翌日。
おれは例の洞窟の中で、カメラを持ったキノを後ろから支えていた。この女、まさかと思っていたんだが、やっぱり昨日と違う水着を着ていやがる。おれは昨日濡らしたのと同じシャツとジーンズだ。水着で写真なんか撮る気になれない。
「そう、まっすぐ正面、その辺りに立って……ちょうどキノの目の高さくらいから……縦位置で見上げる……画面の下を空けてやって、化石を上に、水が写り込まないように……」
タオルを巻いたミノルタを、キノはおれが指示する通りに化石のレリーフ像に向けた。構図の確認には、やはり一眼レフのファインダーがいちばんだ。電源はOFFにしてあるから、AFの補助ランプやらディスプレイが勝手に光ることはない。
「うん……」
と、ファインダーを覗いたままでキノは言う。どうもおれは、妙な気を起こしそうで困ってる。「いいよ……とっても……いい感じ……」
大きな波がきた。ふたりで体のバランスを崩す。おれはキノを抱きかかえ、慌ててサッと身を離した。
「ちょっと、ちゃんと捕まえててよ」
キノは自分から背を預けてきた。もう一度ファインダーを覗いて、
「うん、図はこれでいいね。ちょうど頭が真ん中にくる」
「え? ちょっと見せてみろ」
肩越しに、キノの手からカメラを覗かせてもらう。構図を調整。おれの思う通りに合わせる。中央の測距フレームに翼竜の頭が重なった。
「どう?」とキノ。わ、息がかかる。
「そうだ」と言った。「このセンだ」
おれ達は洞窟を出た。撮影の準備を始める。仕事の手伝いに、ディナが島の子供を何人も連れてきた。なんで子供ばっかりなのか知らないけれど、ありがたい。
まず洞窟の入り口に、白い布を張っていく。少しでも多くの光を取り込むためだ。布は村で要らないようなのを集めてもらった。水で濡らして岩に貼り付け、石で押さえたりして止める。これはディナや小さな子供達の仕事だ。
おれとキノは、昨夜のうちに作っておいた〈一脚〉を洞窟の中に運び込んだ。〈ヘルキャット〉の機関銃から銃身を外し、錆をざっと落としてやって、三脚の
その前に、水の底に〈ヘルキャット〉のプロペラを叩き落してきたのを沈めてあった。真ん中の軸受けに、銃身の先をあてがってやる。
完成した。水の上に〈一脚〉が頭を出して揺れている。後はロープを巻きつけて、〈浮き〉をまわしてやればいい。波が来るとグラリとなるが、でも、倒れなかった。これならいけるかもしれない。
引き潮でかなり浅くなっている。キノの水着で言うと〈へそ〉だ。それだけ入り口も広くなり、光もいくらか多く入る。やるなら今のうちしかない。
「いいよ」キノが、露出計を化石の前に当てて言った。「一段上がってる」
これはまだまだ全然足りないということだ。
キノや子供達と一緒に、丸い〈浮き〉にロープを巻いてああでもないこうでもないとやってると、ひとり水に浸かってないディナがやってきて言った。「舟が来ました」
外の海に、帆を張ったイカダが浮かんでいるのが見えた。子供達が手を振っている。おれも手を振り返した。子供達は舟を泊め、錨を海に投げ込んだ。水に潜って何か始める。
あのイカダが、おれの光を得る手段だ。おれは昨日あの子らに会い、イカダを帆を張ったまま洞窟の入り口の前に泊めておけるかどうか聞いてみた。『(略)◎$#※%□+∞☆♂●△◇@●*〒☆♪(中略)♀◇☆#%■◎★〒*▽♪※∞♭△@◎¥(後略)』という返事が返ってきた。ディナがひと言『できる』と訳してくれたので、頼むことにした。
あの帆で太陽の光を反射させ、洞窟の中を照らしてやるのだ。正確には、水面に。底にある貝殻に。
その貝殻だが、どうやら一枚一枚ていねいに磨いているというのでもなかった。おれもゆうべごちそうになったが、この島で普通に食べてるものらしい。牡蠣に似て、結構うまかった。これを適当にガリガリやって、たまったところで洞窟へと持っていく。積もるはずだ。牛乳パックやペットボトルのリサイクルとか、とっとくと溜まる割り箸とかの感覚に近い。しかしそういう心掛けは大切だ。
そこでその貝殻を削るヤスリを貸してもらって、〈銀レフ〉を作ることにした。つまり銀色の反射板だ。貝殻を削って粉を大量に作り、ノリを塗った帆にまぶす。洗えば落ちる――とは思う。
あの筏舟は、そうやっておれが頼んだものなのだ。もうとっくにノリは乾いて帆はギラギラと光を反射するようになってるだろう。
