Honesty   作:松村順

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顕現

Ⅱ 顕現

 

 土曜日と日曜日,地区予選の会場になっている千葉市内のビルに出かける。予選は土曜日と日曜日。午前と午後に2局ずつ打たれる。もちろん,1回戦,2回戦は参加者が多いから入れ替え制で,ボクが土日で8局打つわけではない。

 1回戦。生まれて初めて碁石なるものを手にするボクは,親指,人差し指,中指の3本の指で石をつまんで碁盤にポトリポトリと置いていく。相手は,人差し指と中指に石を挟んでピシッと小気味よい音をたてて石を置く。相手の顔に侮りの表情が浮かんでいる。確かに,石の持ち方だけ見れば,楽勝と思われても仕方ない。〔でも,違うんです。ボクが打つんじゃないんです。藤原佐為が打つんですよ。かつて帝の碁指南を勤め,幕末の世に本因坊秀策であった人が打つんです〕そしてボクは,圧倒的な強さを見せて中押し勝ちした。相手は〔信じられない〕というような顔つきで終局した碁盤を見ている。対局場を引き上げるボクに佐為が語りかける。

《ロミー,石の持ち方を練習しましょう。ロミーが相手に侮られるのを見るのは,わたしにとっても不愉快です》

《その気持ちはうれしいけど,必要ないよ。ボクは今の打ち方で打ち続ける。その方がいい。いつか,佐為の存在を明かすつもりだから,ボクは碁の初心者である方がいいんだ》

佐為は驚いた表情を見せたが,それ以上のことを問いただしはしなかった。

 地区大会を気持ちよく勝ち進む。すべて,圧倒的な強さを見せた中押し勝ち。準決勝の対局の前,地元の新聞の記者からインタビューを申し込まれたけど,断った。そして「全国大会で優勝したら,お話しします」とだけ答えた。相手はびっくりしたような顔でボクを見た。そんな記者を放っておいて歩きながら,ボクは佐為に語りかけた。

《Honesty is the best policy. 『正直は最善の策』がボクのモットー,人生の基本戦略なんだ。嘘をつくべきでないという倫理的な判断だけじゃなくて,その方が結果として楽だし,自分にとってプラスになるからだよ。目先のことを考えて嘘をつくと,その嘘を繕うために新たな嘘をつかないといけない,それをずっと繰り返していくなんて,とてもじゃないけど,やってられないよ。そんなことするより,初めからありのままを率直に語る方がいい。そう思って,そのように生きてきた。この28年》

ここで佐為の方を見る。佐為は話の続きを促すような表情。

《それに,進藤ヒカルさんと佐為のことを考えた上での選択でもあるんだ。ヒカルさんは佐為を隠そうとした。それは,幽霊という常識外れの現象に出会った子供のごく自然な反応だったとは思うけど,結局,そのために嘘に嘘を重ね,ヒカルさんも佐為も困った状態に陥ってしまった。そういう事例を知っているから,なおさら,それを避けるためにへたな嘘はつかない,佐為のことを無理に隠し立てはしない。Honesty is the best policy. を貫こうと思うんだ》

佐為は唇をかんでうつむいている。

《佐為の力なら,地区大会は楽勝だし,全国大会でもすいすい勝ち進んで間違いなく優勝する。そうなればインタビューを受けるよね。この種の大会で優勝する人はたいてい,それまでも碁の大会に参加してそれなりの実績を残しているだろう。それなのに,そんな実績のぜんぜんないボクが突然現れて優勝をさらったら,きっと注目を浴びる。そして,ボクの経歴,碁の学習歴,実戦歴を問われる。その時,ボクは隠し立てはしない。佐為の存在をきちんと話すつもりだよ。かつて平安時代に帝の碁指南を勤め,幕末の世に本因坊秀策として名をはせた藤原佐為の幽霊がボクに宿り,その人の代理人としてボクは碁を打っていると。そしてもちろん,藤原佐為がネット碁のFJWRsaiその人であることも》

佐為は真剣な表情でボクを見る。

《ロミー,本気ですか?》

《もちろん本気だよ》

《幽霊が宿っているなどという話,誰が信じてくれるでしょうか?》

《相手が信じるか信じないかはどうでもいい。ボクは嘘をつかずありのままを話す,それだけだよ》

《そうですが・・・・》

《心配?》

《はい》

《何が心配なの?》

《何が,と問われても・・・・いろんな噂がささやかれるでしょう。あることないこと書き立てられるでしょう・・・・》

《言いたい者には言いたいように言わせておけばいい。書きたい者には書きたいように書かせておけばいい》

佐為はじっとボクを見つめる。

《もちろん,いろんな状況は想定したよ。でも,どう考えても「幽霊が自分に宿っている」と言ったくらいで,命を狙われることはない》

《まあ,それはそうでしょう》

《暴行を加えられることもないよ》

《それもまた,そうでしょう》

《精神病院に無理やり入院させられることもない。精神保健福祉法の措置入院つまり強制入院は「自傷他害の恐れがある」のが条件なんだ。幽霊の指示通りに碁を打っていると言うだけなら自傷の恐れも他害の恐れもないからね》

