クール系幼馴染と疎遠になったから頑張って距離を縮めたい 作:ビタミンB
トントントン、と小気味よい音が聞こえてくる夕方6時の矢渡家。
先程手伝いを名乗り出た俺は、キッチンで澪のサポートをせず──
うおおおおおおおおおおおおお何口走ってんだ俺ェェェェェェェェェェ!!!
──絶賛、ソファーに顔を埋めていた。
何恥ずかしいことサラッと言ってんだ俺は……! 死ぬのか! 俺は死ぬのか……!? 何が「似合ってる。最高に(キリッ)」だよふざけんなぁぁぁぁぁぁ!
この姿を澪にどう思われているかなんて気にする余裕もなく、顔を手で覆いひたすら悶える。でもまあ、赤面するのが今でよかった。澪の目の前でこんな無様を晒したらそれこそ距離を縮めるどころの騒ぎじゃなくなってしまう。身の危険を感じて即刻帰宅まであったかもしれない。
俺が痴態を晒す一方、澪は相変わらずのポーカーフェイス。ふっと微笑んでは見せたものの、それ以外の反応は特に見せなかった。いつもの涼しげな表情で淡々と料理をこなしている。
……うん、澪らしいね。
良くも悪くもいつも通りの澪の姿に安心する。
でも、嬉しさ恥ずかしさ甘酸っぱさその他諸々の感情が込み上げてくる中、こんな思いをしているのが自分だけだという事に何処と無く虚しさを感じたりもするわけで。
けど、これも仕方ないことなんだろう。今まで俺がしてきたことのツケが回ってきただけだ。距離を縮めると決意した手前、この程度で揺らいでいる暇はない。
「カレー、できたよ」
「はい」
俺たちの戦いはここからだ……! と意気込んでいると、可愛らしく両手で一つの皿を持った澪が声をかけた。すかさず俺もソファーから脱出してキッチンへ向かい。残りの皿をテーブルに運ぶと、お互い席に着いた。
「いただきます」
「いただきます」
スパイシーな香りに食欲を刺激させられながらスプーンでカレーを食べ進めていく。
程よい大きさに切られた人参やジャガイモが口の中を転がる。辛さもちょうどよくて、自然と手が動いた。
って、いかんいかん! 今日こそは何か話さねば……! 昨日のように無言で食事を終えるなんてあってはならない……!
ちら、と澪を見ると、さっき結んだポニーテールがそのままになっていた。正面から改めて見ると、その……やばい。とんでもなく可愛い。
俺が子供の頃に見慣れていた澪は、髪の長さこそ今と同じで腰あたりまであったが、結んだことは滅多になかった。しかも今はお互い子供じゃなく高校生だ。成長した澪の少し変わった姿を、こんな間近で、真正面から眺めている。今すぐに心臓が破裂してしまいそうだった。
「……何?」
「あっいや、何でも……」
バレたぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!
バレた! 見てるのバレた! 恥ずい! 死ぬ!
すぐさま澪から視線を逸らし、ひたすらカレーを口に放り込む。もう味なんてわからなかった。
どうしよう、気持ち悪いって思われてないよな……? 女子って自分を見る視線に敏感だって言うし……くっ、ポーカーフェイス過ぎてわかんねぇ……!
