飼っていた芋虫がモスラとして異世界召喚された話 作:GT(EW版)
これまで長時間歌い続けていたのはベラだったが、彼女の歌をずっと傍で聴いていたモラはインファント語で紡がれる歌詞を覚えていた。
ハオラモスラ。太陽の子モスラに力を与え、奇跡を祈る歌だ。
ベラの見様見まねであり、ところどころ間違えていたかもわからない。歌詞の意味もわからなかったモラだが、ただレオちゃんを救いたい一心で彼女は歌った。
学校でも取り立てて音楽の成績が良いわけではなく、カラオケでも高得点を取ったこともない。壊滅的な音痴というほどではないが、特別上手いと言われたこともない。モラの歌唱力は極めて凡庸なものだった。
当然、ベラの足元にも及ばないだろう。
容姿や声が似ている二人だが、歌唱力の才能は決定的なまでに差があった。
故にモラはこれまで、ベラに対して並々ならない尊敬と憧憬を抱いていた。自分と同じ歳でありながら民族の長を務め、その美しい歌声でレオちゃんを神様たる本来の姿に戻してみせた。
事情を知っていたとしても、自分にはとてもできないことだ。そんな彼女に対してはもはや劣等感すら抱く気にもならず、モラには彼女を信じてモスラの戦いを見守ることしかできなかったものだ。
しかし、今のベラは喉を潰しており声も出せない。
故に、今こうして死にゆくレオちゃんを助けられる可能性があるのは、モラしかいなかった。
否、そうでなくてもモラにはもはや、彼女らの戦いを見ているだけの自分を許せなかった。
だからモラは、一心不乱に歌った。
ベラの話によれば、自分だってエリアス――モスラの巫女なのだ。
ならば私にだってできる筈だ。ベラのように上手くなくとも、同じ力を持っているのなら……今こうして命の危機に瀕しているレオちゃんに力を与えることだってできると信じ、モラは力いっぱい未成熟な声で歌った。
(お願い……!)
形あるもの、いつかは滅びる。
生まれ落ちた命はやがて土に還るのが自然の摂理であり、昆虫に関して言えばその寿命は極めて短い。
だが、それでもモラには受け入れられなかった。
こんな形でレオちゃんと別れることを。
目の前で大切な……家族を失うことを。
(届いて……!)
今まで生きてきて、自分がベラのような力を持っていると自覚したことは一度も無かった。
本当に特徴のない平凡な子だと言うのが、モラの自己評価である。
しかしその心は、レオちゃんを救おうとする思いは一ミリたりとも諦めていなかった。
(私も巫女なら……エリアスなら! レオちゃんを助けて!)
そして彼女のハオラモスラは、最後の歌詞を終えた――。
光となったモスラの姿が、一瞬にして粉と化して砕け散る。
その光景を前にすすり泣くベラが祈りを込めて手を合わせれば、モラは砕け散ったモスラの姿を茫然と見つめていた。
「……届かなかった……」
懸命に歌ったモラの声も虚しく、モスラはその命を終えたのだ。
地上に降り注ぐ光の粉はその証であり……あまりにも美しすぎる守護神の最期に、モラは膝をついて項垂れた。
「レオちゃん……ごめんね……ごめんね……っ」
自分を守る為に、こんなことになってしまった。
その事実を受け止めたモラは、ただ懺悔の思いで言葉を紡いだ。
そんな彼女の肩に――慰めるように何かが停まった。
「えっ……」
それは、ベラの手ではない。
モラの肩に羽根を広げながら止まった、カイコガのような一匹の
その蛾は再び羽根を羽ばたかせ舞い上がると、空に向かって飛んでいく。
ハッと息を呑んだのはベラだ。彼女は大きく目を見開くと何かに気づき、右腕を振り上げながら頭上を指差した。
釣られて、モラが同じ空を仰ぎ見る。
そこには――
「レオ……ちゃん?」
光り輝く無数の蛾が、踊るように集まっていた。
やがてその大群は一体の巨大蛾の姿を描くように広がっていくと、眩い光を拡散し――
「――――!!」
