大樹の妖精、神となり   作:公家麻呂

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85 近世 仏清・仏日戦争

1883年、ベトナム(越南)領有を巡るフランスと清との間の戦争が勃発する。

フランスは1840年頃よりベトナムが南部に設置していた幾つかの行政区を武力併合し、それらを統合して仏領コーチシナを形成、東南アジア進出の拠点とした。当時のアジアの宗主国的存在は2つ清王朝と大日本合藩連合帝国である。

しかし、アヘン戦争とアロー戦争において清と言う国が眠れる龍ではなく死に体の龍であり、口ほどにもない存在であることが知られ、欧州各国のアジアでの横暴を止める存在ではなくなっていた。また、当時の日本は安土大阪時代より欧州各国と中小規模な競り合いを繰り返しており、一目置かれてはいるが大規模戦争は無く。日本自身も欧州と積極的に事を構えるようなことはしなかった。さらに欧州各国の東洋蔑視もあり、列強未満の扱いであった。

 

アジアの大国である清王朝と大日本合藩連合帝国は欧州から見て劣った存在と見做されており、欧州各国はアジアにおいて横柄なふるまいが目立っていた。

 

その最たるはフランスの行動であり1858年からのコーチシナ戦争に始まり、1859年にフランス軍がサイゴンを急襲して武力占領。1861年にはベトナム南部のザーディン、ビエンホア、ディントゥォンの三省を占領。1863年にカンボジアを保護国とする条約を結んでおり、仏領コーチシナをカンボジアと連結させるため、1867年ヴィンロン、チャウドク、ハティエンのコーチシナ西部三省を武力占領してコーチシナ全域を支配下に置いた。

 

フランスは魔法世界の影響を強く受けた列強国の一つであり、コーチシナ地域における南洋妖怪たちの討伐を始める。これに反応したのは日本妖怪達である日本妖怪と南洋妖怪の友好関係は古く鎌倉時代から続くものであり、弘安の役の神集島で大樹が窮奇に敗れた際に大陸妖怪の目を掻い潜り玉名まで大樹を守りぬいたのは他ならぬ南洋妖怪たちであった。そんな彼らの危機に大樹を中心に日本妖怪たちは立ち上がったのであった。

 

1874年の第2次サイゴン条約でコーチシナ六省に対するフランスの完全な主権を阮朝が承認した後も、魔法世界系及びフランス系魔法使いと現地南洋妖怪及び日本妖怪の援軍によるコーチシナのフランス人居留地を巡る攻防やメコン川流域で泥沼の戦いが繰り広げられ、それが将来的には東南アジア全土を巻き込む独立戦争に繋がっていくのだが、近世においては仏清戦争が山場の一つである。

 

「異人共を追い出せ!!」

「化け物どもを皆殺しにしろ!!」

 

南方妖怪のペナンガランは魔法使いに噛みつき、剣士風の魔法使いと日本の天狗の剣と錫杖が交差する。ケンパス蛇は魔法使いの体に巻き付き揉み合いになっている。

近代に人間たちが独立戦争を起こす前から彼らは戦い続けるのであった。

 

さらに、この妖怪と魔法使い間で発生した戦いと国家としてのフランスと阮朝の戦争が絡み合い、中国南部の軍閥黒旗軍と清王朝が加わり、さらに台湾と日本が巻き込まれる大規模な戦争に発展するのである。

 

事の発端は、フランス海軍士官アンリ・リビエールの独断が原因であった。1881年末、現地のフランス商人に対するベトナムの反発を調査するように命じられたアンリは、小規模の軍勢を連れてハノイに進み、そこで上官命令を無視して独断で阮朝軍のハノイ砦を占領。

フランスの脅威がベトナム北部に迫ったのである。

これに反応したのは同地域に根を張る吸血鬼ピー。

魔法使いたちは普仏戦争で多くの吸血鬼がプロイセンに加わっていたことや魔法世界で悪名を轟かすエヴァンジェリンなどの影響で吸血鬼を目の敵にする傾向がある。

 

「もう!!我慢できないぞ!」

 