《まあ,その辺のことはロミーの専門でしょう・・・・》

《あり得るのは,佐為も言うように,いろんな誹謗中傷を浴びることだね。たとえば,「目立ちたがりで作り話をでっち上げている」とか,「オカルトに入れあげたおかしな人」とか,「経歴を偽らないといけない後ろめたい事情があるんだ」とか。でも,そんなことを言われようと書かれようと,ボクに実害はないんだよ。そんなこと,ボクの勉強や研究の邪魔にならないから。まあ,講義を聴講する教室でひそひそ話されるかもしれないけど,それで何か困るわけじゃない。だから,恐れることはないんだ》

ここまで聞いて,佐為は微笑んだ。

《そうでした。ロミーは豪胆な人でしたね・・・・見かけによらず》

そう言ってまた微笑んでから,佐為は真顔に戻った。

《わたしが帝の碁指南をしていたこと,本因坊秀策その人であったことを話すのはかまいませんが,ヒカルのことを話すのは・・・・》

《それは,ボクも考えた。進藤ヒカルさんの名前を出すべきじゃない。それは間違いないよ。ただ,碁のトーナメントの取材をするくらいの記者なら,かつてのネット碁のsaiを知っていると思う。当然,saiとFJWRsaiの関連を問いただされるだろう。ボクは,saiとFJWRsaiはどちらも藤原佐為であること,ただしsaiの時にはボクに宿っていたのではないこと,その時宿っていた人の名前は明かせない,なぜなら本人が存命中で勝手に明かすと迷惑をかけるかもしれないから,と話すつもりだよ》

佐為は考え込むようにうつむいた。

 

 こんな会話を交わした翌週の地区大会準決勝に勝ち,その翌週,7月上旬の決勝戦も勝って,順当に優勝。9月からの全国大会への参加資格を得た。同じ頃,日本の棋界にビッグニュースが駆け抜けた。

- 史上最年少の本因坊誕生 -

 進藤ヒカルさんが7局の激戦を制して本因坊位を奪取した。棋院のサイトだけでなく一般メディアでも取り上げられている。いずれも歴史に残る名局だけど,とりわけ3勝3敗の後を受けた7局目は,本因坊戦の歴史に残る名勝負だったとのこと。佐為も,棋院のサイトに掲載されている7枚の棋譜を目をこらして見ている。

「ヒカル,ついにやってくれましたね・・・・」

ほかに言葉が出てこない。佐為の目が潤んでいる。

 ボクは,棋譜を見てもよく分からない。むしろ,アップで撮影された進藤ヒカルさんのカラーの顔写真が印象的。9月で20歳になると言うけど,まだ少年の面影を残している顔立ち。特徴的な金色の前髪,青みがかった薄い色の瞳。佐為が本因坊戦の棋譜を一通り見終わった頃,ボクは語りかけた。

「進藤ヒカルさん,前髪は金色なんだね。ボクの髪の色に似ているね」

「そうです。目の色もロミーに似て薄くて青みがかっているんです」

「佐為は,ボクを見ながら,自分に似ているだけじゃなくて,進藤ヒカルさんにも似ていると思うことがあるの?」

佐為はこの問いには答えず,かすかに恥じらうように顔を伏せた。その表情,仕草はそこはかとなく美しく優雅。それがなぜかボクに姉のことを思い出させた。

「ボクがロミーと呼ばれるゆえんをまだ説明していなかったね。これから話すよ」

佐為はけげんな顔つきになった。〔どうして急に,ヒカルと関係ないことを話し出すんだろう〕と言いたげな表情。関係なくはない。ボクの中ではつながっている。

「ロミーは,姉がつけてくれた呼び名なんだ。本名のヒロミから,ロミー。姉はいつもボクのことを『外人のようにきれいだね』と言ってかわいがってくれた。近所の悪ガキたちは自分たちとは違う髪の色,目の色,肌の色をしたボクを『ガイジン』,『ロミー』とはやし立ててボクを馬鹿にしたけど,そんなことぜんぜん気にならなかった。ボクは姉がいればそれだけで良かった・・・・」

「でも・・・・その優しいお姉様はお亡くなりになった・・・・」

「うん。ボクが12歳の時。両親と一緒に事故で死んだ」

佐為は慈しみの眼差しでボクを見る。

「その姉の名前が『ヒカル』というんだ」

佐為の表情が驚きに変わる。ボクは笑顔を見せる。

「偶然だね。それとも・・・・何かの必然なのかな」

 

 9月に始まったオープン碁トーナメント全国大会。会場は市ヶ谷にある日本棋院。佐為にとっては懐かしい場所らしい。

「棋院なら,進藤ヒカルさんに会うかもしれないね。その時はどうしよう?」

佐為はちょっと考え込んだ。

「もし,今のヒカルにわたしが見えるなら,ヒカルは周囲の状況も何もかも忘れて,わたしに駆け寄って話しかけるでしょう。そうなれば,もう成り行きに任せるしかありません。わたしたちが今からあれこれ考えても無駄です。でも,ヒカルにわたしが見えないのなら・・・・その時は・・・・素知らぬふりで通り過ぎましょう」

でも,そのように振る舞うことはできなかった。

 

 1回戦の日。ボクは慣れない場所だから早めに棋院に着いて,会場となっている一般対局室への行き方を受付で説明してもらい,廊下を歩いていた。すると,向こうから見間違えようのない金色の前髪が歩いてきた。お互いに近づく。もし進藤ヒカルさんに佐為が見えるなら,何かの反応があるはず。でも,何の反応もない。

