薄暗い倉庫の中、オーベルシュタイン軍務尚書は業務用の砂利袋が積み重なった上にちょこんと座らされていた。
その正面には腕を組んで睨む共犯者二名がいる。
近頃益々この華奢な男はおかしかった。
屋敷での口数はどんどん減っているし、密かに誰かと連絡をとっている。
こそこそ何かを書いては消し、それは絶対に見せようとしない。
別にオーベルシュタインが反乱を企てているとか疑っているわけではない。
もし本当にそんな不穏なことを考えているならば、もっとうまくやるだろう。
以前から察している通り、やはり何か小説に関することに違いない。
あの聴衆の前ですぐさま小説を書きあげてみせた『小説の女王』が懊悩している。
何に悩んでいるのかものすごく気になった。
それでも最初は力ずくで聞き出して機嫌を損ねる必要もないし、そのうち自然と話すだろうと無理強いはしなかったのだ。
だが、帝国文学を凄まじい勢いで開墾している『才媛』の様子は加速度的に悪化していた。
ちゃんと眠れていないのか顔色はさらに白茶けるし、食も進んでいない。
オーベルシュタインの周囲の空気は今までが肌寒いが防寒していれば何でもない程度の気温だったとしたら、現在はカプチェランカレベルにまで到達している。
おかげで会議での言動自体はいつも通りなのだが、場の雰囲気がとんでもない。
今から戦争が始まるとしてももう少し和やかだろうというくらい張り詰めていた。
獅子と謳われる皇帝ですら顔が引き攣るほどで、何度も仔細を問いただすが何の答えも得られなかった。
他の上級大将達は『誰か何かやったのか』と密かにどよめいていたが、ロイエンタールとビッテンフェルトは違う。
『フィリーネ・オルフ』がおそらく初めて壁にぶち当たっていると察した。
ならば希代の天才小説家のファンとして、近場にいる以上このまま静観するのは無理だ。
放っておいたら勝手に自壊しそうである。
だが普通に問いただしても逃げられるだけで、最近ではオーベルシュタインの屋敷内ですら避けられている。
そのためローエングラム王朝を代表する提督ふたりは示し合わせ、昼休みに軍務尚書=フィリーネ・オルフ捕獲作戦を実行することとなったのだ。
作家当人が嫌がって逃げて暴れたため、強制連行したが、絶対逃がさないために必要な処置である。
フェルナー准将に連絡してあるので、昼休みの時間は気にする必要はない。
徹底詰問会の始まりである。
「いい加減吐け、オーベルシュタイン軍務尚書。俺達に何を隠している」
「何故隠す。何を悩んでいる。言え」
「・・・・・・・・言いたくない」
「何故だ」
「私にだってプライベートくらいある」
言いながら視線を逸らせば、両サイドから薄い頬を挟んで正面を向かせた。
正面には不貞腐れた成人男子二名の顔がある。
「言い訳はもう聞かんぞ。お前の悩みは小説のことだろう。そうに決まっている」
「むしろそれ以外ないだろう。お前は仕事で悩むはずない。プライベートは小説か犬しかない」
「・・・・・・随分な言われようだ」
反論が弱い。
もしかしたらこの男なりに共犯者に黙っていることに抵抗があるのかもしれない。
この感触ならもう一押しすれば突き崩せる可能性がある。
なんだかんだでこの男は一度懐に入れると甘いところがあるのだ。
オーベルシュタインはかなり悩んでいるようだった。
薄い口唇を何度ももごつかせ、何かを言いあぐねている。
仕事をしっかりと優秀な副官達に頼んできたふたりはさらなる長期戦にも対応する構えだった。
「・・・オーベルシュタイン。俺達は友達だろう?何故そんなに隠すのだ?」
ビッテンフェルトは思わずそう尋ねた。
全面的に好意を持っているかと言われると疑問だが、今の関係は少なくとも友情によって結ばれていると言って良いと思う。
オーベルシュタインは口ではあまり語らないが、文字では非常に多彩な表情や感情を見せた。
