ネロ帝が女のわけないだろ!いい加減にしてくださいお願いしますから!! 作:オールドファッション
およそ10年前。フラット・エスカルドスは、両親から半ば厄介払いされる形で魔術師の総本山時計塔に送り込まれた。
動機となったのは、フラットが幼少期に出会った『赤髪の女性』の『とりあえず、時計塔行けば?あ!温泉旅行の船が行っちゃう!』という発言だったらしい。またこの人はショタを引っ掛けて……。
歴史倒れのエスカルドス家。
魔術師の家系としては、とりわけ古い歴史を持つ家系であり、かのキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの時代にまで遡るとされる。しかしながら、それだけの歴史を持つ家系にも関わらず、一族の魔術刻印はほとんど変化することもなく、魔術師の家系として成長することもできなかった。魔術刻印の衰退こそなかったが、一族が先細りする未来は誰の目からも明らかであっただろう。
当初、一族にとってフラットの誕生は異変であり、同時に福音でもあった。彼の魔術回路の本数は文字通り先代とは桁が違っていた。それはまるで、身体中に魔力を循環する毛細血管のようだったと見た者は語る。
天才的な魔術のコントロール。
既存の魔術を即興で組み合わせる独創性。
そして何より、一族の中でも比類なき魔術回路。
彼は『天体科の至宝』と同様に、蝶よ花よと愛でられ──次第に、自身の親に疎まれたのだ。
フラットには魔術師としての高い能力はあっても、魔術師としては最も重要とされる『心構え』というものが欠落していた。彼は魔術師とも、普通の人間とも異なる、世界のズレを生まれた時から内包する存在だ。
彼にだけ『見えるもの』の異常性も起因し、両親にはすでに5度も暗殺されかけている。赤髪の彼女の勧めがなくとも、いずれは他のコミュニティーに目を向けるのは遅かれ早かれの段階だったろう。
まだ10歳にも満たなかった少年は、自分の正体を知るため。そして、理解者を求めるために時計塔の門戸を叩いた。
エスカルドス家に生まれた稀代の麒麟児を前に教授たちは色めき立つが、彼の心構えをどうしても矯正ができなかったらしい。次第に、両親たちのように邪険に扱うようになる。
降霊科のロード代理、ロッコ・ベルフェバンは根気よくフラットの矯正に取り組んだが、彼の特異性を鑑みて、自分と同じ代理人に押し付けることにした。
過去に、フラットを請け負った教授たちは、彼が向かう先の学舎を見て『ついに匙を投げられたか』と揶揄する。時計塔でも孤立していたフラットですら、その学科の噂は聞こえていた。
『心臓のない男』と呼ばれた先代学科長が失踪し、勢力を落としたエルメロイ家がその席に収まったらしい。現当主が成人するまでの期間、ロードの代理人として矢面に立った人物は魔術師としては第五階位の「開位」の下位レベル。その生徒も、他の教授たちから見放された者たちの集まりだという。
なかば落胆しつつも、フラットはロッコと共に教授室に向かう。だが、例の教授はどうやら電話の応対をしているらしい。代わりに、獣のような眼光を持つ少年が応対し、二人は隣の応接室に通された。
防聴用の魔術が施されていないのか、あるいはそれを超える声量を張り上げているのか。例の教授の、その怒声にも似た声は応接室にまで響いている。
『だから!なぜ『あの男』のことで一々、私にクレームを入れる!?確かにあいつは一次的にこの学科に席を置いていたが、現在は無所属だろうが!旅行先で起こした問題の責を、私に問うのはおかしくはないかね!?そもそも、『アレ』にまつわるものに関しては聖堂協会、ないしは君たち法政科の領分だろう!それこそ『
『先生!先生!またあの硫黄臭い男の件ですか!また先生を困らせて……きっと悪魔の使いか、悪魔そのものです!僕が噛み壊してきていいですか!』
