Point/   作:千史色夜

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悲憐咆哮

 

 

 それは、生暖かい風が吹く、月の赤い夜だった。

 仕事の帰りにふと遠回りをしてみようかと思ったのは、偶然。

 見上げたビルの屋上に一頭の大きな白虎がいたのは、必然。

 白虎は何かを見ていた。

 じっと一点のみを見つめていた。

 俺には何を見ているのか見当もつかなかったが、その目には獲物を見定めるような、おぞましい何かがあったように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一二 / ◯◯

 

 

「やあ、よく来たね」

 そう言って手を差し出したのは、どこか両生類を彷彿させる目つきの男だった。白衣を着たその男はソファーへ俺を促した。

「お茶も出せないけど、まあいいだろう。それで、君は何を聞きたいんだ?」

「人が動物になることはできますか?」

「人が動物に? 何だいそれは、僕をからかっているのかい?」

「真剣ですよ。それともこう言えばいいですか。獣に変化する魔術はご存知ですか?」

「……はー、やっぱりその手の話か。まあ、彼女の紹介だったからそうじゃないかと思っていたけど……いいよ、教えよう。

 まず、先に言っておくと人が獣に変化する魔術は僕は知らないよ。もしかしたら、イギリスやヨーロッパ方面にはそういう術があるかもしれないけど、少なくとも、僕の所にはそんな情報は入ってきていない。まあ、魔術に関わっているなら君も知っていると思うが、魔術というのは秘匿され、一般の人たちには知ることはできない。それは、優秀な魔術師や伝統的な魔術家系の人間になればなる程、その傾向は色濃く出るんだ。僕みたいに気軽にアクセスできる魔術師なんて三流かそこらの奴らばかりさ。君の所の彼女は、その点、魔術師としては不合格かな。しかし、まあ、この話は今は関係ないからいいよね。

 そんな三流魔術師の僕が考えついた仮説は二つある。一つは、人は動物に変化しないということだ」

「変化しない?」

「そうだ。人は動物に変化はしない。もし、そんなことがあるとすれば、それは、ただ、入れ替わっただけだろう。人と己の中に住んでいる獣が」

「己の中に住んでいる獣」

「そう。そしてそれは基本的にある条件を満たすことが必要だ。

 例えば狼男なんかはその典型的な例だね。満月の夜という条件が満たされることによって己と己の中に住まう狼が入れ替わる。人としての意識が存在せず、ただ己の本能で行動する。まぁ、本当にごく稀に、人の意識は存在するが体の決定権が入れ替わる場合や決定権すらも人に存在することもある。

 そして二つ目だ。これは使い魔といった類である可能性だ」

「そうですか。

 話は変わりますが、最近、巷で巨大な白虎が現れ、人を襲っているそうです。既に被害者は十人を優に超える数になっています。俺はこの一連の事件が魔術によって白虎になった魔術師が起こしていると思っています」

「そうかい。僕のところにはそんな話は入ってきてないな。……情報屋失格だ」

「俺も気がついたのは偶然です。被害者が襲われているところに偶然通りかかって……」

「へぇ、そんな場面に出会えるなんて、君、なかなかのラッキーボーイだね」

「……最後に一つ、質問いいですか?」

「そうか無視なのか。僕としてはちょっと揶揄う程度のつもりだったんだけどね……いいよ、言ってごらん。」

「獣に入れ替わった時、意識はあるものですか?」

「意識がある? もしかしたら、その白虎は人としての意識が有り、かつ決定権があるというのかい?」

「おそらくですが」

「……気をつけなさい、理性のある獣は厄介だよ。あぁ、それと、その白虎の事だけどね、君の話を聞く限り、それは二つ目に挙げた使い魔の可能性が高い。むしろ、そっちなんじゃないかな。独立して行動する。普通の使い魔なら考えられない。しかし、使い魔といっても例外はいくつも存在する。時には主人の感情が暴走し、それを逃がすために無意識化で使い魔を召喚する事例も存在する。そんなのは状況だけ見れば、知らないところで使い魔が勝手に主人から追い出されたものだ」