甲高い咆哮と共に、守護神は蘇った。
光を放つ無数の蛾は、今再びモスラとなり、現世に降臨したのである。
空に舞い戻った純白の巨大蛾はゆっくりと高度を下ろすと、モラたちの立つ祭壇の前へと着地していく。
モラとベラは居ても立っても居られず、祭壇の上から駆け下りた。
「レオちゃん!」
階段の最後の段を二段ほど残して跳躍したモラは、太ももまでスカートを翻した勢いのまま走り抜け、目の前の巨大蛾へと飛びついていく。
小さなモラたちの為に姿勢を低くしていた巨大蛾は、じっとしたままその白い頭で少女の抱擁を受け止めた。
温かい――もふもふした毛並みとはまた別の、生きている者の温かさだった。
頭の中に、幼い声が響く。
『ありがとう、モラ。とどいたよ、モラのうたごえ』
「レオちゃん! レオちゃんっ……!」
巨大蛾――レオちゃんの声に、感極まったモラは声を上げて泣いた。
そんな彼女の後ろには同じく涙ぐんだ目で、しかし安堵の表情を浮かべたベラの姿があった。
『ベラ、こえでない……? いま、なおすね』
「……っ?」
口を開いているが声を出せない様子のベラを見て、彼女の状態を察したレオちゃんが触角を輝かせると、ふわりとおもむろに優しい光が彼女の喉を覆った。
その瞬間、驚きに目を見開いたベラが再び口を開いた。
『痛みが、ひいた……?』
今度は、声を出せた。
「ベラさん、声!」
『あっ……』
この寒空の下酷使され、声が出せなくなっていたベラの喉が一瞬にして完治したのである。それは医学では説明のつかない回復現象であったが、この場では誰がそれを起こしたのか説明する必要はなかった。
レオちゃんの表情が、心なしか笑ったように見えた。
『ふたりとも、ありがとう』
感謝と慈愛に満ちた思念が二人の頭脳に響くと、両目が充血していた少女たちはお互いに顔を見合わせながら喜びを分かち合った。
そして周囲を見渡せば、そこにはいつの間にいたのだろうか。貰い泣きしたように嬉し涙を浮かべているインファントの若者たちの姿があった。
軽傷を負った者も何人かいるようだが、ここに集まった人数は当初から誰一人欠けていない。
生きているのだ。
みんな、生きているのだ。
この世はきっと、吾輩たちが思っている以上に摩訶不思議で――だけど、世界は吾輩が思っていた以上にシンプルだったのかもしれない。
吾輩の身に起こった奇跡を言葉で説明することは出来ないが、少女たちの愛が不可能を可能にしたということだけはわかっている。
力尽きてもはや死ぬ筈だった吾輩はあの時、三途の川を渡る直前でそこにいた誰かから追い出されたような気がした。
そして、ふと後ろから聴こえてきたモラの歌声が吾輩の魂を引き留めてくれたのである。
おそらくそれは、世界で一番幸福な臨死体験だったのではなかろうか。
――生きている。
いや、生かしてもらったというべきか。優しい彼女に。
今の吾輩が何者なのか、どんな力が秘められているのか、詳しく分析することはできず、どこか他人事のようにぼんやりしている。
しかしはっきりしているのは、吾輩が生きていることを喜んでくれる者たちが、ここにいるということだ。
「わぁ……!」
『綺麗な緑……インファント島の自然は、こんなにも美しかったのですね……』
「あそこ! レオちゃん、あそこ行って!」
御意。
生の実感を受けた吾輩はゆっくりと羽根を羽ばたかせながら、雪が解け始めた大地に己の鱗粉を撒き散らしていく。
雲を吹き飛ばしたことで快晴になったこの空を泳ぐように飛び回っていると、吾輩の
うむ、喜んでくれて何よりである。
空を飛び回る吾輩の背中に乗った二人の少女、モラとベラ。巨大蛾に乗った少女というのが傍からはどう見えるのかはわからないが、少なくとも吾輩は今、この上なく喜びを感じている。それこそ強敵であるアンギラスを倒した瞬間より、遥かにだ。
