大樹の妖精、神となり   作:公家麻呂

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42 戦国群雄割拠 荒れる時代

天文12年に大隅国の種子島に伝来するより30年ほど以前・・・。永正7年相模国の小田原に帆船が漂着した。船内には異国の娘たちが多数と少数の男たちが乗っていた。地元の役人たちは大樹大社の巫女や旅の還俗僧がいたこともあり、小田原城の北条早雲と引き合わせる様に取り計らった。

代表者を名乗るものは4人おり、元興寺の縁者を名乗る還俗僧と大樹大社巫女を名乗る3人であった。

 

早雲は彼彼女らの願いを聞き入れて、大樹大社に知らせを出した。

大樹大社は近年俗世に関わらなくなっていたが独自の武力を持つ独立勢力、早雲は大樹大社を味方につけ関東一円を掌握したかったのだ。

また、この船に乗っていた3人の少女巫女は大樹大社の伝承伝わる大陸へ渡った三光精巫女の名前に似ていたこともあり。その伝記の内容を偶然にも知っていた早雲は何かを感じていた。

 

大樹大社からの使いは数日のうちに小田原を訪れる。

その使者が、大樹大社巫女頭大緑光ノ精であり出迎えた北条の家臣たちは仰天した。

 

「左京大夫早雲殿、この度の私どもの巫女たちを保護していただき感謝いたします。」

 

「うむ、異国から戻られた巫女殿や僧から事情は聞いている。600年余りの時を経て・・・。」

 

『遣唐使船に乗り込んだのは 陽光巫女 月光巫女 星光巫女 の三人なりき  ・・・ 彼女たちは ついぞ 戻ってくるはなかりき。 』

 

早雲は大樹記写本の内容を思い出す。

 

あの異国船に乗っていた巫女は・・・、まさか。

ありえん、600年も昔だぞ。だが、三光精巫女の子孫だとしても大樹大社巫女頭が直々に出向くほどか。早雲は思案したが答えを見出すことは出来なかった。

 

 

先の山内上杉家の内紛に乗じた戦いで扇谷上杉家の逆襲による敗戦から体勢を立て直した。

早雲は、岡崎城を攻略し、相模の有力大名三浦義同を逗子へ敗走させ、勢いに乗って住吉城も落とし、義同は息子義意の守る三崎城に逃げ込んだ。早雲は鎌倉に入り、相模の支配権をほぼ掌握する。扇谷家、上杉朝良の甥の朝興が江戸城から救援に駆けつけるが、早雲はこれを撃破する。さらに三浦氏を攻略するため、鎌倉に玉縄城を築いた。

義同はしばしば兵を繰り出して早雲と戦火を交えるが、次第に圧迫され三浦半島に封じ込められてしまった。扇谷家も救援の兵を送る大樹大社の妨害を受けた上にそのことごとくが撃退された。

 

翌年、扇谷朝興が三浦氏救援のため玉縄城を攻めるが早雲はこれを打ち破り、義同・義意父子の篭る三崎城に攻め寄せた。激戦の末に義同・義意父子は討ち死にする。名族三浦氏は滅び、早雲は相模全域を平定した

 

その後、早雲は上総の真里谷武田氏を支援して、房総半島に渡り、転戦している。その後、家督を嫡男氏綱に譲り、1519年(永正16年)に死去した。

その氏綱は扇谷上杉氏や山内上杉氏他諸勢力との攻防を繰り返し、その過程で武蔵南部から下総にかけて勢力を拡大することに成功した。

さらにその息子氏康の代では河越城の戦いと言う一大合戦に勝利し扇谷上杉氏を滅ぼし、数年のうちに山内上杉氏当主憲政を越後にたたき出し上野を掌握し、さらに下総の半分以上をおさえ、古河公方がを足利義氏擁立で後北条氏の傀儡と化すると敵対者の過半が降伏したのであった。

しかし、それ以降北条氏は積極的な行動を控え天下に名乗りを上げるような大それたことはせず武田・今川と同盟関係を結ぶに至り関東の一大勢力として落ち着いてしまう。また、後北条氏からは大樹野椎水御神が期待した中央への関心と言った欲求が一地方領主の域を出ず己が想いを叶える力が無いと解った大樹野椎水御神は次第に後北条氏との関わりを減らしていった.

 

北条家を通じて中央への政治権力の回復を狙った大樹野椎水御神の狙いは完全に外れてしまうのであった。

 

 

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