「主人から……追い出された?」

 

「そう。そして、追い出されたものは元の場所に帰ろうとするものだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一〇 / ▲▲

 

 

 私の住んでいるマンションに瀬ヶ崎蓮也が訪れてきた。突然の訪問は時たまあることなので大して驚くことはないが、一番驚いたのはその服装だ。

 前面には夥しい程の赤黒いシミを作っているのだから驚かない方がどうかしている。最初は蓮也から流れ出ているものだと思ったが、そうではないらしい。ではその血は一体誰のだと聞いた所、ただ、「分からない」とだけ返ってきて、私は盛大に呆れたのだった。

「はあ、また例の癖か。いい加減その悪癖をどうにかしてよ」

 そう言うと、レンはハハハと苦笑いをした。そして

「風呂と洗濯機を貸してくれないか?」

 といい、私の返答など聞く前にズカズカと玄関に上がりこんできた。

「その服はもう着れなさそうだから捨てちゃうよ。それと、着替えは適当に見繕っておくから早く入ってきなさい」

「リョーカイ」

 レンは風呂場へ向かい、私はタンスへ向かった。一人暮らしの年頃の女子の部屋に、親戚でもなんでもない、男の下着やらスウェットやらが常備されてあるのは世間的に見ていかがなものなのだろうか?

 そんな私の心中など気にすることなく、その男はシャワーを浴びている。レンがきていた服から漂う濃密な鉄臭さが、私の生活圏に充満している。そのことに我慢できない私は、窓を開けて扇風機を回した。

 室内の冷気が外の夏らしい湿気を伴った熱気を入れ替え、さっきとは違った不快感に苛まれる。

 これは後で、ハーゲンダッツでも奢ってもらわなければ割に合わないだろう。

 勝手に自分の中で約束を取り付けながら、服をゴミ袋に詰めていく。それが終われば、台所に立ち、軽い食事を作る。あの様子ではお昼から今まで何も食べていないようだから。それは可哀相だと理由をつけて。

 もうすぐ、時計の短針は一〇を指そうとしていた。

 レンが風呂から上がるのとほとんど同時に手元の鍋へうどんを投入する。沸き立つ鍋の中でうどんが巡る。汁を作っていると、レンがひょっこり顔を出した。

「うどん? 夜食か?」

 そうよ。と私が応えるとレンは、夜食なんか食べてると太るぞなどとのたまったのだった。思わず、うどんをかき混ぜていた菜箸をへし折りそうになったのは私のせいではあるまい。

「これ、あんたの分だから」

「そうなのか? それはありがたい。実は昼間から何も食べてなくてさ」

「その前に、何か言うことがあるでしょ」

「あー、その……すみませんでした」

 肩を落としながらテーブルに着くレンの姿を見て、「まあ、許してやるか」なんて思ってしまう私は、多分、相当に甘いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一一 / ◯◯

 

 

「それで、これはどういう状況だい? 確かに、昨日は夜遅かったし、引き取りはしたけど……全く、常々、君はモテるとは思っていたけどまさか、血塗れの少女をお持ち帰りしてくるとはね」

 何やら、悟ったらしい表情で煙草を取り出した詠子さんは、二、三度テーブルに煙草を打ち付けたのち火をつけた。

「俺がモテる? そんなことありませんって」

「何を勘違いしているのか知らんが、モテるのはこういうトラブルにだろ。

 少しは恋人でも作ったらどうなんだね。そうすれば、その特異体質とでも言いたげなものでも少しは緩和されるんじゃないのか」

 フーと煙を吐き出しながら言う詠子さんの目には呆れの色が確かに写っていた。

 まあいいと続けた詠子さんは、そばに立っていた雁夜さんに何やら書類を渡すと立ち上がった。この建物では珍しい狭苦しい部屋から出ると、長い廊下を進んで行く。

 その足取りに迷いはない。質素な、それでいて質のいい材料で造られ、隅々まで手入れされた廊下は外光を取り入れ、一種の優美さを醸し出していた。

 詠子さんはとある部屋の前まで来ると、三度ノックをする。俺の記憶では、この部屋は客室として使われていて、誰かいるということはなかったはずだ。しかし、そんな予想は外れた。中から小さく返事がしたのだ。

