キルヒアイスの一件とか。
会場に集まった報道陣はまるで全宇宙から集まったようだった。
ここは書店のイベントスペースでかなり広い場所であるにもかかわらず、凄まじい人数が詰めかけたせいで、書店側も対応に大わらわ。
交通整理と万一の場合に備えて憲兵隊すらも出動する大騒動となっていた。
ロイエンタールは舞台袖から、席についた主役と集まったギャラリーを見比べつつ、内心でため息をつく。
報道加熱も話題性も知っていたが、目の前で実状を目の当たりにするとあまりいい気分にはならない。
全宇宙に聴衆がいても怯まないオーベルシュタインがフィリーネの中身でなければ、ただの晒し者だっただろう。
現に集まった観客は謎に包まれた大作家の堂々とした立ち居振る舞いに驚いているようだ。
綿密に話し合いフィリーネ・オルフの経歴やらを偽造してオーベルシュタイン自身もそれを完璧に暗記しているが、念のために彼女の身の上などへの質問は禁止にしてあった。
『彼女は自分の周囲が騒がしくなることを酷く嫌がっていて、この握手サイン会も必死になって説得してようやく実現した。これで心無い誰かが約束を破ると引退しかねない。私は一ファンとしてそれは絶対に避けたい』
ファンクラブ会長自ら参加する記者達にそう説明した。
帝国に三人しかいない元帥のひとりがこうまで言うのだから、率先して智将と名高い男の敵になりたがる人間はいないだろうが、どこの世界にも馬鹿はいる。
フィリーネ・オルフがパウル・フォン・オーベルシュタインに戻るまで安心出来なかった。
物静かに、しかし何故かよく通る声で『フィリーネ』が挨拶をしている。
その口許には作られたものではない優し気な笑みがあった。
もし他に彼女が絶対零度の剃刀と知る人間がいたら目を疑う光景である。
「・・・奴は普段どれだけ表情筋をサボらせているのだ。ちゃんと笑えるではないか」
「皆さんが酷い事ばかり言うからじゃないですか?罵っておいて笑えとか無茶をおっしゃる」
呟かれた小声の感想に、フェルナーが呆れたようにこちらも小声で返す。
悪戯っぽく緑瞳を細めながら、すぐ横にいる統帥本部総長に自慢するように言った。
「私は笑ってるところ拝見したことありますよ。いやぁ、あの姿で微笑まれるとまた違った趣があって良いですね。ますますファンになりました」
「卿は本当に変わった趣味をしている」
うっとりと語る准将に、ロイエンタールは呆れ顔で囁くが、癖が強いと自他が認める官房長は気にする気配はない。
むしろ仕返しとばかりに笑みを深めた。
「おや。常々あの方を嫌いと公言している癖にファンクラブ会長になった方ほどではありませんよ」
「・・・卿は本当に生意気だな」
「そんなに褒めないでください。照れるじゃないですか」
ワイヤーロープの神経と評される男は、相手が元帥でも怯む様子はない。
これくらいでないと、あの癖が強すぎる軍務尚書の副官など務まらないのだろう。
ロイエンタールは本気で苦笑しながら、再度舞台に視線をやる。
『フィリーネ』はしとやかに記者からの質問に淀みなく答えていた。
実はいつものような正論ばかりなのだが、物言いや表情でこれほど印象が違うものらしい。
記者のひとりが手を上げて質問した。
「ファンクラブ会長のロイエンタール元帥とのご関係を伺ってもよろしいですか?」
女流作家は柔らかく笑みを深める。
「彼は私の一番最初の読者です。一番最初にファンになってくれた人でもあります」
嘘ではない。
実際はデビュー後に読んだのだが、フィリーネ=オーベルシュタインと知った上で初めて面白いと言った読者だ。
もちろんそんな詳細は説明しない。
記者からの質問が続く。
「一部では恋人との噂もありますが?」
「全く違います。私と彼はそのような関係ではありません。彼は私を女として見ていませんし、私も彼を恋愛対象として見ていません」
きっぱりと断言する。
実際女ではないわけだが、記者達が知る由もない。
