大樹の妖精、神となり   作:公家麻呂

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107 近世 第一次世界大戦 ロンドン講和会議・前編

 

全世界を敵に回す。

この未曾有の事態を前に、連合帝国幕府幕府は早急な対応を求められた。

 

この御前会議の席には大正天皇や征夷大将軍慶信はもちろん大樹野槌水御神、ぐわごぜと言った裏の重鎮達も列席した。

 

幕閣、閣僚の議論は、概ね2つに割れた。

一つは、戦争を継続して幕府の武威を示し、より有利な条件で講和する。

もう一つは、即時講和だった。

 

どちらにせよ、最終的に講和せざるえないという点は変わりなく、いつ講和するかが議論の焦点であった。もはや勝利を求められる状況ではないことは確定的である。

 

 

ドイツ海軍封鎖の任を解かれたイギリス海軍は海軍全力をインド洋に投入することができる。対して、太平洋でアメリカ海軍主力と向き合っている日本海軍に差し向けることができる兵力は皆無だった。加えて、北米諸藩艦隊や南天防護艦隊、その他の諸藩や加盟国の艦隊を欠き集めてもイギリス艦隊に太刀打ちできないのは明白だった。

 

環太平洋国家である日本合藩連合帝国のアキレス腱は海上交通路である。

もし、イギリス艦隊がインド洋を突破し、スマトラ、呂宋、台湾、本土へ海上封鎖しかけたら枯死するしかない。

 

 首都である東京(江戸)は人口過密都市で、食料の備蓄もないため海上封鎖を受けると3日で市中から食料が失われ、1週間以内に暴動が発生。2週間以内で無政府状態になり、政府転覆、革命勃発は確実と危険視されていた。

 

ドイツが降伏した時点で、幕府の戦時国債の起債が不可能となり、買い手がつかず国債が紙切れとなった。要するに、戦争の先行きに投資家や銀行家が見切りをつけたのだ。

こうなってしまっては、軍人や士族、極右勢力がどれだけ徹底抗戦を叫んだところで、戦争継続は不可能だった。

企業は無料では武器を作ってくれない。より正確には、企業の従業員は無料では働いてくれないのだ。

 

戦国時代やそれ以前なら話が違っただろうが、この時代は金がなければ何もできないのは、個人だろうと、世界帝国だろうと何も変わらなかった。

 

だが、日本が連合国に求めたのは降伏ではなく、講和であると繰り返し強調された。

このまま戦争を継続することは簡単だが、それは日本にとっても、世界にとっても不幸なことであり、日本は苦渋の決断と忍耐によって世界の平和を回復を目指すとしたものであった。

 

一方で大樹はベアード率いる西洋妖怪軍団へは再戦の好機を見定めるための講和であると説明し、幻想郷の八雲紫には次の戦争での勝利した際は連合国の領土刈り取り自由などの空手形を発して自陣に引き込もうと工作を始めていた。また、傀儡ロシア帝国ではレティ・ホワイトロックの地位を盤石とするため北国鎮台軍を継続して留め置いた。

大樹は5鎮台の奉行である大妖たちを集め、軍拡を指示した。

 

神秘の低下の影響を受けていた神霊菅原道真や平将門は力を蓄えるための養生期間として暫しの間眠りについた。そのため、天満宮や将門塚付きの妖精達が大樹御料兵として組み込まれた。また、西洋における幻想神秘の否定は進み妖精たちは有力妖精だったエタニティラルバやクラウンピースなどを中心に大日本合藩連合帝国勢力圏への民族大移動を断行した。

また、幻想郷に対する交渉は八雲紫だけにとどまらず、天魔天狗や鬼たち、その他有力な妖怪たちにも行われた。

 

とは言え、これら大樹の行動は次の戦争を見据えた動きである。

このまま戦い続ければ、最終的な、壊滅的な敗北は不可避であることは明らかであり、即時講和で話を進めることとした。

表向きは講和、実態としては条件付きの降伏という難しい外交交渉が、イギリスの首都、ロンドンで開催される。

 