 それを聞くと詠子さんはドアを開けた。

「どうだい? 少しは楽になったかな?」

 ベットから上半身だけ起こしていたのは昨晩、俺が助けた少女であった。その時は血だらけになりよくわからなかったが、今見てみるとなかなか可愛らしい外見をしている。線は少し細いが、十分健康的と言える範囲だろう。

「はい。……その……ありがとうございました」

 とても小さかった。

 声量もそうだが、なんだか存在そのものも、とても小さかった。

「お礼なら、このお兄さんに言いなさい。私はただ運ばれてきた君を手当てしたに過ぎない」

 今まで詠子さんのことを見ていた瞳が、スッと俺に向けられた。

「お腹は空いているかい?」

 少女はコクリと一度だけ頷いた。

「後で、おかゆを持ってくるよ。それじゃあね」

 いつもなら考えつかないような態度で詠子さんは部屋を後にした。普段の詠子さんを見ていると、この部屋での振る舞いは何となく別人のように感じられたのだ。

 客間には俺と少女の二人きりになった。お互い、何を話していいのか分からず、気まずい空気が流れる。最初に沈黙を破ったのは件の少女だった。

「あの、昨夜は助けていただきありがとうございました」

 中学生くらいの見た目に反し、随分としっかりとした、落ち着いたお礼だった。

「いいよ。ああゆうのを見ると、どうしても助けたくなっちゃうんだ。それよりも、お家の人は心配してるだろうね。昨日も帰ってないし……大丈夫?」

「いえ、私、寮生なので、親はあまり干渉してこないといいますか。なので、大丈夫です」

「そっか。どこの学校に?」

「……櫻聖女学院に」

 櫻聖女学院。隣町にある女学院で、俺は最近その名前をよく耳にしていた。

 なぜなら、

「へー、うちの妹と同じところだ」

 そう、俺の身内が通っているのだから。

 すると少女は、ついにその表情を変えた。驚き半分、安心が半分といったところか。まあ、その気持ちも分からなくもない。

 櫻聖女学院は優秀な人材を多く輩出しているが、実は怪談などのオカルト話に事欠かないことでも有名なのだ。外の人間からは気味悪がられたりすることもあるということを、妹が電話越しに愚痴っていたのを思い出す。

 助けられたとはいえ、学校の名前を出しただけで気味悪がられるのは、決していい気分ではないだろう。

「自己紹介がまだだったね。俺は瀬ヶ崎蓮也、よろしく」

「えっと、巫宗珠枝(ふそうたまえ)です。よろしくお願いします」

 すると、背後の扉が再びノックされた。開けて出てみれば、雁夜さんがお盆を手に立っていた。お盆の上にある小ぶりの土鍋からは湯気が立ち上り、食欲をそそるいい匂いを漂わせている。

「詠子様がお呼びです。事務室まで来てください」

 そう言うと雁夜さんはズカズカと部屋に入っていった。

 俺は雁夜さんに言われた通り、来た道をたどっている。ふと窓の外を見れば、太陽は頭上高くまで昇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一一 / ▲▲

 

 

「それで、昨夜はどうゆう状況でこうなったんだ?」

 煙草の煙が充満した事務室には三人の人物がいた。私と、レンと、詠子さんの三人だ。

「昨日は退社後の道のりで、白虎にあったんです」

 白虎? こんな街中に虎がいたのだろうか?