記者達の視線が一斉にロイエンタールに向いたため、苦笑を噛み殺す。
ファンクラブを立ち上げた時の、周囲の反応を思い出したからだ。
今までフィリーネ・オルフの小説を一冊も読んだことがなかったはずの男がいきなり公式ファンクラブを立ち上げて会長に就任した。
仕事場に宣伝ポスターを貼らせたため、その情報は凄まじい勢いで伝播した。
そして真っ先に出た噂は
『ロイエンタール元帥はフィリーネ・オルフに手を出したのではないか?』
というある意味当然のものだった。
漁色家として名高い彼の魔の手がオルフ女史に伸びたのではないか。
交際相手が趣味に影響することなどよくある話である。
噂を真に受けたわけではないが、一番可能性が高いことは間違いなく、ロイエンタールを知る人間は大体皆同じことを考えた。
親友であるミッターマイヤー元帥も例にもれず、自身と妻の分のファンクラブ入会書類を渡しながら非常に心配そうな顔で言ったものである。
『・・・・・・・なあ、ロイエンタール。頼むからオルフ女史を酷く振るのだけはやめてくれ』
そもそも付き合っていない、とどれだけ説明しても日ごろの行いからなかなか信じてもらえず、しまいには皇帝夫妻から直々に心配の言葉をもらってしまった。
『もし付き合っていたらファンクラブなどという組織を作って長を務めるようなことはしない』
と周囲に言い広めてもらってようやく沈静化したが、あれには参ったものだ。
ロイエンタールが物思いにふけっている間も記者会見は続いている。
「では彼とは御友人で?」
「友人でもありません。彼は私の書く小説のファンです。作者である私のことは嫌いですよ」
この答えには会場がどよめいた。
『フィリーネ』は背が高すぎることに目をつむればかなりの美人だ。
ロイエンタールが今まで付き合って来た花達に勝るとも劣らないだろうし、何より多くが認めるほどの知性の持ち主である。
「『女』としてではなく作品を純粋に評価しているのね」
と誰かが呟き、それを聞いた人々は恐ろしい具合に納得したようだった。
しかし、作品が好きなら作者も無条件に愛せとは言わないが、ファンクラブ会長までやっておいて本人にわかるほどあからさまに嫌いなのかと、批判的な視線が向けられる。
美丈夫はやや不満に感じた。
確かに嫌いだが、『フィリーネ』の格好で言われるとなんだか腹立たしい。
頭ではあの美女の中身は軍務尚書だとわかっていても、なんだかフラれたようで嫌なのだ。
すぐ横でフェルナーがくすくすと稚気を見せて笑っている。
「もういっそお友達になれば良いじゃありませんか。いや、もうなっていますね。あの方のためにこんな企画をするくらいですから」
「少し黙っていろ、副会長」
「はいはい、仰せのままに」
言いながらもフェルナーは笑みを消さなかった。
その後は当たり障りのない質問が続き、記者会見が終盤に差し掛かると、あるひとりのフリージャーナリストが手を上げた。
「フロイライン・オルフ。どうしてもお聞きしたいことがあります」
「はい、なんでしょう?」
そのジャーナリストが評判が悪いことを知っていたオーベルシュタインだが、今はフィリーネなので愛想よく応じた。
男はいやらしい笑みを浮かべて問いかける。
「貴女は本当に今までの43作の小説の作者なのですか?」
再び会場がどよめいた。
記者の質問があまりにも無礼だったからだ。
確かに有名人の著書などがゴーストライターに書かれることなど珍しくもないが、それをこんな公の場で尋ねる人間などまずいない。
おそらくあれほど緻密で豊かな知識に裏打ちされた文章を、おそらく30前後と思しき女に書けるはずはないと遠回しに言っているのだろう。
あからさまな賛同者はいないようだが、疑念の種が撒かれたのだ。
袖で見ていたロイエンタールとフェルナーの顔が険しくなった。
すぐにふたりの頭脳はいかに穏便にあの無礼な記者を摘まみ出すかを考えていたが、その前に問われた側が反応した。
すっとフィリーネの双眸が鋭くなったのだ。