《佐為,どうやら進藤ヒカルさんは佐為が見えないらしいよ》

《そのようですね》

佐為はちょっと寂しそうに答えた。そしてボクたちはそのまま素知らぬふりですれ違おうとした,その時,彼がじっとボクを見つめた。視線はボクの隣の佐為ではなく,しっかりボクに向けられている。その顔に心から驚いたような表情が浮かんだ。

〔そうか。ボクは佐為に似ている。ボクの中に佐為の面影を見つけて驚いているんだ,進藤ヒカルさんは・・・・〕そのように見つめられて,素っ気なくすれ違うわけにもいかず,ボクも相手に顔を向けた。どれくらいそうやって見つめあっていただろう。時間としては長くない。ほんの2~3秒くらい。ボクの脇で佐為が目を潤ませている。驚いて声も出せないような相手に,ボクから声をかけた。

「進藤ヒカルさんですね。本因坊になられて,おめでとうございます」

「・・・・オレのこと知ってるのか?」

彼はやっと口を開いた。

「多少なりとも碁に係わる者なら,あなたのことは誰でも知ってますよ」

「あっ,そうか」

ちょっと間を置いて,ボクはもう一言踏み込んだ。

「ひょっとして,ボクが進藤ヒカルさんを驚かせましたか?」

「いや,そんなことはない」

と言いながら,彼はその場に立ち尽くしている。

「それでは,ボクはこれからトーナメントの1回戦なので」

と言って,ボクは軽く会釈して,その場を去る。あわてず,ゆっくり歩く。佐為は後ろを振り返っている。

《ヒカルがじっとロミーを見ています》

《でも,立ち止まらずに歩こう。進藤ヒカルさんは,今この場でボクと話したくはないんだ》

《そうですね》

と答える佐為の声が悲しげだ。

 

 1回戦,2回戦を難なく勝ち進み,準々決勝入りを決めた頃からメディアがボクを注目し始めたけど,インタビューの申込みにはすべて「優勝したら話します」とだけ答えた。ボクの周りから情報を集めている記者,ライターもいたようだけど,トーナメントが終わるまで記事が出ることはなかった。

準々決勝,準決勝,決勝を予定どおり勝って,優勝。対局が終わってから,記者会見。

「優勝,おめでとうございます」

と司会者が決まり文句を述べる。

「ありがとうございます」

とお決まりの返事をしてから,ボクはすぐに本題に入った。

「ここにおいでの方々はみな,ボクのいかにも初心者じみた石の持ち方にあきれておられると思います。ボクのことを多少なりとお調べになった方々はボクがこれまで碁を打った形跡がないことも突き止めておられると思います。そのとおり,ボクは碁を打ったことがありません」

記者会見場は水を打ったように静まりかえっている。ボクは話し続ける。

「地区大会の1回戦から今日の全国大会の決勝戦まで,ボクは碁を打ってません。ただ,言われるままに石を碁盤に置いただけです。ボクに石を置く位置を指示したのは,藤原佐為という人,いや人ではなく幽霊です。ボクだけに見え,ボクだけがその声を聞き取れる幽霊です」

ここで記者会見場がどよめいた。ボクは構わず話し続ける。

「藤原佐為とは,平安時代に帝の囲碁指南をしていた貴族です。ゆえあって入水自殺をしたのですが,神の一手を極めたいという宿願をいだいて霊となり,碁盤に取り憑いていました。江戸時代,桑原虎次郎という少年がその霊の声を聞き,佐為の碁の力を認め,佐為に成り代わって碁を打つようになりました。後の本因坊秀策その人です。しかし秀策は34歳の若さで亡くなり,佐為は『神の一手を極める』という望みを果たせないまま,また碁盤に取り憑いて時を待つことになりました。そして,7年ほど前に一人の少年が佐為の声を聞き,その願いを叶えるために協力してくれることになりましたが,ゆえあってその少年とは2年で別れざるを得ませんでした。そして,昨年の12月,3人目としてわたしに宿ったのです。ちなみに,ネット碁で不敗を誇るFJWRsaiはまさにこの藤原佐為です。見る人が見れば,このトーナメントでボクが佐為の言う通りに石を置いた棋譜は,ネット碁のFJWRsaiの棋譜と同一人物の手になることがお分かりいただけるでしょう」

ボクはここまで一気に話し終えた。記者席は騒然としている。「幽霊,何をバカなことを言ってる」とか「気が狂ってるのか」とか「受け狙いか」といった言葉が飛び交っている一方で,真剣に考え込んでいる記者もいる。壇上の司会者もどうすればいいのか戸惑っている。ようやく1人の記者が立ち上がって

「とても信じがたい話ですが」

と問いかけた。

「そう思われるのは,理解できます。ボクも,実際に幽霊が自分に宿るという体験をしなければ,こんな話は信じられないでしょう。ただ,ボクとしてはこの場で嘘はつけません。どれほど信じがたいことであっても,事実を語るほかはありません」

ボクは想定どおりの回答をする。やがて記者席のざわめきは徐々に鎮まり,奇妙な沈黙がただよっている。その沈黙を破ってさっきとは別の記者が立ち上がった。

「その藤原佐為という幽霊の存在を証明することはできますか?」

「幽霊の存在は証明しようがありません」

記者席からかすかに笑いが漏れる。

「敢えて証明と言われるなら,ボクがこのトーナメントで優勝したことが佐為の存在証明です。碁は,未経験者が偶然とまぐれで勝てるゲームでないことは,皆さんもご存知でしょう。これまで碁を打ったことのないボクがトーナメントで優勝するには,誰かの力を借りないといけません。だけど,皆さんもご覧の通り,ボクのそばに誰もいません。遠くにいる誰かと通信する手段もありません。であるなら,皆さんには見えない存在の力を借りているという推測も一考の余地があるのではないでしょうか」