「レン、虎ってどれくらいの大きさだったの?」

「結構大きかった。五メートルはあったと、思う」

 五メートルの白虎。

 レンはそう言った。それだけで、これが裏の仕事であるとわかった。

「それで、その虎は例の少女に襲いかかっていて……」

「思わず飛び出ちゃったってことね。そんなデカイ猛獣を相手にして、あんたよく生きてたね」

「いや、なぜかは知らないけどその白虎、何かから攻撃されててさ。俺が行った時には虎は傷だらけだったから」

「何からね。どんな攻撃だった?」

「判らない。ただ、飛び道具で、着弾した時に魔力を爆発させてたから、多分、魔術師が放ったものだと思う。まあ、その魔術師の姿も確認できなかったから、本当かどうかは微妙だけど」

「全く、悪運が強いというか何というか……とにかく、その悪癖、どうにかしなさいよ」

「ははは……それで詠子さん、この白虎について、何か知ってることありますか?」

 私とレンは視線を詠子さんへ向けた。

 二対の視線を向けられた彼女は煙を吹かすと、半分以上残っている煙草を灰皿に押し付けた。

「ここ最近発生している少女無差別殺人事件を知っているかね?」

「ええ、最近はそのことでテレビは持ちきりでしたから」

 詠子さんの口から飛び出た単語『少女無差別連続殺人事件』。二ヶ月ほど前から発生しているこの事件は、犯人の特定ができないまま警察が捜査を進めている。

 被害者は高校生を中心とした十代半ばの女性であるということ以外、通っている学校も、殺害現場も、家庭環境も、被害者同士の繋がりも、共通点らしいことがなかった。

 それが捜査をより難しくさせる原因の一つにもなっているそうだ。

「その事件の犯人を私はその虎だと考えている」

「どうしてそう思うんです?」

「被害者の遺体の状況が挙げられる。彼女たちはとても人の所業とは思えない死に方をしたそうだからな」

  捜査を混乱させている二つ目の原因は、そう、被害者に残された傷跡だ。

 被害者は全員、巨大な刃物で切断されていた。

 推定される刃物は、鉈や斧といった、叩き割るようなものだという。それも、刃渡り一〇センチ以上、厚さ五センチだという。刃物だけでも、破格の異質さだというのに、犯人はそんな刃物を使い、力のみで身体を切り裂いた。そんなの、とても人間が行えるとは考えられない。

「そうだな。春美」

「ええ、お父さんがボヤいてましたから」

「全く、捜査関係者が身内にいると便利でいいな」

「私としては、どこから捜査情報が漏れたのか気になるんですが……」

 そう言うと、彼女は煙草に口を付け、煙を吐いた。

 その姿が様になっていて、いやにとてもかっこいい。

「企業秘密だ。

 さて、今回の件は瀬ヶ崎、君たちに任せよう。ただ、私も少し気になることがあってね。場合によっては途中で介入することになるやもしれん。それと、参考になる証言をしてくれるかもしれない人物に心当たりがある。紹介状を書いておくから、行ってくるといい」

 吸い殻を灰皿に捨てた詠子さんにレンは頷いた。

「分かりました。今回の件は長丁場になりそうなので……数日ここには顔を出せそうにありません」

 彼女は新たに煙草に火をつけながら、行ってらっしゃいと私たちを見送った。

 

 

「……雁夜」

「承知しています」

「そうか。任せたぞ」

「御意」

 

 

 

 一八 / 七 / 一二 / ◯◯

 

 