お互い何も喋らない。
このままだと昨日と同じじゃないか。そう思って口を開こうとしてみても、フラッシュバックする澪の微笑んだ表情や髪型のせいでうまく言葉が出てこない。ただスプーンだけが皿に当たり、カチャンカチャンと饒舌に音を鳴らしていた。
チクショウ、さっきテレビ付けておけばよかった。適当なニュースキャスターの一言でさえ拾って話題にできたかもしれないのに。この沈黙を打破する為なら俺は笑顔で「澪、世界情勢について語ろうぜ!」とでも言ってのけるだろう。そして素で「は?」と言われて撃沈するんだ。嗚呼、短い人生だったなぁ。
そんなことを考えていよいよ俺が棺桶に入った時、意外にも会話を振ってきたのは澪だった。
「どう? 味は」
「美味しいです、とても」
何が昨日よりは緊張してないだよ矢渡渉。バリバリ緊張してんじゃねーか。
「……なんで敬語? 昨日から思ってたけど渉、なんか変」
「そ、そう……? 普通だと思うけど」
「普通なんだ。……変わったね」
「いや、それはちがっ……!」
咄嗟に否定の言葉が口から飛び出す。それでも完全に否定できなくて、詰まった。
違う。違くないけど、違うんだ。確かに俺は、俺たちは変わった。高校生になって昔より成長したし、言葉使いも無邪気なものじゃなくなった。
だけど、変わってないものもある。
俺は、ずっと前から──……。
今思っていることをそのまま言葉にできたらどれだけ楽だっただろうか。
今の俺は、昔の俺じゃない。そう澪に思われていることが嫌だった。
「ごちそうさま」
気がつけば皿の上は空になっていて、それでもカレーを掬おうと伸びたスプーンは一層大きく音を鳴らした。
先ほどのやりとりに特に表情を変えることなく、澪は淡々と手を合わせる。
「……ごちそうさま」
ワンテンポ遅れて手を合わせると、澪は立ち上がって食器をキッチンへ運び始めた。俯きがちにその姿を目で追っていたが、すぐに俺も席を立って食器を運んだ。
「洗い物、今日も俺がやるから」
「わかった」
そう言って腕を捲ると、澪は頷いてソファーへ向かっていった。
そして、また沈黙が訪れる。
汚れを流す水の音と、食器同士がぶつかる音がやけに大きく聞こえた気がした。
「こんなはずじゃなかったんだけどなぁ」
同じだ。昨日と同じ。俺が洗い物をして、澪はその間ソファーでテレビを眺める。何一つ変わっていない。今日こそはいけると思ったのに、少し躓いたらこのザマだ。
「変わって、ないのになぁ」
結局、距離は開いたままだった。
●
食器の水気を拭き終えて洗い物が終了する。時計を見ると昨日澪が帰った時間になっていた。
なんか、あっけない二日間だったなぁ。
振り返ってみれば、俺は何一つとして澪との距離が縮むようなことをできていなかった。何をするにも空回り。若しくは自分で耐えきれなくなって自滅ときた。全く、こいつは本当にやる気があるんだろうか。
なんて、自虐気味に思って見ても現状は何も変わらない。母さんが作った折角のキッカケもこうして逃そうとしている今、俺の中には情けなさしか残っていなかった。
ソファーに近づく俺に気づき、澪は体勢を整える。もう帰るんだろう。そう考えると今度は寂しさが襲ってくる。
けど、最後くらいは気分よくいこう。
そう自分に言い聞かせ気持ちを切り替えると、澪が立ち上がるのをそっと待つ。笑顔の準備はできていた。
なのに──
……。
……。
……あれ?
いつまで経っても澪が立ち上がらない。依然ソファーに座ったままの彼女に疑問符を浮かべていると、澪はこちらに振り返り、覗き込むような視線を向けた。
「今帰っても暇だからもう少しいてもいい?」
「えっ……えぇ!? いいの!?」
「それは私が聞いてるんだけど……うん、いいよね。折角だし」
「……うん! もちろん!」
瞬間、さっきまでの自分は何だったのかと疑いたくなるほど笑顔になる。我ながら単純な男だな、なんて感想が心に沸いた。まだまだ沈むには早いらしい。
まるで少女漫画の乙女のように一喜一憂していると、ソファー中央に座っていた澪が端へずれた。
「座れば? そもそも渉の家なんだし」
「お、おう」
そう言われるとその通りだから、若干どもりながらソファーに腰を下ろす。ばっちり人一人分の距離を開けて座っても、女の子特有のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
「変わってないね、このリビング」
「……食器もそうだったけど、結構覚えてるんだな」
「まあ、昔あれだけ来ればね。渉だって私の家の中覚えてるでしょ?」
「まあ、それなりには」
嘘だ。それなりにではなく、はっきり覚えている。ただここで少しぼかしてしまったのは、まだ何処か吹っ切れていないからなんだろう。
それからしばらくお互いの家がああだこうだと話し合う。緊張なんて何処へやら、気が付けば普通に笑い、普通に驚く自然体の俺がいた。だが澪は依然ポーカーフェイス。昔はもっと表情豊かだったんだけどなぁ。