《ロミーは弁が立ちますねえ》

佐為が感心して話しかける。ボクは笑みを漏らした。そうしているうちに別の質問が出された。

「藤原ヒロミさんはお医者様とのことですが,医者として幽霊の存在を説明できますか?」

「できません。現代の医学,というか科学で幽霊は説明不可能です」

「科学的に説明できないものの存在を主張なさるのですか?」

「現代の科学で説明できない現象はたくさんあります。あって当然です。科学は完璧ではあり得ないから。むしろ,もし科学ですべての現象が説明できてしまったら,その時点で科学は発展を止めるでしょう。今の理論で説明できないものを説明しようという努力の中から,新たな理論が生まれ,科学が発展するのです。相対論も量子力学もそのようにして生まれました。ですから,現時点の科学で説明できないということは,その存在を否定する理由にはなりません」

「説明は一応納得できるのですが,それにしても幽霊がほんとうに存在するとか,藤原ヒロミさんが幽霊の力を借りてトーナメントに優勝したとか,そう簡単に信じられません」

「それは,先ほどもお答えしたとおり,信じられないというのが自然な反応だろうとボクも思います。ただ,ボクとしては,嘘はつけないから事実をお答えしているだけです」

記者たちは腕組みをして考え込んでいる。攻めあぐねているのかな? すると,また佐為が話しかけてきた。

《ロミーは弁が立つだけでなく,これだけ大勢の記者を前にしてステージに立たされて,ぜんぜん動じませんね》

《実は,ステージで注目を浴びるのには慣れているんだよ》

佐為はびっくりしたようにボクを見る。

《ロミーは,ほんとうに不思議な人ですね》

ボクは冗談めかした口調でやり返した。

《あなたにそれを言われたくない》

佐為はちょっと考えてボクの言葉の意味を理解し,笑い出した。声を出して笑った。ふだんは笑う時も上品に扇で口元を隠してそっと笑うのに,この時は声を出して笑った。もちろんその声はボクにしか聞こえないけど。

《確かに,幽霊から「不思議な人」なんて,言われたくありませんね》

こんな,記者たちに聞こえない会話が終わった頃,新たな質問が寄せられた。

「これまでの方々とはぜんぜん違う角度から質問いたします。とりあえず藤原佐為という幽霊がいて,藤原ヒロミさんだけはそれが見えるということにしましょう。どんな姿形をした幽霊でしょうか? 背丈,顔立ち,服装など教えてください。この質問には答えていただけるでしょう。何か答えていただかないと記事が書けないものですから」

記者席から笑いが漏れた。ボクも笑った。佐為も笑っている。

「背丈はボクより10センチかもうちょっとくらい高いです。まあ,ボクが小柄で華奢なのですが」

ここで話を区切ると,思ったとおり記者席から笑いが起こった。

「顔立ちは,ボクに似ています。双子のようにとまでは言いませんが,兄弟と言えるくらいには似ています。年齢も同じくらいです。ただし,髪はボクと違って漆黒で,くせのないストレートの黒髪が肩甲骨のあたりまで伸びています。目の色も黒です。肌は透き通るように白いです。平安時代の人らしく,狩衣を着て烏帽子をかぶっています。こんな描写でよろしいですか?」

「はい。ありがとうございました」

ここで質問は一段落したと思ったら,本命というべき質問が出された。

「藤原佐為はネット碁のFJWRsaiとのことですが,碁に多少なりと係わる者であればよく知っているとおり,FJWRsaiは6~7年前にネット碁で不敗を誇り,塔矢行洋と歴史的な名勝負を演じたsaiの再来と噂されています。つまり,かつてのsaiも藤原佐為のしわざだったのですね?」

「はい。そうです」

「その時も,藤原ヒロミさんが佐為に成り代わってネット碁を打っていた?」

「いえ,違います。その時,佐為は別の人に宿っていました。その人の名をこの場で明かすわけにはいきません。存命なのでご本人に迷惑がかかるかもしれないので」

こう説明すると,さすがにそれ以上追及はしなかったが,別の方向から攻めてきた。

「かつてsaiであり,今はFJWRsaiである藤原佐為がぜひとも対局したい相手はいますか?」

ボクは佐為を見る。佐為は

《ヒカルと行洋殿です。でも・・・・》

《名前は出さない方がいいね》

「2人いるそうです。ただ,先ほどと同じ理由で名前は明かせません」

「そのうちの1人は塔矢行洋元名人ですね?」

「繰り返しますが,名前は明かせません」

その記者はボクを睨みつけるようにして着席した。それと入れ替わるように,碁の取材会場には珍しい女性記者が質問に立つ。

「先ほどから藤原佐為の存在が問題とされていますが,いると想定しましょう。ただ,そうなると,実際にトーナメントで優勝したのは藤原ヒロミさんではなくて藤原佐為であります。優勝賞金は藤原ヒロミさんではなく藤原佐為に支払われるべきではないでしょうか? 藤原佐為に支払われるべき賞金を藤原ヒロミさんが受け取るのは,厳しい言い方をすれば違法行為,不正取得に当たらないでしょうか?」

