……なんだこれは。
私は眉をひそめる。
そのつぶやきは明らかに炎上していた。添付された画像には映っている人全員の顔に何かしらのスタンプが押されている。つぶやきを下にスクロールしていくと批判コメントが殺到しているのが見て取れた。
窓の下でクリーム色の壁にもたれ、すすけたイルカの模様がプリントされたクッションを抱きながら、私は泣きそうになる。
ひどい。こんなずるいことをする人がいるなんて。
久々に開けたカーテンの間から薄暗い部屋の中に日が差している。学生服がきれいにしまわれた白いクローゼットとあまり使われていない勉強机、あとは優しい色が心の安定にもつながると両親が買ってくれた薄ピンク色のベッドがあるだけの殺風景な部屋に私はいる。遊び用具は何一つ残っていなかった。プレイステーションもスイッチも私が以前に発狂したときにほとんどが使い物にならなくなったからだ。それと、部屋に物が何も無いほうがなんだか心が休まるような気がしたから。
日はまだ高い。今は本当なら普通の中学生は学校で給食を食べている時間。にもかかわらず私は家でパジャマ姿のままスマホをいじくっていて、SNSで流れてきた一つのつぶやきに目を奪われている。
頭に血が上る。だんだんと息が荒くなっていくのが分かった。このままじゃいけない。また狂ってしまう。
床やドアが日光で明るくなっているのに目を向け、高ぶる心を鎮める。
「はあ、はあ……」
知らぬ間に肩で息をしていた。頭が重い。触ると頬も熱を持っていた。
……こんなことで。一つのつぶやきを見たくらいで、過呼吸になりかけている。ほかのつぶやきは全部大丈夫だったのに。情けないと言ってしまえばそれまでだけど、きっと私の気持ちなんて誰にもわからない。
さっき目にしたつぶやきを思い出す。画面は見ない。また狂ってしまうのは嫌だ。
『うつ病って楽しい』だったかな。
絶対この人うつ病じゃない。学校に行きたくないから、お父さんとお母さんに嘘ついてるんだ。すごく健康な人がうつ病のふりをしてるんだ。宿題やらなくてもいい、やったあって。
うらやましいよ。私は学校がとっても懐かしい。咲ちゃんに夕菜ちゃん、今頃どうしてるかな。そろそろ給食を食べ終わる時間だから、二人で給食のワゴンでも運んでるかな。
……前は三人だったのに。咲ちゃんに彼氏ができた別れたってわいわいギャーギャー騒いでたのに。
早くまた学校に行きたい。
このつぶやきをした人に叫んでやりたい。宿題は関係ないでしょ。
うつ病なのは私だよ。かわってよ。
「うっ…ううーー!」涙があふれてきた。声が出る。発作だ。下の階にいる母に聞こえないうちに顔をクッションに深くうずめる。隙間から漏れる泣き声は誰にも届かない。やるせない気持ちに襲われる。負の感情が胸に渦巻いて起こる。止められない。
死にたい。
消えてなくなりたい。
苦しい。
助けて。
やめて。
お母さんごめんね。
手のかかる娘でごめん。
私なんて生まれてこなければよかったのに。
私がいなければ。
私のせいで。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい―――
……目が覚めると天井が見えた。どうやらあのまま眠ってしまったらしい。よかった。起きたまま発作に耐え続けていると毎度毎度狂ってしまいそうになる。私のために家にいてくれているお母さんにこれ以上迷惑をかけるのはごめんだ。
窓の上に取り付けられた時計は五時過ぎを指している。ざっと五時間ほど寝ていたようだ。
まだ夕焼けには程遠いが、窓から差し込む日光が心なしかオレンジがかっている。久しぶりにカーテンを長時間開けたことで、部屋の中は干した後の布団のような香ばしい匂いがした。
体の横にあったイルカ柄のクッションを胸に抱きなおし、ほっぽり出していたスマホを手に取る。クッションは発作前より少し、涙と唾液で汚れている。
画面には『うつ病楽しい』というつぶやきがそのまま残っていた。
反射的に目をそむけたが今度は前ほどの不快感は感じなかった。精神が安定していたんだと思う。
そのせいか、本物のうつの私がその偽うつの投稿者に一発反論をかましてやろうという気になった。
返信ボタンをタップし、例のつぶやきに対する反論を粛々と打ちこんでいく。
……やけに良心的な文章になってしまった。
こんな文章で、あのふざけたつぶやきをした投稿者が改心するきっかけになるだろうか。
ならない。書き直そう。もっと強い言葉で、投稿者がちゃんと反省するように。
少し強すぎるか。これじゃ逆ギレされて終わりそうな予感がする。
うーん、もう少し表現をマイルドに……
―――突如、絶望感が私を襲う。私はダメなのだという感覚。たった今スマホに打った「クズ野郎」それが私。未来なんてどこにもなくて、ただただ私は家族に迷惑かけまくって死ぬのだという確信。
クッションを強く抱きしめて、襲ってくる虚無感にひたすら耐える。
ああ…助けてお母さん……
怖いよ……うう…死にたいよ
跡形もなく消えちゃいたいよ……うっ…
…ほら…これがうつ病だよ…
……苦しい…苦しいだけだよ…
全然…楽しくなんてないんだよ……!
私は震える手でスマホを取っていた。削除ボタンを連打して返信を破棄し、新たなリプライを作成する。
考える間もなく思いついた。これなら一文だけで伝わるはずだ。
伝われ、この苦しみ。そして病気を装って無闇に家族を心配させた自分の愚かさを、思い知れ。
送信。
クッションに顔をうずめ号泣した。私はどうあがいたってあの子との差は埋まらない。そんな気がした。
「耐える」という次元を超えた苦しみが部屋から漏れた。泣き声を聞きつけた母が階下から駆け付け、私の背中をさすってくれる。
お母さん、お母さん………。
私はいつの間にか、母の腕の中で静かな眠りについていた。
思いを込めたメッセージはすぐさま多数の怒りのコメントに埋もれていく。
このメッセージは果たして投稿者の心にいくらか改心をもたらしただろうか……。
届かない。