「村長の♪◎♯〒♂♀☆▲√¥※さんが、我々のために小屋を空けてくださいました。女性用と、男性用です。島のお客としてもてなしていただけるそうです」
おれ達はペコリと頭を下げた。「どうもありがとうございます」
「#$@*%◎□★」と村長が言う。
「この島では、人に感謝の気持ちを表すときにはこうします。こっちの手はこうやって、こっちの手はこうやって」
「こう?」
「そうじゃなくて、こう。で、こうやって、クルッとまわす」
「こう?」
「だから、そうじゃなくて、逆」
三人そろって、おれ達はお礼の挨拶をする。
「♭☆●♪¥♂〒◇℃@◎」村長は、上機嫌で返礼の挨拶をした。
まだ昼前だ。おれ達はとりあえず小屋に入って荷物を解いた。いかにも気候に適した感じの、南国の小島らしい造りの小屋だ。窓にはスダレみたいなものがかかって、中に入ると涼しい気がした。
「僚ちゃん、やっほー」隣の小屋からキノが手を振ってくる。
〈神殿〉とやらを見に行く準備をする。機材は最小限にとどめる。下見だ。キノから徴発したショルダーバッグに、入射光式の露出計。小型の折りたたみ双眼鏡。フィルムを種類を変えて数本。
カメラはニコンの〈ニコノス
ホントかどうかわかりゃしない。だいたいおれにはどうもレンズの写りというのが、まだ今ひとつピンとこない。そんなのは素人のブランドに対する幻想で、カメラ輸入代理店の陰謀だ。ほんとに防水になってるか、試してやってみるのもいい。壊れたって知るものか。本当にライカのレンズでも、あの店主は気にすまい。
あと
「ジャーン!」
とキノが、水着の上にシャツをひっかけ、足元はサンダル履きというスタイルで飛び出してきた。この女は仕事で来たっつってのんに、やっぱり水着にサンダルなんか隠し持っていやがったのだ。それでもコンパクトカメラを一台、片手に下げているのは立派だ。
おれが〈ニコノス〉を選んだのは、ディナ・バリスがおれ達に、『水着はあるか』と聞いてきたからだ。なければ用意するが、と。
なんで水着なんか要るのか、それは教えてくれなかった。どうも話がおかしい。おれは水着をもらったけれど着替えなかった。ちょうどデッキシューズを履いてた。水には強い。と思うんだが、どうだろう――いいや、と思った。それで通すことにする。
ディナが子供を二人連れてやってきた。五歳くらいの男の子と女の子だ。
「この子達が、神殿の中を案内してくれるそうです」
「?」
おれとキノは顔を見合わせた。子供達はニコニコしている。しょうがないから、おれ達は教わったお礼の挨拶をした。
おれは女の子と、キノは男の子と、手をつないで歩くことにする。この子らがおれ達のカメラに興味を示すので、記念撮影することになった。おれはコニカ〈ビッグミニ〉。キノはオリンパスの〈
「問題のところで、フラッシュなんか使いませんよ」
「いえ、そういう心配をしているのではないんですけど」
村を出て、小高い丘を抜けていく。海が見渡せた。舟が浮かんでいる。
「やっぱり、なんか、ノンビリしたところですねえ」
とキノが言うと、
「そんなことはありません」と彼女がきっぱり言った。「こういうところは、厳しいしきたりがあって初めてやっていけるんです」
また〈しきたり〉だ。「それって、あの四つだけじゃないんですか?」
「もちろんです。あれは、これから行く神殿についてだけのものです。この島には、他にもたくさんのしきたりがあります」
「たとえば、どんな?」
「そうですね。『夜寝る前には歯を磨け』とか」
キノがサンダルを滑らせた。
それから彼女に喰ってかかった。「そういうのは〈しきたり〉じゃなあい」
「でも、歯医者はいないんですよ」
こういうの、どう言い返したらいいんだよ。
「けど……」おれは言った。「ここは、ゴミが落ちてないな」
「うん」
キノも気づいていたようだ。仕事で写真撮っていて、いちばん困るのが実はそれだ。あれば写る。
おれ達は歩いていく。ゴミが落ちてた。それも巨大な。
「わ、なあにこれ。ゼロ戦?」
「いや、こりゃアメリカの戦闘機だな。全体にズングリしてるし、スピナーがない。なんて型だろう」
『矢尽き力果て』ってやつだ。太平洋戦争中の戦闘機らしいものが前のめりになっていた。色は剥げ落ち、プロペラは曲がり、
彼女がおれをチラリと見た。「詳しいんですね」
「ガキの頃、よくプラモとか作ったからね」
「そうですか」と彼女は残骸を向いて、「これはグラマンのF6Fです」
〈ヘルキャット〉か。さすが博物館員。「写真を撮ってもいいかな」
「どうぞ」
おれは〈ビッグミニ〉で、何枚か角度を変えて撮影した。
キノが言う。「そうかあ。この辺は、昔戦争があったんだね」
彼女が、またこちらをチラリと見た。
おれは空を見上げた。何も飛んでない。
さらに進む。どうやら島を突っ切って裏側へと出たようだ。波の音が強くなる。それも砂浜とかじゃない。崖だ。よく、テレビの二時間ドラマで最後に犯人が落ちて死ぬような。波がザバーンと
「キノ、足元、気をつけろ」
言ったおれが転びそうになった。なるほど、この島の〈しきたり〉は正しい。夜には行くな。ひとりで行くな。転んだら危ない――実に正しい。正し過ぎる。正しいのにも程がある。
こんなところを子供達は、パタパタ元気に駆けていく。
「着きました」
と彼女が言った。
「これが?」
