大樹の妖精、神となり   作:公家麻呂

71 / 227
71 大樹信長記 御館の乱

 

天正10年(1582年)3月9日。上杉謙信、春日山城で「卒中」により死亡。翌月、上杉家の家督の後継をめぐって、謙信の養子である上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)との間でお家騒動が起こる。

 

景勝方には以下の諸将が加担した。直江信綱や斎藤朝信、河田長親といった謙信側近・旗本の過半数と新発田・色部・本庄といった下越地方の豪族である揚北衆の大身豪族が加担した。

 

景虎方には前関東管領・上杉憲政や上杉一門衆の多くが加担した。越後長尾家は長年一門同士の権力争いが激しく、特に上田長尾家と古志長尾家は謙信時代にも敵対しており、上田長尾家出身の景勝が上杉家当主となることは、古志長尾家からすれば到底認められるものではなかった。このほか、上杉家臣団では大身である北条高広も加担し、本庄秀綱ら謙信の旗本・側近で景虎に味方した者も少なくない。揚北衆の一部も加担しているが、これには本庄氏や新発田氏との対立関係も影響している。周辺の大名がことごとく景虎方に加担している。血族である北条家や織田家とその同盟関係の浅井家・徳川家・姉小路家、奥羽からは同じく北条家と同盟関係にあった伊達家に加え、蘆名家・大宝寺家が加担している。

 

6月、能登畠山氏の自然崩壊後、能登加賀を掌握していた浅井長政と柴田勝家の軍勢が越中の上杉領に侵攻を開始。これは上杉景虎の援軍として佐竹・宇都宮連合との戦の真っ最中だった北条氏政の要請を受けたものであった。織田・浅井軍の越後来援は時間の問題と考えられていたが、ここで毘沙門天の介在によって景虎優位が覆る。

越後に迫りつつあった織田・浅井軍の前に毘沙門天の弟子寅丸星が立ちふさがったのであった。大妖怪を擁していなかった織田・浅井軍の軍勢は寅丸星に蹴散らされ越後来援は息詰まってしまった。

 

そこで、信長は甲州を任せていた滝川一益、川尻秀隆、森長可らに出兵を命じたが武田残党の掃討中で大した兵力を割けなかった彼らは、甲州で布教中だった聖白蓮ら僧兵衆に形ばかりの兵力を付けて出兵するように要請した。聖白蓮はこれを承諾し越後に進軍する。ここで彼女は寅丸星と知己を得て以後彼女と行動を共にするようになるが詳細は割愛する。さらに、このお家騒動の結果も言ってしまえば景勝の勝利である。

 

なぜ、上杉家のお家騒動を大幅に省くことになったのかであるが、この時に天下を揺るがす大騒動である本能寺の乱が発生した為であった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。