絵本が大好きな女の子のお話。

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猫になった絵本

つぐみは絵本が大好きだった。

まだ暗く、グニグニとしたお腹にいた頃から、母は毎日絵本を読んでくれた。

その時の母の優しい声も好きだった。

 

幼稚園でも、同い年の女の子はお絵描きとか、おままごととか、そういう遊びをしていたけれど、でもつぐみは一人で絵本を眺めている方が楽しかった。

友達や先生は、最初は「つぐみちゃんも一緒に遊ぼう」って声をかけてくれたけど、つぐみが首を横に振るのでそのうち誰も声をかけなくなった。

 

だけど絵本があれば大丈夫だった。

 

日曜日には父と図書館に出掛けるのが楽しみだった。

時々、古くなってボロボロの、もう誰も読まなくなったような絵本をもらったりした。家に帰って、柔らかい布で丁寧に拭いて、抜け落ちたページはテープでしっかり固定した。

「つぐみは本のお医者さんね」母が笑った。つぐみも笑った。

 

小学生になると、ひらがなと簡単な漢字が読めるようになった。

母はつぐみを抱きしめて、喜んで、そしてお祝いに「頑張ったね」って、絵本を一冊買ってくれた。

読み聞かせ用じゃなくて、初めてつぐみの物として買ってもらった絵本だった。表紙に一匹のトラ模様の猫が描いてある絵本だった。つぐみは動物の中でも、特に猫が好きだったのでこれにした。

 

家に帰ると、手を洗って、扇風機をつけた。じんわりと汗をかいた肌に、扇風機の風がそよそよと心地がよかった。

それから、母と並んでソファーに座った。ドキドキしながら、初めての自分の本の表紙を、そっと開いてみた。

オレンジ色の、綺麗な、何もないページだった。次のページをめくると、今度はトラ猫の絵があって、それでまた次のページから物語は始まった。

猫の人生の話のようだったが、幼いつぐみにはよくわからなかった。

母が注いでくれたジュースの、グラスの氷がカランと音を立てた。

 

何回も、何十回も読み終わったらまた最初から。飽きることなく繰り返し読んだ。

 

大きくなって色々な本を読むようになった。難しい本も、詩集も、絵本も児童書も雑誌も読む。

トラ猫が表紙のあの絵本は、いつのまにか読まなくなっていた。

だけどある日部屋の片付けをしていた時。ベッドの下からその絵本が見つかった。埃まみれだった。

何回も、何十回も読んだせいで、開くとパラパラとページが抜け落ちた。

 

つぐみは少し悩んで、埃を払い、柔らかい布で丁寧に拭くと、落ちたページをテープでしっかり固定した。なんだか懐かしい気持ちになった。

 

そんな時だった。電話が鳴ったのは。

 

想像もしなかった。

母が事故に遭ったのだ。徒歩で買い物へ出掛けていた母は、道路に飛び出した猫が車に轢かれそうになっているところを庇ったというのだ。それで、車の運転手は急いでブレーキを踏み込んだけれど遅かった。しかも、倒れた時に頭を強く打ってしまった。

 

程なくして、母はこの世を去った。

 

つぐみは泣いた。

本は直せても、母を助けることはできなかった。

つぐみの泣き声は、降り出した雨にかき消された。

 

自分の部屋に戻ると、疲れと、ただこの現実が信じられなくて、頭がグルグルした。

グルグル回る視界の片隅に、開きっぱなしにしてあった絵本が映った。

その絵本を力任せに掴んで、投げた。投げた絵本は壁に当たって、バサリと落ちた。表紙には一匹のトラ猫。

 

猫なんていなければよかったのにと思った。

こんな絵本も、もう捨ててしまおう。

 

ガチャリ、玄関の開く音がした。

父だと声でわかった。父が階段を登ってくる音がする。音がどんどん大きくなって、そして止まった。

 

いま、誰にも会いたくないなと思った。

 

ノックをする音。

悩んで、少しだけドアを開けて顔を覗かせた。そして驚いた。驚いたのと同時に、怒りが湧いた。

 

猫がいたのだ。

あの絵本そっくりの、トラ猫だった。

 

父に抱かれ、こちらを見つめている。一体どういうつもりなのか。

母は猫を助けて死んだのだ。猫のせいで、死んだのだ。

つぐみは言いたかった。

けれども怒りで、言葉が詰まって上手く出なかった。

「これはな、母さんが助けた猫だ」

父がドアから覗いた。

「この猫、うちで飼わないか?」

つぐみが黙っていても、父は言葉を続けた。

「この猫な、捨て猫だそうだ。母さんが助けたこの猫を、これからは父さんとつぐみで守ってやらないか」

 

その言葉にはっとした。

 

母が助けた。

 

そうだ、これは母が優しさでやった結果なのだ。昔から母の優しい部分を沢山見てきた。この猫に、悪気なんて微塵もないのだ。

胸が熱くなった。母が救った命。

そうだ、この猫が捨て猫なら、ここで見放すことは母の死さえも無駄にしてしまうのではないか。けれど、つぐみは複雑だった。

 

それから、月日が流れ、つぐみは本を読まなくなった。

本がなくなったつぐみの部屋はガランとしていた。つぐみは気づいた。自分は本が好きだったのではなく、母が好きだったのだと。母がいて、本があって、だからこそ幸せだったのだと。

 

つぐみはソファーに座って、ある本のことを思い出していた。

表紙には一匹のトラ猫。まるで、いま隣にいるこのトラ猫とそっくりだ。

猫は、母のお気に入りだったソファーの、つぐみの膝の上で、ゴロゴロと喉を鳴らしている。

大好きだった絵本の表紙のトラ猫が、まるで本物の猫になってしまった。

 

つぐみは小さくため息をつくと、猫の顎をそっと撫でた。

 

 

 


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