ようこそ才能至上主義の教室へ   作:ディメラ

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何度も同じ誤字をしてすみません……。


戦いの終結

 

 

 時刻は3時40分過ぎ。放課後を迎えた特別棟はいつにも増して蒸し暑い。

 手筈通りに事が進んでいるならば、もうすぐ待ち人がやってくるはずだ。

 

 手筈通り、というのは省略しすぎだったな。

 それを説明しよう。

 

 昨日行われたCクラスとDクラスの話し合いは延長した。

 お互いの意見が真反対であり、どこまで行っても平行線だったからだ。

 

 そこで、丸一日の延長の間に、どちらかのクラスが嘘を自白しろという趣旨の言葉を今回の話し合いの取締役である生徒会長に言われ、1度目の話し合いは幕を閉じた。

 

 そして現在は2度目の話し合いが行われる前の放課後。

 オレたちDクラスは1日以内でこの戦いにおける完全無罪を勝ち取るための作戦を用意した。

 

 手筈通りとはその作戦が順調に進んでいるという事だ。

 

 勿論、この作戦を考案したのはオレじゃない。

 攻略不可能かと思えたこの暴力事件に対抗策を講じたのは堀北だ。

 

 その内容とは───おっと、噂をすれば何とやらだな。3人組の男子が暑い暑いと不満を漏らしながらやって来た。

 彼らの表情にはどことなく楽観、嬉しそうな様子が窺えた。

 

 何故彼らがそんなにも嬉しそうなのか。

 それは我がクラスのアイドル的な存在、櫛田からのお誘いのメールを受け取ったからだ。

 可愛い子からの誘い、つまりデートの誘いか、あるいはまさかの告白なんて事を夢見ていたのかもしれない。

 

 しかし蒸し暑い特別棟で待っていたのはクラスでも1、2を争う地味な男……自分で言ってて少し悲しくなってきたな。

 兎にも角にも綾小路 清隆という対象外の男を見つけたことによって彼らの幻想は打ち砕かれる。

 

「……どういうことだ。なんでお前がここにいる」

 

 生徒会室で会ったことはさすがに覚えてくれたようだ。リーダー格の石崎が1歩踏み出し、威圧するようにこちらを問い詰める。

 昨日の話し合いでは大人しそうに被害者面をし、受け答えは黙り込んでいたが、人目がないとこうも強気だ。

 

「櫛田はここに来ないぞ。あれは嘘だ。オレが彼女に頼んで無理やりメールさせた」

 

 露骨に不機嫌そうな顔を見せ、ポケットに手を入れながら更に石崎が距離を詰めてくる。

 

「ふざけやがって。何の真似だ、あ?」

 

「こうでもしないとお前らは無視するだろう?話し合いがしたかったんだよ」

 

「話し合い?そんなものオレたちに必要なのか?暑さに頭でもやられたか?」

 

 石崎は心底暑そうに胸元のシャツを掴み、パタパタと扇いだ。

 

「あんな暴力魔の須藤のためにお前みたいなのが動くことは少し感心するが、諦めろ。オレたちは須藤に呼び出され、殴られた。それが答えで真実だ」

 

「別にそんな事を議論するつもりはないさ。そんな事は昨日の議論でも結論は出なかったしな」

 

「じゃあお前は何がしてぇんだ?……もしかしてオレたちを拉致って不参加って算段か?須藤と同じように暴力を使う気か?ははっ、さすが落ちこぼれのDクラス、考えることが一緒じゃねえか」

 

 石崎はニヤニヤとした笑顔でそう言い、後ろの2人は拳を合わせている。

 どうやら、こいつらにその類の脅しは通用しないようだ。むしろ歓迎と言った様子だ。

 

「大人しく諦めて相応の報いを受けるんだな」

 

 櫛田がいないことがわかった彼らは元来た道へと引き返そうとする。

 しかしもう1人の協力者がそれを邪魔する。

 

「観念した方がいいと思うよ、君たち」

 

 役者が揃うのを待っていた一之瀬が、軽い足取りでこの場に姿を現す。

 一之瀬 帆波はBクラスの生徒だ。

 

