承平天慶の乱の後、女真族の集団が壱岐対馬を襲撃し被害が出たが大宰府の兵が返り討ちにした。(刀伊の入寇)
奈良時代から進んでいた文化の日本化が国風文化として結実し、漢字を元に生み出された平仮名・片仮名が使われていくようになり、「源氏物語」・「枕草子」に代表される物語文学などが花開いた。密教や末法思想が広く信じられ、神仏習合が進み、寺社仏閣が多く建てられ神宮寺と言う習合的なものも登場した。
東北では平忠常の乱が3年続いたが、京の都や大樹大社に大きな影響がなかったために私達の介入はなかった。この頃の出来事に私達の介入はない。なお、延久蝦夷合戦にて東北を平定した。
源義親の乱を制した平家が台頭する。その後の保元の乱で摂関家を中心とした朝廷権威が弱体化、平家を抑える存在が無くなり、平治の乱を契機に平家政権が誕生した。
本来は貴族の番犬でしかない武家でありながら強大な権力を手中に収め、この世の絶頂を極めている平氏の棟梁。「平氏にあらずんば人にあらず」と言う言葉が生まれるような程に増長を極め、大樹こと私の苦言を無視し現神大樹野椎水御神をも軽んじ始める。また、別の問題も浮上し始める。保元の乱・平治の乱を引き起こしたのが玉藻前と言う九尾の妖狐だったのだ。
また、この玉藻前自身も白河の金剛勝院御所において安倍泰成に退治され、殺生石として封印されるに至っていた。
「陰陽頭安倍泰成、大陸の大妖討伐ご苦労様です。」
「大樹様、お言葉痛み入ります。・・・陰陽頭としてお知らせしたき事がございます。」
玉藻前との戦いでだいぶ弱った彼の声はかつてに比べて弱々しく感じた。
私は彼の言葉に耳を澄ます。
「玉藻前は間違いなく石に封印しました。ですが、石からの瘴気が収まる気配がございません。私にはこれで終わりとは思えないのです。大樹様、お気を付けください。」
平清盛が後白河上皇を幽閉し、以仁王と源頼朝が挙兵した際も私は中立を維持した。
実際の所、平氏の側にも高倉天皇(後に上皇)などの皇族が味方に付いており高倉上皇と後白河上皇の権力争いの側面もあったからだ。ただし、高倉天皇と後白河上皇のどちらが大樹野椎水御神に近しいかと言えば上皇の方であった。これまた複雑怪奇である、玉藻前に操られていた側の上皇の方が近しいのである。高倉天皇に接近と言う選択肢はない何せ平氏に完全に寄っている。
こういった理由から、上皇との連携に支障をきたし一時は上皇が平氏との権力争いに劣勢となり、朝廷を介した介入が難しくなってしまったのだ。
神々と言うのはかなり俯瞰したものの見方をする割には、初動が遅かったり派手に失敗したりする。私はその中では妖精上がりの神であり、高天原の純然たる神ではないためそれに当てはまらないと思っていたのだが、私も神々の例にもれなかったようで・・・。
気が付いたときには日本のあちこちで平家と源氏を中心とする反対勢力が争う大乱が起きていた。そして、安倍泰親は病床となり陰陽師の実力者が不在となって日本の霊的守りに綻びを見せる事にもなってしまうのです。以後の陰陽寮が霊的に使い物になるまでに戦国時代あたりまで待たねばならない。
しからば直近の問題である平氏を片付けようと思い、影響下にある寺社衆に平氏討伐を命じた。神勅である。甲斐源氏決起の際に諏訪大社の戦禰宜及び戦巫女衆が決起。富士川の戦いにおいて浅間大社の戦禰宜と戦巫女衆が参陣し、源氏の勢力は盛り返していく。私も京の都を脱し、熊野三山を決起させた。その足で、狹岡神社の秋比売姉妹と合流し三柱で関東へと向かった。大樹大社も金砂上の戦いから参戦し源氏優勢へと一気に傾いた。私自身も鎌倉で頼朝と面談し、武蔵大樹大社に入った。
また、天狗や河童に妖狐狸に対しても参戦要請を出したが、まだ、現時点ではこれに関しては形ばかりの援軍が集まったのみとなった。
近江の反乱を潰した平家軍は挙兵した尾張美濃源氏の討伐を行う。これに対抗し尾張美濃源氏の軍勢に秋比売姉妹は影響下にある妖怪タンコロリンや木の子らを集めて参戦するが敗北。この戦いで秋比売姉妹が負傷し、全国の豊穣の儀式を取り纏めが不在となり養和の飢饉が発生した。
続いて起こった伊予の挙兵において陰神刑部狸率いる八百八狸がこれに加わり、源平合戦末期まで戦いが続いた。また、平家は源氏方に加わる動きを見せた東大寺や興福寺の焼き討ちを行う。ここに来て仏教徒の多い天狗たちが挙兵。大軍を擁する平家の軍勢を翻弄する。その後は源平ともに勝ち負けを繰り返したが、人間としての源氏方は負けが多かった。
しかし、源義仲が倶利伽羅峠の戦いで平家軍に勝利したの機に、膠着していた状況が源氏に傾く。
ただし義仲は入京後の政争で、敵となり粟津の戦いにて戦場の露と化す。また、宇治川の戦いにて鞍馬天狗が推薦した源義経が活躍し、以後の戦いでも功績を上げる。源氏内の内紛に関して私は静観を決め込んでいた。
倶利伽羅峠の戦いで源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、九州大宰府まで逃れたが大宰府の菅原道真の執拗な落雷を受けながらも再編し瀬戸内海を制圧し、西日本の反乱を沈静化させ、数万騎の兵力を擁するまでに回復していた。静観を決め込んでいた私であったが三種の神器を盗むのは許せることではなかった後白河法皇を介して、頼朝に平家追討と平氏が都落ちの際に持ち去った三種の神器奪還を命じる平家追討の宣旨を出した。
「天皇家を私物化した平家に鉄槌を下せ!!」
一ノ谷の戦いでは源氏方人妖に加えて神が加わって70000、平氏方120000と言う今までにない大規模な戦いとなった。
また、平家方にも妖怪の姿が確認され正に人妖大戦争と言った感じであった。
一ノ谷の戦いで源氏方が勝利し、河童たちが源氏方で参戦。瀬戸内海海戦が勃発。
この戦いの源氏の主力は天狗と河童であり、公式記録ではなく大樹記と諏訪洩矢書記にのみに源氏方の指揮官が烏天狗の黒鴉と射命丸文と河童の河城某と表記されている。また、この戦いから日和見な妖怪たちの多くが私が味方した源氏に与したのであった。