クール系幼馴染と疎遠になったから頑張って距離を縮めたい 作:ビタミンB
幼馴染の口調で114514年悩みました。
沈黙。この状況を表すのにこれほど適した言葉は見つからないほど、両者の間には寒い空気が流れていた。
見事に裏返った自分の声に羞恥心がこみ上げる。それと同時に無性に情けなくなって、俺は澪から視線を伏せた。彼女の反応を見るのが怖かったというのもある。
どう考えてもヘタレな俺のせいでした、本当にありがとうございました。
気さくな挨拶 (奇声) を発してから十数秒。その間、彼女からそれに対する返答はない。ただお互い無言でその場に立ち尽くしているが、そろそろ辛くなってきた。
なんでもっとまともな声出せなかったんだ俺。この反応絶対引かれてるだろ。
一日の気まずさの許容量を優に超えた圧倒的気まずさを前に、俺が選んだ行動は戦略的撤退。つまりはただの逃走だった。闘争ではない。
いや仕方ないじゃん、これ以上どうしろってんだ。下手に会話を続けても悲惨になる未来しか見えないし、そもそももう言葉を発する余裕が俺にはない。
──小心者だなぁ……。
結局、出てくるのは言い訳ばかりだった。
自分にも、空気にも。いよいよ耐えきれなくなった俺は、伏せていた視線を自宅へと向けて歩き出す。
だが、澪が動き出す気配は感じられなかった。
そもそもなんで俺と同じく立ち尽くしていたんだろう。俺が動かなかったから? いや……まさか会話の糸口を探していたとか……? もしかして澪もこの関係をどうにかしたいと、そう思って──?
──なんて、夢見すぎだろ。童貞乙。
自問に対し辛辣な自答を返して、俺は玄関へと入っていった。はっ、これだから童貞は。なんでも自分の都合のいいように考えてんじゃねーぞ。本当にすいませんでした。
それでもつい彼女の様子が気になって、背後でゆっくりドアが閉まっていく最中振り返る。
すると、何か言いたげな表情をしていた彼女と一瞬目があって──ガチャリとドアが閉まった。
……え、ちょい待ち、待ってくれ。
え? 今こっち見てたよね? 何か言いたそうな顔してたよね? え? 見間違い? あぁなんだ見間違いか、見間違いですね。見間違いに違いない。
……。
…………。
………………。
「見間違いじゃねぇぇぇぇえ!!!」
速攻でリビングに駆け込みソファーでのたうち回る。
男、矢渡渉。心の底からの叫びだった。
その後も「ぐぁぁぁ」だの「ぬぉぉぉ」だの叫びまくり、漸く我に返った時には既に帰宅してから十分ほど経過していた。喉がすげー痛い。
「……あ、そういえば父さんも母さんも旅行に行ったんだっけか」
一周回って静まったリビングを見渡して、両親が親戚と旅行に行くと言っていたのを思い出した。俺は学校があるから当然置き去り。これから二日間ほど我が家は俺一人きりだった。
行き先は……何処だっけか。忘れた。けど確か結構いい感じのところだと言っていた気がする。お土産に期待せねば。
ソファーから立ち上がりテーブルの上を見ると、母さんが書いたであろう置き手紙があった。内容はまあ読まないでもわかるけど、一応目を通しておく。
『貴方がこの手紙を読んでいる時、私は既にそこにはいないでしょう』
「いや死んだみたいな言い方すんな」
あんたどこ旅行してんだ。
うちの母さんはこう……何故かよくわからないところでボケをかましてくる。そのせいで無駄にツッコミ癖のようなものができつつあった。一風変わった英才教育の賜物である。
『話していた通り二日間の旅行に行ってきます。
ですが、お母さんは一人家に取り残される息子がとてもとても心配です。
ということで旅行の間、澪ちゃんに夕御飯を作ってもらうようにお願いしておきました』
「……はっ?」
思考が停止する。
『学校終わったらすぐ来てくれるそうだから、昔みたいに仲良くするように〜』
「……いやっ、ちょ、えっ……勝手になにやってんだぁぁぁぁぁあ!」
はっ? 澪が来る? 何処に? ウチに!?
