太平洋の翼   作:島田イスケ

7 / 11
07

グラマンF6F〈ヘルキャット〉。太平洋戦争後期におけるアメリカ海軍主力戦闘機。大馬力のエンジンによって生み出される高速で、常に日本機を圧倒し、無敵を誇った。性能で遥かに劣る日本機は、この戦闘機を始めとする米軍機動部隊の前に手も足も出ず、やがて爆弾を抱いて敵艦に特攻をかける場当たり的な戦術に航空兵力の主体を移行せざるを得なくなっていく。神風特別攻撃隊。日本海軍参謀の無能が生んだ、今もその名の高い狂気。

 

その重い爆弾を積んで飛ばざるを得ない、まるでカモがネギしょったような特攻機を、バタバタと撃ち墜としていったのがまたこのグラマンの〈ヘルキャット〉だ。おれは今、ボロボロに朽ち果てた〈ヘルキャット〉のコクピットに座り込み、8分の1秒のシャッタースピードについて考えてる。さっきから、ずっとそればかり考えてる。世の中には他にたくさん考えるべきことがある。それこそ星の数ほどある。南の島で真っ昼間から墜落した飛行機の残骸に潜り込み、8分の1のシャッターなんか真剣になって考えてるのは、世界中でおれだけだ。

 

あの後、おれは小屋に取って返して、置いてきた機材の中から三脚とミノルタの一眼レフを取ってきた。とりあえず三脚を、カメラを付けずに洞窟の底に立てようとした。まず、沈めるのに苦労する。あれは三本の中空のパイプだ。ふだん水が入って欲しくないときには隙間に入り込むくせに、いざ水に漬けようとするとなかなか空気が出て行かない。それをとにかくなんとかして水底に立てる。

 

結果は、思った通りだった。まるっきり水栽培の球根の根だ。上と下とで、水の流れの向きが違う。しかもそれがクルクルと秒単位で変化する。おまけに足は、泥の中にズブズブ沈んでいこうとする。

 

下に石などあてがってみたが、とても通用するもんじゃない。滑るだけだ。さんざん悪戦苦闘してから、やはり無理だとあきらめた。三脚は分解して油を差したが、海水だ。たぶん修理に出すことになる。

 

次にミノルタ。こいつは〈ニコノス〉とは違う。水に落としたらオダブツだ。飛沫(しぶき)なんかがかからないようタオルを巻いて、とりあえずフィルムを入れずに撮れそうかどうかやってみた。しかしやはりダメだった。シャッターを切ってみるんだが、その間にカメラが手の中で動いているのがはっきりとわかる。構えながら水に気を使うというのもうまくない。

 

おれがひっくり返りでもすりゃ、カメラは沈む。フィルムが入っていれば、ポシャる。後ろからキノに支えてもらうんだが、やはりよろける。撮ってるときに大きな波でもこないだろうかと、ビクビクしながらやることになる――それではダメだ。やっても余計にブレてしまうに違いない。

 

で、おれは今この飛行機の中にいる。(はた)から見れば、さぞボーッとして見えるだろう。実際、おれはボーッとしていた。ボーッとして、計器板なんか見つめていた。メーターなんかいくつも落ちてなくなってるが、どうせおれには飛行機の操縦なんかわからない。高度計に、速度計。いくつか察しのつくのもあるが、それだって読み方がわかるわけでもない。

 

パイロットはどうしたんだろう。脱出したのか、這い出したのか、遺体で回収されたのか。どうでもよかった。遠い昔の話だ。そうでもないだろうか。この島に住む者の中には、当時のことを覚えてるのもいるだろうか。あの村長なんか何歳だろう。

 

あの化石が神と言うなら、この残骸もまた神だ。かつてこの空を飛びまわり、それを我が物として、この地上を制した恐怖。神と悪魔はしょせん同一の存在であり、違いは人の見方に過ぎない。

 

パイロットは、きっとあの鳥に食われたのだ。そうに違いない。そう思った。いないはずだ。謎が解けた。

 

おれは食われたくなかった。

 

神だろうがなんだろうが、鳥ごときに敗ける気はない。

 

目の前には照準器があった。それくらい、おれにだってわかる。オプティカル・サイト。傾けて取り付けられた透明なアクリルの板。そこに映る光をおれは思い浮かべる。カメラのブライトフレームのように浮かぶレティクル。目標に貼り付けたように。

 

なんと言ったか、あの神の名は。オルニト……忘れた。翼竜だ。

 

操縦桿を握る。引き金に指。ガク引きをしてはいけない。戦闘機はカメラに似ている。いや、カメラが戦闘機に似ているのか。操縦桿は機体とシビアに結ばれていて、加えられたどんな力もエルロンとエレベータに伝えてしまう。舵の乱れは機体をブレさせ、狙いを外す。だから、身に付いた動作と同じだ。そっと、手のひらに力を込めて、静かに、指先の圧力だけで、後は沈む力にまかせて――。

 

目の前にはみどり色の、熱帯の木々があるだけだ。

 

「僚ちゃん」キノの声がした。

 

顔を向ける。写真を撮られた。カメラは6×7センチ(ロクナナ)の〈マミヤ(セブン)〉。キノの愛機だ。

 

「笑って」

 

おれは親指を立ててみせた。

 

キノは寄ってきて、白い鍵みたいなものを出した。「ほら、見て。ホネ貝。ここの子にもらったの。欲しかったんだ、ずっと」

 

「へえ、よかったな」

 

「いい写真が撮れたと思うよ」

 

そうだろうな、と思う。キノはすっかりカメラウーマンの顔をしている。おれとは大違いだ。

 

