MEMORIA   作:オンドゥル大使

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第九十四話「闇夜」

 

「何だ、瞬撃はどこへ行った?」

 

 夕飯の席にアンズがいない事にアーロンは気づく。メイは盛り付けられた餃子をぱくつきながら小首を傾げた。

 

「そういえば、最近、あんまり夕飯には見ないですね」

 

「見ない、だと? どこへ行っている?」

 

「知りませんよ。あたしだって、アンズちゃんの保護者じゃないんですから」

 

 メイの返答にアーロンは深く追求しなかった。アンズとて一介の暗殺者。どこかでヘマをするほど弱くはない。

 

「シャクエン。お前は見ていないのか?」

 

「私も、最近瞬撃は見ない。向こうもあまり口を挟んで欲しくない様子だった」

 

 シャクエンが言うのだから間違いないのだろう。アーロンは味噌汁をすすりながら考える。

 

 アンズはあれでいて自分の役割を自認しているタイプだ。だから、滅多な事で自分の力の誇示だとか、そういう迂闊な事には出ない。そういう人間が音信不通となれば、何かしらあったのだと勘繰りたくもなる。

 

「そうか。では瞬撃に事情を聞くべきだな」

 

「……何でシャクエンちゃんの意見は聞くかなぁ」

 

 メイの不満を他所にアーロンはレンタルポケモンをどう扱うべきか決めあぐねていた。明日の朝には届く。

 

 だが、果たして扱えるのかどうか。

 

「シャクエン。スパーリングの相手を頼みたい」

 

「いいけれど、何故?」

 

「一旦ピカチュウを休ませている。その間に、俺は別のポケモンの扱い方を学ばなければならない」

 

「えっ、アーロンさん、ピカチュウどうかしたんですか?」

 

「どうかする前に、一旦休ませておく、という判断だ。ここのところ連戦であったからな。一度、ピカチュウを休ませなければこのままでは使いどころを誤る」

 

「そういう事なら。私はいつだっていい。〈蜃気楼〉も」

 

 シャクエンが手を繰ってバクフーンを出す。餃子を食べさせるとバクフーンは景色に溶けていった。どうやらアーロンへの警戒が少しばかり薄らいだようだ。今までは戦闘時以外顔を出さなかったバクフーンが最近はちょくちょく見るようになった。

 

「ポケモン、他に持っていたんですか?」

 

「いや、レンタルポケモン制度を使う。今回支給されるのは、そのポケモンだ」

 

「レンタルポケモンかぁ。あれって高いんですよね。レベル五十を一体借りるのにいくらかかるんだっけ?」

 

「確か、相場は十万からだったはず」

 

 シャクエンの言葉にメイは声を詰まらせる

 

「じゅ、十万円? そんなにかかるんだ……」

 

「育て上がっているポケモンを借りるんだ。それなりにかかるのは承知している」

 

「伝説とか、入っているんですか?」

 

「伝説は特別料金とボールと制御オプションで百万はかかる。どれだけ弱くっても」

 

 伝説、と聞いてアーロンはメイの手持ちを思い返す。メロエッタについて少しばかり調べておけばよかった。手元にカタログがあるので寝る前にでも確認しておこう。

 

 メロエッタが普通のポケモンではないのは明らかである。市場流通しているかどうかは分からないが、もし流通していればメイの謎の記憶を解き明かす鍵になるかもしれない。

 

「でも、休ませるんならうちで預かればいいのに。あたし、ピカチュウとお近づきになりたかったなぁ」

 

「ここにいれば自然と強張るだろう。それに、ピカチュウはお前の事を嫌っている」

 

「グサっ……。何気に酷い事言いますね、アーロンさん。あたし、ああいう癒し系のポケモンに好かれたいって言うのに」

 

 自分はピカチュウを世間で言うところの広告塔のようなポケモンだと思った事はない。世間で言われているほど弱いとも思っていないし、戦闘向きではないとする評価も人によりけりだ。

 

「ポケモンに好かれるのも一種の才能みたいなものだから。メイのせいじゃないよ」

 

「……シャクエンちゃん、それって才能がないみたいじゃない。あー、あたしもピカチュウみたいな可愛いポケモンが欲しいー!」

 

 駄々をこねるメイにアーロンは冷徹に返す。

 

「うるさいぞ、馬鹿め。そんなだからポケモンも寄って来ないんだ」

 

「アーロンさんは波導でポケモンがどういう人間を好むかだとか分かるんですよね? だからピカチュウもアーロンさんを特別に慕っているんじゃないんですか?」

 

 まるで無理やり従わせているような言い草だ。それには一家言あった。

 

「俺はピカチュウを、一度だって強制させた事はない」

 

「嘘」

 

「嘘なものか。元々子供の頃からの手持ちだ。ピカチュウは俺にとって、なくてはならない、相棒だよ」

 

「その相棒を手離すっていう理由が分からないじゃないですか」

 

 箸で人を指すメイの手をアーロンは払ってから言い返す。

 