「ウオアァァァァァァァァァ!」
奇声を発せずにはいられなかった。
玄関先なんて比じゃない。どうしようもない状況に陥った男の本気の発狂がそこにはあった。
マジかよマジかよマジかよ、唐突すぎて意味わかんねーよ! しかも『ということで』ってどういう接続詞の使い方してんだあああああああああどうしようどうしよう。
澪が来る。
それも、もうすぐ。
「なんでこんな大事なことを当日まで隠していたんだマイマザー……!」
絶対に意図的だろ。ニヤリと笑う母親の顔が嫌に鮮明に脳に浮かぶ。
あ、つまりあれか? さっきの玄関のアレはこのことについて何か言おうとして……?
「くっ……」
俺は誰がいるわけでもないのにその場で身構え、周囲を警戒しながら後ずさり、そのまま再びソファーへ倒れ込んで発狂した。
もうダメだこいつ。
「……取り敢えず落ち着こう」
喉の痛みに冷静さを取り戻した俺は素数を数えることにした。……よし、もう大丈夫。
とは言っても澪がウチに来るまでの時間は刻一刻と迫っている訳で、カチカチと鳴る壁掛け時計の秒針が俺の心を焦らせた。
一先ず部屋の片付けは……問題ないな。ばっちり掃除されている。俺というゴミさえなければこのリビングは完璧だ。見た感じキッチンも整っている。顔はもう今更イケメンにはなれないので仕方ないとして……先程の発狂で乱れた制服を整えて服装もギリOK。よし、準備は万端だ。
「く、来るならいつでも来い……!」
インターホンに向かって身構える。
しばらく鬼の形相でモニターと睨めっこを繰り広げていると、沈黙を破るピンポーンという軽快な音がリビングに響いた。
「キタァァァァァァァ!?」
落ち着け、落ち着け俺! 腹式呼吸!
『あの、因幡ですが』
「あ、はい! どうぞ上がって……ください」
勢いよく飛び出した言葉は尻すぼみになっていく。だが了承の意は無事に伝わったらしい。既に鍵の開いている玄関が開く音がした。
「おじゃまします」
「どうぞどうぞ……」
声音も態度も至って冷静な澪に対し、俺は妙によそよそしい。そんな俺を澪はちらりと見やると、靴を脱いで家へ上がった。
澪が近い。長い睫毛が、落ち着いた瞳が、すらっとした鼻筋が、艶やかな唇が目の前にある。匂いも甘い。
ここ数年は見かけたり眺めたりするばかりで、ここまで近づいたのは久しぶりだった。しかも場所は俺の家。子供だった昔とは違い成長した彼女がこうして家にご飯を作りに来たという事実が、驚くと同時に嬉しかった。
でも、俺が知らない彼女の成長に僅か寂しさを感じてしまっているのも確かで。中学生の自分がもっと素直だったらな、なんて、何度も繰り返した後悔が再び湧いた。
──昔は"おじゃまします"じゃなかったのになぁ。
ただいま。それが俺たちがお互いの家に入る時の言葉だった。昔はどちらの家も自分の家のように感じていた。家族のような認識だったのかもしれない。
それが今はこんなにも遠い。ずっと近くにいたのに、近くにいられたはずなのに。こうして同じ場所にいる今でさえ、目の前の彼女との距離がさらに開いていくように感じた。
「じゃあ、キッチン借りるわね」
「あ、うん。……お願いします」
アッ、直行ですか、ソウデスカ……。
澪は歩きながら自分で持ってきたであろうエプロンを身につけると、一直線でキッチンへと向かっていった。俺はというと行き場をなくしたためリビングの入り口に立ち尽くしている。完全に手持ち無沙汰だった。
ナニコレめっちゃ気まずい。あっれー、おかしいなー。自分の家の筈なんだけどなぁー。
「食材はあるものを使っちゃって大丈夫?」
「あぁ、うん! 全然大丈夫! もう好きなだけやっちゃって!」
「う、うん。わかった」
思いっきり困惑された。
く、もういい加減静まれよ俺……! 今の俺は自分で自分の首を絞めているだけだった。
にしても、こういうところは相変わらずだなぁ。
澪は家に来た時から常に落ち着いている。それもそうか。澪はただ母さんに頼まれて事務的に料理をしに来たんだ。そこに他意はない。謎にキョドッてテンションが迷子になっている俺とは大違いだ。
でも、こうも感情が見えないと不安にもなってくる。澪は数年ぶりに俺と話してどう思っているんだろう。嬉しいのは俺だけなのか……? 本当に、ただの他人のような関係になってしまったんだろうか。
「夕御飯、ハンバーグにするから」
「あっ、うん! いいね! ありがとう!」
ハンバーグ……! そのメニューを聞いてテンションが上がる。高校生にもなって子供っぽいかもしれないが、昔からハンバーグは好物だった。それこそ、澪と遅くまで遊んだ帰りに毎回母親にせがむくらいは。
まさかそのことを覚えて──? そう思って澪を見ても、その表情からは何もわからない。ただ凛としているだけだった。
──つーか結局俺はどうすれば……?