 詠子さんが紹介してくれた男の元を出て数十分後、俺たちは強い日差しから逃げるように喫茶店に入っていた。

 ウェイトレスが注文を聞きに来たので俺はアイスコーヒーと玉子サンド、向かいに座るハルはアイスミルクティーとカツサンドを注文した。

「それで、詠子さんの知り合いは何だって?」

「今回の件は確実に魔術関係だそうだ。それで、この虎にはどこかに主人と呼べる人がいるそうなんだ」

「主人? どうゆう事?」

「だから、この虎はその主人から生まれたものじゃないのか、っていうのが、彼の意見だ。正確には主人が持っている何らかの感情だと言っていたけどね」

「感情。……レンはその主人に心当たりとかある?」

 ハルは窓の外を行き交う人たちに向けていた視線を俺に寄こした。

 それと同時にウエィトレスが注文の品を運んでくるのが見えた。彼はカップを皿、伝票をテーブルに置くと、すぐさま踵を返して奥へ消えていった。

 ハルはサンドイッチを手に取ると大きな口で豪快に齧り付いた。

 大学で見せるおしとやかな振る舞いとは真逆の行動に、大学での彼女しか知らない人は驚くだろう。その後、数回咀嚼するとカップに入ったミルクティーを飲み干した。これがビールの入ったジョッキならば絵になっていたのだが、現実はティーカップだ。

「でも、その虎は主の元から飛び出したと言っても、何かしらの形で主人と繋がっているはずだと思う。そうじゃなきゃレンが見たような二、三メートルの巨体を魔力で構成なんてできないはず」

「しかし……それだと余計に厄介だな。どんなに弱くても霊的な繋がりがある以上、虎を殺すとその主人にまで余波が届くんじゃないのか」

「おそらくその認識であってる。詠子さんへの報告は後で私がしておくから、レンは虎を見つける方法でも考えておいて」

「分かった。それと、これも付け足しておくと、例の虎はどこかにいる主人を追いかけているそうだ。飛び出たものは帰りたいとか、どうとか」

 俺はまだ手をつけていなかった卵サンドを一口かじった。それに対して、ハルは空になった皿を前に、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。

「どうした?」

 思わず尋ねた俺だったが、答えずらそうなハルは未だ視線が右往左往している。先ほどの話の流れで、話しにくいことでもあるのか。

 身構える俺をよそに、ハルは恥ずかしそうにしながらポツリと

「……いや、ちょっとお手洗いに」

 と、つぶやいた。

「いや、行ってこいよ」

 そうして、ようやく席を立つと小走りでトイレに駆け込んで行った。

 なんだか変に入っていた肩の力が抜けた。先ほどの食べっぷりを見てると忘れそうになるが、彼女はお嬢様なのだと再認識させられたように感じた。

 まぁ、今更、俺相手にそんな気を使わなくても……とは思うのだが。

 

 数分後、トイレから帰ってきたハルは、椅子に腰掛けるとミルクティーをもう一杯注文した。

「お手洗いのついでに詠子さんに連絡しといた。何か届け物があるみたいで、雁夜さんをこっちに向かわせたみたい。

 ……それで、何か良い案でも思いついた?」

「一つな。虎の魔力は覚えてるから、感覚共通の魔術でうまく探し出せないかなって考えたんだけど。どう?」

 ハルは少し考えた素振りを見せた後、首を縦に振った。

「それなら効率的だし、うまくすれば今日中にでも足取りは掴めると思うよ。だけど、見つけた後はどうするの? 下手に退治するのもヤだし、そもそも、レンの話を聞く限りじゃ、そう簡単に対霊魔術なんかできそうにないんだけど」

 二人してウンウンと唸っていると、突如、窓の向こうに見知った顔が通り過ぎた。

「今の雁夜さんじゃない?」

「そうだよな。とりあえず、店を出るか」

 財布から野口さんが消えた後、雁夜さんと無事合流することができた。雁夜さんは肩から二つの細長い布を下げており、中身には何か硬くて細長いものが入っているようだった。そう、日本刀のような。

「詠子さんから伝言です。例の白虎ですが、遠慮なく退治して構わないそうです」

 いつものように堅苦しさが抜けきらない敬語。ある意味、俺と彼女は同僚なのだからそんな敬語はいらないのだが。何度頼んだ所で変えてくれるつもりはないらしい。

「退治……ねぇ。それについてはさっきハルとも話していたんだがな。いい方法が見当たらなくてな」

 雁夜さんは俺たちを見比べると、徐ろに肩から下げていた、布を一つずつ渡した。

「それならご心配無く。これを」

 受け取ってみて分かったが、思いの外重かった。一体中身は何かと気になり取り出してみれば、一本の日本刀が顔を覗かせた。

「これは、日本刀?」

「はい。レプリカですが霊体程度でしたら問題無く切り刻めます」

 しげしげと刃を見つめていたハル。

「レプリカ? 一体、何の?」

 しかし、雁夜さんのセリフが引っかかったのかポツリと疑問を口にした。

 雁夜さんの耳は耳聡くその呟きを拾ったらしく、何食わぬ顔で言い放った。

 