『やめろスヴィン。絶対にやめろ。下手にちょっかいを出すと、世界が滅ぶ可能性がある。それに硫黄が悪魔の匂いというのは中世からの考えだ。硫黄は古来より錬金術や魔術に用いられた触媒であり、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』では邪気を払うために硫黄を焚く描写もある。日本でも厄除けの力があるとされ、山岳信仰や神道と深く結びついていた。かの『九尾の狐』が封じられたとされる那須では、地から噴出する硫黄ガスは九尾の祟りとする考えもあるが、同時に封印や浄化の側面もあるんだ』
『勉強になります!さすが先生です!』
何やら聞いてはいけない話を聞いてしまったらしい。隣に座るロッコは、冷や汗をかきながら自身に忘却の暗示を掛けている。面白そうなので、フラットはその記憶を消しはしなかった。
しばらくして、声の主は眉間を揉み解しながら応接室に入って来た。
額に刻まれたシワは加齢によるものではないだろう。いかにも苦労人でございという雰囲気を漂わせる男は、ロッコに一礼する。
「すみません。どうやら待たせたようで……」
「む?いいや、来たばかりだと思うが?」
先ほどまでの記憶を忘却したロッコは、まるで痴呆の老人のように首を傾げて、淹れられた茶を啜る。しかし、その手は震えていた。老齢のせいか、あるいは忘却しても消えない動揺からか。
例の教授は、長い髪を靡かせながら、フラットを一瞥する。
「ようこそ
かつてウェイバー・ベルベットと呼ばれていた男は、まだ言い慣れない口上をむず痒そうに口にする。そして、これから一生分以上の苦労を掛ける問題児は、魔術で繕った精一杯の作り笑いを向けたのだ。
時刻はルシウスが警察署に護送される前に遡る。
スノーフィールド市にある典型的なアメリカンダイナーに入ったフラット・エスカルドスは、何をトチ狂ったのか『ミソスープとライスボールをください!』と店主に無理難題を叩きつけた。
「あるよ」
だが、何やら見覚えのある店主はその一言で返事を返す。
なんでいるんだろうと作者すらも思ったが、あのドラマは2001年に放送していたので、いても不思議はないと現実逃避を書きつらねる。
昨今、健康志向に目覚めた欧米人が、和食を求めて日系スーパーや和食レストランに訪れるのは珍しくない。まあ、名前をあやかっただけで、カリフォルニアロールやフルーツ寿司のようなアメリカ映画のなんちゃって日本人的魔改造料理を提供する店も多々ある。ぶっちゃけルシウスが広めたローマ料理も魔改造なので実質ローマ料理だ。
提供された極々普通の和食に、フラットは舌鼓を打つ。だが、当人はなぜか、某少年漫画に掲載されていた料理マンガの主人公のような格好をしていた。多分、声優さん繋がりとかではなく、変装とかだろう。
「お粗末!やっぱりイギリス人は味噌ですよね!」
『日系英国人かね?君は……』
何やら頓珍漢な発言をするマスターに、腕時計に扮したバーサーカーこと、『ジャック・ザ・リッパー』は困惑する。しかし、フラットの言葉は、あながち間違ってはいなかった。
ルシウスがもたらした食文化は、実のところ中世までヨーロッパ各地の農村に現存していたのだ。しかし、産業革命に伴って都市部に人口が集中し、都市で生まれた新世代が増えたことで、田舎で細々と継承されて来た食文化は18世紀後半に完全に途絶えてしまった。
ウェールズに住むとある一族が、墓だけではなく、本来の郷土料理を守っていると噂されているが、それは神の味噌汁ならぬ、エルメロイII世の味噌汁である。決して、秘伝の魔術礼装を漬物石に使ったり、ぬか床の古い釘の代わりにはしていない。
そうして後に残ったのは、口伝だけで何とか再現を試みたイギリス料理の数々。
あるいは──それは残骸だった。
天ぷらはフィッシュアンドチップスに。モツ煮込みはハギスに。うなぎの蒲焼はウナギのゼリー寄せに。タイの塩釜焼きはスターゲイザーパイに。味噌はマーマイトに。
何ということをしてくれたのでしょう。
汝は飯マズ。罪ありき。マズカロン!