「その可能性はボクも考えています。もし,トーナメントの運営に当たる日本棋院がそのように認定するのでしたら,その判断に従います。ただ,そう判断なさるからには日本棋院は藤原佐為の存在を認めているということになります。存在しない者を優勝者と認定することはできないはずですから。であれば,その点を公式に表明してほしい。藤原佐為は確かに存在すると明快に表明するよう求めます。藤原佐為の存在が認められるのはボクの願いでもあります,ぜひそうしてほしいです。それと,優勝賞金をきちんと藤原佐為に届けることを求めます。優勝者と認定された者に優勝賞金を届けるのは運営者の当然の義務のはずですから」

記者席から笑いがこぼれた。どこかから「お見事!」という声がかかった。佐為も笑っている。今度は,いつものように扇で口元を隠して上品に笑っている。

それからもいくつか質問は出されたけれど,さほど際どいものではない。やがて,予定時間をかなりオーバーして優勝者記者会見は終わった。

 

 記者会見場を出て,棋院の廊下を歩き,外に出て,通りを駅に向かって歩く。この間,ボクは佐為に話しかけた。

《今日の記者会見で答えながら思い浮かんだことがあるんだ。佐為が虎次郎に宿ったのは秀策の名を碁の歴史に刻むためだった。進藤ヒカルさんに宿ったのは,進藤ヒカルという才能豊かな棋士を世界に送り出すためだった。そして3回目,ボクに宿ったのは,ほかの誰でもない藤原佐為の名前を碁の歴史にしっかり刻み込むためなんだよ。きっと》

《ロミー・・・・》

佐為はそれだけ言って,ボクを見つめている。その目が心なしか潤んでいるかも・・・・。

 

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(ここから第三者視点)

 

 ヒカルは,佐為に似た人が廊下の角を曲がり,姿が見えなくなってからもしばらく立ち尽くしていた。〔佐為なのか? 佐為が生身の人間になって生まれ変わったのか? それとも偶然似ているだけなのか? トーナメントというのは今日からここで行なわれるオープン碁トーナメントのことだろう。それに出るということは,碁が打てる,地区予選を勝ち抜く程度の腕はあるということか?・・・・〕

 オープン碁トーナメントは準々決勝から対局がネット配信される。北斗杯のスポンサーである北斗通信社が手がけている。北斗杯を主催して,囲碁の意外な宣伝効果を認識し,北斗通信社は今やインターネットによる囲碁ビジネスのトップランナーになっている。これまでプロアマ混合戦など見向きもしなかったヒカルだが,この年は熱心に観戦した。

あの人はすぐに見つかった。藤原ヒロミという名前。藤原? 佐為と同じ名字。やっぱり関係あるのか? その対局を見ている間に,ヒカルの混乱は深まった。碁石を3本の指でつまむ手つきはまるで素人だが,石の流れは佐為そのものだ。だけど,姿形は佐為とは違う。あの時は似ているのにびっくりしたけど,よく見ると,髪と目は色が薄い。背丈も佐為より低いし,全体として華奢だ。佐為は顔こそ女のようだけど,体つきはそれなりにしっかりしている。このヒロミという人は体つきも女のようだ。後ろから見たらぜったい女と思われる。前から見ても女と思われそうだ。しかしその華奢な体,優しい顔をして,対局相手を次々に一刀両断に切り捨て,あっさり優勝した。

 優勝者インタビューなど,見るだけ時間の無駄と思ったが,ヒカルはヒロミから目が離せなくて,そのまま見続けた。そしてさらに衝撃を受けた。インタビューで堂々と佐為の存在を明かしている。どんな質問にもひるむことなく対応している。その姿は凜々しいほど。〔そうだよ。オレも堂々と佐為の存在を宣言すればよかったんだ。こそこそ嘘ついて隠したりしないで。そうすれば,佐為は思う存分打てたんだ。人の目なんか気にして,幽霊なんて話をしたら馬鹿にされると思って,隠したりしないで・・・・〕

ヒカルの中で,アキラの部屋でFJWRsaiの碁を見てから張り詰めていたものが,切れた。その1週間後の十段戦でヒカルは惨敗した。相手が倉田だから負けること自体は想定内のこと。しかしその負け方が無残だった。倉田からは「どうしたんだ?」と心配そうに問いかけられ,対局を見たアキラからは「ふざけてるのか!」と怒鳴られた。心配されても,怒鳴られても,ヒカルは黙ってうつむいているだけだった。

 

 藤原佐為という名の幽霊の話は世間のメディアを賑わすだけでなく,棋院でも話題になっている。「ばかばかしい」,「どうせ目立ちたがり屋なだけさ」と反応する棋士もいるが,まじめに考える棋士もいる。さらには,ぜひ藤原佐為と対局したいと願う棋士もいる。ネット碁でFJWRsaiと対局すればよさそうなものだが,碁盤を挟んでじかに対局したいと語る。

 藤原佐為は海外でも話題になっている。「saiがついに正体を現わした」とあちこちで,とりわけ中国と韓国で話題になっている。韓国では高永夏(ホ・ヨンハ)が佐為との対局に名乗りを上げ,韓国棋院も積極的に乗り出しているらしい。中国では,何と言っても塔矢行洋が所属する中国リーグの北京チームが騒がしい。優勝者インタビューで佐為が対局を望んでいると語られた2人のうちの1人は間違いなく塔矢行洋だと断定し,対局の舞台作りに動いている。