舟の方は外の子供達に任せて、洞窟の中の子供達に〈浮き〉に巻いたロープを引っ張ってもらう。
「よし」おれは言った。「時間がない。始めるぞ」
早くしないと、潮が満ちてきてしまう。
〈ニコノスV〉には、すでにフィルムが装填してある。レンズは28ミリ。絞りをf5.6に合わせる。これで後は、改造狂のオヤジを信じる他にない。光軸も絞りも距離も完全だと言っていた。『なにせエルマリートだからな、え?』と――まともな修理はできないくせに。いいだろう、男、見せてもらおうじゃないか。
雲台にカメラを固定。縦位置にセット。構図を決める。やりにくい。
画角が違う。〈ニコノス〉のファインダーは35ミリの画角に合わせて作られている。だから狭い。ミノルタで見たのと違う。そこはおれが合わせるしかない。
〈浮き〉にロープを巻きつけた。
キノが露出計を手に、化石の前についた。針の指す目盛りを読む。「EV6」
写真を撮るには、その数字が〈8〉にならなければならない。
「いいぞ、やってくれ」
おれの言葉を、ディナがイカダの子らに伝えた。帆が動き出す。ゆっくりと角度を変えていく……が、
何も起こらない。失敗か。
子供達が数人掛かりで、体を突っ張り、ロープを引いて、舟に体重をかけていった。イカダが、グン、と持ち上がる。
突然、帆が強く光を放った。
洞窟の底一面がきらめく。内壁に
「8!」キノが叫んで、カメラの写界から
「いいぞ、そこで止めろ!」
おれは外に向かって叫んだ――言葉が通じるはずもないが。〈ニコノス〉の巻上げレバーをひねる。
「まわせ!」
ロープが引かれた。洞窟の奥にいる子供達だ。〈浮き〉がまわり出す。
おれはファインダーを覗いた。イメージの混乱が襲う。わかっていても受け付けない。画角の違いだ。心が拒否する。これでは撮れない。おれが撮りたい
『いや、いいんだ』と思い直した。これでいいんだ――おれは自分に言い聞かせた。カメラと思うな。照準器と思え。これはあの〈ヘルキャット〉のオプティカル・サイトだ。狙うのはあの鳥の頭だ。撃て。
レリーズした。フィルムを巻き上げ、もう一度。
そこでグラリときた。
回転する〈浮き〉が突き上げ、おれは腕を打った。ひっくり返って水に沈む。
立ち上がると、もう、〈浮き〉の回転は止まっていた。やはり水の抵抗が強い。
フッとまわりが暗くなった。外を見ると、イカダの向きが変わっている。
「やり直しだ」おれはロープを受け取り、〈浮き〉に巻きつけた。「続けていくぞ」
カメラは水でビショ濡れだった。キノがブロワーでレンズについた水滴を吹き飛ばす。
また、帆の光。さすが島の子だ。すぐに要領をつかんだらしい。
「まわせ!」
浮きがまわり出す。回転が弱い。すぐに止まった。
「もう一回だ」
ロープの巻きがゆるかったのか――それもあるかもしれないが、子供達の力が弱い。子供の背では水が深くてみんな足をしっかり下につけて立つことができないようだった。だからロープを引っ張るための充分な力が出ないのだ。
また帆の光が弱まった。
おれはロープを巻きつけ直す。
グッと強くロープを締める。
再開。神像に光。キノの合図。〈浮き〉を回転させ、安定。おれはレリーズする――が、カメラに拒否された。シャッターが落ちない。
自分を
フィルムを巻いて、再度構える。うっかり〈浮き〉に触った。はずみでシャッターが切れる。
これでひとコマ無駄だ。
また〈浮き〉の回転が止まった。
濡れた髪から
焦るな。
落ち着け。
おれは自分に言い聞かせた。息を吸って。大丈夫だ。お前ならやれる――。
「急いで! 子供達がもたないわ」
とディナの声。
「わかってるよ!」
叫び返した。こっちだってもつもんか。
子供のひとりがおれに渡してくれるロープを、〈浮き〉にしっかり巻きつけていく。この濡れた手でパトローネの交換はできない。36枚撮りフィルム一本きりが勝負だ。
不意に、白いものがおれの視界を横切った。ディナのシャツだ。子供達と一緒にロープを握っていた。
おれは〈ニコノス〉の巻上げレバーをひねる。
見るからに明るさを増した光に神の
〈オルニトケイルス〉。一億年の昔に空を翔けた獣。今は翼を休めて。
逃がしはしない。おれの獲物だ。
おれはシャッターを切り続けた。何度も〈浮き〉を回転させ、光を測り、レンズに付いた水を払う。
