太平洋の翼   作:島田イスケ

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彼女からまた連絡があったのは、その二日後のことだった。キノがOL時代の調子で電話の応対をした。おれ達は互いに謝罪し合い、もう一度会う約束をした。酒や、妙な音楽なんかない場所で、と。

 

「シェケナベイベー!」

 

まともなはずで選んだ店で、なぜかエルビス・プレスリーのそっくりさんが歌っていた。なるべく歌から遠く離れた奥の方の席に陣取る。

 

今度はコーラとハンバーガーだ。おれ達の嫌いな。

 

おれは言った。「人が百人くらいしか住んでない島に古い神殿がある。それを撮れというお話でしたよね」

 

「そうです。つまり、その中にある神の像を」

 

と彼女が言う。対してキノが、

 

「それを見た者がいないというのはなんですか。島の人が、魚を獲る(もり)とか使って、他所者(よそもの)が来るのを追い払ってるとか?」

 

「『見た者がいない』のではありません。撮影した人がいないだけです。それに、未開の原始部落みたいなものを想像されているとしたら違います。男の人は漁師ですから上は裸でいたりしますが、女性はちゃんと服を着ますし、他の島との交流もちゃんと行っています。無線も通じていますし」

 

「じゃあ、それこそ蛇がいるとか……」

 

「そんな危険な動物などは、まあ、出ないとは言い切れませんが、わたしは話には聞きません」

 

「具体的なことを聞かせてください」おれは言った。「一体全体、何が問題になってるんです?」

 

「それはですね、その島には〈しきたり〉というものがあるんです」

 

「しきたりィ?」

 

「それを守っていただかなければならないんです」

 

「そりゃ、そうだろうね」

 

「ええ、それが問題になってるんです」

 

てことはだな。

 

「写真撮っちゃいけないんですか?」おいおい、と思いながらにおれは言った。それ守ったら、そりゃ、ダメじゃん。撮るも撮らないもない。「撮影禁止じゃ、もう、話にならないよ」

 

「いいえ、撮影は、好きにいくらでもやってもらって構いません」

 

まだ問題が見えてこない。

 

「とにかく、村では神聖なものとされてるんです。敬意を持って接していただかなければならないんです。そう、敬意ですね。それさえ払う限りには、何をしようと自由である。何をやってもいい。写真を撮っても、歌を歌っても」

 

キノが言う。「歌を歌ってもいい?」

 

「神殿の中、声が響きますからね」

 

「そういう問題か?」

 

「ええ」

 

彼女ははっきりと頷いた。

 

プレスリーのそっくりさんが、『ラブ・ミー・テンダー』を歌っている。ラブミーテンダー、ラブミードゥ――。

 

「たとえば……」と、おれはまさかと思ったんだが、聞いてみた。「ああいうのでも?」

 

「全然構いません。きっと神様もお喜びになるでしょう」

 

一体、どういう神様やねん。「その、あのねえ、どうも、〈敬意〉というのがよくわからないんですが……」

 

「そうでしょうね。道に三脚を立てる人では」

 

痛い。

 

彼女は続けて、「つまりですね、ものごとには、〈決まり〉というものがあるでしょう。あのエルビスさんだって、この場所でああいうことをしている限り、誰からも文句の言われる筋合いはないじゃありませんか。でも、その辺の道端だったら、非常識というものです。上映中の映画館に乱入したのなら、最悪です」

 

「この間のことは、どんな弁解もできない、とわかっています」

 

とおれは言った。けれどもまだ、わからないのだ。彼女が一体何を言おうとしているのか。

 

「人が映画を見ている前でプレスリーの真似をすれば、つまみ出される。それは、〈決まり〉だからです。だから、〈しきたり〉なんですね。迷信的なものとか考えていただきたくなくて、マナーとして守るべきものがある。そのためにいくつかのルールが定められていて、村ではそれに従がっている。他所者が自分の勝手で侵していいものではない」

 

いちいちごもっともだ。だが、

 

「その神殿には、守るべき四つの〈しきたり〉があります」

 

と彼女は言った。それを早く言えよ、それを。

 

「わかりました」おれは言った。「その、〈しきたり〉というのを教えてください」

 

キノも頷く。

 

「まず、ひとつめ」彼女は言う。「神殿の壁に(わる)さをしてはいけない」

 

「悪さ?」

 

「つまり、傷とか落書きとか」

 

おれはキノの顔を見た。キノはおれに頷いてみせる。おれも頷き返した。まったくなんでもないルールだ。いかにも当然で、当たり前の。

 

「写真を撮るのはいいんですよね」

 

「ええ、重要なポイントは、内壁に後に残るような損傷を与えないことです」

 

「OK。次のルールは」

 

「ふたつめ。夜にそこに行ってはいけない」

 

「ははあ」なんだ、オバケでも出るのか。「それはまた、どうして」

 

「暗くて危ないからです」

 

「ハア?」

 

「みっつめ」彼女は構わず続ける。「ひとりでそこに行ってはいけない」

 

「どうして」

 

「それも危ないからです」

 

「本当は、やっぱり、すごく危ないところなんでしょう!」

 

「いえ――わたしも行ってみましたが、別に目に見える危険というのはないと思います」

 

目に見えない危険だったらあるのかよお。

 

キノが言う。「『行ってみた』って、ひとりでえ?」

 

「そんな危ないことしませんよ」

 

