1894年1月4日露仏同盟が締結される。急速な日露関係の悪化に仏日戦争で日本の足を引っぱりたいフランスはロシアの対日行動の援助を表明、英仏VS独墺の対立関係から独墺と親密な大日本合藩連合帝国に対してイギリスもロシアの援助を表明している。
1904年(明治37年)、日露戦争が勃発した。この戦争は妖怪が背後にいる大日本合藩連合帝国と魔法世界の魔法使いが背後にいるロシア帝国が戦った。東洋妖怪と魔法使いが激しく戦った戦争である。
この頃の大樹は積極的に国政に指図を出していた。
日本の領土は、日本列島から呂宋、北部ボルネオ、スマトラ島、太平洋中央諸島群、南天(オーストラリア)大陸、東シベリア、アラスカ、北アメリカ大陸の太平洋岸までに及び環太平洋の広範に広がっている。
その領土はロシア帝国、大英帝国に比肩する一大帝国であった。
赤道を跨ぎ、日付変更線を超えるほど広がった国家の誕生の背景には信長の時代より続くヨーロッパ諸国の植民地支配の影にあったキリスト教と魔法世界勢力による妖怪弾圧を跳ね除け、彼らから南方妖怪を中心とした先住妖怪達を解放した大樹の妖怪勢力による支配を先住妖怪達が歓迎したことによるものであった。
文明開化の代償としてかつての様な神々の加護が弱まり、自然災害も増えてきた。
諏訪大社や秋大社の神々も、盛時の力を失い地元の守りに入る中で大樹は幕府及び帝国政府の国政に指図を出し元老の上の摂政として影響力を発揮した。
日露戦争の前年、1903年、安土幕府の開幕から約300年目となる節目の年であった。
神君織田信長が覇王職に任じられた10月25日は以前から開幕記念日として国民の祝日に指定されていた。
1903年は開幕300年記念の年であり、副首都江戸では帝国の総力を挙げた祝賀祭が開かれる予定で、膨大な関係者が各方面でその準備に汗をかいていた。
開幕300年記念の目玉は鉄筋コンクリートで作り直された江戸城天守閣のお披露目式で、京都から天皇が日本史上初の関東行幸する予定になっていた。
新たに作り直された天守閣はエレベーターやエスカレーターがあり、河童の先端技術と最新の技術を組み込んだ蒸気力と電気力で動く鋼の城だった。
天気のよい日なら、この天守閣は遠く横浜港からでも見ることができた。城郭建築としては世界最新にして、最後のものであった。
天皇行幸に並行して世界各国から様々な来賓が江戸に集まるため、江戸は開幕記念式典に間に合うように大規模な再開発工事が進んでおり、都市全体の整備に余念がなかった。
再開発の中心は江戸東京駅の大改築で、完成の暁にはロンドン駅を超える世界最大の駅舎となる予定だった。
この大改築に並行して蒸気機関車の並ぶ地上プラットホームに加えて、最新の交通機関である電気式鉄道も建設されている。
大江戸駅の駅舎は各国来賓を迎える玄関口として、膨大なガラス材と鉄骨を組み合わせた豪華絢爛なものだった(現在の京都駅に近い)。
「まるで地上の竜宮城の様です。」
と大樹より招かれた人魚族の長である乙姫はそう発言した。
この栄光ある日を迎えた安土幕府の公方は・・・現在は天皇による任官ではなく、民衆の選挙によって選ばれる征夷大将軍、織田慶信だった。公武合体により幕府の解体が決定し欧州から民主議会政治の思想が輸入され、国民の総意を反映した国家元首と言う新しさのある元首を時代が求めたと言う背景もあった。大樹の専制の実情だが表向きの変化を狙って実施された。議会制は欧州列強で取り入れられており日本も列強入りを狙って組み込まれた。
とは言え、摂政大樹の意向が反映されており、超然内閣の形式ではあった。実際、民主政治は腐敗のリスクがある分超然内閣の形式で正解なのである。
開幕記念300年には様々な式典が開催されたが、その中でも特に慶信を喜ばせたのは相模沖で開催された大観艦式である。
慶信の座乗する御召艦を出迎えたのは、複数の戦艦を中心に、装甲巡洋艦等を加えた日本海軍自慢の艦隊であった。
列強国を名乗って遜色ない日本海軍だったが、観艦式において世界の海軍を恐れさせたのは海軍の軍艦ではなく妖怪であった。
化け鯨。日本海軍の艦隊と共に泳ぐ体長数百メートルにも及ぶその骨だけの巨大鯨は沢山の妖怪魚や化け海鳥を引き連れて観艦式に姿を表した。
政府の役人曰く、ロシア海軍のバルチック艦隊が攻めても勝てると断言できる戦力である。
慶信は海軍の観艦式のあと陸軍富士大演習を閲兵している。
日本陸軍は平時編成70個師団を達成してさらに質的な増強が続いていた。
屈辱の三国干渉から、数年後にはこれだけの戦力を揃えた日本は、この翌年にロシアと戦争に突入することになる。