日英によるセイロン島沖海戦は引き分けに終わった。
そして、その年の12月20日早くも日英海軍の第二ラウンドが行われる。
インド洋海戦である。
日本海軍は運命のセイロン島沖に、再建成った印度洋艦隊を用意した。
先のセイロン島沖海戦で失った艦艇群を呂宋藩や南天諸藩の艦艇で補填する形で再建させたのだ。さらに本国で建造された超弩級の新造艦もこれに加わっている。
その戦力は、超弩級、弩級、準弩級戦艦、9隻、巡洋戦艦4隻である。さらに連合加盟国や諸藩の保有している前弩級戦艦も3隻が加わる手筈にあった。
妖怪軍に関してであるがお化け鯨が養生の為、戦線を離脱したが南洋妖怪や水棲妖怪の多くが戦列に加わりその穴を埋めた。
これに対して、英インド洋艦隊は苦境にあった。
先のセイロン島沖海戦の生還組と増援合わせて超弩級戦艦6隻と巡洋戦艦2隻では心もとない。前弩級戦艦4隻が増援にあったが気休めでしかない。
1916年12月23日、ついに日本軍の上陸船団がセイロン島に姿を現す。
前弩級戦艦による艦砲射撃の援護下、大発、小発舟艇に乗った海兵隊が海岸に殺到した。
上陸海岸の戦いは日本側が圧倒なレベルで火力の優勢を確保しており、妖怪軍も加わった上陸軍は防衛側に対して圧倒的有利に回った。
英インド軍の通報を受け、日本軍上陸船団の位置を特定した英インド洋艦隊は上陸地点に向けて突撃を開始する。
日本海軍印度洋艦隊はコロンボからイギリス艦隊が出港済であることは把握していたが、その所在については掴んでいなかった。
そのため、厳戒体制を敷いてその出現を待ち構えていた。
索敵のために天狗や唐傘などの飛行妖怪を満載した飛行船船団を動員して空からの索敵に努めていた。
さらに日本艦隊の巡洋艦や戦艦には、半個小隊から小隊規模の飛行妖怪による偵察隊が付随しており、航空偵察の有効性に気が付いた日本海軍も水上機の搭載が試験的に行われており、これは空母を用いない艦隊としては異例の数値であり、1916年時点で日本海軍の航空戦力運用は世界最先端に達していたと表現しても過言ではないだろう。
偵察機の通報により、日本艦隊はイギリス艦隊の正確な所在を掴み、全力で迎撃に出動するのである。
その、前哨戦として水棲妖怪と水雷戦隊による夜襲が行われ敵戦艦の漸減に成功している。
その日の明け方には日の出とともに日本海軍による追撃に近いでのインド洋海戦が幕を開ける。
もうすでに、撤退の途上にあった英インド洋艦隊。提督のデイビッド・ビーティー大将は旗艦クイーン・エリザベスと動ける戦艦を率いて追撃してきた日本艦隊へ果敢にも突撃した。
自らの犠牲を持って他の艦艇をコロンボの軍港へ退避させるためであった。
追撃する日本艦隊の前に立ちふさがった6隻の戦艦群は集中砲火を浴びて艦全体が火だるまになった。また、旗艦クイーン・エリザベスはその状態からでも3度主砲を放ち日本海軍は大いに苦戦し、日本海軍は戦艦群を仕留めたものの他の艦艇群は逃がしてしまったのであった。
英インド洋艦隊の敗北で、セイロン島の戦況は絶望的となった。
セイロン島で3ヶ月は持久できるはずだったのだが、イギリスの植民地支配に反感を持つインド兵やインド住民は英国に対して非協力的で、日本人と命がけで戦うつもりなど全くなく、形勢不利となればあっけなく降伏、逃亡したのである。
一応、 本国兵とグルカ兵だけは最後まで抵抗したが、日本軍は数も、装備も、士気も圧倒的に勝っていた。
セイロン島東側のトリンコマリーが陥落したのが翌年1917年1月上旬、西側のコロンボ陥落は下旬だった。
1月31日、セイロン島全域が完全制圧され、イギリス軍守備隊が降伏した。