瞬間、観衆のほとんどが怒鳴られたようにびくりと体を跳ねさせる。
室温が急激に下がったように思われた。
「もちろん私が書きました。・・・・・・そうですね。では証明のためにこの場で何か書いてみましょうか」
何故聞こえるのか不思議なほどの声量で、さらりと爆弾が投げられた。
女王の言葉の意味を理解した人々がざわめく。
「自分が自分であることを示すというのは誰でもなかなか難しいものです。私の場合は文章を書くことが私を示すもの。ならば今ここで書きましょう。何を書きましょうか?」
言葉こそ静かで平坦なものだったが、空気が軋むほどの威圧感があった。
当然である。
フィリーネは最近まで無名だった女流作家とされているが、中身は建国の功臣であり、今まで海千山千の猛者と渡り合って来たオーベルシュタイン軍務尚書だ。
ゴシップ記事ばかり書いている記者如きでは怯ませるどころか、相手にならない。
問われた記者は一瞬呆然としたようだが、周囲からの怒り、羨望や嫉妬を通り越して殺意に近い視線を受けて正気に戻り、先程とは比べ物にならないほど小さな声をなんとか絞り出した。
「・・・・では・・・・その・・・・・・ミステリーを」
「わかりました」
女王はひとつ頷くと、フェルナーが走ってきて目の前に文章がかけるキーボード付き端末を置く。
どうやら大急ぎでとってきたらしく息も上がっているが、さらに慌ただしく駆けて行ったところを見ると印刷機も持ってくるつもりらしい。
フィリーネは細い手を何度か結んで開くと鋭く問うた。
「会長。会見終了予定時刻まであと何分です?」
「延長出来てせいぜい15分だろうな」
ロイエンタールの言葉が言い終わるが早いか、細い指が凄まじい速度でキーボードの上を踊った。
おそらく隣に置かれた文面をそのまま打ち込むだけでもここまで速くないだろう。
手に別な何かが乗り移ったが如く文字が猛烈な勢いで生み出されていく。
印刷機を押して走って来たフェルナーが、今度はフィリーネの手元の端末に無線機を取り付けると店内に設置されたモニターにリアルタイムで表示された。
改行などはきちんとされているようだが、書き直すということは一切していない。
まるで元々決められていた動作を行っているかのように迷いがない動きだった。
誰もが言葉を忘れて見守ることきっかり15分後。
フィリーネはぴたりと手を止めて息を大きく吐く。
フェルナーが待ってましたとばかりに、出来立ての作品の印刷を始めた。
出来たのはおそらく200ページ程度の短編だ。
そしてさっそく刷り上がった一冊を件の記者に渡す。
渡された方は爆発物でも押し付けられたかのごとく震えていた。
「これが私が私であることの証明です。これで信じていただけないならばもうお好きにお考えくださいな」
女流作家は笑う。
示された女王の実力を、一同は惜しみない拍手と歓声で讃えた。
その後すぐに始まった握手サイン会は比較的平和だった。
ファンクラブ会長と副会長が現職軍人でなおかつ元帥と准将であり、さらにはファンクラブの有志(ロイエンタールが声をかけた部下)がハガシや警備をやっているため通常の著名人よりもかなり厳重体制である。
たとえ邪心を抱いている人間がいたとしても、何かやろうものなら殺されかねない勢いだ。
さらに公然で堂々と小説を仕上げてみせたフィリーネを疑うものはもうおらず、サインと握手にプラスして正真正銘の最新作をもらえたファン達はほくほく顔である。
「貴女の大ファンです!これからも応援しています!」
「貴女は私の憧れです!」
「ますます好きになりました!!」
これほどの人々に褒められたことがないオーベルシュタインは純粋に嬉しくて、心から笑って握手をし、サインを書いた。
あまりに熱心過ぎてなかなか手を離してくれないファンがいたくらいで、他は特に問題はなくどんどん当選した200人のファンは減っていく。
7割ほど握手を終えたあたりで、『フィリーネ』は表情に出さないながらも緊張した。