 日本棋院はむしろ出遅れ気味だったが,北斗通信社が,恒例の北斗杯とは別に,「北斗通信スペシャル」として,日本のタイトルホルダーと佐為との対局という企画を持ちかけたことから,一気に話が進んだ。北斗通信社はお手のもののネット配信だけでなく民放テレビ局と組んでテレビ放送も行なうとのこと。その企画が伝えられるとすぐに2人のタイトルホルダーが名乗りを上げた。塔矢アキラ名人と緒方精次棋聖。もちろん,藤原佐為つまり藤原ヒロミにもすぐに話は伝えられ,受諾された。ただし,藤原ヒロミから1つの条件が提示された。最初,提示された条件に戸惑った主催者は,ちょっと考えて,〔それはグッドアイデア〕というように納得して了解した。こうして,塔矢行洋よりも高永夏よりも先に,その年のうちに,まず塔矢アキラ,その翌週に緒方精次が佐為と対局することになった。

 

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(ここからロミー視点)

 

 トーナメントの優勝者インタビューで佐為の幽霊の話をしてから,予想どおりいろんな話がボクに舞い込んだ。テレビの芸能番組への出演依頼はすべて断った。オカルト科学,心霊科学の研究団体からも誘いが山のように押し寄せた。それらの組織への対応は前もって決めておいた。

「貴所が発行,出版した書籍,論文のうち最良と認めるものを1冊ないし1本,送ってください」

中には厚かましく2冊,3冊ときには5冊,6冊も送りつける組織もあるけど,そういう時は適当に1冊だけ選んだ。ほとんどは読む価値もないものだけど,一応は斜め読みでも目を通した。予想どおり,ボクの目から見て「まとも」と思えるものは1冊もなかった。予想どおりだけど,ちょっと寂しい。

 ボクが待ち受けるのは碁の対局の申込み。それも,「神の一手を目指す」という佐為の宿願に役立ちそうな強者との対局の申込み。それもやって来た。まず,中国リーグの北京チームから塔矢行洋との対局。そして韓国棋院から高永夏というトッププロとの対局。ただ,どちらもスケジュール調整に手間取るようで,実現は来年になる。そうしているうちに,日本のタイトルホルダーとの対局がスピーディーに実現することになった。相手は塔矢アキラと緒方精次という2人。それぞれ名人,棋聖のタイトルを持っている。

「塔矢アキラはヒカルさんの生涯のライバルだよね。緒方精次って,どんな人?」

《ああ,緒方さんですね。いろいろヒカルにからんできた人ですよ。主にわたしが原因ですけど》

「佐為が原因でヒカルさんにからんだの?」

《つまり,なんとしてもわたしと,つまりsaiと対局したいと願って,saiとヒカルのつながりを推定してヒカルにかまってきたんです。1回だけ対局したことがあります。ただし,彼はかなりひどく酔っていたから,相手がわたしだと気づかなかったでしょう。てっきり,ヒカルと打っていると思っていたはずですよ》

「ふーん,そんな因縁があるから,佐為と打てると聞いて,真っ先に手を上げたんだ。まあ,実際に対局するのは塔矢アキラの方が先だけど」

 主催者とはメールで話を詰めたけど,最終的に担当者と会うことになった。相川という,ボクと同年配かちょっと年上くらいの女性。第1回北斗杯の担当になって,それ以来ずっとこの会社の囲碁関係のイベントや企画を担当しているらしい。自ら碁を打つようにもなった。面談のほとんどは,メールでやりとりした内容の確認で済んでいたけど,1つだけその場でボクが思いついた条件を提示した。その瞬間,彼女は驚いたようだけど,「それはおもしろい」と手を打った。それから出演契約に署名捺印して実務は終わり。その後ちょっとの間,くつろいだ雰囲気で雑談していて,相川さんが「それにしても棋士って美形が多いですね」と口にして,あわてて「あっ,でも,それで碁を始めたわけじゃないんです」と言い訳をし,それから「でも,それも理由の一部であることは否定できないな」と言い添えて,笑った。

 

 12月,佐為と出会って1年が過ぎる頃,ボクは「北斗通信スペシャル」の1回目の対局のため,都内のホテルの小パーティールームにいる。碁盤を挟んで椅子が2つ置かれているけど,もう1つ,2つの椅子の間,四角い碁盤の第3の辺に沿って置かれた椅子にボクは座って,塔矢アキラ名人を待っている。対局の配信,放送のためのスタッフや,時計係,解説などの担当者も揃っている。やがて,開始の15分ほど前に塔矢アキラが部屋に入ってきた。2つ空いている椅子のどちらに座るべきか戸惑っているようなので,ボクは,

「どうぞ,こちらの椅子に掛けてください」

と声を掛けた。

「佐為はもう,向かいの椅子に座って塔矢さんを待っています。対局者どうしが向き合うのが筋だと思うので,このようにしていただきました。戸惑われるかもしれませんが,向かいの椅子に座っている佐為の気配なり気迫なりを感じていただけると,ありがたいです」