同地域のピーも最初は無視を決め込むつもりであったが度重なる討伐隊の攻撃でしびれを切らしフランス人居留地を襲撃し同居留地のフランス人たちを吸血鬼奴隷にして居留地をのっとってしまう。

ピーの決起を好機と見たのは庇護国に進出するフランスに不快感を抱いていた清王朝、中国南部の軍閥黒旗軍を唆し南下させ、既に崩壊しつつあった阮朝軍に代わってフランスに対峙させた。

 

ピーの吸血鬼奴隷や黒旗軍に武器や資金を援助した。

 

1882年、雲南省など南部で主に動員された清帝国の遠征軍がベトナムに入り、ランソンなどトンキンの重要拠点に次々と駐屯を開始した。

 

1883年に黒旗軍・清軍・阮朝軍・ピー軍と決戦を行うべく多数の兵士を連れて進撃を開始した。3月、ナムディン砦の戦いで勝利、リビエールは黒旗軍・清軍・阮朝軍に対しては装備差による戦力優位を、ピーの吸血鬼奴隷軍には普仏戦争で確立した対吸血鬼魔法が有効だと確信した。続いて敵軍の攻勢によってハノイ砦近郊で発生した戦いにも勝利を得た。

 

1883年4月、清朝軍の唐景崧将軍は黒旗軍・清軍・阮朝軍・フランス軍の兵士の死体を無理やり吸血鬼化することでゾンビに近い劣化吸血鬼を大量に用意しての攻勢実施するように説得した。1883年5月10日、3,000の劣化吸血鬼がフランス軍を攻撃、5月19日に両軍はハノイ近郊のコウザイ地区で衝突。フランス兵はコウザイ地区に掛かる橋に陣地を築いていた黒旗軍に反撃を受け、指揮官リビエールが戦死して敗走した。

 

コウザイの戦いでの勝利に酔ったピーは南部コーチシナへ逃げ込むフランス軍の追撃を独断で決めた。

 

「このまま、南部を解放して東南アジア妖怪の盟主になってやる!!いけぇええ!!」

 

しかし、1883年8月20日、フランス軍の遠征隊指揮官となったアメデ・クールベ提督の遠征軍がピー軍不在の北部ベトナムに上陸、阮朝軍に多大な損害を与えた。フランス軍の本格侵攻を前に、嗣徳帝の死で混乱していた阮朝は癸未条約の締結を了承、事実上フランスに降伏した。

 

ピー軍と黒旗軍・清朝軍は南北で分断された。

勢いに乗るフランス軍はダイ川に展開する劉永福の黒旗軍に攻勢を仕掛け、フーホアイの戦いとパランの戦いで大損害を与え、黒旗軍はソンタイ川付近の陣地へ後退した。

ピー軍もコーチシナの駐留軍と南下してくる遠征軍の別動隊の挟み撃ちを受け数を減らし、コーチシナのケンパス蛇率いる反乱軍と合流した。

 

フランスは年末に黒旗軍に止めを刺すための大攻勢を計画しつつ、黒旗軍の後ろ盾である清朝に対して単独講和を打診し始めた(一方で他の欧州主要国にも参戦を促して回った)。しかし清朝政府は駐仏公使の曾紀澤から「フランスは全面戦争に踏み切る勇気がない」との報告を受け、フランスの駐清公使と李鴻章が行っていた交渉を打ち切った。

 

彼らの戦いは欧州列強から東南アジアの全ての国々が独立を果たす1970年代まで続き、妖怪達の間で南洋百年戦争と呼ばれる地獄の戦争が始まったのである。

 

 

フランス政府が焦る中、清朝は前線から撤兵を拒否。清では攘夷運動が各地で発生し、特に運動が盛んだった広東省では広州などでフランスのみならず欧州商人全体への襲撃が発生、各国が自国住民保護の為に砲艦を派遣した。

 

機を見計らっていた大樹はドイツのベアードに鎮遠・定遠の建造を早めるように要請した(建造は仏清戦争に間に合っていない)。前線ではトンキンデルタで幾つかの新たな拠点を確保して勢力を拡大。黒旗軍との戦闘がいずれ清朝とも戦うことになると予想したが、早期にトンキン全土を併合すれば既成事実的に相手方が領有を認めるだろうと判断したフランスはトンキンでの新たな攻勢はクールベ提督を総司令官に据え、1883年12月に1万を越す大軍がソンタイ川に向かって攻撃を開始した。