キノは、村で見てきた漁の道具の話なんかをおれにした。網だとか、銛だとか、でっかい〈浮き〉やなんかとか。仕掛けを吊るブイの用を為すもので、丸くて真ん中に穴が開いてる。木で出来てて浮くんだそうだ。

 

それに、舟。イカダに帆を張ってある、さっき丘から双眼鏡で見たようなやつか。

 

キノは言う。「いいところね」

 

「わからないぜ」

 

笑いが消えた。

 

「そうね」と言った。「ここに住めと言われても困る」

 

ガン、とカメラで〈ヘルキャット〉の機体を叩いて、キノはクルリと背を向けた。そのまま、サッサと行ってしまう。

 

まずかった、と思った。キノはああいう女だ。怒ると口を利かない。確かにおれが悪い。

 

どうやって謝っていいか考えてると、ディナがやってきた。

 

「困ったことになりました」

 

「こっちもだ」

 

「は?」

 

「いえ、こっちの話」

 

彼女は言う。「無線で連絡が来たんですが、迎えの船が来れなくなってしまったんです。今日はここに泊まりです」

 

「構いませんよ。あの小屋は寝心地が良さそうだ」

 

「はあ、ですが……」

 

「そうか、機材のことか」

 

おれは撮影機材として、キヤノンの防振機構付きレンズと、カメラ一式を要求していた。レンズにスタビライザーを搭載し、ある程度の手ブレ防止効果が望める。かなりハイテクなシロモノだが、そう特別なものでもない。日本なら普通に店で売っている。この国でも手に入れるのはそう難しくあるまいと思った。

 

それにできれば、少しでもより感度の高いフィルムも欲しかった。さらにもうひとつ、必要なものが――だからいったん町に戻って、機材を探す予定だった。無線で他人に告げるのでは、まともに通じるかわからない。おれとキノとで、直接行く他にない。

 

が、たとえ入手できても、それらがどの程度役に立つか――おれはたいして期待していなかった。

 

「まあ、しょうがないな。明日にまわすさ」

 

「それが、その」

 

まだ何かあるのか。「なんですか?」

 

「期限が一日早まりました」

 

「そうか」と言った。「ふうん」

 

計器のひとつを探ってみる。これはたぶん、水平儀か。「じゃあ、もうダメだな」

 

『今あるものでなんとかしよう』と思って言ったつもりだったんだが、

 

「そんな!」

 

彼女、誤解したようだ。飛び上がってこっちに詰め寄ってくる。

 

「そんな、ちょっと待ってください!」

 

「いや、だって、そんなにアテにしてるわけじゃないって言ったでしょ」

 

これまた誤解を招く言い方だったみたいだ。彼女は絶望の顔でおれを見る。

 

「そんな――」

 

「いや、そういうことじゃなくって」おれは慌てて、また言ってしまった。「ほら、それだと撮れるのは、あした一日だけになっちゃったわけでしょ。それじゃ、間に合わないじゃない。しょうがないよ。あきらめるしか――」

 

何言ってんだバカ野郎。おれは気づいて、そこまででやめた。遅かった。彼女はガックリ肩を落としてた。

 

「そうですね」と言った。「おっしゃる通りですよね」

 

いや、違うんだって。「ディナさん?」

 

「わかりました。どうも、いろいろありがとうございます。本当に無理を言って、ご迷惑をおかけして……」

 

こりゃ、聞いてない。どうなってんだ、今日のおれは。キノといい、この人といい。

 

機材としておれがもうひとつ欲しかったのは、カメラの〈水中ハウジング〉だった。防水された透明なケースにカメラを入れて、水の中で写真撮影できるようにするものだ。

 

あの洞窟では、防水でないカメラは使う気になれなかった。浸水を恐れながらでは、撮影なんてとてもできない。そういう気持ちは、写真に写る。おれが撮るべきは神の息吹だ。自分の弱腰じゃない。

 

で、キヤノン専用の防水ギアが欲しかった。が、心配がいくつもあった。職人に特注するのが普通なので、急に手に入るかどうか難しい。入手できても、水中で使うものなので、水の上では歪んだ()しか撮れないシロモノの場合もありうる。要るのは水陸両用型で、完全な水中型ではないのだが、まず滅多にないと思えた。〈ニコノス〉用のレンズにしても、水中専用が多いのだ。

 

だからアテにしてなかったのだが、アテにしないのはそれだけじゃなかった。陸で使うものを水中で使えるようにしておいて、それをもう一度陸で使う。潜水服で陸を歩くようなものではないか。それもウェットスーツならまだしも、昔のロボットみたいなやつで。

 

見た目にそんな感じであり、陸では使いにくそうだった。それでは不安だ。不安を残していては撮れない。ブレる。たとえ、どんなハイテク機材を使っても。

 

そうだ、と思った。

 

不恰好な水中ハウジングなど要らない。〈ニコノス〉がある。旧式な手巻きカメラだが、感触はいい。もともと水陸両用で、カワセミのような機能美がある。ゴツくて、重量感があり、腑抜けたハイテクカメラよりよほどブレにくそうに見える。

 

そういうカメラはブレない。ブラそうたってブレない。線が見えなくなるのはイヤだ――そうカメラが主張して、被写体に勝手に喰らい付いていく。あれは使える。大丈夫だ。こちらが信頼してやれば、機械は必ず応えてくれる。

 

「ディナさん」と言った。「『必要なものはなんでも言ってくれ』と言ってましたよね」

 

「申し訳ありません。わたしの力が足りないばかりに「いや、そういうことじゃなくって」

 

彼女の言葉を遮って言った。

 

「この〈ヘルキャット〉、ぶっ壊しても構わないかな」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。