ボクの言葉に促されて,塔矢アキラは佐為に向き合う椅子に座り,正面をじっと見据えている。その視線を受け止めて佐為は微笑みながら話しかけた。

《お久しぶりですね。またこうして碁盤を挟んで対局できて,とてもうれしいですよ。・・・・ロミー,この言葉はぜひアキラに伝えてください》

ボクはうなずいた。

「塔矢さん。向かいに座っている佐為が微笑みながら『お久しぶりですね。またこうして碁盤を挟んで対局できて,とてもうれしいですよ』と言ってます」

この言葉に,塔矢アキラは驚きの表情を浮かべながら考え込んだ。そして,

「つまり,佐為は以前ボクと対局したことがあるのですね。ひょっとしてそれは・・・・」

ボクは塔矢アキラに目くばせした。それ以上話されると,その時の相手の名前を彼が口にしそうだったから。彼はボクの意図を理解してくれた。それ以上のことは話さず,ゆっくり深呼吸して,向かいに座っているはずの佐為をもう一度見つめ,それから視線を碁盤に落とした。静かに時間が過ぎ,定刻になった。名人のタイトルホルダーに敬意を表して,佐為が先番を取る。ボクは,佐為の扇が示す位置に1手目の黒石を置いた。

 対局が進んでいく。序盤の攻防を終え,中盤にさしかかる。ボクは碁のことは分からない。だからといって退屈ではない。ボクは時おり佐為の顔を見る。対局に集中すると佐為は表情が冴えわたる。ふだんから美しいその顔がさらに美しくなる。そして時おり見せる微笑み。うまい手を思いついたのか,それとも相手の手を読み切ったのか,そんな時に見せる透徹した凍えるような微笑み『氷の微笑み』。思わず見とれそうになる。だからボクは,佐為の指示どおりに石を置くだけでも退屈はしない。

 やがて,戦いは終盤を迎えた。塔矢アキラが向かいの空座に話しかける。

「ボクの負けは読めているのだけど,勉強のために最後まで打ち切ってください」

佐為は微笑んでうなずいた。

「はい,佐為は了解しました。微笑んでうなずいてます」

とボクは伝える。そのまま両者ともあまり時間を掛けずに打ち合うけど,10手ほど進んだところで,佐為がアキラの石に応じてすぐに扇で自分の打つ位置を示しかけて,さっと扇を引っ込め,ゆっくり考え始めた。しばらくして,塔矢アキラが尋ねる。

「佐為の手が止まったようだけど」

「はい,佐為は今考えています」

「考えている?」

塔矢アキラは怪訝な顔をして,盤面を見つめる。そして,意外なことを発見したかのように「ハッ」というような表情になった。ボクは事情が分からない。

《佐為,もし考えの邪魔にならないなら,状況を説明して。今,どうなっているの?》

佐為はボクの方を向いて不敵な笑みを見せる。

《アキラは負けが分かった上でほぼ必然のような流れで自分の石を置いていました。そうやって打った今の石,アキラとしては仕方なしにと言うかほかに選択の余地がないから打った石なのです。わたしも最初はそう思って,それに応じようとしました。だけど,よく考えると,たった今アキラが打った石は,この後の打ち回し方によっては形勢を挽回できるかもしれないような効果を秘めているのです。わたしはそれに気づいて,そうさせない打ち回しを考えています。そして,わたしがこのように長考していることが,アキラに気づかせたのです。自分が打った石が秘めていた効果,それまでアキラ自身は気づいていなかった効果。わたしが長考することで,アキラに気づかせてしまいました。でも,ここまでです。その効果を発揮させない石を打ち込みますから》

そう言って佐為は碁盤の1点を扇で指し,ボクはそこに石を置いた。その瞬間,塔矢アキラの顔に落胆が広がった。たった1手のやりとりに,こんなドラマが展開する。初めて目にする光景だった。ネット碁でもトーナメントの対局でも経験しなかった。塔矢アキラほどの強者を相手に,対面して打ち合うからこそ生まれるドラマなのかな・・・・こんなことをボクが考えているうちに,終局した。

「黒73目,白62目,コミを入れて黒の4目半の勝ちです」

とアナウンスされる。それを聞いて佐為が驚いた。

《5目半の勝ちだと思いますが・・・・》

《でも,佐為の勝ちは勝ちなんでしょう?》

《まあ,そうですが》

 ボクと佐為がこんな会話を交わしている間,塔矢アキラは終局した盤面をじっと見つめている。そして,

「検討をお願いしてもいいですか?」

と尋ねた。佐為はうなずく。

「はい。いいですよ」

 解説者も交えて検討が始まった。序盤から中盤,そして終盤にかけて,勝負どころと思われる打ち手について,「ここで,こう打っていれば・・・・」という話が盛り上がる。そして,最後にあの一手。