 なぜこの事件に全く関係のないBクラスの生徒がここにいるのか。

 それは今回の卑劣で卑怯な暴力事件を聞いた彼女が一之瀬 帆波という一生徒として、クラスという垣根を越えて協力してくれたのだ。

 普通の学校ならいざ知らず、クラス同士でポイント争いをするこの学校で他クラスに殆ど無償の援助をしてくれる。

 彼女の人の良さが滲み出ていることが分かる。

 

「い、一之瀬!?どうしておまえが!?」

 

 三人は驚いた様子を見せる。この事件に関係のないBクラスの人間が現れれば無理もない。

 

「どうしてって?私もこの一件に一枚噛んでいるから、とでも言っておこうかな?」

 

「有名人だな一之瀬」

 

「あははは。Cクラスとは何度か色々あってね」

 

 こちらの知らないところで、バチバチ火花を散らし合っているようだ。

 彼女の登場によってCクラスの連中は明らかに動揺している。

 

「今回Bクラスは何の関係もないだろうが、引っ込んでろよ……」

 

「確かに関係はないよ近藤くん。けどね、嘘で大勢を巻き込むのって酷いことだと思わない?」

 

「……俺たちは嘘をついてない。被害者なんだよ俺たちはっ。どうしてそんな事を言うんだ!」

 

「えーい、悪党は最後までしぶといっ。そろそろ年貢の納め時だよ!」

 

 近藤という男は明らかに弱々しい態度で一之瀬を退けようとするが、彼女はバッと右手を広げ、クライマックスと言わんばかりに宣言する。

 

「今回の事件、君たちが嘘をついたことや最初に暴力を振るったこと。それらは全部お見通しなんだよね。明るみに出されたくなかったら今すぐ訴えを取り下げるべし」

 

 オレが説明しなくても、一之瀬が全部説明してくれそうな気がしてきた。

 

「何を言ってんだ一之瀬、お前まで暑さで頭をやられたか?あれは須藤が喧嘩を仕掛けたんだよ。オレたちの証言のどこが嘘なんだよ」

 

「この学校が、日本でも有数の進学校で、政府公認だってことは知っているね?」

 

「……今それがどうしたんだよ」

 

「だったらもう少し頭使わないと。君たちの作戦なんて初めからバレバレだよ?」

 

 どんどんと饒舌になっていく一之瀬は楽しそうな笑顔を見せる。

 彼らの周囲を歩き出し、更に言葉を繋いでいく。

 今の彼女はまるで真犯人を暴いていく名探偵のようだ。

 

「今回の事件を知った学校側の対応、随分とおかしくなかった?」

 

「あ?」

 

「君たちが学校側に訴えた時、どうして須藤くんがすぐに処罰されなかったのか。なぜ数日間の期間を与えて挽回するチャンスを与えたのか。ねぇ、なんでだと思う?」

 

「須藤の野郎が泣きついたからだろう?だから建前上の猶予を与えた。それだけだ」

 

「本当にそう思うの?本当は別の狙いがあったんじゃないかな」

 

 窓を閉め切った廊下は、まだまだ日が高い陽光に照らされ蒸し暑くなっていく。

 

「……どうやら、暑さで本当に頭がおかしくなったみたいだな一之瀬。そんな戯言に付き合うつもりはねえ。俺たちはそろそろ時間だ。もう帰らせてもらうぜ」

 

「いいのかな?多分一生後悔するよ?」

 

「さっきからお前は何を言ってんだ一之瀬っ」

 

 元来た道へと踵を返そうとした3人は、一之瀬のその言葉に立ち止まる。

 

「分からない?学校側は、Cクラスが嘘をついていることを知っているってことだよ。それも最初からね」

 

 数秒間の沈黙が特別棟の中に満たされる。

 恐らく、3人の意表を突く話なのだろう。

 彼らは理解できなかったという顔を見合わせていた。

 

「笑わせんな。何が学校側は最初から知っているだ。もしそれが本当だったとしたら、お前らは何もしなくても無実を証明出来るって事だろう?わざわざオレたちに教える必要がねぇ」

 

 3人の内、石崎だけは額から汗を流しながらも冷静に一之瀬の言葉を掻き分けていく。

 

「ははっ、一之瀬を抱き込んだのはDクラスにしてはすげぇじゃねえか。だがな、そんな風に嘘ついても意味はねえ。須藤はそこまでして助ける価値なんてないだろう」

 