彼の描く物語は非常に緻密で重厚かつ情感豊かであるのに、するすると容易く飲み込め、内側をかっと熱くさせる良い酒のようだ。
良い文章を書くのが良い奴とは限らないが、少なくとも彼の書く小説は彼の心や記憶によって生み出されたもので、どれほど真剣に書かれたか知っている。
小説内に出てくるビッテンフェルトをモデルにしたキャラはカッコいいし、良く観察されていると感じた。
ファンレターを嬉しそうに(見慣れないと誤差の範囲だろうが)読んでいる姿を見ていると、本当はかなりシャイで内気な男なのではないかと思う。
相変わらず仕事に関しては色々気にくわないが、私人であるオーベルシュタインのことはなんだかんだで好感を持っているし、奴も同じなようなのでもう友と言っていいと感じていた。
「え?」
「え?」
猛将の言葉に他のふたりが声をあげる。
それが明らかに「何を言っているんだ」という声音だったため、ビッテンフェルトも驚くはめになった。
「おい、なんだその顔は!?俺達は友ではないというのか!?」
「え・・・・・・・・卿は友だと思っていたのか?」
「ほう。そうか。卿らは友達だったのか。知らなかった」
「はぁ!?」
純粋に驚いている様子のオーベルシュタインといつもの皮肉気な笑みを浮かべたロイエンタールを交互に見ながらビッテンフェルトは頬を紅潮させた。
こいつは友達だとも思っていない男達を頻繁に泊めていたのかとも思ったし、逆にロイエンタールは友達でもない男の家に高頻度で泊まっているのかとも思う。
友達だと思ったのは勘違いだったのかと、なんとも恥ずかしいやらやるせないやらの気持ちになり、撤回しようと口を開く。
すると、穏やかな声が猛将のそれを塞いだ。
「・・・・そうか、卿は私の友達なのか」
見ると、絶対零度の剃刀は、小春日和めいた空気を纏っている。
相変わらず表情がわかりづらいが、少なくとも嫌がっている様子はない。
「・・・・・・そうか・・・・・・そうだな・・・・・・・・・友ならば相談しても良いかもしれない」
しばし悩んだ後、ぼそりとそんなことを言いだしたので、それぞれ動物に例えられる提督は目を剥いた。
別にビッテンフェルトは嘘をついたつもりはないし、至って本気で言ったがあれほど頑なだったのに、こんなにあっさり受け入れて今まで秘匿していたことを明かして大丈夫なのか。
この男実はかなり騙されやすいのではないだろうかと心配になる。
美丈夫も同じ気持ちだったのか、やや不満そうに問うた。
「なんだ、それならさっさと言え。何に悩んでいる」
「?・・卿は友ではないからここでは言わないが」
当たり前だろうと言わんばかりの作家の言葉が、ロイエンタールの秀でた額にぴしりと青筋を浮かび上がらせた。
ビッテンフェルトは友達だから話す。
ロイエンタールは自ら友達ではないと遠回しに示したわけだから話さない。
理屈的には正しく矛盾はない。
だが、もっと言い方があるだろう。
妙なところで素直な軍務尚書に、オレンジ色の上級大将は内心で頭を抱えた。
その直後だった。
いきなり倉庫の扉が吹っ飛ぶように、と言うより本当に吹き飛んだ。
同時に体格が良い男達が複数なだれ込んでくる。
入って来たのは三人。
全員ブラスターを構えている。
反射的にオーベルシュタインを突き飛ばして砂袋の裏に落し、ビッテンフェルトとロイエンタールもブラスターを抜くが、すぐに下ろした。
全員見知った顔だったからである。
「両提督!落ち着いてください!!」
「まずは卿が落ち着け、ケスラー。なんだいきなり。サプライズか?俺は今日誕生日じゃないぞ」
ロイエンタールがうっすらと状況を悟りつつも、表面上は冷静に優秀な頭脳を回転させる。
この中庭は死角が多く、近くにある休憩所も建物内で一番人気が無い場所だ。
だから目撃者が出る可能性がもっとも低いと見積もっていたが甘かったらしい。
しかも目撃したのがこの三人だとは。
内密な話だから黙っていろと言ったところで納得してもらえるとも思えない。
