ガダルカナル島のすぐ北に位置するフロリダ島の入江にある3つの小島(ツラギ、タナンボコ、ガブツ)に日本海軍の横浜海軍航空隊(水上機部隊)と陸戦隊(第八十四警備隊)の800名弱が駐留し、水上機による周辺の哨戒活動を行っていた。8月7日、アメリカ海兵隊が上陸し、激戦となったが翌8日に占領された。日本軍は少数の捕虜を除き全滅した。
8月7日にガダルカナル島に海兵隊10,000名を上陸させて、さしたる抵抗も受けずに飛行場を占領した。またこれと同時にフロリダ島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に対しても陸海共同の占領作戦が行われた。ウォッチタワー作戦と呼ばれるこれらの作戦は、太平洋戦線のアメリカ軍にとっては初めての攻勢であった。こうしてそれまで注目されていなかったガダルカナル島は日本と連合軍(主力はアメリカ軍)の激戦地となった。
「散弾装填!!敵を近づけるな!!」
妖怪狸の兵士達、妖力銃を駆使して応戦した。
「キジムナーども逃げるな!!耐えろ!!故郷を失いたくなくば!!戦え!!戦って守り抜け!!」
「「「「「キー!!」」」」」
銃弾、特殊弾、火球、ヤシの実、石礫が飛び交っていた。
「爆裂弾頭装填完了!」
「撃て!!」
日米双方の砲兵が激しく撃ち合い。
山童砲兵隊は河城重工製の妖力弾頭が投入され連合国に出血を強いた。
アメリカ軍のガダルカナル上陸に日本軍は直ちに反撃行動を起こし、第一次ソロモン海戦が発生した。8月12日ソロモン群島要地奪回作戦(カ号作戦)の日本陸海軍、本土南方妖怪軍が共同する奪回作戦が決行される。 しかしアメリカ軍が日本から奪取した飛行場を巡る地上戦では、連合軍が追加派遣したメセンブリーナ連合義勇軍の参戦によって敗北が確定し、1942年12月31日に日本はガダルカナル島からの撤退を開始した。翌2月までに撤退を完了させた。この戦いで双方に4万近いの戦死者を出した。日本軍はガダルカナル島での戦いに敗北し、以後戦況は悪化の一途をたどる。
日本軍のガダルカナル島撤退後、連合軍はカートホイール作戦を発動。
また、アリューシャン方面、ギルバート・マーシャル諸島など各地で連合軍の反抗作戦が発動し、そのほとんどの戦闘で敗北した。
劣勢に立たされた大日本皇国が本土防衛上確保及び戦争継続のために絶対国防圏を設定した。しかし、マリアナ沖海戦とサイパンの戦いをはじめとするマリアナ・パラオ諸島の戦いで大敗を喫してマリアナ諸島を失ったことによって、攻勢のための布石は無意味となり、日本は防戦一方となった。絶対国防圏が破られたことによって、敗戦はほぼ時間の問題となった。
その頃には日本海軍も多くの空母などの艦船を失い。戦闘機などの航空戦力を失い制空権を奪われつつあった。
妖怪軍も本土撤退を失敗する集団も現れ、大樹の指揮系統が乱れ始めた。
日本軍撤退後の南方妖怪は密林の奥地に潜伏し抗戦を継続し、ロシアに派遣されていた北国鎮台軍は本土の指示を待たず本土への撤退を開始。
東国鎮台軍や本土妖怪軍、狐狸以外の中央・西国鎮台の妖怪は各地での戦闘で消耗し、勢力下の妖怪たちが次々と離脱し本土各地へと潜伏し、各地で中小様々な隠れ里を形成した。この時に形成された隠れ里ではゲゲゲの森が有名である。
本土妖怪軍や西国・中央鎮台の一部には南方諸島で取り残された者達もいた。
また、沖縄戦が始まった1945年4月には八雲紫が開戦前に締結した大日本皇国と幻想郷の協力関係を白紙化し博麗大結界を完全発動し外界との接触を断った。
大樹の最大同盟勢力西洋妖怪軍団は北米諸藩降伏後より姿を隠し、連絡が取れず実質的に精力として活動を休止していた。
大樹に対して絶大な忠誠を誓う妖狐理たちの西国・中央鎮台も南方など戦地に取り残されて分裂しており盛時の力を失っていた。
5月7日には西洋妖怪軍団傀儡のナチス・ドイツが降伏。
大樹野槌水御神と八雲紫の間で妖怪妖精の希望者を幻想郷へ移住する定数を決める話し合いが行われる(博麗神社会議)。
8月6日、9日の広島長崎の原爆投下は御前会議で大樹が天皇家養母兼摂政として皇国降伏を促すには十分な出来事であった。
「もはや、これまで。我が首一つで矛を収めて欲しいものよ。」
その後の関東大樹大社で開かれた大樹大社御前会議では隠神刑部狸やたんたん坊と言った強硬派が大樹に戦争継続を求めて詰め寄った。
「その様なことは成りませんぞ!」
「降伏などすれば御身に厄降りかかるは必定!お考え直しを!」
「もはや、決めた事。それに貴方方はそのつもりでも下がついて来れないでしょう。」
大樹の言葉に反対していた二人が黙る。
妖怪軍も精神論の段階に来ていたのだ。
未来の見えぬ状況に誰もが口を開けずにいた。
全てを諦めて天を仰ぐ者、押し黙って歯を食いしばる者、呆然とする者と様々であった。
8月10日、大樹野槌水御神は傘下妖怪へ降伏受諾の旨を発表した。