「須藤くんの価値を決めるのはキミじゃないよ」

 

 一之瀬は僅かながらの怒気を込めてそう言う。

 今の言葉は彼女の何かに多少引っかかったようだ。

 

「……随分と強気だな一之瀬、開き直ってんのか?」

 

「まさか。私が強気なのはこっちに確実な証拠があるからなんだよね」

 

 一之瀬は石崎の言葉にも怯まず、続けた。

 

「ならば見せてくれよ、その証拠ってやつをな」

 

 3人とも証拠なんてあるはずがないと思っている。

 動揺も、焦燥も見当たらない。

 

 しかし、この話に食いついた時点で敗北は決まっていたのだ。

 

「アレ、見えないかな?」

 

 一之瀬は、この廊下の少し先にある天井付近に視線を向ける。

 遅れて3人もその視線を追いかけた。

 

「え────?」

 

 間の抜けた2つ(・・)の声が重なって聞こえる。

 特別棟の廊下を、隅から隅へと監視するように、時折左右に首を振るカメラ。

 

「ダメじゃない。誰かを罠にハメるならカメラのないところでやらなきゃ」

 

「ば、な、なんでカメラがここにあるんだよ!?この廊下には監視カメラはなかったはずだ!そうだよな!?」

 

「あ、ああ、間違いねえ!お、俺たちは確認したはずだ……こんな事はありえねえ…………そ、そうか!お前が仕掛けたんだな一之瀬!」

 

 2人の生徒は取り乱し、落ち着いた笑みを見せる一之瀬に怒鳴り声を上げる。

 計画通りだ。

 

 しかしオレはそれを見て安心出来なかった。

 いや、もう既に勝ちは確定した(・・・・・・・)から全く安心してない訳じゃない。

 だが終始1人だけ冷静であり、先程から諦めたように俯いている石崎が直感的に不気味に感じてしまう。

 

 

 嫌な事に、その直感は当たってしまうことになる。

 

 

「はっ、はははははは!」

 

 

 突然、蒸し暑い特別棟全体に響き渡るくらいの声量で石崎が笑い出した。

 

「……どうしたのかな石崎くん。急に笑い始めるなんて」

 

「いや、悪いな。お前らのその演技が面白すぎてなァ。ははは、こいつは傑作だ」

 

「お、おい、どういうことだ石崎。オレたちにもわかるように説明しろ!」

 

 石崎はポケットから携帯端末を取り出し、ある画面を開いたままオレたちに見せつけた。

 

「おい、見えるか一之瀬?これは事件後の現場写真だ。おかしいよな?ここにはお前が言った監視カメラなんて1mmも写ってないんだが?」

 

 写真と現場を交互に見えるように石崎は笑みを浮かべながら説明する。

 

「これが何を意味するかなんてもう言うまでもないよな?」

 

「や、やっぱりお前たちが仕掛けたカメラだったのか!!この野郎、ふざけたことしやがって」

 

 一之瀬はそれを見て唇を甘く噛み、悔しそうな表情を浮かべる。

 だがそれも少しの間だけ、諦めず反撃の機会を作ろうとする。

 

 が、暑さによる制限は何もCクラスの連中にだけかかるものじゃない。

 冷静じゃなければこの場にいるオレにも降りかかる。

 そしてそれはオレより賢い一之瀬も例外ではない。

 

 焦ってしまえば、暑さと焦りで思考が鈍る。

 反撃の機会は見出せない。

 

「……どうして今、このタイミングでそうも都合良く現場写真なんて出せるのかな?もしかしてこうなるって想定したの?」

 

 絞り出した言葉は全く関係のない言葉だ。

 それを石崎は得意気な顔をして答える。

 

「ああ、その通りだ。あの人(・・・)はこう言ってたぜ? Dクラスが被害を出したのにもかかわらず、彼らは無罪を勝ち取るためにこの手段を使う。もしその時はこの写真を使ってくれってなァ」

 

 あの人。

 オレは石崎のその言葉からその人物を推測する。

 全く情報がなかったが、何故か1人の人物に辿り着いた。

 

「君の言うあの人がその写真を渡してくれたってことなのね……」

 