とおれ。着いたところは、〈地下へ通じる洞窟〉という感じだった。『トンネルみたい』と聞いてはいたが、トンネルそのものなんじゃないか。入り口にはその両脇に木の棒を妙な格好に組み合わせたものが立ってる。神社の鳥居とか狛犬とか、そんなようなもんなんだろう。してみると、〈ナントカ洞〉なんて日本にあるような種類の神殿なのか。
「なんか、思ってたのと違うなあ。ここに入るの?」
とキノが言う。ちなみにおれが考えてたのは、ピラミッドやストーンヘンジやモアイ像を積み重ねてチビ太のおでんにしたようなやつだ。それに比べたらマトモかもしれん。
ディナは子供達に向かって、おれ達にはぜんぜん見せない笑顔で何か話し掛け、妙な手振りをしてみせる。この島の何かの挨拶だろう。で、それからおれ達を向いて、
「では、わたしはここでお待ちしています。おふたりで中を見てきてください」
ふたりの子に、おれ達は手を引っ張られる。
「あの、ディナさんは来ないんですか?」
「わたしは、濡れるのがイヤなので」
「濡れるゥ?」
「水着を用意したはずですけど」
「ねえ、こんなかに、水があるの?」キノがイヤそうな顔で言う。「僚ちゃん、ひとりで行ってきてよ」
「なんだと、おい、ふざけんな」意を決した。「よし、行くぞ。ここは海だ。水があるのは当たり前だ」
「えーっ、そうだけど」
女の子がおれの手をグイグイ引っ張る。『早く行こう』と催促しているようすだ。
「わかった、わかったから、引っ張んないで」子供に言って、それからディナに、「あの、これ、預かっといてもらえませんか」
手を出してきた彼女に、おれはバッグとカメラを渡した。
キノもあきらめた顔で従う。おれ達は洞窟に入った。すぐ、水がある。
「わあ、やっぱり、あるよ。黒いよ。ヤだよ」
おれだっておんなじ気持ちだ。
「チャプチャプいってるよお」
「うるさい」
子供達はバシャバシャと、水たまりに入っていく。おれにもあんな頃があった。二十年も前の話だ。
水は浅い。足首がつかる程度だ。おれは素足に履いてたデッキシューズを脱いだ。
「ねえ、カニがいるよお」
「黙ってろ」
「イソギンチャクなんか、いないでしょうね」
「キノーッ! 頼むから口つぐんでろ」
おれは水に足をつけた。キノが、置いてかないで、と言ってついてくる。
狭い通路だった。天井が低い。おれなんかけっこう、背が高い。日本でよく頭をぶつける。痛い。ここではやりたくない。身をかがめて、慎重に歩く。下は水だ。これはイヤだ。
まさか、このまま、行き止まりってことはない。波の音がする。海に続いてるのだ。サメなんか襲ってきたら、どうしよう。キノを食わせて、おれは逃げよう。命あっての物種だ。なのにキノが、グイグイ背中を押してくる。こら、やめろ、押すんじゃない。
光が見えた。広い場所に出る。自然の洞窟だ。向こうに外の景色。青い海と空。
内部には水。いっぱいの水たまり。波が入ってくる。なんか、妙に明るい。洞窟の真ん中あたりで、ふたりの子達がキャイキャイ言って遊んでいる。
心臓が止まった。
美しい。これは
ピントは、あのふたりの子供。あの子達もシルエットになる。それでいい。なんて小さな頭。
おれは自分を殴り殺して海に沈めたくなった。
なんだってバッグを外に置いてきたんだ? 〈ニコノス〉がある。マニュアルで撮れる。あれに35ミリがついてる。
撮れる。どうして。いま
もう撮れない。おれは思わず身を伸ばした。
だから、頭を岩にぶつけた。
おまけに足が滑った。
前のめりに、おれは水に叩きつけられた。そのまま沈む。深い。いきなり深くなってる。ふたりの子達が、立ち泳ぎしているのが見えた。水の底が、やはり光っているのがわかった。ボンヤリと、全体では淡い輝き。だが、細かなガラスの破片みたいなものが底一面を覆っている。それがキラキラ光っている。隙間なく、ビッシリと敷き詰められて。
いや、これは、
そうか、と、思ったところにアジのたたき、じゃなかった、アジの開きをたたんだくらいの魚が目の前に飛び出してきて、おれはパニックに襲われた。一瞬、上も下もわからなくなる。息がつまる。
「わあ!」
水から頭が出たときにはホッとした。ちゃんと足を着いて立てる。
「僚ちゃん!」
キノがザブザブと水をかき分けてやってきた。だいたい、その水着で言うと、胸のいちばんふくらんだところ。そのちょっと下に水面がくる。洞窟の水の深さはそのくらいだ。
「僚ちゃん、大丈夫?」
「ああ、魚がいた」
「ねえ、この下のジャリジャリしたの、何?」
「貝だよ」おれは言って下を見た。真珠をブチ撒けたようだった。そりゃそうだ。「貝殻なんだ。外側のゴリゴリしたのを削り取るかなんかして、内側の白いとこだけにしたもんだ。それがギッシリ積まれてる」
「なんで、そんなこと」
「知るか。何が神殿だ。ただの洞窟じゃねえか」
洞窟の中を見回した。幻灯じみた光がいっぱいに満ちている。水底の貝殻がきらめき淡く全体を照らし、波に散らされ、揺れる青い光となって岩肌を撫でるのだ。大きな波が入ってくると、オーロラのような光が流れる。いや、ただの洞窟じゃない。それでも、これは一体なんだ。
おれの手をグイグイ引っ張るものがいる。見ると、島の子供だった。女の子の方だ。何か指差している。洞窟の壁の、上の方。
「僚ちゃん――!」
キノがドンとぶつかってきた。女の子が示す辺りを見上げている。
「あれ……あれを見て」
おれは見た。
かなり驚いた。