「自分が打った石の意味を相手に教えてもらうなんて,めったにない経験です」

《あなただから,ですよ。あなただから,ヒカルの生涯のライバル,塔矢アキラだから,自分でも意識しないであの場で最善の一手を打てたんです》

ボクは,「ヒカルの生涯のライバル」という部分を省略して,佐為の言葉を塔矢アキラに伝える。彼は向かいの空座に頭を下げた。

「藤原佐為,あなたとこうやって打ちあえて,ほんとうに良かった」

しばし沈黙が流れた。

「佐為の気配くらいは感じていただけましたか?」

「はい・・・・気迫さえ感じましたよ」

こう言って,塔矢アキラは佐為とボクに会釈して席から立ち上がった。ボクも席を立った。今日の対局はこれで終了。

 小パーティールームを出て,ほかの人たちから離れたところで,塔矢アキラはボクに小声で話しかけた。

「実は,ちょっとお話ししたいことというか,お尋ねしたいことがあるのですが,ちょっと時間をとっていただけますか?」

この展開は予想していた。ボクはうなずいた。

「では,このホテルのラウンジに,パーティションで仕切られた個室のようなコーナーがあるので,そこで」

そう言って,彼はボクたちをラウンジに案内した。廊下を歩きながら佐為がボクに語りかける。

《アキラは,ヒカルのことを尋ねるつもりです。ロミーの前にわたしが宿っていたのはヒカルだったのかと》

《「はい」と答えて,いいよね?》

《もちろん,かまいません。アキラは,ほかの人たちに言いふらすようなことはしないはずです》

 

 ラウンジの個室。ウェイターが注文を取り終えて立ち去ると,塔矢アキラはすぐにボクに話しかけた。

「余計なことは言わず,単刀直入にお尋ねします。藤原さんは,トーナメントの優勝者インタビューで,自分の前に佐為が別の人に宿っていた。その人は今も存命だと話しておられますね。その人とは,ひょっとして,進藤でしょうか?」

ボクはゆっくりうなずいた。

「やっぱりそうでしたか」

こう言って,塔矢アキラはしばし自分の考えに浸っている。

「碁会所で初めて進藤と打った時,佐為が石を置く場所を指示していたんですね?」

ボクはうなずく。

「2回目の時も,そうですね?」

ボクはまたうなずく。

「ああ,謎が解けていく。ボクは間違っていなかったんだ。『進藤は二人いる』と感じたボクは,間違っていなかった」

彼は斜め上を向くように顔を上げ,静かにつぶやいた。

「その年の夏,saiの名のもとにパソコンを操作したのも,父とのネット碁対局でパソコンを操作したのも,進藤なんだ」

ボクはもう,うなずくことをしない。うなずく必要はないから。塔矢アキラは眼差しをボクの方に戻した。

「もう1つ教えてください。佐為はいつ進藤から離れたんですか?」

「進藤ヒカルさんがプロになった年の5月5日です」

「あの年の5月5日・・・・」

彼は,その頃のことを思い起こすように考え込んでいる。

「・・・・そういうことだったのか。最後の謎が解けました。進藤にまつわる最後の謎が解けました」

彼は晴れやかな顔でボクにこう語った後,顔を伏せてつぶやいた。

「それにしても,進藤にとって佐為はそれほど重要な,大切な,かけがえのない人だったのか。佐為と別れたためにしばらく碁が打てなくなるほどに・・・・」

それを聞いて,佐為が驚いた。

《本当ですか? わたしが消えてから,ヒカルが碁を打たなくなった・・・・》

「塔矢さん,進藤ヒカルさんが碁を打たなかったというのは・・・・」

「はい。あの年の5月から8月頃まで進藤はいっさいの手合に出てこなかった。みんな心配してました。ボクも会いに行ったけど,何も話してくれなかった」

《そうだったのですか・・・・》

佐為は茫然としている。ボクは,そんな佐為にかまう前に,塔矢アキラに話しておかないといけないことがある。

「塔矢さん,このことは他言無用です。分かっていると思いますが」

「もちろん,ぜったいほかの人には話しません。藤原さんの進藤への配慮はよく分かっています。そして,進藤への配慮なら,ボクも藤原さんに負けませんから」

塔矢アキラは勝ち気な表情でボクを見る。そんな彼にボクはさらに語りかける。

「それともう一つ,ぜったいお願いしたいことがあります」

ボクは塔矢アキラをしっかり見つめる。

「ぜったいに,進藤ヒカルさんを責めないでください。彼が佐為のことを隠していたこと,そのためにいろんな嘘を重ねたこと,それを決して責めないでください。彼の立場ではやむを得ないことなんです。佐為が彼に宿ったのは12歳の時のことです。12歳の子供が,先々のことを見通して,『ここでは正直に佐為の存在を明かす方がいい』と判断できなくても,それは仕方のないことです。幽霊が自分に宿るという,思ってもいない事態に遭遇して,思わずそれを隠そうとするのは,ごく自然な反応です。そして,いったん隠してしまったら,後になって存在を明かすのはとても難しいことです。そのために重ねた嘘を今になって責めないでください。この点,約束してくれますか?」

「はい」

「ぜったいに約束ですよ」

「はい」

塔矢アキラはしっかりうなずいた。それを見て,ボクはそれまでの緊張が解けた。

「緊張なさってましたか?」

「それは,まあ・・・・」

ボクの返事に彼は微笑んだ。

「それにしても,藤原さんはとても優しい人ですね」

「優しい?」

ボクは意外な思いだった。そんなボクの反応を見て

「優しいと言われて,ご不満ですか?」

「いや,不満なわけはないのですが・・・・自分では優しい人間だと思っていないので。ボクの場合,優しいと言うより,相手の状況,今の話であれば進藤ヒカルさんの状況を理性で分析,推測して,『そういう状況にある人にはこのように対応するのがいいだろう』と判断して,判断の通りに行動しているだけだと思うのですが」

「おもしろいことをおっしゃいますね。でも,それがまさに『優しい』ということでしょう」

「そうですか・・・・」

 

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