「ああ。残念だったな一之瀬。さすがのお前でもあの人には勝てねえよ。今回お前は手のひらの上で踊らされただけだった訳だ」

 

 勝ちを確信した石崎たちは今度こそ、澱みない笑顔を浮かべた。

 

「……君たちが怯えてないってことは龍園くんじゃない……今回の事件にAクラスは関わってないからありえない。だからCクラスで彼らに尊敬される人ってこと……消去法で考えると1人しかいない」

 

 ボソボソと独り言を零し、思考を加速させる一之瀬には汗がびっしょりと見える。

 集中力を乱しながらもゆっくりと正解へと近づいていく。

 

「おい、どうした一之瀬、壊れちま────」

 

「───カムクラくんでしょう?」

 

「!?」

 

「……その驚き方、やっぱりそっか。まぁ、誰かって分かっても無意味なんだけどね」

 

 一之瀬は諦めた声でそう言う。

 どうやら彼女は分が悪いと判断したようだ。

 そしてオレの推測も当たっていた。やはりあの長髪の男の一手だったようだ。

 

 侮れないな。

 奴はこれからのDクラスの前に大きな障害として立ち塞がるとオレは確信する。

 

 

 だが、詰めが甘かったなカムクライズル。

 勝つつもりがあったなら、お前がこの場に来るべきだった。

 

 

「そうだ、無意味なんだよ…………なぁ、一之瀬。今からオレたちは生徒会長の元へ偽物の監視カメラを取り付けた事をチクリに行くんだが……この場合どうなると思う?」

 

 一之瀬は黙秘していた。

 仕方ない、バトンタッチといこう。

 

「答えられないか?ならば教えてやるよ!それはな、仕掛けたお前らが───」

 

「───罰せられる可能性があるか?」

 

「……あ?」

 

 先程とは打って変わって饒舌になっていた石崎の言葉をオレが遮った。

 

「残念ながらそれはないぞ石崎。何せオレたちのは真実を暴くために用いた『嘘』だ。

 お前たちの悪事である『嘘』が露呈すれば、褒められるものでこそないがこの『嘘』は手段の1つと認められるだろう」

 

「はっ、何言ってやがんだお前。どこにそんな根拠があるんだ、おい。

 オレたちは悪事なんかしてねえ。悪事をしたのはDクラス最大の不良品である須藤だ。

 お前たちが用意したこの手段は無罪である俺らを嵌めるための最低最悪の手段なんだよ。

 それがどうしたら認められるって言うんだろうなァ。お前らもそう思うだろう?」

 

 石崎は2人に同意を求める。2人も当然、そうだそうだとすぐに同意して答える。

 

「お前たちが言っていることは確かに正しそうに聞こえるが、それは────お前たちが悪事をしていなかった(・・・・・・・・・・・・・・・)という仮定の元でしか成り立たない。

 そしてその仮定は成り立っていない。だからお前の意見は間違っている」

 

「……ダチ想いな所は嫌いじゃねえが、さすがに無理があるぜ。あいつの凶暴性はお前の常識なんて軽く超えているからなァ」

 

「確かに須藤の普段の態度が悪いのは認めるさ、だがその偏見で物事を判断するのは間違っている」

 

「……悪いが、お前の戯言に付き合ってる暇はねえ。さすがに遅れちまう」

 

 今度こそ、石崎たちは生徒会室の方へと向かおうとする。

 だがその前にオレは、現場写真を見せた石崎と同じようにある画面を彼らに見せつけた。

 

「!?……録音状態だ?それがどうしたんだ?」

 

「『ば、な、なんでカメラがここにあるんだよ!?この廊下には監視カメラはなかったはずだ!そうだよな!?』

 

『あ、ああ、間違いねえ!お、俺たちは確認したはずだ……こんな事はありえねえ…………そ、そうか!お前が仕掛けたんだな一之瀬!』」

 

 オレは素早く携帯を操作して決定的とも言える証拠部分を奴らの耳へ届けた。

 

「監視カメラはなかったはず、確認したはず、これはどういうことだ?教えてくれ小宮、近藤」

 

「……それは───」

 

「石崎、オレはお前に聞いているんじゃない。2人に聞いているんだ」

 