下手したら陛下にまで報告がいく。
「・・・・・痛い」
後ろの方でぼそりと、オーベルシュタインの抗議が聞こえた。
「ここで話すことは外部に一切漏らさず、墓の下まで持って行ってくれ。それがこの場で誓えないならば今日のことは忘れて帰ってくれ」
まるで死刑でも宣告するかのようにオーベルシュタインは重々しく語った。
ここにいるのはオーベルシュタイン、フェルナー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ケスラー、ルッツ、ワーレン。
全員が軍の要職についている普段の会議のような面子である。
だが現在いるのはオーベルシュタイン邸であり、その食堂だ。
普段から入り浸っているファンクラブ会員達はともかく、外三人が何故ここにいるのか。
ロイエンタールが勝手に話を進めて、オーベルシュタイン邸集合を告げたからだ。
オーベルシュタインはこれ以上共犯者を増やすことを嫌がり、かなり強引に話を終わらせようとしたが、美丈夫は引かなかった。
中途半端に疑われるくらいならば、さっさとばらして引き込んだ方が楽だし確実だと主張したのだ。
一応理にかなってはいるが、やや軽率とも言える提案だ。
確かに3人の提督は信頼がおける人物達だが、秘密は知る人間が増えるほど漏洩の危険は上がる。
オーベルシュタインは彼にしては珍しく過剰と言えるほど嫌がった。
帝国に3人しかいない元帥のうちふたりは、しばらく周囲を置いてけぼりにして言い争っていたが、最終的に非常に珍しく軍務尚書が折れた。
『あの時のロイエンタールは完全に仲間外れにされたことで拗ねた子供だった。オーベルシュタインが嫌がるとわかっていたからあんな提案をしたのだろう。俺だけに明かすと言っていた秘密もさらっと自分にも共有させるように仕向けていたし。もちろん目撃者があの3人でなければ真実を明かそうなどとしなかっただろうがな。まあ、我儘が言える相手が出来たことは良いことだったと思う。連中にとっては特に』
後に、ビッテンフェルトはそう語っている。
そして忌むべき僚友の館へ一方的に呼び出された面々は、
『坊ちゃんの御友人がこんなにいらしてくださるなんて!』
と狂喜乱舞する使用人達から全力の歓待を受け、たらふくごちそうされた後現在に至っている。
ロイエンタールが他人の家に勝手に招いた客人達は、家主の言葉に顔を引き締めた。
何せ犬猿と有名な3人が持つ秘密である。
ここでやっぱりやめますと帰ったとしても、高確率で先程の料理が最後の晩餐になるに違いない。
だから新たな客人達は背筋を正し、残ることを示した。
オーベルシュタインはため息をつき、床に置かれていたアタッシュケースをテーブルに載せて開く。
中には無数の書類が入っているようだった。
それらの一部を出席者に回し、行きわたらせる。
紙に描かれていたのは、人型の大きなロボットだった。
おそらく地球時代中世の鎧などをモデルにしたのだろう。
かなりスタイリッシュでエッジが利いたデザインになっていて、子供が喜びそうな見た目だ。
どうやら腹部にコックピットがあるらしく、ハッチが開いている絵や人間とのサイズ比較の図などもある。
別紙にはかなり細かく仕様やら各部名称、搭載武器などが書かれていた。
「・・・・これは?」
ルッツが困惑気味に尋ねる。
この絵が何を意味するのかは、配った本人しか知らないことは皆の表情で察したからだ。
「・・・・これは『ナグルファル』。『共和宇宙連邦軍』の人型機動兵器だ」
オーベルシュタイン=フィリーネ・オルフはため息をつきながら長い脚を組む。
半白の髪をかき上げ、案外豊かな睫毛を伏せた。
「私=フィリーネ・オルフではなく変名の『ペトロネラ・エクスラー』のデビュー作になる予定の子供向けのSF戦記だ」
食堂は一瞬水を打ったように静まり返る。
だが、直後複数の野太い叫びが響き渡ったため、危うく使用人達が憲兵を呼びかけた。