MEMORIA   作:オンドゥル大使

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第九十八話「フェイズ2」

 

 アーロンはコクランを睨み据える。殺すと断じた眼差しに相手はフッと笑みを浮かべた。

 

「その眼、まさしく恐れられている殺し屋、アーロンに相応しい。まるで獣だ。波導使いの名は轟いていますよ。遠く、シンオウまでもね。ですが私は、何度もあなたと、それに類する波導使いの戦いの記録を聞いてきましたが一度だって思った事はありませんよ。負ける、とはね」

 

「負ける。馬鹿を言っちゃいけない」

 

 姿勢を深く沈みこませたアーロンはエリキテルの乗った片腕を引く。

 

「――殺し殺されだ。負けるなんてなまっちょろいものじゃない」

 

「いいですとも。来い! 波導使いアーロン!」

 

 キリキザンが駆け出す。アーロンは電気ワイヤーでキリキザンの足元をすくおうとしたが、察知されて跳躍を許した。

 

 しかしそれでいい。アーロンの目的は別にある。

 

「エリキテル。相手は炎魔相当だ。本気でいく」

 

 エリキテルの放った電流の矛先は、アーロンの脚部であった。

 

 電撃の刺激が走り、脚部の筋肉が膨れ上がる。波導を綿密に用いて刺激の量を調節し、アーロンはその電気刺激の効果のみを引き出した。

 

 電撃的な速度でアーロンがコクランへと接近する。

 

 キリキザンが降り立ち、攻撃を開始するまでのコンマ一秒の世界。

 

 アーロンの手はコクランの頭部を捉えていた。

 

「――取った」

 

「まさか……」

 

 コクランの喉から断末魔の叫びが迸る。

 

 エリキテルの電流が通り、コクランを殺害した――かに思われた。

 

 しかしコクランは立ち上がった。震える指先で眼鏡のブリッジを上げる。

 

「助かりました。カトレア様」

 

「いい。わたくしはコクランなしでは駄目だから」

 

 後ろの少女か、とアーロンは歯噛みする。

 

 一体何をしたのだ。

 

 その視線の先に映ったのは、緑色のゲルに覆われた胎児の姿であった。ゲルが鎧のように纏いつき、堅牢な両腕を構築している。その手が開かれて、先ほどの電撃を吸収した。

 

 波導の眼が放った電撃の八割の吸収を目にしていた。

 

 だが、あり得ない。

 

 他人に放った電撃を自分の側に引き寄せるなど、通常のポケモンではない。

 

「ランクルス。電撃の総量は耐えられる代物みたいね」

 

 ランクルスと呼ばれたポケモンがゲルの拳を握り締め、電撃の能力をはかっているようだった。

 

 その手が再び開かれた瞬間、アーロンの背筋を殺気が粟立たせた。

 

 飛び退った空間を引き裂いたのは電撃である。

 

 自分の放った電撃をそのまま返されたのだ。

 

「青の死神……伊達ではないようね。コクラン、下がっていなさい」

 

 少女が前に出る。コクランは口惜しそうに面を伏せた。

 

「面目ございません……。カトレア様」

 

「いいわ。戒められしわたくし。少しばかり退屈もしていたの。……波導使い。あなたは、わたくしの眠気を払える?」

 

「何を、言っている!」

 

 エリキテルの放った電気ワイヤーがランクルスの腕に絡みつく。このまま、と考えたアーロンへと予想外の事が起こった。

 

「このまま、だなんて、舐めないでもらいたいわね」

 

 ランクルスがその膂力でアーロンごと引き寄せる。パワーがないかに思われたゲル状の身体には予想以上の能力が込められているようだった。

 

 アーロンは波導で自分の足を地面に縫い付けるも、ランクルスとのパワー勝負には勝てそうにない。

 

 すぐさま別の手を打つべきだと、電気ワイヤーを外した。もう片方の手から射出した電気ワイヤーでランクルスの不意を打とうとする。

 