話が一旦落ち着くと、澪が「あ」と声を上げた。俺はそれがそろそろ帰らなきゃという意味の「あ」に聞こえて、少し身構える。
「そういえば数学の宿題やった? 明日締め切りのやつ」
「はっ、宿題……? ……やっば」
「やってないのね」
完全に忘れていた。そういえば出されていた気がする。
ぶっちゃけいうと高校最初の数学なんてなんとなく授業聞いてればできるけど……生憎寝ていたから教科書と睨めっこコースだろう。数学は苦手科目だった。
「教えようか、宿題」
「えっ、いいの? でもなんか悪いし……」
「いいならいいけど。昔から数学苦手だったでしょ」
淡々と言う澪に、俺はぽかんとした表情になる。
──そんなことまで覚えてたのか。
やばい、嬉しい。ニヤける。
まるで今朝の夢の続きを見ているみたいだ。小学生の頃から時を経た今、澪から勉強を教えてもらえる日が来るなんて。このチャンスを逃すのは罰当たりと言うものだろう。
「ちょっと待ってて、勉強道具持ってくる!」
そう言ってソファーを立つと、ヘアゴムを捜索した時よりも早いスピードでリビングを飛び出し二階へ向かう。最速で勉強道具を手に取ると、矢渡家秘伝(独自)の階段高速下りで一階へ戻る。あまりにドタドタと音を立てたせいか、リビングに入った時に澪のポーカーフェイスに驚きの感情が見えた。
「お願いします」
筆箱から取り出したシャーペンを装備し、椅子に座る。遅れてソファーから立ち上がった澪は俺の隣の椅子──ではなく、当然のように向かいの席に腰を下ろした。だよね、そうだよね。知ってた。俺知ってたから。
誰にでもなく慰めの言葉を掛けていると、ふと今手にしているシャーペンに目がいった。
これ、昔澪に誕生日プレゼントとして貰ったやつなんだよな。当時は確かお互い小学生なりに背伸びしようとして、澪はシャーペン、俺は少しお高いボールペンを送ったんだっけか。
……やばい。結構恥ずかしい。
そんな昔のものを今でも使っているなんて、俺が澪のシャーペンを大事にしてるみたいじゃないか。いや大事にしてるんだけど! 超大事にしてるけどそこから想像が発展しちゃうと恥ずかしいじゃないですか……!
澪、気づいたかな……?
もどかしい気持ちになりつつちらっと視線だけ向けてみるも、特に触れる様子はない。
「……じゃあ、始めましょ」
……だよな、忘れてるよな、そんな昔のプレゼントのこと。
さっきの話で俺が思っていた以上に昔のことを覚えていた澪だから、このことも覚えていると思ったけど。そう何でもは覚えていないらしい。
もういちいち気にしてられないな、と気持ちを切り替える。今は宿題に集中せねば。
●
十数分後。驚くほど教えるのが上手い澪のお陰で宿題はもう終わろうとしていた。
最後のやや難易度が高めの問題に俺が頭を悩ませていると、澪がぽつりと呟いた。
「……そのシャーペン、まだ使ってたんだ」
その言葉を聞いて手が止まる。ずっと問題に釘付けになっていた目は驚きで見開き、咄嗟に顔を上げて澪を見る。
びっくりした。まさか覚えているなんて思っていなかった。
胸が温かい。嬉しい。気を抜いたらまたニヤけそうだ。
「うん。そりゃ、もう」
ただ驚いているのは澪も同じなようで、今度ははっきりその表情を読み取れた。
それに対し俺は口を開こうとして──猛烈に悩んだ。どうしよう、これ言っていいのかな……! いや、いいよな! 澪が触れてきた話題だし……!
「そっちは……? ボールペン」
「あれはもうインクが切れたから」
「アッ……ハイ」
……うん、そりゃそうだよな。シャーペンと違っていつまでも使えないもんな。当たり前のことなのに少し傷ついたことは内緒にしておく。
それ以前にちゃんと使ってくれたことを喜ぶべきだ。それに、覚えてくれていた。何年も前のプレゼント交換を澪は忘れていなかった。今はそれだけで十分嬉しかった。
決して「ああ、今頃リサイクルされて他のペンの素材になってんのかなぁ……」なんて思っていない。ないったらない。
それからしばらく駄弁りながら俺が無事宿題を終わらせると、澪は持ってきたエプロンを持って立ち上がった。
「そろそろ帰る。遅くまでおじゃましちゃってごめん」
「いやいいよ。俺も家で一人は暇だったし。それに……楽し、かったし」
あああああああああそこで詰まるな俺! 余計に恥ずかしくなるだろうが……!
それはもう魚たちもびっくりの速度で視線を泳がせていると、澪がこちらを向いて──最高に可愛く微笑んだ。
「うん、そうだね」
「────」
「じゃあ、おじゃましました」
急な不意打ちに目を見開く俺を置いて、澪は家を出ていった。
ガチャリと玄関のドアが閉まる音が聞こえた次の瞬間、
「あああああああああ澪めっちゃ可愛いいいいいいいいい!!!!」
ばっくんばっくんと暴れ回る心臓を抑えつけながら、俺はその場に転がり回った。全身に走る鈍い痛みなどなんのその、リビングの中を縦横無尽に移動する。
そんなこんなで、最後に特大の爆弾を投下されて俺の二日間は終わりを告げたのだった。
アッッッッッッッッッッッッッ