 オレは再び石崎の言葉を遮り、威圧するようにそう言う。

 石崎は少し戸惑いを見せるがすぐに言葉を繋いできそうだったので、オレはそれよりも早く2人を問い詰める。

 

「で、どうなんだ小宮、近藤?」

 

「お、俺たちはそんな事言ってない、デタラメだ!」

 

「いや、録音していたからそれはないぞ」

 

 既に冷静ではない彼らは袋の鼠であり、後はただの作業だ。

 黙秘しても、言い訳しても、全て無駄なことだ。

 

 特別棟は日常では全く使わない場所であり、殆ど監視カメラがない場所だ。

 そのためクーラーすら付けない。だからこんなにも暑い。

 

 そんな所の監視カメラの位置を確認する理由なんてあるのだろうか。

 

 あるとすればそれは、その場所でやましい何かを起こすためだろう。

 オレの貧相な脳ミソではその程度の事しか思いつかない。

 

 が、そんな場所で暴力事件は起きた。

 こんな都合が良すぎる話、一体誰が信じるのだろうか?

 ほぼ全ての人が裏があると睨むだろう。

 

「綾小路くんすごいね。録音まで用意してたなんて」

 

「……これも堀北の指示だ。最後まで手は緩めるなってことで録音しとけって言われたんでな」

 

「…………そっか、さすが堀北さんだね。いや〜参っちゃうねぇ〜」

 

 少しの沈黙の後に、一之瀬は調子を取り戻した様子でオレにそう言う。

 

「おっと、石崎くん!誰に電話しようとしているのかな?」

 

「!?」

 

 オレと一之瀬が話している一瞬の隙を突いて、石崎は携帯電話を素早く動かし、耳に当てていた。

 

「渡してくれない?そうすれば……君たちを退学になんかしないからさ」

 

 石崎の携帯が1コールする。

 

「…………っ」

 

 2コール。

 

「そうか、ならばこの録音は生徒会長に渡すしかないな」

 

 3コール。

 

「…………ま、待ってくれ!」

 

 4コール。

 

「じゃあ、今やる事は分かっているね?」

 

 5コール。

 

「わ、分かった!渡す、渡すからよぉ!」

 

 完全に思考が乱れた石崎は自らの武器すら一之瀬に手渡した。

 これは投了と変わらないだろう。

 

 石崎の携帯は一之瀬の細長く綺麗な手に収まる。

 液晶画面には先程彼女が推測した人物、神座 出流の名前が書いてあった。

 

 しかしこれ程コールしても電話に出ない。

 緊急事態で出れないか、見捨てたか。

 まぁ、どっちだろうとどうでもいいか。

 

 一之瀬はとうとう呼び出しを拒否した。

 

「さて、石崎くん。どうする?」

 

「……くっそ……」

 

 石崎は悔しそうに唇を噛み締める。

 

「なぁ、石崎。その録音を提出されたらオレたち停学か、最悪退学になるかもしれないんだ、なぁ、諦めよう?」

 

「近藤、これだけ大規模を巻き込む嘘をついたんだ。最悪じゃない。お前ら3人は確実に退学だよ」

 

 オレはトドメを刺すために心を抉るダンガンを発射する。

 

「うっ、ううっ……、なぁ石崎!頼むよ!」

 

「やらかしたのはオレたちだから、お前の事はあの人(・・・)に何とか……じ、慈悲をもらうからよ!」

 

 ……声が震えていて怯えている?

 コイツらはカムクライズルに恐怖の感情を見せてなかった。

 むしろ尊敬していたくらいだ。

 

 だが先程とは一変した態度、あの人とは奴ではないのか?

 いや、奴以外に恐怖で支配している奴がいるということか。

 

 

「…………………………一之瀬……オレたちは……訴えを取り下げる」

 

「決まりだね」

 

 一之瀬は彼ら3人に真剣な声色でそう告げる。

 色々と腑に落ちない所があるが、一応は一件落着だ。

 

 オレたちは3人を生徒会室へと連れて行くための準備をする。

 こうしなければ、彼らはもしかすると先程と同じように誰かに連絡を取りかねないからだ。

 しかし意外にも今は大人しい。

 

「それにしてもしてやられちゃったねぇ」

 

「……そうだな。堀北の意表を突いた案も……カムクラって生徒に対策を取られていたしな」

 

