を出て戻らず、大酒のみの父親に殴られながら育った。
幼い時から働かされて学校に行くことは出来なかったが、元々の知能が高かったので自力で知識や技術を学んだ努力家の技術者だ。
だがホープには居場所がなかった。
友達もおらず、大人から利用されるだけの生活に嫌気が差していたから、彼は戦場に飛び込んだのだ。
状況を考えれば、半分くらいは自殺のつもりだったのかもしれない。
彼にしてみればどこでも良いから、どこか楽になれる場所へ行きたかったのだ。
だから現在の誰も自分を迫害しない心地良い場所にかなり依存しており、非常に危うい。
居場所を提供してくれている初めて出来た仲間を守るためなら本当になんでもしてしまうのだ。
これは物語中でも度々指摘されていて、いずれ取り返しがつかなくなる予感がある。
ヒルダはこのようなキャラクターの解釈がすぐに浮かぶ程度には愛着も好感もあるが、どうしても物語を楽しむより心配が勝ってしまう。
もし自分がこのような立場だったら。
おそらく誰もが一度は考える空想を、帝国文学界の女王は容赦なく読者の心に刻み付ける。
自分は幸いにも理解ある父に恵まれたが、そうでなければどうなっていただろうと深く考えてしまう。
今発売されている他のオルフ作品ではここまでではなかったのだが、やはり子供向けとして殊更丁寧に描かれているせいだろう。
現実には存在しない彼らの助けになれないのが辛いと感じるのである。
だからヒルダはナグルファル戦記が苦手で、それを隠せず、愛する夫の言葉になかなか頷けなかった。
ヒルダが困り顔で思案している中、ビッテンフェルトはおろおろとロイエンタールとオーベルシュタインを見比べていた。
ラインハルトを尊崇し、ナグルファル戦記の大ファンでもある彼はなんとかして主君の願いを叶えたい。
自分は上手い作戦が思いつかないがお前らは何かないのか、という視線だ。
以前ならふたりの表情に隠れた奥の感情などわかりようもなかったが、今は一緒に騒ぎながら遊ぶ仲なためなんとなく色々わかる。
ふたりとも何か案があるようだが言うつもりはないという構えだ。
「陛下。・・・恐れながら今回は私も軍務尚書に賛成いたします。そのような治安の悪そうな場所へ玉体を長時間置くのはいかがなものかと」
水面下で各々の思惑が交錯する中、そう口にしたのは意外にもミッターマイヤー元帥だった。
基本的にオーベルシュタインを嫌う彼だが、嫌いだから意見に賛成しないなどという子供じみたことはしない。
言葉通り今回の件は軍務尚書に分があると判断し、諫めたのだ。
ミッターマイヤーはオルフ作品ファンではあるが、親友のように全ての作品を読み込んでいるヘビーなファンではない。
発売されたらあらすじを確認して、自分の好みだと判断したら読むというライトなファンだ。
『子供向け』と売り出されているナグルファル戦記は読んでもいなければ、アニメも見ていなかった。
そのため、何故陛下を始めとする面々がこうまで熱心なのかいまいちピンと来ていない。
いくらオルフ作品でも大人が夢中になるようなものではないと思っているからだ。
忠臣からの意見に、ラインハルトの美々しい眉がきっと吊り上がる。
「治安が悪くなどない。調べたらきちんと運営が管理している場所だとのことだ」
「ですが、陛下。この作品のファン同士の諍いで殺人も起こっていると聞き及んでおります」
「人は常に何かで争っているものだ。ナグルファル戦記は有名だからマスメディアが面白がって誇張しているだけだ」
皇帝は一歩も退かぬつもりのようである。
しかしながら、諸将達はミッターマイヤーに続けと控えめながらイベント参加反対の意を唱える。
比例して神々しい麗貌がどんどん曇っていった。
形勢は非常に不利だ。
「・・・ロイエンタール。卿も同じ意見なのか?」
明らかに拗ねた口調で、しかしその双眸に期待を隠さず、美貌の提督を見つめる。
『さあ、なんか皆の意見を変えられる凄い案を出せ』と熱い視線が語っていた。
ビッテンフェルトが睨んだ通り、確かにロイエンタールには案はある。
しかしそれを自ら言い出すと、下手したら本当にオーベルシュタイン邸出入り禁止になってしまいかねない。
「い、いえ」
言葉を濁しながら、じっと色の異なる双眸が、作者本人を見つめる。
相手も見返してきた。
何やら激しいアイコンタクトが行われ、最終的にはロイエンタールではなく、オーベルシュタインが発言をした。
「わかりました。陛下がそこまでおっしゃるなら、私に案がございます」
「ぬ!?」
かの永久凍土の石板が折れるなど珍しい。
どんな案なのかと皆が身構える。
軍務尚書は一拍置いて、こう言った。
「その場において陛下より目立つ人間を配置し、囮としましょう。フィリーネ・オルフ女史です」
会議室は阿鼻叫喚となった。