マッシュポテト製造機のガウェイン卿ですらキレ散らかす大惨事。かの騎士王もアヴァロンから抜け出して祖国に殴り込もうとオルタ化。『ワイルドハントの始まりだ!』とセイバーライオンオルタがジェヴォーダンの獣と化して平野を彷徨うも、謎のローマ人に餌付けされてアヴァロンに帰っていったという民間伝承があったり、なかったりする。
かくして歴史の陰に消えた食文化であったが、遺伝子に刻まれた情報は絶えず現代にまで継承されたようで、味噌汁と米は外国人にとっても文字通りのソウルフードとなったらしい。やっぱり
「それにしても……凄かったですね」
『君が見たという三人組の男女のことかね』
ルシウスがスノーフィールドに足を踏み入れたことで、この土地の地脈は異常なまでの活性化を起こしている。
異常を真っ先に感知したのは土地と繋がりの深いティーネ・ティエルク。気配感知A+を保有するエルキドゥ 。そして、このフラットであった。
彼は街中にある公衆トイレの洗面台で魔術を行使し、他の魔術師の使い魔をハッキングして空港から出て来たルシウスたちを視認したのだ。
「内2人は死徒ですね。ただ、俺の知り合いの死徒とは違うというか……成り立ちそのものが違うのか?あるいは宇宙からの物体X的な存在?」
『その組み合わせは、さすがにB級オカルト過ぎるのではないかね?』
「あっ、実際に映画でもありますよ。『スペースバンパイア』と『吸血鬼ゴケミドロ』って言うんですけどね!意外と名作なんですよ!」
『……』
ジャックは思った。バーサーカーの自分が言うのもなんだが、人類の正気を疑いたくなる、と。
安心してください。日本はクトゥルフの神話生物がヒロインのゲームやラノベを作るくらいにはSAN値がピンチです。古代ローマはマイナスに振り切っています。
「何より!あの男の人です!すごい魔力の塊ですよ!あんな惑星並みのマナの塊なんて見たことがない!ああ、ガイアの心は彼だったんですね!!」
フラットは再び興奮した様子でまくし立てる。このダイナーに着くまで、ずっとこの調子だったのだ。マスターの異様なテンションの高揚に、ジャックはただ困惑するばかりだった。
その原因を理解できるのはフラット自身と、彼だけに見えるもの。そして、モナコの金持ち吸血種とキシュアのご老体くらいのものだろう。
1800年前、現在のモナコ公国に工房を構えていた祖先メサラ・エスカルドスは、友人である魔法使いから聞かされた。この世界とは異なる無数の可能性を内包する並行世界。そして、ある『ローマ人』に対する愚痴を。
この話に希望を見出したメサラは、自分の一族の血筋を利用した盛大な落ちものパズルを企てたのである。そうした世代を重ねた進化の末に、1800年という時を経てエスカルドス家の忘れられた悲願は結実した。
詰まるところ。フラット・エスカルドスが内包する、彼にだけ『見えるもの』の存在とは──。
アーキタイプ:アース『ルシウス』という見本を元に
メサラが創り出した壮大な二次創作の結晶なのだ。
メサラの思惑通り、彼の子孫は徐々に自分たちの目的を忘れ、エスカルドス家は没落していった。そして、フラットという器を壊すために、母親は愚息を殺そうとしたのだ。
しかしながら、誤算はいくつかあった。器であるフラットの異常な鬼才ぶり。事もあろうに内包する中身と良好な関係を築く能天気さ。
なにより、彼が出会った凡庸な一人の魔術師の存在であろう。
「す、すみません。珍しく『僕』の方が、興奮しているみたいで……」
フラットは、自身を構成する回路の裏側にいる『ティア・エスカルドス』を落ち着かせる。普段からフラットに重目の感情を向けているティアも、自身の成り立ちに由来する原型を見て思うところがあったらしい。ルシウスというより、彼の生前の妹をサンプリングしてないか?
『君のことだから、その男と友達になろうとするのではないかと思っていたよ』
フラットの中身を知らないジャックは軽口を叩くが、フラットは慌てて否定する。
「そんなまさか!公式のブースにぽっと出のサークルが二次創作作品を見せに行くような暴挙ですよ!行くにしても、精一杯おめかししてからにします!」
『結局、会いに行くのか……』
聖杯戦争の真っ只中だと言うのに、鼻歌交じりショッピングモールに向かうマスター。それを見て、彼のサーヴァントはただただ呆れ果てる。だが、他人事とも言えない。