澪はもう調理に取り掛かっている。これ以上自分から言葉を発しようものなら確実に滑り、空気がさらに寒くなることが予期できる。
大人しくしてますか……。
この期に及んでため息をついた俺は、料理が完成するその時までソファーで待つことを決めたのだった。
●
あれから数十分ほどの時間が経過した。その間、俺たちの間に会話は一つもない。
何か話したい。けど、変に思われないだろうか。下手したらまたドン引かれるんじゃ。そんな風に考えている自分が嫌だった。
そんなこんなで、俺は今無心でテレビを眺めている。夕方のお天気コーナーのようなものが放送されているが、一切情報が頭に入ってこない。ただ後ろのキッチンから聞こえてくるハンバーグが焼けているであろう音を聞いて腹を空かせていた。
ちらっと振り返ってみれば、対面式のキッチンの向こうで手際よく調理を進めていく澪の姿が。制服にエプロンという男が一度は憧れる女の子の萌えファッションは、ダイソンばりに俺の視線を吸引した。特に控えめな胸の膨らみが最高ですはい。微乳は正義。微乳万歳。
──改めて見るとやっぱ美少女だよなぁ、澪って。
本日何度目かわからないことを考えて、頬が熱くなるのを感じた。
折角こうして来てもらったのに、一体俺は何をしてるんだろう。不意にそんなことを思った。
……そうだ、こんなチャンスは滅多にない。だというのになに黙ってテレビなんか見てんだ俺! 滑るとか気にしてないでアタックしろや!
よ、よし。やるぞ、俺はやる!
「あのさ、何か手伝うことってある?」
「いや、もうできたよ」
「アッハイ、ソウデスカ。ソウデスヨネ……」
撃沈だった。俺という男は何をするにも遅すぎる。それを改めて認識した瞬間だった。
「だから、運ぶの手伝って」
「ッハイ! 任せてください! 男、矢渡渉! 全身全霊! 命を賭して運ばせていただきます!」
前言撤回。まだチャンスはあった。
急に元気になった俺の姿に澪は驚くが、今やそれを気にする俺ではない。既に皿に盛り付けられた料理の数々を洗練された高級料理店のウェイターのような動きで運んでいく。明らかにおかしいけどもうどうにでもなれ。
全てテーブルに並び終えると、澪は若干警戒しながらも向かいの席に腰を下ろした。
……え?
「あ、あの、澪さん……?」
「何?」
「いや、一緒に食べてくれるんですか……?」
てっきり作るだけ作って帰るもんだと思っていた。いや、そりゃ一緒に食べられたらな〜とは考えていたけど、ほとんど諦め半分だったし。
運んだ時はあのテンションだったから気付かなかったが、テーブルの上を見るとちゃんと澪の分の料理もある。だというのにこんな質問をした俺を不審がってか、澪は普段の2割り増しくらい淡々とした声で答える。
「うん、そのつもりだけど。お母さんたちにも渉の家で食べてくるって伝えてあるし」
「そ、っか」
「もし迷惑なら……帰るけど」
「あっいや! 迷惑とかじゃないです!」
何処かばつの悪そうな表情の彼女の言葉に否定を入れる。迷惑なんてとんでもない。むしろ最高に嬉しかった。
俺の言葉に「なら、いいけど」と返す澪。もしかしたら、彼女も冷静さの向こうで気まずい思いをしていたのかもしれない。
というか、それより。
──名前、久しぶりに呼ばれた。
顔が急激ににやけていくのがわかる。こんな不意打ちは想定外だ。言葉に詰まってしまっても仕方ない。しかも俺もさりげなく名前呼んじゃってた。
俺はすぐさま澪に背を向けると、だらしなく緩んだ顔を手で覆った。
叫びたい。猛烈に。
この場に俺しかいなかったら間違いなく発狂していた。でもこの場に俺しかいなかったら澪もここにいないわけで、俺が発狂する原因がなくなったら俺は発狂しないのではって意味わかんねーあばばばばば。
兎に角嬉しい。離れていた距離が一気に縮まったような気がした。
……よし! この調子でどんどん行こう!