「そうだね。正直彼は受動的な人だからこの事件に関与してこないと思ったけど……さすがに見通しが甘すぎたよ」

 

 一之瀬は悲観的な顔をしている。

 そんな顔をするな。

 オレはDクラスの王子様的な存在である平田(ひらた) 洋介(ようすけ)のように優しい言葉を掛けてやれないので、心の中でそう言う。

 

 生徒会室への道中、一之瀬と他愛もない雑談をした。

 案の定、彼女には納得のいかない部分に自責の念を感じていたので、少しだけその責任をほぐせるように話した……つもりだ。

 

 そして同時にこう思っていた。

 

 

 

 カムクライズルは確かに未知数な敵だ。

 Cクラスを恐怖で支配している奴も厄介な敵なのだろう。

 

 だがオレたちは勝ったのだ。

 今回の争いは勝ちなんだ。

 

 最後に勝ったのはオレなんだ。

 

 だからそれで良いんだ。

 

 オレは騙すように考えることでもやもやとする心を1度リセットする。

 1度真っ白にした心、いや正確に言えば初めから真っ白な心は平常時に戻る。

 

 

 オレたちは生徒会室に到着し、無事、須藤の無罪を勝ち取った。

 

 

 

 

 ──────────────────

 

 

 

 

 楽しい。

 

 

 

 それ以外の感情が、感覚が、今は感じられない。

 

 

 格上との「対等」で「純粋」な「勝負」。

 

 一手一手を打つ度に大量の脳内麻薬が溢れ出ている気がしてならない。

 

 私は時に数秒で、時に長考して駒を動かす。

 しかし私の相手である長髪の天才は全て数秒の思考で駒を動かす。

 

 傍から見れば適当に動かしているように見えるかもしれないが、私は刻一刻と、だが確実に追い詰められている。

 でもまだ敗北は決まっていない。

 ここから巻き返すために、今日(こんにち)までの人生でもっとも速く、鋭く思考を走らせる。

 

 

 持ち時間を十二分に使って考えた38手目を終える。

 

 

 だがやはり、この状況下において最も最適だと判断した一手も数秒で返された。

 

 

 

 敗北の2文字がだんだんと視界に映り始める。

 

 

「アハッ」

 

 

 ついつい出てしまう少々下品な笑い声。

 あぁ、この学校に私を入学させてくれたお父様に今程感謝したことはない。

 

 これが本物。正真正銘、他者の追随を絶対に許さない本物の天才。

 

 でも諦めない。

 まだチャンスはある、逆転の一手があるはずだ。作れるはずだ。

 

 チェスには心理戦の要素がある程度含まれるが、彼相手には期待出来ない。

 まさに機械のような相手。だが彼は完璧な機械ではない。

 優越感や焦燥感といったものは見られないが、感情がない訳ではない。

 

 本当に薄く、一瞬だが、口角が上がる時だってある。

 

 

 逆転の一手は存在する。そしてそれに気付けない程私のチェスの腕は低くない。

 

 

「……これならばどうでしょう?」

 

 自信のある一手、逆転への一手。

 私は彼の表情を正面から拝見する。

 

「………………なるほど。この僕に長考を余儀なくさせますか」

 

 対局始まってから初めて発する彼の言葉。

 この言葉を言う彼の表情は──────で、私の心はそれに言いようもない興奮を覚える。

 

 言葉という不便な尺度なんかじゃ表せない何か、情欲のような抑えられない衝動がさらに加速する。

 

 彼の初めての長考、持ち時間をフルに使い、とうとう駒を動かした。

 

「楽しかったですよ坂柳 有栖。あなたとの遊びは、暇潰しではなかった」

 

 コトッというチェス特有の音をさせ、彼は勝利宣言をした。

 

 

 周囲にいる人間はざわめき始める。

 

 何せこの一手はキングにチェックをかけたのではない。

 ただただ普通の一手。場を固めるための一手にしか見えない。

 だが私にはそう見えなかった。

 

 最善で最高の一手だ。

 あらゆる手を先読みしていたのに、そのどれにも映らない一手。

 

 

 たった一手で私の逆転の一手は潰された上に、八手後、私の確実な敗北が用意された。

 

 

「Resign」

 