ルシウスと奇縁があるのはフラットだけではない。自分の正体を知るために聖杯戦争に参戦したジャックもまた、深き関わりがある。しかし彼の性質上、それを知る術はないだろう。あるいは、ジャック・ザ・リッパーという霊基そのものに刻まれていたならば、出会った瞬間に思い出すかもしれない。
──閑話──
元陸軍医師ジョン・H・ワトソン博士の回想録より
第1章『「絶対に書くな」と言われると、むしろ書きたくなるよね?不思議だなぁ……と現実逃避のたわごとを僕は書き連ねるのであった。あとで燃やすか、墓場まで持って行くからいいよね?』
前置きとして語ろう。僕の友人シャーロック・ホームズには絶対に書くなと言われたが、我慢できずにあの事件の真実をここに記そうと思う。僕が今まで書いた手記はホームズの編集が入っていたが、これは愚痴というか、積もりに積もった鬱憤を書き殴ったものなので、フェイクを混ぜる気はない。
もし、この原稿を僕以外の誰かが読んだとするならば、読者である君の手で処分してもらいたい。
ある朝、シャーロック・ホームズは味噌汁を啜りながら言った。
「金がない……」
「は?」
僕は納豆を掻き混ぜる手を止めた。やはり、イングリッシュ・ブレックファーストと言えばご飯、味噌汁、納豆、漬物、焼き鮭だろう。最近は紅茶というものが流行り出したと聞くが、あれは邪道だ。英国紳士はやはり緑茶だ。
「ほら、ミルヴァートンの一件でアテナの胸像を競売で競り落としただろう?」
ホームズはマントルピースの上に飾られた胸像を指差す。スキャンダルをネタに、数々の人間を搾取してきた恐喝王ミルヴァートンの遺品だ。もしも脅迫の手紙でも隠されていたらと思い、ホームズはあれを競り落としたのだ。
「思いの外、高額にはなったが金が尽きるほどではなかったはずだ。原因は他にあると見えるね……あ、ハドソンさんご飯お代わり」
「流石だワトソン君。実は競馬と、新しいストラディバリウスと、化学薬品と……ビタミン剤を少し。あ、ハドソンさんお味噌汁お代わり」
「コカインと言いたまえ。金欠のくせに図々しくお代わりをするんじゃないよ」
僕はおひつから白米を装っているハドソン夫人を見やる。この人はホームズが下宿しているこの家の家主で、食事の世話や、家事全般を担当している。一流のメイドと遜色ない働きをしているが、下宿分の家賃しか請求していない……それなのに、ここのところホームズは家賃を滞納しているというのだ。
こんもりと装ったごはんを僕に手渡すと、ハドソン夫人はホームズを睨む。
「あきまへん!働かざる者食うべからず!仕事を探してきんしゃい!」
なぜかウェールズ訛りの口調でホームズを叱咤。何でも、ウェールズと深い所縁があるらしく、ロンドンに移り住んだ今もその癖が抜け切らないそうだ。それでも、夫人の語学力はホームズでも舌を巻くほどである。ラテン語や、東洋の言語も解する姿を見て、僕も大いに驚いたものだ。
そんなハドソン夫人の眼光に降参したホームズは両手をあげる。
「私の散財癖はさておき……一番の問題は君なのだよ。──『ルシウス君』」
ホームズはあげた手の指先を、
ハドソン夫人。それは彼の仮の名であり、本当の名前はルシウスと言うらしい。
彼はいわゆる、お尋ね人だった。時計塔の魔術師や、聖堂教会の代行者に絶えず追われる身の上であり、街中に素顔を晒したならば、即時捕まるほど人相書きが広まっていたのだ。
思い悩んだ彼はこう考えた。
『犬の美少女ハドソンさんがいけるなら、これもいけるだろう』
何を言っているのかホームズでも理解できなかった。おそらくは、どこにでもいるひ弱な老婆に変装することで追っ手から逃れようと画策したのだろうが、ローマ人特有の濃い顔と骨格により『お前のようなババアがいるか!!!』と突っ込み必至のバケモノが誕生しただけだった。初顔合わせの瞬間、僕の拳銃が炸裂しかけたのは言うまでもない。
これでも、ホームズの変装技術によって多少マシにはなったものの、元が元なので限度というものがある。ゴツい老婆の出迎えで依頼人の大半は逃げ出す始末。あのモリアーティー教授も腰を抜かしていたくらいだ。そして、依頼人は誰もいなくなった。
「拙のせいやっち言うとね?どげんかせんといかんとはホームズ先生たいね!」
「いつもより訛りが酷い……ホームズ、これじゃ当分はご飯は抜きだよ」
「そんな!ロンドンでこれほどのイングリッシュ・ブレックファーストを作れるのはルシウス君しかいないのに!」
そう言いながらホームズは味噌汁を勝手に装う。激怒したルシウスはギリシャの古流格闘術パンクラチオンで襲いかかるも、ホームズは彼のパンクラチオンを独学でアレンジしたバリツを駆使して無力化し、ルシウスにキツめのアームロックを掛けた。それ以上はいけない。