ようやくにやけが治ったタイミングで振り返ってみるも、澪を見た途端急に会話が浮かばなくなった。
「……」
「……?」
「あっ……ああそうだ! お茶入れるよお茶!」
必死に言葉を探ること数秒、選ばれたのは綾鷹でした。何やってんだ俺は。
二人分をコップに注いだついでに、そういえば運び忘れていた箸なども一緒に運んでいく。
食事をする準備が整ったため俺も椅子に座ると、澪は今しがた運んだ箸をじっと眺めていた。
「……懐かしいわね」
「……覚えてたのか」
今日、初めて自然に溢れた言葉だった。
彼女が見つめるのは、幼少期の頃に使っていた箸。あまり飾り気のあるものが好きじゃなかった澪が好んで使っていた、シンプルな木製のもの。
本当に懐かしそうにそれを見る澪を見て、心が温まっていく気がした。
「冷めないうちに食べましょ」
「うん。いただきます」
少しだけぎこちなさがなくなった状態で、俺たちは料理に手をつけた。
●
「ご馳走さまでした」
「お粗末様でした」
食事中、俺たちは幼き日々を思い出しながら会話に花を咲かせ──なかった。これはもう、見事に。
ちょっといい感じじゃね……? とは思ったものの、やはり現実。そう簡単にはいかないのである。黙々とハンバーグを食べ進めるだけの時間はあっという間に過ぎ去り、テーブルの上には空になった皿だけがあった。
因みにハンバーグは死ぬほど美味しかった。比喩でもなんでもなく、死ぬほど。食事中なんどにやけそうになったことか。意中の相手の手料理を食べて喜ばない男はこの世界にいないのだ。感想を伝えると、澪は「そう、ならよかった」とこれまた冷静に返してた。
そんなこんなで今俺は洗い物をしている。最初は澪がやろうとしたが、夕飯を作って貰った上に洗い物までさせる訳にはいかない。
澪は俺が洗い物を終えるまでソファーで座って待っていた。
「じゃあ、私は帰るから」
「あっ、うん。今日はありがとう」
現在時刻は夜八時前。数年ぶりの澪との時間は本当にあっという間に過ぎ去り、もう終わりを迎えていた。
ソファーから立ち上がり玄関へと向かう彼女に控えめに着いて行く。畳んだエプロンを持って靴を履くと、腰を曲げた姿勢にスカートと水色の髪が揺れた。
「おじゃましました」
ドキッとしたのも一瞬、澪はすぐに家を出て行った。一気に静かになった空気に緊張が解けて、俺は廊下の壁にもたれかかる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
明日もよろしく、なんて言えたらなぁ……!
結局、終始澪が何を考えているのかはわからなかった。驚くほどのポーカーフェイスだ。
けど、確実に前進した。
数年ぶりに言葉を交わしてみて実感した。状況は絶望的じゃない。確かにぎこちなかったし、緊張したし、挙動不審だったけど、話すことはできた。
澪が俺のことをどう思っているのかはわからない。けど、母さんの頼みとはいえこうして家に来てくれるくらいには大丈夫と判断されているんだろう。大丈夫だよね。そうだと信じたい。
──それに、決意も固まった。
「……よし、俺はやるぞ」
拳を握って呟く。
落ち込んだり喜んだりと忙しかった一日は、こうして終わっていったのだった。