「相棒だからこそ、どれほど無理をさせているのか分かっている。ピカチュウは、このままでは俺の限界よりも先にがたが来るだろう」

 

 自分の限界。波導使いの死。その事にメイは思い至ったのだろう。そこから先は静かであった。

 

 足音が階段を上がってくる。恐らくは店主だろう。

 

 先んじて扉を開けたアーロンに店主は小包を差し出す。

 

「ポケモン協会かららしいけれど、協会に睨まれるような事でもしたのか?」

 

 ずっとそんな調子だとは返さず、アーロンは小包を受け取った。

 

「すまないな。俺が出るわけにはいかなくって」

 

「いいさ。居候の荷物くらい、持ってくるよ」

 

 取って返す店主の背中にアーロンは声を投げていた。

 

「店主、瞬……いや、アンズの事だが」

 

 異名で呼びそうになって慌てて取り繕う。

 

「うん? アンズちゃんがどうかしたのか?」

 

「最近、変わった事は? まだ帰ってないんだ」

 

 店主は腕を組んで呻る。

 

「そういや、最近、すっぽかすというか、ドタキャンが増えたなぁ。まぁシフトの関係なんてメイちゃんとシャクエンちゃんで事足りているし、元々、アンズちゃんは中学生だろう? 無理やり手伝ってもらっている感もあったから、融通は利くようにしているんだが」

 

「どこへ行っただとかは?」

 

「用事があるって聞いているよ。何でも、実家で複雑な用件があって、それに奔走しているだとかで」

 

 実家。アンズの生家はセキチクの暗殺一族だ。その事を店主はもちろん知るまい。だが、アンズがセキチクの、キョウの命令で動いているとなれば話が違ってくる。

 

「実家と、確かにそう言ったのか?」

 

「ああ、うん。深くは問い詰めなかったけれどね。アーロン、お前だって質問攻めは嫌だろ?」

 

「ああ確かに。だが、あいつはまだ年少だ。このヤマブキに不慣れな部分もある」

 

「心配になるのは分かる。でも、実家の用事って言うんなら仕方ないんじゃないか」

 

 その実家に連絡を取る手段がない。セキチクへ一度向かうべきか、とアーロンは判じた。

 

「……分かった。こちらで対応する」

 

「何だ、別に気にしてくれなくったっていいんだ。バイトは二人の看板娘で事足りているし、アンズちゃんはまだ若い。若いうちに色々とやるべき事があるだろうさ」

 

「そうだな。毎度感謝している」

 

「こっちも持ちつ持たれつだよ。じゃあな」

 

 店主の気のいい返答を聞いてからアーロンは扉を閉めた。

 

「聞いての通りだ。シャクエン。瞬撃は実家の、暗殺一族の用件で動いていると言っていたのか?」

 

 シャクエンに問い質すと、彼女は首を横に振る。

 

「聞いていない」

 

「では馬鹿は」

 

「あたしもー。名前で呼んでくださいよー」

 

「うるさいぞ。いいから答えろ」

 

 メイは頬をむくれさせながら手を振った。

 

「アンズちゃんの生まれた町なんて行った事ないですよ。アーロンさんが一番知っているんじゃないですか?」

 

 セキチクシティの名家。暗殺一門のキョウ。やはり本人に直談判するべきか。

 

「……予定が出来てしまったな」

 

「それより! アーロンさん、レンタルポケモンですよね?」

 

 小包の中身が気になるらしい。アーロンは包みを開けて中にあるレンタルポケモン専用のモンスターボールを手にした。通常のモンスターボールよりも三秒ほどの遅延が出るらしい。それは主人ではないトレーナーを主人であると認識させるのに必要なロスだという。

 

「説明書によると、レンタルポケモンを手持ちだと認識させるのはこのボールの力が大きいらしい。当然の事ながら、スペックを引き出せるわけではない」

 

「何でですか? 波導使いなら、波導を読めば」

 

 短絡的な思考にアーロンは嘆息を漏らす。

 

「馬鹿の考えそうな事だ。波導を読んでも、絶対主従というわけにはいかない。それが出来れば毎度殺しなんてしないだろうに」

 

 頬を引きつらせるメイにアーロンは専用ボールの緊急射出ボタンに指をかけた。

 

「行け、エリキテル」

 

 飛び出したのは黄色い四足のポケモンである。薄っぺらい垂れ耳がついており、一瞬獣型かと判じたが、あまりにも攻撃的ではない丸っこい形状と、呑気な眼差しにメイが落胆する。

 

「何だ、アーロンさんの事だからもっと強そうなの選ぶかと思ったら。可愛い、かどうかは微妙ですけれど、何でこんな小型ポケモンを?」

 

「肩に乗せられる。それとこいつの属性だ」

 

 エリキテルを手招くが、警戒の波導が流れている。まだピカチュウほど手足のようには使えないだろう。

 

「属性? 見た目から電気っぽいですけれど……」

 