見慣れたオレンジ頭がすぐそこにいたのである。
彼はもちろん私服だったし、おそらく変装とおぼしき縁が太い眼鏡をかけて髪型も変えていたが他は何も手を加えていない。
記者達の大体は正体に気付いていたようだが、そもそも会長が元帥であるため上級大将が握手しにきてもおかしくないと思ったのだろう。
特に絡まれることなく放置されていた。
遂にビッテンフェルトの番がやってきた。
彼は緊張した様子で持ってきたフィリーネの著書を出す。
『赤き雷光』
異能を持つ傭兵が他人とどうあがいても違う自分に苦しみながらも戦い、運命を切り開いていく物語だ。
猪と評される男は何やら目の前の女性を食いいるように見つめていたが、彼女が微笑みかけると視線を逸らす。
「この話の主人公は貴方をイメージして書きました」
「ふぇ!?」
サインを書きながら呟かれた言葉に、ビッテンフェルトの顔が驚きで固まった。
そしてサインの上には『ビッテンフェルト提督へ ありがとう』と書かれている。
帝国一の猛将の顔が驚きと興奮で紅潮するのを見届けると、本を渡し、握手をするとさりげなく帰りを促した。
どこか混乱している気配がある背中を見送り、次のファンに微笑みかける。
ビッテンフェルトが『赤き雷光』の主人公のモデルと言ったのは嘘ではない。
実際彼の容姿をイメージして書いた。
性格などもおそらく大きくは間違っていないだろう。
誰にも言っていないが、自身の小説の登場人物のモデルは近場にいることが多い。
彼がモデルであることを明かしたのは目くらましもあるが、ビッテンフェルトならばテレビや新聞にもそれなりに出るため一般人女性が知っていてもおかしくないからだ。
インスピレーションを与えてくれた礼もしたかったし、当人も喜んでいるので良いだろう。
最大の難関を通過した共犯者三人は密かに胸をなでおろす。
このまま順調に終われば、夕食はラーベナルト夫人が用意した御馳走にありつける。
三人とも明日は普通に仕事であるため、余計な問題は起きてほしくなかった。
しかし数十秒後、願いは儚く崩れ去る。
このイベント会場には窓がない。
つまり光は照明頼りだ。
その照明がいきなり全て落ちたのである。
暗いところから明るいところに出た時、目が慣れるまではおよそ1分。
逆に明るいところから暗いところに入った場合目が慣れるまでは30分から1時間ほどもかかる。
つまり電気が消えた直後、ほとんど誰もが状況を理解できなかった。
おそらく唯一の例外がフィリーネ=オーベルシュタインである。
彼の目は義眼であり、かなり短時間だが暗視機能を使えたのだ。
そして見た。
自分めがけて走ってくる男を。
もちろん大人しく待つ理由がないので、オーベルシュタインはさっさと立ち上がりフェルナーやロイエンタールに声をかけようとした。
だが直後室内で複数の爆音が鳴り響いた。
プロの軍人ならまだしも、一般人がこんな状況で冷静でいられるはずはない。
会場内はパニックに陥った。
飛び交う悲鳴と怒号の中、オーベルシュタインはもみくちゃくされてしまう。
そんな中おそらくこの騒ぎの元凶であろう男は『フィリーネ』を無理矢理抱えて周囲をなぎ倒して出口に向かっていく。
「きゃーーーー!!」
絶対届かないだろうと思いつつひとまず悲鳴をあげてみた。
一応暴れてもみるが、このまま横転したら動きづらいドレスなこともあって皆に踏まれて死にそうだ。
この場で殺さないということは攫うのが目的だろうし、ならば何故攫いたかったのかを確かめたかった。
「フィリーネ!!」
少し離れたところから聞こえた大きな声はビッテンフェルトだ。
悲鳴が届いたらしい。
彼の声はフェルナーとロイエンタールに聞こえたらしく、慌てた二人の声が聞こえてきた。
しかし呼びかけに答えるよりも早く、部屋の外に連れ出される。
喧噪が遠ざかっていくのを感じながら、オーベルシュタインは考えた。
いつまで大人しくしていようかと。