 しかしランクルスから放たれた青い思念が塊となって電気ワイヤーの動きを打ち消した。

 

 まさか、と息を呑む。

 

「エスパー、なのか……」

 

「そう。ランクルスは純粋エスパータイプ。少しばかり器用だから、天下の波導使いでも分からない?」

 

 地面に這わせておいた電気ワイヤーを突き上げる。だがランクルスはそれさえも予期して念力で叩き潰した。

 

「どの方向から来る、だとか、どういう風に攻める、っていうの、わたくしの前じゃ無駄。どこから来てもランクルスならば避け切れるし、わたくしも同じ」

 

「それはどうかな」

 

 アーロンは跳躍してランクルスへと接近しようとする。

 

 だがこれは見せ掛けだ。

 

 本丸は別方向から攻める電気ワイヤーによるトレーナーの無力化である。巧みにワイヤーを用いてアーロンは右手を突き出す。

 

 見た目からして派手なこちら側に意識が向くと思われた。

 

 しかし、カトレアは冷静に告げる。

 

「波導使い。言っておくけれど、わたくしにそういう、見せ掛けは通用しないわ」

 

 ランクルスの放った念動力が電気ワイヤーを偏向させ、さらにもう片方の手から放たれた金色のエネルギー弾がアーロンを襲った。

 

「気合玉」

 

 咄嗟に電気ワイヤーを使ってビルに巻きつける。寸前のところで回避出来たが、アーロンには何故、という感覚がついて回った。

 

 どうして二重の攻めが通用しなかったのか。

 

「どうして通用しなかったのか、って思っている。あなたは、わたくしに傷一つつける事は出来ない」

 

 考えを読まれてアーロンは波導の眼を全開にした。まさか相手も波導使いか。

 

「わたくしは波導使いではない」

 

 またしても考えを見透かされる。アーロンは息を呑んだ。

 

「読心術か……あるいは、エスパータイプによる思念の増幅」

 

「どっちも、違うわね。わたくし、生まれ持った超能力者なのよ」

 

「信じられない」

 

「……本当に、自分以外に特別な能力を持つトレーナーがいるとは思っていないのね、波導使い。超能力者であるわたくしにとって、心を読む程度は些事よ」

 

 アーロンはビルの壁面に張り付いたまま次の手を考える。

 

 電気ワイヤーでランクルスと引っ張り合いをしても勝てる確率は四割を下回る。ならば、トレーナー本体を叩くのが定石であったが、全ての攻撃を予知出来るというカトレアに届くのか。

 

 アーロンの胸を過ぎった一瞬の逡巡も、彼女は読み取る。

 

「わたくしに届くのか、とても不安のようね。ランクルスを貫通し、なおかつわたくしに届く攻撃。コクランを倒した事で少しばかり調子づいたようだけれど、まだまだよ。あなたは、フロンティアブレーンを一人だって倒せない。その程度なのよ、波導使い。あなたの力量はね」

 

「どうかな」

 

 アーロンが電気ワイヤーを放つ。しかしこれも牽制。

 

 次の一手は隣のビルへと飛び移ってから遂行される。

 

 屋上を駆け抜け、アーロンはビルの合間へと降り立つ。

 

 その際、ビルの波導を読み、エリキテルで切断させた。

 

 ビルの中腹から粉塵が舞い上がり、傾いだビルそのものの質量がカトレアへと降り注ぐ。

 

「ランクルス、防御を」

 

 当然、防御に回るはずだ。念力をどれだけ強力に扱おうと、ビル一個の質量の防御に回ったランクルスは――。

 

「こちらには気づけない」

 

 アーロンは土煙の舞う中を疾走していた。

 

 右腕を突き出し、カトレアへの直接攻撃を。

 

 しかし、カトレアに届く寸前で、ビルの一部が崩落し、自分とカトレアとを遮った。

 

「偶然か」

 

「いいえ、波導使い。わたくしが念動力でビルの一部を切り取り、あなたとの壁を作った。これは偶然ではなく、必然よ」

 