 

 

ソンタイ川の戦いは特に激戦だった。清軍やベトナム人兵士は余り戦いの趨勢に関与せず、3,000人の黒旗軍が主力として戦い、12月14日にフランス軍の攻勢を一旦は撃退した。黒旗軍がクールベ軍の追撃に失敗する中、体勢を立て直したクールベは、大砲による援護を行いながら12月16日にソンタイ川へ二度目の突撃を敢行。同日午後5時、フランス軍外人部隊と海兵部隊の一部がソンタイ川の防衛線を突破して市内に突入、劉永福は残存軍を連れてソンタイ川後方へと撤退した。

 

フランス軍が数百人の死傷者を出す一方、黒旗軍も半数近い兵士を失った。清軍とベトナム軍が戦いに加わらなかった事から劉永福は両国の捨駒にされたと憤慨し、以降の戦いには積極的に関わらなくなった。

 

1884年3月、フランス軍はシャルル・テオドール・ミロー将軍をアメデ・クールベに代わる新たな総司令官にして事態の好転を図った。総戦力は2個旅団に増強された。第1旅団はセネガル総督のルイ・ブリエール・ド・リール少将、第2旅団はアルジェリアのイスラム教徒の反乱を鎮圧したオスカル・ド・ネグリエ少将が旅団長を務めた。フランス軍は作戦目標を清国広西軍が守備するバクニンに定め、攻撃を再開した。今回は清軍が主体だったが、士気の低い広西軍は形だけの抵抗で撤退。両軍合わせて3万人(フランス軍1万、清軍2万)の大会戦でありながら、両者の被害は僅かに100人程度に終わっている。黒旗軍が積極的に参加せず、戦力を温存していたこともバクニン占領を容易にし、ミロー将軍はバクニンに残された幾つかのクルップ製の大砲を接収した。

 

清軍が成果を出さなかったため対外強硬派の張之洞らの力が落ちた。フランス軍によってフンホア(興化)とタイグエン(太原)が攻め落とされると一層に李鴻章ら和平派が力を持ち始め、清の西太后は天津で李鴻章と司令官代理フルニエとの交渉を開始させた。

 

8月中旬、両国間で続けられていた和平交渉は決裂、22日にフランス軍はアメデ・クールベ提督の極東艦隊に対して福州に集結していた清国福建艦隊との決戦を命令した。1884年8月23日、馬江海戦が勃発。福建艦隊22隻の内、旗艦の一等巡洋艦「揚武」を含む11隻は西洋式の最新艦艇であったが、13隻のフランス海軍の前に約1時間でほとんどが撃沈か大破し、水兵死者数も3,000人を越したと思われる。一方のフランス側は軽微な損害しか受けなかった。フランス海軍の圧勝であった。

 

9月上旬、福建艦隊の残存艦のジャンク船と台湾海軍のジャンク船の誤認から始まる第二次馬江海戦が勃発、台湾海軍艦艇の半数が沈められた。台湾王国は大日本合藩連合帝国の連合加盟国であった。大日本合藩連合帝国征夷大将軍織田信茂は早晩、大樹より呼びつけられ海軍の派遣と断固とした対応を求められた。しかし、信茂の煮え切らない態度に業を煮やした大樹は台湾海峡に海の妖怪最強と謳われる化け鯨を差し向けた。

 

9月17日、仏日戦争の火蓋が切られた。馬江海に現れた化け鯨は体長数百メートルの巨躯でフランス隊に突っ込んで行き。

 

「キュオオオオオン!!」

 

第一次・第二次と1隻の損害も出さなかったフランス艦隊は6隻もの沈没艦を出して敗北した。第三次馬江海海戦はフランスの大敗であった。

 

10月初旬には台湾と阮朝の保障が記された門司条約がフランス王国と大日本合藩連合帝国間で結ばれた。一方、清仏間の交渉は拗れ1885年6月9日に締結された講和条約である天津条約が結ばれるまで泥沼の戦いが続いた。なお、以後も妖怪魔法使い間の戦いは継続している。

 

 




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