三菱零式艦上戦闘機。日華事変から太平洋戦争緒戦にかけて活躍し、その名を馳せた日本帝国海軍を代表する傑作。極限までの軽量化と空力的洗練により、驚異的な航続距離と空戦性能を達成した。言わずと知れた〈ゼロ戦〉だ。
復元されたその機体の横にたたずむ人影を見て、おれは近づくべきか迷った。足を止める。視線を感じたようにディナがこちらを向いた。おれを認める。
彼女は自分からおれに歩み寄ってきた。靴音が広いホールに反響する。
「いらっしゃるんなら、言ってくださればよかったのに」彼女は言った。「ホテルに電話したんです。もうチェックアウトしたと聞いて」
「日本に帰る前に、ここを見ておきたかったんですよ」おれは言った。「エントランスの模型ですけど、あれは――」
「ええ、〈オルニトケイルス〉です。イギリスのケンブリッジで発掘された化石を元に復元したものです。そんなに珍しいものではないんですよ。あれは世界中に分布していましたから。あんなに完全に近いかたちで守られているのはともかくとして」
彼女は『ついて来い』とばかりにおれを
「飛行機、お好きなんでしょう。ご案内します」
「ここのは、どうかな」
言いながらおれも歩きだした。〈零〉を見上げる。カウルから排気管が突き出しているところを見ると後期の〈五二型〉というやつだろうか。
「『観光用』なんて、とんでもない。いい博物館じゃないですか」
「そうかしら」
「そうですよ――でも撮ったとき、中に入ってみなかったのは正解だったかもしれないな。きっと、この国のことが変にわかった気になっただけかもしれない。そうですね」と言った。「先生」
彼女はおれを見て、少し笑った。
「写真、見せていただきました。とても素晴らしかった。お礼も言わせてくれないうちに行ってしまわれるのかと思って、わたし、慌てました」
そして彼女は、おれに向き直ると、ちょっとおどけたように微笑んで、あの〈お礼の挨拶〉をした。周囲に他の観覧者がいるのに。
おれも今では返礼の挨拶を教わっていたので、それを返した。
おれの写真は、終わりの方に近い二枚が成功していた。後は失敗だ。38発タマを撃ってたった二匹だ。
「あれはほんとは、撮っちゃいけないものだったかもしれません」おれは言った。「おれが写真を撮ることで、多くの人が見ることになる。〈見る〉ってことは知ることだ。なかには自分の目で見たいって言う人間も出るでしょう。そいつらはフラッシュ付きのカメラを持っているでしょう。それに、もっと悪いことだって……」
あの神殿が、観光用に整備された姿を思い浮かべてみた。広げられた通路。観光客の足を濡らさないように手すり付きの道が敷かれる。水の底にライトを沈め、神像を照らす。横に説明
日本だったら、たちまちそうだ。
「知ったことじゃないわ」
彼女は言った。強い口調だった。おれに背を向けて、顔を見せようとしない。
「この〈ゼロ戦〉。あの〈ヘルキャット〉……この辺りの島はね、昔、戦争の巻き添えを食って、それは悲惨な目に遭ってるのよ。大勢の人が死んだし、家や食べ物を失った。連れて行かれたまま帰ってこなかった人も数え切れない。それだけじゃない――」
博物館には、日本語を話す人間が他にもいた。そのひとりから、おれは彼女の母親が、戦時中に日本兵に犯されて生まれたものと知らされた。この国では別に珍しい話じゃないと。
彼女は続ける。
「昔、日本人がこの国に来て何をしたか、わたしは繰り返し聞かされて育ったわ。今でもこの国の人間は、日本人を憎んでる。それでも観光収入が大事。人間は、どこもそう変わらない。自分が良けりゃそれでいい……」
あのリゾートバーでのこと。おれは彼女に謝りたかった。でも言葉が見つからなかった。だから彼女の背中を見ていた。彼女は顔を
「ごめんなさい」
と彼女は言う。謝るのはおれの方だ。そう思った。でも何も言えなかった。
「わたし、あなたにしていただいたこと、とても感謝してるんです」
おれは、彼女が顔を背けているのは、涙をおれに見せないためと気づいた。
「ありがとう」と彼女は言った。
*
ホールを出ると、キノとぶつかった。
「ああ僚ちゃん。ディナさん、いた?」
「いや、こっちにはいなかった」
「どっこにいるのかしらねえ」
「さあなあ。しょうがない、そろそろ行こう」
「えーっ? ちょっと待ってよ」
「だって、飛行機の時間があるぞ」
「そんなこと言ったって、写真渡さなきゃいけないのよ。ほら」
と言って、キノは、いかにもサービスプリントな写真の包みを取り出した。
おれは言った。「『写真』って、そりゃ、一体なんだ? キノ。プロが、素人みたいなマネすんな」
「これはねえ、あの島の子達の分も入ってるんです!」
「そんなもん、事務所にでも預けときゃいい。さあ行くぞ」おれは言った。「遊びに来たんじゃないんだからな!」