「電気・ノーマルとある。能力値もそうだが、ピカチュウに極めて近い。だから選んだ」

 

「結局、ピカチュウが基準なんですね」

 

 そっとエリキテルの頭を撫でてやる。波導の位相を変えると、エリキテルが舌を出して、アーロンの指先を舐めた。警戒心は言うほど強くはない。愛玩用のポケモンの近いものがあるのだろう。

 

「覚えている技は、説明書通りなのかだけ確認したい。シャクエン、この後は」

 

「分かっている。一度手合わせする」

 

「助かる」

 

 エリキテルをわざとボールから出して夕食のおこぼれを与えた。エリキテルはむしゃむしゃと食べる。

 

「でも俊敏って感じじゃなさそうですよね。呑気って感じ」

 

 メイが手招くと、エリキテルはぷいとそっぽを向いた。

 

「お前ほどの馬鹿はどのポケモンにも嫌われるな」

 

 その言葉にメイは衝撃を受けたようで必死になってエリキテルの興味を引こうとする。

 

「ほーら、エリキテル。こっちこっち」

 

 夕食の食べかけを与えようとするが、エリキテルは見向きもしない。

 

「……アーロンさん。波導使ってあたしに懐かないようにしたんじゃないですか」

 

「そんな事に波導を使うか」

 

「じゃあシャクエンちゃんには懐くんですか?」

 

「私は、〈蜃気楼〉の圧が強過ぎて、他のポケモンは寄ってこない」

 

 その言葉通り、エリキテルは一度、シャクエンのほうへと歩みかけてはたと動きを止めた。目には見えないバクフーンの存在感に圧倒されたのか、慌ててアーロンの陰に隠れる。

 

「いいなー、いいなー。なんで毎回、アーロンさんばっかり」

 

「メロエッタが懐いているんじゃないのか」

 

「メロエッタは……、あたしにもよく分からないところの多いポケモンですし」

 

 不本意だが自分の至らなさは理解しているらしい。その分だけはまだマシであった。

 

「シャクエン。隣のビルの屋上で一戦だ。それで精度をはかる」

 

 シャクエンは首肯する。メイはまだ文句を垂れていた。

 

「あたしだけ仲間外れー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バクフーンが火の粉を舞い散らせ、肉迫する。

 

 アーロンは肩に乗せたエリキテルの攻撃で弾き様に、一撃を与えようとした。そこまで、と同時に判断して矛を収める。

 

 バクフーンが空気に溶け、エリキテルが息を切らしていた。レンタルポケモンは戦闘用とはいえ、いきなり炎魔との戦いとなれば消耗もするのだろう。

 

「悪かったな。俺の面倒につき合わせて」

 

 ビルの屋上からアーロンは流れる街並みを見つめる。シャクエンはその視線の先を追って頭を振った。

 

「いい。それよりも……。波導使い、瞬撃が心配なの?」

 

 思わぬところで、と言った具合にアーロンは帽子を目深に被った。

 

「……正直、殺し屋なんて心配したところで仕方がないのだと思っている。お前も、俺も、ラピス・ラズリも、皆、同じ穴のムジナだ。だが、どこかで情が移っているのだろう。瞬撃の行動には心配、というよりも、解せない、のほうが大きい」

 

「行動目的の読めない相手、というわけ」

 

 アーロンはエリキテルをボールに戻して息をつく。

 

「瞬撃は、今まで自分の分を弁えた人間だと思っていた」

 

 予想以上の行動には出ない。一度、波導使いアーロンの暗殺を諦めれば、もう二度と同じ手には出ないだろうと。その目でスノウドロップの実力も目にしたはずだ。滅多な事では、向こう見ずな行動に移らない。

 

「でも今回、瞬撃の行方は知れず……。私にも何も言わなかった」

 

「無論、馬鹿には」

 

「言っていない。メイも、嘘をつけるとは思えない」

 

 だとすれば余計に分からない。アンズはどこへ行ってしまったのか。自分達に一声もかけずに消えていくタイプだとはどうしても思えなかった。

 

「だとすればやはり、セキチクか」

 

 父親であるキョウの命令ならば、アンズは隠密行動に出てもおかしくはない。シャクエンは尋ねていた。

 

「セキチクにいるのは、瞬撃の実の親なの?」

 

「ああ。血の繋がりはあるという」

 

「……まだ、完全に俗世間との繋がりを絶ったわけではない」

 

 両親も、信じるべきものも全て失ったシャクエンからしてみれば羨望もあるのかもしれない。だが、そのような生易しい関係に収束されるものではないのは自分がよく知っている。キョウは、あの父親は自分の恨みを晴らすためならば何でも命ずる。たとえそれが道理にもとる事であろうとも。

 

「親がいるからと言って、いい事ばかりではない」

 

「あなたは……。波導使いアーロン、あなたには、もう、信じるべき場所も、人間もいないというの?」

 

 自分の事を語った事はなかった。特に両親については。アーロンはぽつり、と語り出す。

 

「長い話になる」

 


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