太平洋の翼   作:島田イスケ

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「あなた、あそこにあんなに水があるなんて、言わなかったじゃないですか」おれは言った。「あれじゃ写真撮れないですよ。あんなんじゃ三脚立てられない。いくら道の真ん中にポッド立てる男でもね」

 

彼女は言う。「それを言ったら、来てくれないと思ったのです」

 

「それにしても、あれはひどい。波が入って来ないんならいいですよ。入ってくるじゃないですか。それもね、こう、両の左右から集まってくるのが、洞窟の中にドッと押し込まれてくる。で、ドッと出て行く。まるで洗濯機だね。明るくたって写真なんか撮れないよ」

 

おれ達は崖から少し離れた浜に、キノが持ってきたシートを敷いて、弁当のおにぎり(どうやって作ったんだ)など食べながら話していた。子供達にもおにぎりをやると、結構喜んでパクついた。

 

子供達は食事を終えると、サッサと遊びに行ってしまう。

 

「ところで」と、おれはお茶を飲んで言った。「あれってなんです。恐竜ですか」

 

「いいえ、恐竜ではありません」彼女は言う。「翼竜です」

 

「恐竜じゃないか」

 

「まあ、同じ時代の生き物ですが、生物学的に言うと違うんです。ペンギンが鳥じゃないように」

 

どこか間違っている気がして、何か納得いかなかったが、それは聞かないことにした。生物学の講義なんかされちゃたまらない。洞窟の壁にあったのは、化石だ。骨の。翼竜か。確かにペリカンなんかに似ていた。あれが寝ぼけて地面に落ちて、首が、グキッといっちゃったような感じでまるまっていて、間抜けな鳥だ。鳥じゃないのか。それが今では化石になって、なんと神殿の神様だ。

 

「〈オルニトケイルス〉という種類の亜種であると思われます。白亜紀(はくあき)には世界中に分布したものですが、この辺りで見つかるのは初めてです」

 

それは西洋的な見方だ、と思った。この島の人にとっては古い神だ。でも、おれが言うまでもなく彼女は知っているのかもしれない。

 

「羽を広げれば、2メートルから3メートル。翼竜としては中型のものですね」

 

「ふうん」おれは、かつてそいつが飛んでいた姿を想像してみようとした。「あれを撮れ、か」

 

「どうでしょう」

 

「難し過ぎるよ」

 

三脚どころか、自分だって、まともに立っていられない。すぐに体を持っていかれそうになってよろける。無理だ。絶対に。

 

「フラッシュなら止められる」

 

「ダメです」

 

「わかってる」

 

おれも使いたくなかった。できてもやらない。〈しきたり〉なんか関係ない。

 

あれは神だ。あの洞窟の中にいるから、神でいられる。あの貝殻の光。反響する波の音。決して陽の差すことなく、ひんやりとして、でも、水は暖かい。洞窟も、あれがあるから神殿でいられる。あの微妙な光と空気。写真には、空気が写っていなけりゃならない。フラッシュを使えば、台無しだ。

 

それは神への冒涜(ぼうとく)だ。だからやるわけにはいかない。

 

彼女は言う。「博物館と致しましては、どうしてもあれの写真が欲しいのです」

 

「そうだろうね」頷いた。あれは、どこへ持っていっても人に見せる価値があると思った。もし撮れたなら――。

 

彼女は続ける。「つまり、わたしが言うのはですね、『たとえあの中に光を入れても』という意味です」

 

「ちょっと待てよ。あんた、あれをそのまま撮るために、おれ達に依頼してるんじゃないのか」

 

「ですが、()むを得ないなら」

 

「この島のしきたりを侵すってのか?」

 

「致し方ないでしょう」

 

おれは〈ビッグミニ〉を取り出して、彼女の前に投げ出した。

 

「これで撮れる。プロにギャラを払ってまで頼むほどのことじゃない。あなたが撮ってくればいい。スイッチを入れて、押すだけだ。このレンズはよく写る」

 

言ってから、少し、後悔した。この人とはこんなことばかりだ。

 

「ねえ、ちょっと」キノが腕を掴んでくる。「僚ちゃん、考えてみましょうよ」

 

「何をだよ」

 

「写真だよ。ロクに考えてみもしないで『できない』はないよ。それこそプロのやることじゃないよ。あたし達に――」

 

撮れないものは何もない。

 

あのビーチバーで、この人は、おれの言葉をどんな思いで聞いたのだろう。

 

「悪かった」おれはカメラを引っ込めて言った。「今のは忘れてくれ」

 

しかし、どうする。どうするんだ。あんなものをどうやって撮る。

 

よく小説なんかを読むと、『高感度フィルムだから夜でも撮れる』なんて書いてるのがあるけれども、大嘘だ。光が足りなきゃ写真は撮れない――人前に出せるようなマトモなものは。感度などいくら上げてもどうにもならない。人間の眼とは違うのだ。

 

あの洞窟は、写真を撮るには暗過ぎる。まして、あんなに水があるのに。

 

彼女は言う。「写真を撮るのは、わたしではありません」

 

「どういうことです?」

 

「もし。『もし』にですよ。あの洞窟に人工の光を入れて撮影するとしたら、どんな方法を取りますか?」

 