「ほら、やっぱり危ないんじゃない」

 

「ええ、ですから――」と彼女は言う。「転んだら危ない、という感覚なんですね」

 

おれはまたキノを見た。キノは、今度はブンブンと首を振る。

 

「そして、最後。四番目のルールです。これがおそらく、最大のネックであると思うのですが……」

 

当たり前だ。前のみっつのどこがネックだ。

 

彼女は言った。「神殿の内部に、光を持ち込んではならない」

 

「え?」

 

「正しくは、(みずか)ら発光するものです。懐中電灯とか、ロウソクとか。人工的な光で中を照らしてはいけない。それは神を(けが)す行為になってしまいます」

 

「じゃあ、カメラのフラッシュなんかは……」

 

「もってのほかでしょうね」

 

しばらくの時間が過ぎた。『ラブ・ミー・テンダー』が終わって別の曲が始まった。エルビスの歌には違いないのだろうが、おれの知らない曲だった。

 

「なるほど」とおれは言う。「やっと問題が見えてきました」

 

ここまでのなんと長かったことか。

 

「そうね」とキノが言う。「『神殿の内部』って言うからには、屋内だ。窓なんかは」

 

「ひとつだけ、こう――」手を伸ばしてグルッと回し、「大きな口が開いていて、けっこう光が入るんです。陽の光が(じか)()しはしないんですが、人間の目にはそれで充分ものが見える」

 

「うーん、ちょっと難しい気はするなあ」とキノ。「カメラってのは人間の目みたいにはいかないからねえ。人間だってトンネルなんかいきなり入ると目が慣れるまで見えないでしょう」

 

「あ、そう」と彼女は言う。「中はちょうどトンネルみたいになっていて……」

 

「それじゃやっぱ難しいかなあ。映画なんかじゃまともに映って見えるけど、ありゃいろいろ照明入れて撮ってるんでね。それがダメっていうのはなあ」

 

「やはり無理なんでしょうか」

 

「見なきゃなんとも言えないけどね。神像でしょ。モノは動かないんだよね。あんまりでかくなってくると余計に光がまわらないだろうから、より難しくなるでしょうね。あと、形とか。複雑だと影ばっかりついちゃって、撮っても何が写ってるかわからなくなってきちゃうだろうし……だから、とりあえず、形と大きさ」

 

「大きさは――」

 

と、彼女はキノのペースに乗せられた感じで言った。それともおれの修行が足りないのかもしれん。最初っからキノとだけ話すのがよかったんじゃないか。

 

「そう、傘ですね」

 

「カサ?」

 

「『カサ』って」おれは口を(はさ)んで言った。「あの雨に差す傘ですか?」

 

キノは手に傘の柄を持つ格好をして、広げた傘を想像するように上を見上げる。「そりゃあ、どんな神様だ?」

 

「ああ、ごめんなさい。そうじゃないんです」と彼女は言う。「(ひら)たいんです。〈像〉と言っても、壁のレリーフ状なんです。大きめの傘を広げたくらいの、直径が1メートルと少しの円ですね。それにほぼ、すっぽり収まる大きさです」

 

「『ほぼ』って?」

 

「ちょっと長くはみ出している部分があって、こう、アルファベットの〈Q〉の字みたいに……」

 

「なるほど、こんな感じか」

 

「そう、こんな感じ」

 

彼女とキノとで、パントマイムでも演じるように手を広げ合う。と言うか、女ふたりで掴み合いでもしてるみたいだ。

 

「うーん」とキノは、楽団の指揮でもするみたいに手を広げたまま、「そんなのが、そんなに難しいのかなあ。すごく狭いところにあるとか?」

 

「いいえ、ちょっとしたボール遊びくらいできる広さがありますよ」

 

その口ぶりからすると、その島じゃ、やってるんじゃないかと思う。

 

「だったらできる気がするけどなあ。だって、平たいんでしょう? 写真って、平面だよ。平たいもん撮るのいちばんラクなんだよ。立体感要らないんでしょう? なら暗いまんまでいい。目で見えんなら、露出、10秒もかけてやりゃ、普通写ると思うけどなあ」

 

「10秒……ですか。『露出』って、シャッタースピードのことですよね」

 

「それが何か?」

 

彼女は手にカメラを構える格好をして、「こう、ずっと手に持ったまま、10秒」

 

「そんなこと、するわけないじゃん。三脚要るよ。レリーズ要るよ。こう、カメラに取り付けて――」キノはコーラのストローを取って、飲み口を親指でふさいでみせた。「シャッターをカメラから離して切るやつね。でなきゃブレちゃってなんにも写りゃしないよお」

 

「そうですよね。わたしでも、それくらいはわかります」

 

「じゃあ、なんでそんなことを?」

 

「現地の、〈足場〉と言いますか。それがどうやら、三脚など使うのには適していないようなのです」

 

「なんでー」

 

「そのあたりは、わたしには写真のことはわかりませんので」

 

「ふうん」

 

「とにかく、お返事は現物を見てもらってからでも構いません。その後で、これはどうしても撮れぬと言うなら致し方のないことです。しかしなんとかなりそうでしたら、こちらでもできる限りのことはさせていただきます。必要なものがあるなら、なんでも言ってください。それでお願いできないでしょうか」

 

「OK、ベイベー!」

 

と、エルビスのそっくりさんが言うのが聞こえた。おれは言った。

 

「そうですか、なるほど」

 

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