 だがその程度は読みの内に入っている。

 

 右腕に這わせていた電気ワイヤーをアーロンは放った。

 

 僅かな距離であるが、その近さはカトレアの慢心の距離だ。

 

 電気ワイヤーが突き抜け、カトレアの服にかかったかに思われた。

 

 ビルの部品もカトレアへと降り注ぐ。どちらかを避ければどちらかが命中するはずだ。どれだけ超能力者が優れていても、こればかりは避け切れまい。

 

 アーロンの予感を遮ったのはカトレアの放った一言であった。

 

「ランクルス、引っ張り上げなさい」

 

 カトレアにかかっていたはずの電気ワイヤーをどうしてだかランクルスが握っていた。

 

 疑問を発する前に超絶的な膂力がアーロンの身体を煽った。引きずり回される、と早々にワイヤーを切ったのは結果的に功を奏した。

 

 電気ワイヤーを引っ張り上げた先にあったのは自分が叩き落したビルであったからだ。

 

 もし諦めなかったらビルへと叩きつけられ、押し潰されていただろう。

 

「どうして……」

 

「どうして、わたくしに放ったつもりの電気ワイヤーがランクルスの手にあったのか、でしょう? ランクルスとわたくしは同期している。わたくしの予感した事はランクルスの予感した事。つまり、わたくし達を物理的に引き剥がしたところで意味がない。わたくしとランクルスは同じ領域で戦っている」

 

 ランクルスを先に倒すべきか、とアーロンは感じたがカトレアは首を横に振る。

 

「そういうのが不可能だと言っているのよ、波導使い。わたくし達の領域は熟練者のそれ。あなたのような、木っ端の殺し屋が到達出来るものではない」

 

「やってみなければ分からない」

 

「分かっているわよ。コクラン」

 

 コクランは身体から麻痺が取れたのかすっと立ち上がった。

 

「瞬撃を追いなさい。わたくしはここで波導使いを足止めするわ」

 

「……申し訳ありません、カトレア様。私が至らないばかりに」

 

「そういうのはいいのよ。あなたはわたくしの枷。フロンティアブレーンがわたくしの真の力を恐れるあまりにつけざるを得なかった。でも波導使い、この男とならばわたくしは力を出し惜しみする必要はないわ。存分に振るえる」

 

「必ず、戻って参ります」

 

 コクランがキリキザンを操り、アンズを追おうとする。その行く手をアーロンは遮ろうよした。

 

「させるか!」

 

 電気ワイヤーをランクルスの念力が引っ張り込む。

 

 アーロンは敵を見る眼を向けた。

 

「どうやって殺すべきか、と考えているわね、波導使い。でもどこまで考えたって、それは無駄。無駄って言うのよ。だってあなた、考えが明け透けなんですもの」

 

「瞬撃を追わせるわけにはいかない」

 

「どうするの? そこの。Nだったかしら? その子に追わせる?」

 

「いいや、別の手を使う」

 

 その言葉と、炎熱の影が現われたのは同時だった。

 

 カトレアの背後に回っていたバクフーンが炎の腕を振るい落とす。しかしランクルスがゲル状の腕を掲げて防御していた。

 

 火の粉が散る中、バクフーンがかあっと口腔を開く。

 

「そう……もう一人いるわけね。このバクフーン、自律行動型。本丸はここから少し離れている。近づくのに今の今まで時間がかかったのは、わたくし達の状況を把握するため。なるほど、炎魔、ね」

 

 こちらの考えをどこまでも読み取るカトレアにアーロンは言い放つ。

 

「どうする? こちらは二体一だ。どれだけフロンティアブレーンが優れていようとも、多勢に無勢なのではないか?」

 

「……あなた、分かっていないわね。フロンティアブレーンは一回につき複数の挑戦者を受ける事さえも許されている。連戦に次ぐ連戦。激戦と、その余韻に浸る暇もない戦いの渦。あなた達の想像の枠外にある戦いを、見せてあげるわ」

