ネロ帝が女のわけないだろ!いい加減にしてくださいお願いしますから!! 作:オールドファッション
※久しぶりに読み返して、自分でも思うところがあったので、この回を少し改変することにしました。過程が少し変化しています。
ルシウスがローマから忽然と消えてからおよそ1ヶ月が過ぎた。霊圧はもちろん、その足取りさえも不明である。初めはいつものことかと呑気に考えていたローマ市民たちも、三日すぎると中毒症状が現れてルシウスを探し回り、十日経つと戦争でも起きるのかってくらい慌て出した。その噂を聞きつけたアイドル同盟国、ローマ属州、奴隷時代に色々やらかした国々も慌ただしくなり始めてもはや世界規模の騒がしさと化す。ガイアさんが不眠で訴えにくるぞ。
市内を歩けばまるでヒロポン中毒者のように憔悴し切ったローマ市民たち。まるで聖書の文句を紡ぐようにルシウスの言葉を語り続けるHUROHAIRITE部隊。ロクスタはその症状をルシウスニウム欠乏症と命名し、ルシウス人形を配布した。おまえの方も頭にルシウスニウム足りてねえじゃねか。
市内と比べれば宮殿の方はまだマシだったが、衛士たちが慌ただしく大理石の床を走り回っていた。市民たちがこれならネロは仮死状態になってるんじゃないかと思うが、勇ましく衛士たちの先頭に立ちルシウス捜索の指揮を取り仕切っている。
「ヘロデアの娘、サロメからの書状は!?」
「ダメです!ヨカナーンとルシウス様の名前の羅列が狂ったように続いています!」
「ええい!人選間違ったわ!ヘロデ王に寄越してこい!思い当たる国全てに捜索願を届けよ!」
ネロは的確に指示を送り、正確に仕事の処理を行っていた。一見すれば冷静なようにも思えるが、しばらく眠れていないのか目の下に大きなクマが出来上がっている。アグリッピナはネロとは別行動で動き、少佐と共に別方向から情報を洗っているらしい。意外なことに神父が一番落ち着いており普段通りの笑顔を振りまいては市民らを元気付けていた。他の部隊幹部『伯爵』『執事』の動向は未だ謎である。
イケニ族の温泉街でもローマの騒動が知れ渡り、表立った騒ぎはないが皆心ここに在らずという様子だ。特にブーディカなどは平静を装いながら部族を落ち着かせているが、どこかプラスタグス王がなくなった後の憂いを帯びた姿を彷彿とさせる。
誰もがルシウスの無事を祈る中で、ローマ、イケニの両国にある噂が流れた。
『ルシウスの死亡説』
初めは皆、信じてはいなかった。だが、不安は疑心の種に甲斐甲斐しく水をやる。もしかして、いやまさか。市民たちの中にも状況を悲観視する人間が一人、また一人と呟き始めた。そんな皆の弱り切った心に狐狸が付け込むように、信じられないような噂がまた両国に広まる。
宮殿の中を一人の衛兵が息を切らせながら走り抜く。誰もが作業から一旦手を離しその鬼気迫る表情を眺めた。ネロを筆頭とするルシウス捜索班が集まる会議室に衛兵が倒れこむように到着する。別の衛兵から水を受け取った衛兵は息も絶え絶えながら言葉を紡いだ。
「ご、ご報告…はぁっ、致しますっ」
「どうした!まさかルシウスが」
会議室に安堵の声が広がるが、衛兵はそれを否定した。
「い、いえ!そうではなく…はっ、市内にとんでもない噂が!!」
「くっ、また下らない噂か!そんなもの放っておけ!」
「それが実は――――――」
「誰だ!!!そんな噂を流したのは誰だ!!!!」
衛兵の言葉はまるで荒唐無稽な噂だ。まさしくそれは戯れ言だった。しかし、その言葉をネロが、ネロだからこそ見逃すことは出来なかったのだ。
噂を鼻で笑う者、すぐさま否定する者たちの中で、ネロだけが噴火する火山のように怒った。
「そんなデマを流したやつはコロッセオの中央に縛り付け、生きたまま猛獣にそのはらわたを喰わせてやる!!!早く、早く余の前にその罪人を引っ立てよ!!!!」
