894年、最後の遣唐使が派遣される。
その、遣唐使たちは重要な密命を帯びていた。超長期的な諸国の見分であり、正規の遣唐使に混ざり大樹大社より使者として数名の巫女たちが派遣された。
『遣唐使船に乗り込んだのは 陽光巫女 月光巫女 星光巫女 の三人なりき
彼女たちが 派遣されしを最後に 遣唐使制度は廃止されき。
彼女たちは ついぞ 戻ってくるはなかりき。 』
公式上派遣された巫女たちは現地に取り残されたことになったが、彼女たちには諸国を検分する旅をする任を任されたのであった。彼女たちは長い時を経て重要な役割を担うこととなるのでした。そして、再び歴史上に彼女たちの名が出るのは18世紀の話である。
901年、菅原道真が濡れ衣をかぶせられて大宰員外帥に左遷される。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
彼が京都を去り暫くして・・・彼の子供4人が流刑に処された。
左遷後は大宰府浄妙院で謹慎していたが、翌々年大宰府で失意のうちに亡くなり、安楽寺に葬られた。
しかしここで話は終わることは無かった。
ここから不可解な出来事が続発する。道真の左遷にかかわった人物の相次ぐ死、日照りによる作物の不作、流行病など次々と降りかかる天災に京の都は大混乱。ここに道真の怨霊による祟りであった。
道真の霊に左遷前就いていた右大臣に復帰させるとともに正二位を贈るなどしたが鎮まらず。
墨を流したような真っ黒な雲に覆われた京で激しい雨とともに雷鳴がとどろき渡り、ついに道真が平安京に姿を現すこととなる。
その顔は怒りと憎しみに囚われ、雷を操った。
「帝、帝!出てこい!殺してくれる!」
怒りにおぼれる彼と私は対峙する。
道真殿、鎮まりなさい。敦仁(醍醐天皇)のしたことに怒りを覚えるのは解ります。貴方の名誉を守るためにこの大樹ができることは何でもしましょう。
「おお、貴女がうわさに聞く大樹殿であったか。天皇家の守護神たる貴女を倒せば。天皇家はお終いであるな!」
私は彼の雷をバトンで払いのけつつ応戦する。
定省(宇多上皇)は貴方を助けるために奔走しましたし、貴方の子らは失敗しましたが貴方の妻や娘は生きながらえています。それに免じて怒りを鎮めてもらいたい!
そして私達が争い1時間半ほど過ぎたころ、一瞬の閃光と轟音とともに清涼殿に雷が落ちたのだ。
火災とともに崩れ落ちる清涼殿。さらに雷は紫宸殿にも落ち、宮廷内は逃げ惑う公家、女官らで大混乱となっていた。そして怯える人々の中には斉世親王とその妻(道真の娘)がいた。さらには宇多上皇の後院亭子院からも大樹と菅原道真の戦いが見えていた。
道真公・・・彼らの身は大樹が保証する。だから怒りを鎮めなさい。
さらに戦いは10時間に及び、決着はつかなかったが漸く道真は平静を取り戻し・・・
「北野の地に祀ってくれれば報復の心も安らぐことでしょう。」
と告げて消えた。
こうして北野の地に朝廷が社殿を造営し、道真を祀った北野天満宮が完成し、道真が亡くなった大宰府の墓所の地には安楽寺天満宮(のちの太宰府天満宮)が建てられ、ようやく京の都は平静を取り戻したのでした。
北野天満宮や大宰府天満宮の造営には大樹大社の大樹の一部が使われたと言う。
また、太宰府天満宮へ大樹大社より鎮魂の巫女が派遣されることとなり、小さな分社が敷地内に設けられている。
その巫女には彼となじみ深い梅の木の妖精が派遣された。
梅の苗木を持って、彼女は太宰府の道真の下を訪れる。
「道真公・・・。」
「貴女が大樹大社からの巫女であるか。」
道真は彼女と彼女の持った苗木を見てハッとする。
「大樹様も粋な計らいをする・・・。その苗は京の私の所の梅の苗木ではないか。」
道真は彼女の
「では、貴女は私の所の梅の木の妖精か。」
「はい、お会いできてうれしいです。」
その後も怨霊として恐れられた道真だが、200年ほどたつと慈悲の神に。さらに歌人、学者としての面が注目された江戸時代ごろから、学問の神として信仰されるようになったという。その背景には太宰府や北野天満宮で梅林と言う名の巫女がおり、その巫女に道真公の霊が勉学を教えている姿が目撃されたと言う話がある。
※『』国立国会図書館蔵書 大樹記写本より