 

 ランクルスがバクフーンの腕を弾き返す。

 

 アーロンが駆け出し右腕を突き出した。

 

「パラボラチャージ!」

 

 ランクルスが地面から複数の小石を浮かび上がらせ、それぞれをぶつけ合わせて即席の散弾を作り出す。

 

 だがこちらには電磁の壁がある。「パラボラチャージ」で構築された壁が小石の散弾を受け止めた。

 

 肉迫の距離に至ったアーロンの放った電気ワイヤーがランクルスの頭上を行き過ぎ、カトレアにかかろうとする。

 

 バクフーンが炎の襟巻きを拡張させて火炎弾をランクルスへと放った。

 

 如何にランクルスが強かろうともバクフーンの「ふんえん」をまともに受け切るだけの防御力はないはずだ。加えてこちらの電撃をかわしきる術もない。

 

 ランクルスとカトレア。どちらかは確実に取ったはずであった。

 

「……本当、度し難いって言うのかしら」

 

 ランクルスが掌の中に金色のエネルギー球を装填する。

 

「気合玉を頭上で炸裂させなさい」

 

 なんと、ランクルスは「きあいだま」を攻撃に用いたのではない。

 

 頭上で破裂した強大なエネルギーの球体は閃光弾の役割を果たしたのだ。

 

 接近していたアーロンは波導の眼を一時的に潰される形となった。眩い光が網膜の裏に焼きつく中、バクフーンが念動力で弾き返される。

 

「〈蜃気楼〉……。シャクエンは」

 

「他人の心配、している場合?」

 

 ランクルスの腕がアーロンの首根っこを押さえ込む。そのまま締め上げられた。波導を使おうにも見えなければ切断も出来ない。

 

 至近の距離にありながら、ランクルスの弱点を攻める事も出来なかった。

 

「これが、力の差、というものよ。フロンティアブレーンはあなた程度の殺し屋には負けないし、あなただってここまで」

 

 ここまで。その決定的な宣告に通常ならば怯み、恐れ、ここで負けを認める。

 

 ――だが、自分は。

 

 追い求めなければならない真実がある。アンズが何を思い、何のために自分達から距離を置こうとしたのか、知らなければ前に進めない。

 

 退路など存在しないのだ。

 

 もう、進むしかない。

 

 その胸中でさえも、カトレアには見通されていた。

 

「……どうして、そこまであの殺し屋にこだわるの? 所詮、殺し屋同士の友情なんて存在しないのでしょう? それとも、恋慕かしら? 慕情の念が、あなた達を繋ぎとめているの? 切れそうな関係性を、あなた達は無理やり保っているように見えるわ。どうせ、あなた達を別つのは死だけ。最後にはそれしか待っていないのにどうして? 希望なんてないのよ」

 

「……かもしれないな。だが俺は、だからこそ」

 

 ランクルスの腕に亀裂が走る。

 

 カトレアがハッとして念動力でアーロンを突き飛ばした。

 

 その目が見開かれ、驚愕を露にしている。

 

「何をしたの……。今、あなたの眼は潰されていて、波導も見えないはずなのに、何故……」

 

 ランクルスを包むゲル状の皮膜が崩れている。再構築しようとするが、それは成されなかった。波導回路が切られているのだ。再生は出来ない。

 

「波導は見えないはずじゃ……」

 

「ああ、そうだ。だが逆転の論法だ。フロンティアブレーン。波導は生物の根源。全てのものに波導は存在し、万物を司っている。ならば波導の存在しないものから逆算し、切り取られたその部位を破壊すればいい。今の俺の眼には」

 

 顔を上げる。カトレアが息を呑んだ。

 

 アーロンの開かれた眼には青い波導が纏いつき、瞳孔は赤色であった。

 

「――波導を持たない全てが視界に入っている。これがフェイズ2だ」

 

 それは全て、波導を見る眼を潰された際の事さえも戦闘の領域に入れていた師父の教えであった。

 


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