1685年にはイスパニアとルソンを巡って争っていた幕府に対して業を煮やした大樹恩顧武断派筆頭陰神刑部は同じく武断派のたんたん坊と共にルソン出兵を決断した。
なお、大樹恩顧武断派の大妖怪に分類される風見幽香の足跡を示す資料は少なく、客将もしくは相談役の様な立場であり大樹勢力の傘下という訳ではないからとされる。
ルソン沖海戦において、イスパニア征討軍の総大将陰神刑部狸は開戦における速攻を狙い化け鯨を参戦させることに成功しイスパニア東洋艦隊を食い破り、ダメ押しに船幽霊の襲撃で文字通りイスパニア東洋艦隊を壊滅させた。
残りの治安維持程度の戦力しか持たないイスパニア陸軍や植民地兵たちの殆どは降伏し、一部の抵抗は歯牙にもかけずに粉砕し、ルソンのみならずヴィサヤ諸島やミンダナオ島をも掌握し周辺の島々も手に入れることとなった。
この戦いが巡り巡ってイスパニアの衰退へ繋がったのである。
陰神刑部、たんたん坊、ぐわごぜは大樹恩顧の妖怪3万からなる大軍はルソンのイスパニア軍を殲滅させ、後続の幕府軍と共にパプワニューギニア(大南島)とその周囲の島々を支配下におさめた。こうした大樹らの動きに南洋妖怪は概ね好意的に受け取られた。18世紀には東北諸藩が長年開拓し続けた北方航路はアラスカに至り、ロッキー山脈沿いの太平洋岸を領有(新大陸を植民地とした欧州とは違い先住民を日本国民に組み込む形で人口を増やした)した。また、オセアニアを巡ってイングランドとも対立していた。享保11年(1726年)8月、イスパニア・イングランドと対立する上でその背後の魔法世界との対立も激しくなり、その関係で大樹大社の恩顧妖怪達は西洋妖怪との同盟強化を模索し始める。その結果、大樹の実の娘である古明地祀の西洋妖怪総大将バック・ベアードへの輿入れが現実となった。
当時のバック・ベアードは妖怪至上主義者であり、なにを持ってこの婚姻が成ったかは謎が多いが、結果としてはベアードも彼なりに人間との折り合いをつけて態度が軟化していることから良い結果であったと言える。
鬼界ヶ島にて行われた結納において、バック・ベアードは大樹側の出席者に幕府将軍織田信邦が列席しているのを見たベアードは大樹に彼らを術で操っているのかと問うた際に、大樹は「家臣の様なもの」と答え人妖を影響下に置く大樹を見て、東洋妖怪の女帝と認識したバック・ベアードは自身を雑多な集団のボスとしてでなく、西洋妖怪の皇帝として意識しだす切欠ともなった。これを機に妖怪と言うよりも人間よりな魔法使いがベアードの配下に加わった。
なお、式の様式としてはベアードを中心に神聖な存在に誓う式に不快感を示したことから、日本の神前式に似た今でいう人前式に近いものであった。
「このようなよき日を迎えることが出来たのは・・・」
その150年後の明治9年(1876年)、バック・ベアードと古明地祀の間で第一子さとり、その5年後には第二子こいし誕生。バック・ベアードはプロイセンを地盤に勢力を拡大。
1893年には古明地祀と2人の娘は一時里帰りを行い傷心中の大樹野椎水御神の下で10年ほど過ごした。その十年で大樹は心の傷を癒す事が出来たようで再び表舞台に立つことが増えて来るのであった。
西洋と東洋(中華系を除き、東南アジアや一部の南洋系を加えた)の妖怪の同盟関係、この存在は魔法世界系魔法使い、キリスト教系勢力の警戒を強めることになる。
東南アジアや南洋フィリピン系の妖怪らの認識としては積極的に日本妖怪と同じ東洋妖怪と言う考えは薄く、あえてと問われればそうなのだろうと言う認識である。
享保11年(1726年)の西洋妖怪の首魁バック・ベアードと大樹野椎水御神が長女古明地祀の婚姻が為され裏社会における妖怪大同盟成立を契機に、安土大阪幕府は抜本改革を決意させるに至る。