それは誰もが見たことがないネロの怒りだった。いつもは皆に温和に語りかけ、軽い冗談を軽快に笑い、愛を告げる勇気も持てない少女が初めて見せた怒り。まるでローマそのものが怒り狂ったような圧力が宮殿を支配する。
ほとんどの者が息もできずにただ押しつぶされそうになった。そんな重圧の中をセネカは悠々と歩き、まるで子供をあやすように両手を肩の上に置く。
「ネロ、落ち着きなさい」
「離せセネカ!!!余は、余は!!!」
「今あなたがやろうとしていることは彼の功績を汚す行いです」
セネカの言葉にネロの熱が引いていき、ただ感情を圧し殺した表情で立ち止まった。
「――――許せ、熱くなり過ぎた」
「一度彼女とローマで共同ライブを催しましょう。そうすれば噂も収まるはずです」
「こんな時に、いや、こんな時だからこそ歌って勇気付けなければな……」
悩ましげな表情はすでに隠され、そこには今までの皇帝としてのネロの顔があった。衛兵らが安堵する中で、セネカだけが彼女の精神状況がすでに限界に近いこと察する。今は少しでもこの激務から離れ、好きな歌に没頭できれば心の平穏を取り戻せるだろうかと思ったのだ。
再び捜索会議を再開する中で、衛兵の誰かがいった。
「まったく、悪い冗談だ。ブーディカさまがルシウス技師を殺すわけがないのに……」
その言葉が、まるで泥のようにべっとりと耳の奥に貼り付いて離れなかった。
イケニ族集落、女王宅ではローマから届いた書状を読んだブーディカが頭を抱えていた。それにはローマで広まる醜聞についてネロが頭を悩ませていることが記されている。
「あるわけないじゃないか。ネロがルシウスを殺しただなんて……」
ブーディカにとってネロは妹のような存在だった。初めはルシウスを独占する皇帝に嫉妬がなかったわけではない。だが、会って話してみれば彼女は恋に悩む一人の少女であった。対してブーディカのルシウスに対する好意の形は愛情という完成されたものだ。未熟で幼い愛情を大切に抱くネロを見て、幼さを羨み、昔を懐かしみ、それを応援してやりたいとさえ思った。気づけば彼女たちはまるで姉妹のような関係になっていたのだ。
「ネロ様はルシウス技師がいなくなってから日に日にやつれられ、この醜聞にほとほと頭を悩ましておられます」
書状を届けにきたローマ兵がいたわしそうに申し上げた。
初めてルシウスが村にやってきた時に付き従っていた兵士たち。温泉街の建設を共に進めるうちイケニの戦士とも交友を深め、こうして伝令の橋渡しを行うまでに部族と信頼関係を築いている。そんな彼らが辛そうに話す姿を見て、自分が集落を離れるべきか悩んでいたブーディカは決心した。
「わかった。私がローマへ行くことでネロが助かるなら」
ブーディカは娘二人を連れて伝令のローマ兵と共にローマへ出航し、集落には信頼できる戦士と駐在しているローマ兵が残った。ブリテン海峡を越え、ローマまであと半ばほどの渓谷に差し掛かった時だ。先行していたローマ兵が急に立ち止まり馬から降りる。
「どうしたの?」
「……やっと効いて来たか」
「え……ぐっ!?」
ブーティカの視界がぼやけた。まるで二日酔いの上に、更に酒をぶちこんで酩酊したような酩酊感が脳内を支配する。それなりに酒には強かった彼女には初めての感覚だった。
振り返れば、娘たち二人も馬上で意識を喪失している。ローマ兵たちはその様子をしげしげと観察していた。
「どうもこの国の人間たちは穢れに対して強い耐性があるな。土地か、信仰する神の加護か……まさか風呂のせい?いや、ないよな」
大体合っていたりするが、そんなことは外来から来た魔術師にとってはバカな憶測でしかない。ローマで栄えた彼らの国の文化は、もはやルシウスによって原型もないほど魔改造されたのだから。