「君の流儀に反するかもしれないが、たまには飛び込み営業でもしたらどうだい。ほら、この例の『切り裂き魔』とか」
僕はロンドンタイムズの一面を飾る猟奇殺人の記事をホームズに見せる。
昨今、英国中を恐怖のどん底に陥れたホワイトチャペルの殺人鬼。犯人を名乗る人物が警察署や報道機関に送った手紙の署名から、それはジャック・ザ・リッパーと呼ばれるようになった。
スコットランドヤードは今も市内を血眼で探し回り、あのレストレード警部すらも駆り出されている。しかし記事を見るに、捜査は難航しているようだ。
ホームズは紙面を胡乱げに見つめ、首を横に振る。
「それは、私の推理では魔術的な犯行だ。犯行を遂げた人間の存在する犯罪が私の管轄。探偵の私がレストレード警部の仕事を奪わないように、時計塔の領分を犯すような真似はしないさ」
ホームズは知的好奇心の塊のような人物であるが、時として正義の体現者であるのだ。ルシウスから勝ち取った味噌汁を勝利の美酒にしている点は置いておこう。
「しかし勿体無いな……賞金は500ポンドらしいぞ」
提示された金額を見て、僕は生唾を飲み込む。
この時代、使用人の年収が約40〜100ポンド。中流層の年収で約200〜300ポンドほどだった。滞納している家賃なんてすぐに支払えるだろうし、当分の先払いも可能だ。
未練がましく新聞を眺めていると、いつの間にか僕の背後に立ったホームズが僕の肩に手を置く。
「ワトソン……僕は紳士だ。紳士としてレディーを守る義務がある」
「……つまり?」
「やっぱり500ポンドは欲しいかなって」
「資本主義者の間違いでは?」
正義の体現者と言ったのは訂正しよう。彼はわりと俗物だ。
食後のデザートに出されたせんべいを齧りながら、僕たち三人は作戦会議に移る。正直、僕は魔術に関しては専門外なのだが、他の二人は多少の知識を持ち合わせているらしい。
「魔術師の犯行なら御首級をあげられるかもしれないが、悪霊や魔物の仕業だったらどうする?」
「その時はバスカヴィル家の魔犬の時のように、野犬の仕業ということにしておくよ。問題は、犯人の正体が固有結界のような現象である場合だね」
ジャックの正体の一つとして考えられる可能性。それにホームズは固有結界をあげた。
本来は魔術の一種らしいのだが、時々自律して動く結界というものがあるらしい。ルシウスが言うには、移動する樹海や、都市伝説を具現化する霧があったというのだ。
ジャック・ザ・リッパーとは、女性を対象に起動する固有結界の一種でないかというのが、ホームズの見解であった。
「女性か。どのみち、ジャックをおびき寄せるには囮は必要か……しかし、女性を危険に巻き込むようなことはしたくないな」
「いや、適任の女性がいるだろう。私たちの知人で」
「な!まさか、アイリーン・アドラーを巻き込むつもりか!見損なったぞホームズ!」
僕の脳裏に、あの快活な女性の後ろ姿が浮かんでいた。
アイリーン・アドラー。
ホームズを出し抜いた唯一の女性であり、彼はアイリーンを深く敬愛して『あの女性』と呼んでいる。確かに、普通の女性にはない勇猛果敢さを持った人だが、それでも危険なことには変わらない。
憤慨する僕とは正反対に、ホームズはいつもの独特な手の形を作り、笑みを浮かべて瞑目する。
「いるじゃないか。女性には任せられない危険な仕事ができる……ベーカー街221bの家主が」
僕は視線をホームズから、となりにいる人物に移す。似合わない老女の変装をしている男は、せんべいを頬張りながら緑茶を啜っていた。
『お前のようなババアがいるか!!!』
その日の夜。
ジャック・ザ・リッパーと思われる存在の声は、ホワイトチャペル全域に木霊した。
ティアとは別に、フラットがルシウスを目にして初めて抱いたものは、ただただ静かな疑問だった。魂はともかく、精神が壊れてないのが不思議だった。
『とある死徒』曰く、人間には千年を生きる強靭さはない。吸血種として不死の肉体を手にいれても、精神の鈍化は止められない。あるいは、狂うのだ。
『蛇』は精神の純度を保つために転生の外法に手を染めた。
箱を開ける鍵として造り出された『6000年生きた少女』は、精神が壊れてしまった。
推定して二千年以上を生きた人間が、精神の純度を保つ方法。フラットは持ち前の頭脳で演算する。
しかし、たまたま立ち寄った店で飾られていた新選組のコスプレ衣装が目に入って、すぐに忘れたのだった。