「妖刀『    』です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一二 / ◯▲

 

 

「行くぞ。春美」

「いつでも良いよ……蓮也」

 俺が手にしているのは日本刀。

 私が手にしているのは鯉口。

 端から見れば何の変哲もない、ただの日本刀だ。

 俺は一直線に標的へ躍りかかり、私は少し迂回し二撃目に備える。

 白虎は鋭い爪で牽制し、獰猛な牙でトドメを刺そうと向かってくる。

 俺の右肩にある痣へ魔力を通す。

 『俺以外のすべてが動きを緩やかにした』。

 白虎の胸を一閃、手のひらを返しもう一度斬りつける。

 白虎からは大量の魔力が零れ落ちた。それはまるで血が滴るようであった。白虎は俺から視線を外すと、わずかに離れたところにいる私に狙いを定めたようだった。白虎はその巨体をしならせる。

 私の左胸にある痣へ魔力を流す。

『白虎の顎門が私の左腕を噛みちぎるのが視えた』。

 私は脳の出す命令のまま、体を捻る。白虎は私の居た位置を切り裂いた。過ぎ去り際に、軽く鯉口の刃を相手に沿わせるようにして払う。刃は面白いくらい簡単に白虎の腹を切り捌いた。

 白虎は二箇所に大きな傷を負いながらも、依然、私たちを睨み続ける。

 

「           」

 

 身を竦ませる巨大な咆哮は、恐怖を与え、絶望を振りまく。

 一瞬だった。気付いたら俺の視界は白虎の顎門が埋め尽くしていた。

  これは避けれない。

「蓮也!」

 一瞬先を視ていた私は叫んだ。

 しかし、俺は身体にその牙を突き立てられることはなかった。なぜなら遥か遠方からの正確無比の一矢が、白虎を俺の足元に縫い付けたのだから。

 その矢は普通では考えられないほど太く、強靭で、禍々しかった。槍と言われても納得してしまえる程に。そして、秘められた膨大な魔力がその矢の存在をより大きくしている。

 白虎は呻き声をあげながらもがく。

 しかし、血のように溢れ出た魔力は相当量であったことも考えれば、もう白虎にはその霊体を維持するのも精一杯だろう。

 攻撃することはおろか、歩くことすらもままならない。

 その人の胴ほどの太さの首に刃を振り下ろした。驚くほど素直に首を断ち切った俺は聞いた。

 掬い上げるように刃を顎から脳天へ振り上げた。レプリカとはいえさすが妖刀と思った私は聞いた。

 

    我はただ知りたかったのだ。

 

    我の生まれた感情の名前を。

 

    我の帰るべき場所を。

 

    我の主の想いを。

 

    ただ、それだけだったのだ。

 

 ただの魔力に、その姿を霧散させながら白虎は咆えたその声を。

 それは、なんと悲しく憐れな咆哮だっただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一二 / ◯◯

 

 