ローマ兵の一人が懐から黄金の盃を取り出す。聖杯難民には申し訳ないが、それは万能の願望器とは似ても似つかぬほど禍々しく、そして狂気を帯びている。淫美に絡み合うニュンペーたちの意匠が、その神名の由縁を物語っていた。
「おお、狂気と豊穣を司る神――『ディオニュソス』よ!この盃に御身の狂気を注ぎ給え!!」
男の叫びと共に、盃にはどす黒い葡萄酒が湧き出た。それははるか未来での戦いにおいて、この世全ての悪と呼ばれた泥と似た性質を併せ持つ。触れた物を呪い、狂気の道へと誘い込む
ローマ兵はこの酒を飲み水に数滴垂らし、ブーディカたちに飲ませていたのだ。本来ならば一滴でも人を狂人に変えるほどの猛毒。しかし、全くといって効果が見られなかった。仕方がなく一滴ずつ増やしていったのが、最近は面倒臭くなってリットル単位で飲ませていた。水じゃなくて、ほぼ水割りの酒である。
オリンポス12神の末席をヘスティア神から受け継いだディオニュソス神は、狂気と陶酔をもたらす恐ろしい神。だが、ローマ神話の方ではバッカスという葡萄酒の神に変容している。史実でもバッカスの絵画は基本的にぶどう片手にワインを飲む姿しかないのだ。
端的に言って、狂気が抜け切ってただの酔っ払いと化していた。
ごめんなギリシャ。君らの神様はローマで風呂に入りながら酒を飲んでるよ。健康に悪いのでヘスティア神を呼んで来てください。
効果の薄まった魔酒と、ルシウスの作り出した風呂の浄化能力が作用した結果、呪いは本来の10分の1にも満たないものとなった。
仕方がなく、ローマ兵は雇い主から渡された『泥』を慎重に取り出す。人形使いの魔術師であった彼は、『傷んだ赤色』と呼ばれる女と同様の精巧な人形造りを得意していた。しかし、遠隔から操作しているのにも関わらず、ガラスのような透明な容器の中で揺らめく泥に、言い知れぬ嫌悪感を感じた。
触れることも忌避する呪いを丁寧にシェイクングし、出来上がった災厄のカクテルをブーディカに無理やり飲ませる。
あら意外と美味しい。もう三杯くらいは欲しいと思った瞬間――
「ぐあああああ!!!」
日々、温泉に浸かることで獲得した病や呪いに対する免疫。それすらも凌駕する呪いがブーディカの体と魂を蝕んだ。
常人なら発狂して死に至る呪い。だが、未だに神代に片足をつっこんでいる時代の人間であったブーディカは、英霊と同等の肉体的な強さをもっていた。それでも、死ぬことだけがこの呪いの本質ではない。英霊であっても、ひとつの例を除いて全てを汚染させる現象が彼女の中で起こっていた。
「これが何か、あんたらなら分かるよなぁ。特にそこの妹ちゃんなら間違えるはずがない」
彼女たちが見間違うはずがない。それはいつもルシウスが肌身離さずに持っていたハンカチ。鼻先をわずかに動かしたネッサンの表情が絶望に歪み、目から大粒の涙が溢れる。彼女は気づいたのだ。このハンカチが誰のもので、その血が持ち主のものと同じだということを。
「おれらに命令したのはあんたと仲良しのネロ様ですよ」
あり得るわけがない。わずかに正気を残した頭が否定する。しかし理解しているはずなのに、脳内に生じた黒い意識がそれをかき乱す。
何より自分という存在がネロを敵にすることで歯車がぴったりと噛み合うような感覚があった。
『そうだ、ネロは元々そういうやつだったのさ。そして私もネロを殺すためにここにいるはずだろう?』
自分の声が脳内に響く。でも自分ではない何かだった。まるで怨念の化身が語りかけてくるようだ。振り払っても耳の奥にべったりとくっついたまま離れない。呪詛が体に染み込んでいく。少しでも背中を押されたら強烈な殺意に飲み込まれそうだ。
「あー、そうそう」
決壊寸前の心を壊したのは、その言葉だった。
「ルシウス技師を殺したのはネロ様ですよ」