 

戦後の太平洋新秩序を定めたロンドン講和会議である。

 

 

 

1919年3月、イギリスの首都ロンドンで第一次世界大戦の対日講和条件を討議する国際会議が始まった。

 

ロンドン講和会議である。

 

第一次世界大戦における日本合藩連合帝国の最大の交戦国は、言うまでもなくイギリスであり、次点はアメリカ合衆国である。ついでロシア、フランス、その他である。

 

一方でフランスのパリでは対ドイツ講和条件を検討するパリ講和会議が開催されていた。 この会議を主導したのはフランスであり、フランスはドイツ帝国最大の交戦国であり、同時に国土を戦場にされた最大の戦争被災国でもあった。

 

会議を主導するのは、ある意味当然と言える。

 

戦争被災国というなら、ロシアも酷いものだったが革命政権のソビエト連邦は内戦の最中で、それどころか、ヨーロッパ各国は軍隊を送って革命に干渉しているところである。日本もロシア帝国側に援軍を派遣している現状である。さらに共産主義国という異質の政体を持つゆえにパリ講和会議から排除されていた。

 

ロシア帝国は、エカテリンブルクを新帝都として存続したが、新生ロシア帝国は日本の傀儡と看做され、やはりパリ・ロンドン両講和会議から排除されている。

 

対日講和会議も、パリで行うべきだとフランスは主張したが、イギリスはこれを丁重に謝絶して、ロンドンで別立ての会議を行うつもりだった。

 

理由は言うまでもなく、イギリスがこの講和会議を独占したいからである。

 

そもそもフランスの対日戦における存在感のなさは異常だった。

 

仏印インドシナ半島や他仏領で戦いでは、フランス軍は全く日本軍相手に粘れず、まともに戦ったのは正味1週間程度だった。その前の仏日戦争で既に戦っていると言う言い訳はできるが・・・、それは置いておく。

 

多くのイギリス政府、軍関係者は、フランスには対日講和会議の参加資格さえないと考える者が圧倒的多数であった。とはいえ、フランスも連合国の一角であるから、ロンドン講和会議に代表団を送り込んでいる。

 

 しかし、ロンドンでの会議はイギリスとアメリカ合衆国主導で進むことになった。

 

 なお、イタリアも戦勝国として、代表団を送ってるが、フランス以上に対日戦には無関係だったので、事実上何の発言権もなかった。その他の国はいるだけである。

 

 

講和会議において、日本は代表として一門衆から織田信邦(信孝家)、国務奉行織田三樹介(大樹織田家)、さらに軍部を代表して海軍奉行に就任していた東郷平八郎と軍令部総長伏見宮博恭を会議に送った。

 

暴発の危険があった軍部の押さえ役として、伏見宮と東郷は適役だった。

 

 

日本は降伏したわけではないので、賠償金の支払い義務はないというのが日本の主張であった。

日本の0回答を受けて、アメリカ代表団はいきり立って戦争再開も辞さないと恫喝した。

 

この講和会議において、日本は実質的な敗戦国とは思えない強気姿勢で臨んでいた。

 

 

武人の東郷はもとより、文官で国務奉行の三樹介でさえ、一切悪びれることなく堂々と英米の代表団に相対し、幕府の武威を示していた。

 

日本側の強気は、戦費の都合さえつけばあと2年、最大3年は戦争が継続できるという計算によるものだった。また、大樹の意を受けていた三樹介はこの交渉が反故になった場合、大樹が主導的に戦争指導に乗り出すであろうことを理解していた為、交渉を日本に有利に傾けたい思いが強かった。

 

人的資源が枯渇し、工業生産も半減して、全く継戦能力を残していないドイツと今だに軍事的抵抗力を大きく残している日本は全く交渉の前提条件が違っていた。故に日本側は殆ど譲歩する様子が無かった。

 

 

 

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