不意に、レバーを巻く親指に、ガリッという感触がきた。
フィルムを使い切ったのだ。カウンターの目盛りが《36》を超えていた。
「もういいよ」と言った。「終わった」
おれは〈ニコノス〉を雲台から外そうとした。が、妙な感触があって、雲台ごと機銃の銃身からもぎ取れてしまった。無理に繋いでいた部分に限界がきたようだ。
洞窟の外で、バシャンと何か大きな音。イカダがひっくり返っていた。
愕然とする。
おれはカメラを放り出し、泳いで外へ飛び出した。水から顔を上げる。暗さに慣れた眼を陽の光が刺した。
「大丈夫か、おい!」
叫んだ。イカダから投げ出された男の子達は、水に浮かんで平気な顔をしていた。
もう足がつかない。立ち泳ぎでおれはイカダにつかまった。
「ディナさん! 誰かケガしてないか聞いてくれ」
「大丈夫ですって」彼女がやってきて言った。「『舟を起こすから離れてくれ』って言ってるわ」
子供達は『せーの』というような合図をして、手慣れた動作でイカダをサッと戻してしまった。彼らにとってはなんでもないことなのかもしれない。
だが、見ていてゾッとした。何をやらせたのかと思う。おれは一体どんなつもりだったのかと。
イカダの上の子供が何かおれに言った。
ディナが通訳する。「『乗れ』って言ってるわ」
「けど……」
「いいから」
そう言う彼女自身、男の子に引いてもらってイカダに乗る。キノも泳いで出てきていた。同じようにイカダに上る。
おれ達三人は、並んでイカダに腰掛けることになった。おれが真ん中だ。キノは水着で、ディナは白いシャツが濡れて、張り付いた肌が透けて見える。なんか物凄く両手に花だ。
ちいさな子が、ひとり泳いでやってきた。昨日おれと手を繋いだあの女の子だ。手に〈ニコノス〉。おれに差し出してくる。
「ありがとう」
おれはこっちの手をこうやって、こっちの手はこうやって、それをクルッとまわしてやって、お礼の挨拶をした。なんだかとても、ふさわしい動作のような気がした。
女の子はにっこり笑った。
〈ニコノス〉には、底に三脚の雲台がくっついている。
キノがそれを見て言った。「潮が満ちてくる前に、もう一回やるのは無理ね」
「ああ」
おれはイカダの帆を見上げた。水に濡れて、帆に塗り込めた貝殻の粉がかなり落ちてしまっている。
そして、洞窟。入り口のまわりに貼り付けた布も、乾いて一枚一枚と剥がれ落ち始めていた。
「そうだな」
と言った。たとえ可能だとしても、おれはやりたいと思わなかった。まわりにはゴツゴツとした岩がいくつも見える。このイカダ――あまりに危険だ。
「大丈夫さ。手応えはあった」おれは言った。「〈止まる〉ときには、自分でわかる。何枚かはうまくいってる。大丈夫ですよ」
ディナは頷いた。
いつの間にかイカダのまわりに、子供達が集まっている。
どうしていいかわからない。キノがみんなにお礼の挨拶を始めるので、おれも一緒になってやった。何しろ他に、コミュニケーションの手段を知らない。
「もう気持ちは伝わってるわ」とディナが言う。「実はまだ、言ってないことがあるんですけど……」
その言い方が何かちょっと変だった。おれは「は?」と彼女を見た。
キノも、「なんです? まだ何かあるんですか?」
「いえ、そのまあ、なんと言うか……あの〈神殿〉は、実はその……」
おれとキノはイカダが傾くくらいに身を乗り出した。
彼女は言った。「この島の子供達の遊び場なんです」
すべて納得がいった。
おれとキノは顔を見合わせ、ふたりで首をうなだれた。その首に、おれは〈ニコノス〉のストラップをひっかける。ため息。
「そりゃ、そうだよな」
「大人が手本を示さないとねえ」
おれは顔を上げた。空の青さが眼に眩しかった。南国だ。それも海だ。ギラつく陽射しを照り返して、
露出のEV値にしたら、20くらいになるかもしれない。洞窟の中と比べたら、百万倍の明るさだ。それくらい強いのだ、太陽の光は。
イカダの帆が風にはためいている。
おれは言った。「ここはいいところだな」
途端に横で、キノがぷっと吹き出した。
おれも笑う。子供達も笑い出した。キノがおれに水をひっかけてくる。おれもやり返した。みんなで水を掛け合って、声をあげて笑った。「そうら!」おれは手を伸ばして、女の子を引っ張り上げた。最高の気分だった。
今度は彼女も笑ってくれた。