ネロたちが渓谷に通り掛った瞬間、濃厚な血の匂いが漂っていた。戦場で血しぶきを浴びてきた歴戦のローマ兵が嘔吐くほどの悪臭。まるで人喰い鬼の巣に足を踏み入れてしまったような死の気配が充満している。
――カツ、カツ。
鬼の足音が渓谷に木霊した。気高き勇士であり、いくつもの戦場を闊歩してきたローマ兵たちが怯えている。しかし戦場とはおよそ無縁だったネロだけがどこか落ち着いていた。その心境は旧友を迎えるような穏やかな心と似ている。
「お、お前は……!?」
薄暗い闇の中から現れたのはブーディカだった。ネロにとってはもはや血の繋がりのない姉のような存在といっても過言ではない。だが、彼女の姿が見えた瞬間、ネロが抱いた感情は恐怖だ。
頭からつま先まで大量の鮮血に塗れ、普段は団子状にまとめた長髪が解けて風に妖しく揺らめく。ブーディカの温和な母の表情は幽鬼の残忍な微笑みへと変貌していた。右手には男の生首を二つ、左手には下半身を捥がれた男の胴体を引きずり大地に赤い線を刻んでいる。そして死体のどれもが壮絶な恐怖に歪んだ面持ちを描き絶命していた。ネロたちはその顔を見てすぐに気づく。それがイケニ族の伝令に使っていた兵士の死体であることに。
「なぜ、どうしてこんなことを……」
ネロの美しく澄んだ声は渓谷によく通った。それは久しぶりの血の匂いで恍惚とするブーディカの耳にも嫌でも響く。狂戦士の意識から覚醒したブーディカの目の前にはネロの姿が映っていただろう。しかしその姿はブーディカの身に降りかかった出来事を合わせることで現実と乖離する。
「……ああ、そうか。やっぱり本当のことだったんだな」
そう言って、ブーディカは心底寂しげな笑みを浮かべた。
ただ、お互いにとって間が悪かったなどとは到底言い表せない綿密に組み合わされた惨劇の歯車。その部品が彼女たち二人である。まだどこかで信じていた互いの心に据わる疑念が黒い悪の華を咲かせた。
「ネロォおおおおおおおおお!!!!」
ブーディカの放った胴体が隼のごとくネロへ投擲される。呆然と立ちすくむネロを側に立っていた兵士が押し倒すことでその物体は頭上を掠めた。胴体はそのまま後方にあった岩に衝突し、熟れたトマトを壁に投げつけたような惨状が広がる。それがネロを害する一撃であったことはたしかであった。
「どうしてだブーディカ…どうしてお前がこんなことを!?」
「それをお前が言うのか!!お前が、お前がああああああ!!!」
およそ人の発する声と思えない轟音が渓谷を揺らす。そこには人々を魅了してきたアイドルの姿はなく、ケルトの狂戦士としての覚醒と別世界の魂が混じった怨念の塊がネロを凝視していた。
「皇帝陛下!早くお逃げください!」
「う……あああっ!」
ネロが慕い続けた姿とはまったく違う。見たこともない獣のようなブーディカの様に彼女はひどくショックを受けた。それは守り続けてきた信頼を打ち壊し、心の根に満開の華を咲かす。弱り切ったネロの心に巣喰うのは簡単だったのだ。
二人が袂を分かったその時より、ローマとイケニ族は歴史上類を見ない戦争状態になる。ローマには多くの属州が集結し、イケニはアイドル同盟国が集結した。同盟国がイケニ族に味方したのは、ローマではなくルシウスによる同盟締結が大きなところであり、アイドル達がリーダーとして信頼の厚かったブーディカに与したのはある意味当然とも言える。
史実よりも数百倍のスケールで戦争が起きる中で、その時代の誰もがルシウスの帰りを待っていた。おそらくこの戦争を回避させる事ができるのはルシウスしかいないのだと確信していたのだろう。
突然のシリアスで困惑しているそこのあなた。この作品でのシリアス成分はこの話でほとんど終わりです(真顔)
※改変部分
・ローマ兵の描写。
・ディオニュソスと例の泥の追加。