 私は悔しみながらもハッキリとした声で降参を宣言し、自分のキングを指で弾いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う、嘘でしょ」

 

 部長さんの目の前の現実が受け入れられない、そう感じとれる声がこの部室へと響き渡る。

 

「嘘じゃありませんよ部長さん。私の完敗です」

 

「……一体何なのよこいつ」

 

「こいつではなくカムクライズルくんですよ部長さん」

 

「名前を聞きたかった訳じゃないわよ」

 

 部長さんが言いたいことは分かる。

 そして彼こそがその言葉の体現者なのだと。

 

「では部長さん、携帯をお出しください」

 

「……分かった」

 

 その言葉とともにテキパキと携帯を操作し、部長さんに100万ポイントを譲渡する。

 かなりの痛手に見えるが、私の端末にはまだ7桁のポイントがあるのでそこに関しては何も問題ない。

 

「あなたたちから奪った分の3割程ですかね。お返しします」

 

「……本当にムカつくわねあんた」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてないわよ」

 

 部長さんとの何気ない雑談を終える。

 その後、部長さん以外の部員が離れていった。

 そしてとうとう私は彼に話し掛ける。

 

「イズルくん。あなたの勝利です」

 

 私は彼の方へと手を伸ばし、握手を求める。

 それに気付いた彼も嫌がる素振りなく、私の手を握ってくれた。

 

 大きくて綺麗、それでいて冷たい手だ。

 激しい運動をし終えた時とはこのような暑さなのだろうともの思いにふけながら、彼の冷たい手をこのままずっと掴んでいたいなと思ってしまう。

 

 手に汗握る勝負だったことを今更ながら思い出す。

 私は自分の手汗の事を気付き、彼の手を汚さないために離そうと思うと同時に、恥ずかしさで少しだけ頬の辺りが紅潮しているのを感じた。

 

 傍から見れば、彼と握手する事が嬉しい、恥ずかしいと思っている少女に見えてしまうと自覚するが、それもその通りだ。

 

 本当に惜しいが、彼の手を掴む力を抜いていく。

 

 しかし私の手は離れなかった。

 なぜなら彼がまだ私の小さな手を掴んでいたのだ。

 

「あの、イズルくん?そろそろ離してほしいのですが……」

 

「……すみません。嫌な気分にさせましたね」

 

「いえ、嫌ではありませんし、そこまで気にすることではありませんよ」

 

 そうは言ったものの、実際は恥ずかしい。

 生まれてこの方、お父様以外の男性の手を握るのは初めてだったのでドキドキと心臓の鼓動が速まっていた。

 

 彼は私の手を離すとそのまま自分の掌を見る。

 

「……やはり私との握手は嫌でしたか?」

 

「そういう訳ではありません」

 

「……ではどうしたのですか?」

 

 私はだんだんと平常時に戻ってきた鼓動を整えながら彼の次の言葉を待った。

 

 

「あなたの手はとても温かいのですね」

 

 

 それはどういう意味で?と聞きたかったが、彼の表情を見て言葉に詰まった。

 

 ……あぁ、あなたも彼と一緒なのですね(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ある事に気付いた私は動揺を悟られないように笑顔で返す。

 

「……フフ、そうですか……しかしそれよりもイズルくん、あなたは勝者です。約束は約束。私への命令を決めて欲しいのですが」

 

「そうでしたね」

 

「一応もう一度言っておきますが、命以外なら何でも構いません。Aクラスを含めた全てのクラスの情報、さらなるポイントの要求、私の身体などなどです。必要ならば契約は紙に書きますので嘘なんてことはありません」

 

「対等」の勝負に負けてしまったからにはしっかりとリスクがある。

 これが勝負の世界だ。だからどんな命令でも彼を恨むつもりはない。

 恨むのは私の弱さだ。

 

「……男ならサクッと決めな。そろそろここ閉めなきゃいけないんだしさ」

 

「そうですか。ならばさっさと決めましょうか」

 

「……言っておくが、あんたがこいつの身体を選んでも、双方の同意があるってことで学校に報告しないから安心しな。まぁ、あんたがロリコンって蔑称を付けられるのは仕方なさそうだけど」

 

「あら部長さん、ごにょごにょと話してどうしたのですか?」

 