アジア諸所の植民地陥落とロイヤルネイビーの2引き分け1敗と言う歴史的敗北と言う弔旗と訃報に包まれたイギリスは、2月を迎えるとさらなる凶報に襲われた。
ロシア帝国で、長引く戦争に国民の不満が爆発し、大規模なストライキと暴動が発生。
責を負って皇帝のニコライ二世が退位したのである。
ロシア2月革命の勃発だった。
なお、臨時政府はドイツ、日本との戦争継続を表明したので、即座にドイツ軍の全てが西部戦線に向かってくるわけではなかったものの、ロシア軍は大混乱に陥っていた。
革命前から既にボロ負け状態だったロシア軍が、さらに弱体化して、戦争継続が可能な訳が無く臨時政府は水面下で既に和平交渉が始めていた。
イギリスはその動きを掴んでおり、ロシアが戦争から脱落しないようにあらゆる外交手段を尽くしていた。しかし、ロシアを戦争から脱落させないと言うのはロシアの現状を考えて土台無理な話であり、既にイギリスの努力は詰んでいた。
ロシアの戦争からの脱落は時間の問題となる。
一方のドイツ帝国はロシアの混乱をさらに加速させるため、スイスに亡命中だったロシア人革命家ウラジーミル・レーニンをペトログラードに送り、さらなる混乱を煽った。後に、それが致命的な誤りだったことにドイツは気付き、他国にも余計なことをと思われるわけだが、それはまた別の話である。
ロシアが戦争から脱落すれば、日本・ドイツの全軍がイギリス、フランスへ向かってくることになる。フランスはイギリスよりも先に追い詰められており、既に死に体であり、イギリスは追い詰められていた。
ドイツもイギリスの海上封鎖で国民生活は破綻寸前まで追い詰められていたが、ロシア革命と日本軍のインド洋制覇で、この戦争に明るい兆しを見ていた。
日本はさらに楽観的で、インド洋を押し渡って中東、エジプトまで進撃する計画やインドに上陸してインドを解放する計画を立てていた。インド洋に残ったイギリス海軍残存部隊は、遠くインド北部のカラチまで逃亡しており、インド洋航路は日本軍によってズタズタだった。
船会社も、船員も出港を拒否し、インドの港から一隻の船も出そうとしなかった。国籍によっては連合国でない国はむしろ、大日本合藩連合帝国にしっぽを振る有様だった。
仮にイギリスやフランスが護衛つき大規模な船団を組んでも、優勢な日本海軍によってまるごと殲滅される可能性の方が高かった。
これによってインド経済はイギリス本国と切り離され大混乱に陥ったのだが、インド人の生活窮乏は植民地政府への不満に転嫁され、暴動が相次いだ。
日本軍も暴動を煽り、独立派に武器弾薬や活動資金を気前よくばら撒いたので、上に現地の妖怪たちを焚きつけたのでインドでは連日の爆弾テロによって治安と民心が極度に悪化していった。
暴動がインド独立戦争に転化するのは時間の問題と見られていた。
インドが独立すれば、その影響は広大な植民地をもつイギリスにとって計り知れない政治的な破壊力を持つことになる。
大英帝国崩壊、ついでにフランス崩壊も極めてリアルな未来予測として話題に上がるようになった(既にロシア帝国崩壊と言う前例もある。)。
さらに、魔法世界(メガロ・メセンブリアを中心とした)の義勇魔法使いの派遣規模縮小が検討され始めた。崩壊のカウントダウンが始まった。
だが、イギリス人にとっての悲観と日本人にとっての楽観は裏切られることになる。
この大戦の蚊帳の外にいた多くのアメリカ先住民を巻き込み、アメリカ合衆国と大日本合藩連合帝国の開戦の決定打となる事件が起こる。
リトル・ビッグ・ホーンの虐殺。
約300年に渡るインディアン戦争と世界大戦が結びついた大事件の勃発であった。