「は?」

 

と言った。もちろん、急に何か聞かれて、頭を使って考えることができるのは、おれではなくてキノの方だ。

 

「そうねえ」とキノ。「いくらなんでも、真正面からフラッシュ焚くなんてことはしないわね。それだと、何を使ってもこんなコンパクトカメラで撮るのと一緒にしか写らないし、陰影なんか出ないもん。だからってきれいに光をまわしてやっても、きれいなだけでつまんないだろうな。〈ただの化石〉って写真になって神秘性が消えてしまう――やっぱ雰囲気出したいよねえ。波を通して下から照らされてる感じにさ。と言うと、水か。水ん中にライトいくつか沈め込んで、光らせてやればいい。でもそんなことできるかなあ」

 

「『できる』と言ったら?」

 

「できるってえ? あの中に、ライト、ドボンッ、とブチ込んでえ?」

 

「それで、下から、水面を通して、あの化石を照らし出す。波による光の模様がそれで出来上がるでしょう。あそこに立って目で見るものとそっくりに撮れます。なんと言っても、ああいう状態であるものですから、再現することに意味があります。何しろこういう国ですから、ダイビングの機材などには事欠きません。あれの撮影に転用できるものなどいくらでもあるんです」

 

おれは言った。「それでも、かなり、大掛かりな撮影になるんじゃないか」

 

「ええ、そのための見積もりも、ある程度は出来ています」

 

「待ってくれよ。てことは、つまり――」

 

「そう。あなた方が無理と言うなら、そちらの方にお願いすることになります。すでに、そこまで話は進んでるんです」

 

「待てよ、そんなのはダメだ!」

 

「どうしてですか」

 

と彼女は言う。その目を見つめて、おれは言った。「この島には、〈しきたり〉がある」

 

「つまらない風習に過ぎません」

 

「違う。いいか、あの化石が今の状態を保っているのは、あのしきたりがあるからだ。『壁に悪さをしてはいけない』。当たり前だ。神像なんだ。日本だって、たとえその辺の地蔵でも、顔に落書きなんかするやつはいない。最低の敬意は払うんだ。それを破ったら、バチが当たる」

 

「迷信です」

 

「迷信だろうがなんだろうが、侵しちゃいけないものがあるんだ!」

 

「それでも、実害はありません。写真を撮影するだけです。内壁に損傷を与えないよう、細心の注意を払ってもらいます」

 

「そういう問題じゃない!」

 

おれは、ムキになっていた。乗せられてるとわかっていた。彼女の言うことに理があるのもわかってる。仕方ないじゃないか、という声もする。誰かと思えば、おれの声だ。それは仕方がないじゃないか、と。だから、おれには、別の誰かもそうやって、自分を納得させようとしてるとわかった。

 

それでもおれは、何しろムキになっていたから、(わめ)きたてるのをやめられなかった。

 

「あの積もった貝殻のことを考えてみろ! 一枚一枚、ていねいに、外側の皮を落としてあるんだぞ! それもあれだけの量を。この島にどんな機械がある。どれだけの手がかかっていると思うんだ? なんでそんなことがしてある。神だ。あの神を祀るために、そういう仕掛けが必要なんだ。だから、そのためのしきたりなんだ。『神殿の中に光を持ち込んではいけない』。そりゃそうだ。どんな人工の光でも、あの洞窟の中じゃ強過ぎる。あの揺らめきを消しちまう。あの神様は、あのまま、ああやって見るもんなんだ。ライトを使って撮るんなら、ただの化石を撮ることになる。この島の人達があんなに大切にしてきたものに、他所者のおれ達が勝手なことをしていいとでも思うのか!」

 

「きっと」と彼女は言った。「きっとそう言っていただけると信じてました」

 

「そりゃいいんだけど」

 

とおれが言うと、彼女は目をパチパチさせた。

 

「けど、ちょっと待ってください。安請け合いはできない。時間が欲しいんですが」

 

「あまり差し上げられません」

 

そうだろうな。「どのくらい?」

 

「今日を入れて、三日間」

 

キノが息を呑んだ。

 

彼女は続ける。「それが過ぎたら、正式に別のプロジェクト・チームにGOサインが出されます。それだけじゃありません。何しろ大掛かりな撮影になるのでお金がかかります。ならもう少しお金をかけて、もっと大掛かりな事をやった方がいい。レーザー・スキャンに、超音波測定。それから――」

 

「待てよ。なんだか知らないが、あの通路は狭いぜ」

 

「あの通路は、遠い昔に、この島の人達が掘り抜いたものです」と彼女は言う。「だから、それを広げてやるだけのことです」

 

「『洞窟には手を付けない』って言ったじゃないか」

 

「手を付けませんよ。そのものには」

 

入り口にあった木の飾りが頭に浮かんだ。

 

「他にも、後に何が残るか、見当もつかない」

 

それに、あのグラマンの戦闘機。

 

おれの手元に、弁当のランチボックスがある。おにぎりを包んでいたアルミホイルが光っている。うっかりすると、風に吹かれていくだろう。ゴミだ、と思った。あると撮れない。いつも困る。

 

「わかったよ」アルミホイルを丸めて言った。「引き受けよう」

 

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