 安心しな。の後からの言葉は早口でかつ、小さい声だったので聞きとることは出来ませんでしたが、バカにされたのは分かったので笑顔のまま部長さんを威圧する。

 

「では決めました」

 

 もう決まりましたかと心の中で言い、部長さんとのじゃれ合いを止めて、彼の方へと再度向く。

 

「僕があなたに命令、いえ貰うものは───」

 

 隣にいる部長さんの鋭い視線は彼を睨みつける。

 

「あなたの───」

 

 ……嬉しいようで、少し悲しいですね。

 やはり彼も男性。そういうお年頃ですか。

 

 部長さんの目はさらに鋭い睨みに変わっていく。

 

 

「────連絡先です」

 

「え?」

 

 予想外の一言を受け、私は間抜けな声を上げてしまう。

 

「ヘタレねあんた」

 

「……この辺りが妥当な判断ですよ」

 

 私は自分だけが変な期待をしていたことに顔が赤くなる───わけがなかった。

 

「イズルくん、それでは『対等』を満たしていません。私にリスクがありません」

 

 私が感じたのは怒り。軽い怒りだが、いくら相手が彼でもここは譲れない。

 

「あなたは敗者。どんな命令でも聞くのが道理です。口答えは許しません」

 

「……しかしさすがにこれでは」

 

「では僕があなたに与えるリスクは屈辱だと思って下さい。

 あなたはまだ僕の足元で吠えている仔犬でしかありません。

 そしてその程度の存在から情報やポイントなんて要りません……それにあなたは僕の事を本物の天才と呼ぶくせに、僕がその程度の事を出来ないと思っているのですか?」

 

 この提案を持ち出した時の私は早くチェスをしたいという一心でそんなこと考えていなかった。

 だが考えてみればそうだ。

 私に出来ることは彼にだっておそらく出来る。

 

「……仕方ありません。あなたの命令、受け入れましょう」

 

「決まりですね」

 

 お互いに携帯を操作し、連絡先を交換した。

 彼は椅子から立ち上がる。

 私も杖を突き、ゆっくりと彼に続く。

 

 すると丁度良く部室の扉も開く。

 

「……いた」

 

 紫の綺麗な髪をした女子生徒が私を見てそう言った。

 

「グッドタイミングです真澄さん」

 

「あっそ」

 

 いつも通り淡々とした冷たい態度で返事をする。

 近付いてきた彼女に私はスクールバッグを持たせる。

 

「イズルくん」

 

 私はもう一度彼の名を呼ぶ。

 彼はタイムラグなしで振り向き、私の顔を見る。

 

「今回は負けてしまいましたが、次は勝ちます。だからまた今度遊びませんか?」

 

「あなたが僕を楽しませてくれるならいつでも構いませんよ」

 

「フフ、私も日々成長します。次遊ぶ時は今回よりもさらに強くなっていますよ」

 

「期待しましょう」

 

 長髪を揺らし、私の横を通り過ぎる彼。

 その声は耳にくっきりと残り、何度も再生される。

 

 杖を突き、彼の後ろを続く。

 歩幅を合わせてくれる彼の横にすぐ追いついた。

 

「そう言えばイズルくん、私の身体を選ばなかったのはなぜですか?もしかして魅力が足りませんでしたか?」

 

「100万の割に合ってないだけですよ」

 

「あら、それは嬉しい」

 

「……え?なんの話ししてんのコイツら……」

 

 部室から出て帰路につく。部長さんは部室を閉めると、職員室へと鍵を返しに行った。

 話についていけてない真澄さんは放っておいて彼との会話を楽しみましょうか。

 

 

 初めは、私自身の抑えきれない興味と本能だけで彼を見ていた。

 

 しかし今日、目的は変わった。

 彼の瞳に私を映らせるのではなく、彼の隣に立てるような、対等の存在になりたい。

 

 そしてそこから、彼に人の温もりを教えたい。

 才能がなくても知れる人の温もりを。

 

 だからまずは(・・・)お友達からですね。

 フフ、先が長そうです。

 

 

 

 

 天才たちの親密度がお互いに上がった!!!

 

 




これにて2巻分は終わりです。
予定では幕間を1話挟んでから3巻分に行かせてもらいます。


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