「無事、事件は解決。瀬ヶ崎もよくやった。それでだ、実は瀬ヶ崎たちは調査に出ている間に、この事件の関係者から依頼が入った。よって、報酬が入る」

「本当ですか」

「ああ、これは君と彼女の分だ。渡しておいてくれないか」

 俺は封筒を受け取ると鞄にしまった。

「そういえば、俺たちの戦闘中に助けてくれたのは雁夜さんですか?」

「さあ、どうだろうな。

 ……己の中にいる獣を飼いならさなければ、そこに待ち受けるのは破滅である」

「なんですか? それ」

「山月記だよ。国語の時間にやらなかったか?」

「中島敦の有名な作品の一つでしたね」

「なあ、瀬ヶ崎。お前の中に住んでいるのは白虎か黒豹か、それとも銀狼か?」

「なんでしょうね。もしかしたら百獣の王かもしれませんよ」

 冗談交じりにおどけてみれば、詠子さんは穏やかな顔のまま口元に小さな笑みを浮かべていた。

 灰皿の縁に一度しか口につけていな煙草を打ち付け、灰を落とす。

「そういう読子さんは心に何を飼っているのだろうか?」

 しかし、ふと湧いて出てきた疑問は結局、口にすることもなく自分の内に霧散していった。

 窓から見える空はいつの間にか朱から闇に変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一八 / 七 / 一二 / 『     』

 

 

「一つお願いがあります。あの虎を殺してください」

 私は開口一番彼女にそう告げました。深紅の髪を大雑把にまとめた彼女はため息とつくと私と視線を合わせました。

 

「……君はあの虎の主人だろう」

 

 私は初めて恐れを抱きました。

 白虎(おのれ)に殺されそうになった時ですら抱かなかったというのに。

「……随分と雰囲気が違うんですね」

「あの時は一人の大人として対応していたからな。でも。今はただの魔術師としてここにいる。さて、答えてもらおう。君があの虎の主人かね」

 彼女の問いには疑問などありませんでした。あるのは確信の一つのみ。

「おそらくそうです。あの虎は私から生まれたんだと思います。理屈は分からないけど、そう感じるんです」

「ほお、主従間での魔術的つながりは無いのに魔力的つながりはあるのか」

 そう言うと彼女は興味深そうに私を見つめました。

「私は魔術とか化け物とかよくわかりません」

「君は魔術関係の家系出身であると調べが付いているが、君自身は魔術と関わりがないようだ。

 一つ説明しておくとあの虎は多くの少女の想いが君の魔力を依代に作り上げられた存在だ。魔術的用語で言えば『二重存在』でありながら『眷属的隷属性が全く無い』という稀有な事例だ。私としては是非、あの虎と君をここの地下室に監禁して、研究し尽くしたいところだが……今回は我慢するとしよう。

 さて、そんな君に一つ確認をしたい。あの虎を退治する際、君に影響が出る可能性が高い、むしろ確実にあるだろう。場合によっては死ぬ。それでも、そう言うのか?」

「はい」

 突然、彼女は笑い出しました。何が可笑しかったのか皆目見当つきませんでしたが、彼女から感じていた恐怖はいつの間にかどこかへ消えて無くなっていました。

「すまない、悪気はないんだが。ハァ……クックック、ここまで言われて即答する(バカ)を久しぶりに見たのでね。つい笑ってしまった。

 わかった、君の依頼を受けよう。ただし、生憎こちらは現在手が離せないのでね、報酬は後日こちらから提示させてもらうよ。大丈夫、そんな法外な請求はしないから」

 その条件に、私は頷きました。

「雁夜」

 それほど大きな声ではなかったはずですが、扉の向こうから「なんでしょうか」としっかりとした返答があった。

「倉庫にある【偽・妖刀村正(むらまさ)】を彼らに一本ずつ渡しておいてくれ」

「御意。事務室の電話が鳴っております。おそらく瀬ヶ崎たちかと」

 すると、扉の向こうの気配が突然消えました。まるで溶けるように。

 一連の流れをぽかんと見つめる私に一声かけると、彼女は部屋を去りました。

 私は願います。あの白虎を殺してくれることを。

 あの、どうしようもない位お人好しの彼が、私のこの想いを殺してくることを。




読んでいただきありがとうございます。
気が向いた書いた一作ですので、もしかしたら続きはないかもしれません。もしかしたら、別の世界を書いているかもしれません。
しかし、創作の世界にいる以上、どこかでまた会うことでしょう。その時は、また私の文章を手にとってくれることを願っています。
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