アンギラスの気配がこの島から消え去ったことを確認した吾輩は、今の島の安全を確認した上で吾輩なりのお礼を返すことにした。
それが今吾輩が行っている、二人を背中に乗せての空中遊泳である。
山を越える高さの空から見下ろす島の景色に二人が歓声を上げると、吾輩は彼女らが高所恐怖症でなかったことに内心安堵しながら羽根を羽ばたかせていく。
もちろん、吾輩としては万が一にも二人に危険が及ぶことがないようにバリアを張りながら飛行しており、この空中遊泳が二人の身を害することは絶対にないと言い切ることができた。
尤も本来なら空にも危険な怪獣がいる可能性もあったようだが、島を拠点にしている他の怪獣たちは吾輩以上にモスラの力を理解しているのであろう。確認できる彼らの気配は、まるで吾輩のことを恐れているように大人しいものだった。
その気配からは単純な恐怖と言う感情よりも、王様に対する畏怖のようなものを感じられた。恐るべきは信頼と実績のモスラブランド……中身はちゃらんぽらんな吾輩だが、怪獣たちの本能にはモスラの存在がヒエラルキートップの存在として刻まれていたようだ。
先代のモスラ方が彼らの祖先たちに対してどれほどの武勇伝を遺していたのかは、凡そ察することができた。
だが、吾輩は思う。
「モスラ」という種族が代々他の怪獣たちよりも強かったのはきっと、常に守るべき者が傍にいたからなのではないかと。
思いながら吾輩は、この力を込めた鱗粉をシャワーのようにばら撒き、戦いの影響で荒れ果ててしまった大地へと降り注いでいく。
地がその鱗粉を浴びた瞬間、吾輩たちの戦いで蹂躙された草木はまるで時間が巻き戻ったかのように元の青青しい色を取り戻していった。
パルセフォニック・シャワー――モスラとしての吾輩に備わった能力の一つであり、見ての通り地上の天然自然を蘇らせる力だ。こうやって生命を思い通りにするのは自然への冒涜に当たるのかもしれないが、今回この美しい島を荒らしてしまった責任は吾輩とアンギラスにあり、島の植物や動物たちには関係ない。
だからこれは、吾輩なりの償いのつもりだった。
そこまで考えて思う。はて……吾輩はこんなに殊勝な奴だったかと。モスラになった影響かもしれないが、この心境の変化はきっと悪いものではないのだろう。
「すごいね! やっぱりレオちゃん、神様なんだ!」
壊した自然の再生は、吾輩の偽善だ。
しかしそんな吾輩の行動に対して屈託のない笑みで賞賛してくれるモラの言葉は、心から嬉しいものだった。
だが一つだけ、彼女の言葉に訂正を入れさせてもらう。
――吾輩は神様ではないよ、モラ。
「えっ……でも、モスラって……」
先代のモスラ方がどうだったのかはわからない。
だが……吾輩の本質は人間や動物、昆虫たちと同じで、だけど分不相応に力を持ちすぎてしまっただけの生き物に過ぎないんだ。
『……怪獣……』
そう、怪獣だ。吾輩は神様なんて大層なものではなく、一匹の怪獣である。みんなと同じ生き物だ。
アンギラスも、カマキラスも、怪獣たちもまたこの星に生きている。生きているから何かを奪い、人もまた怪獣たちから何かを奪って生きている。
「……難しいね……お父さんとお母さんも言ってた。生きていくことは厳しいことなんだって」
本当にな……だけどそうやってお互いに奪い合わなければ、命は成り立たないんだ。
生きている以上、生き物は他の誰かを食べなければならない。
だから吾輩は、それを醜いことだなんて思わない。間違っているとも言わない。
ただ……憎いとか嫌いとかで行き過ぎた八つ当たりをするのは、考え直すべきなんじゃないかなと思う。
アンギラスは人間を憎んでいた。でもその怒りを、君たちのような優しい人間にぶつけるのは間違っていると思うから。
「レオちゃん……」
『モスラ……』
ふふ、すまない。ちょっと説教臭いというか、感傷的になってしまった。
要するに吾輩が言いたいのは、姿形が違ってもみんな生きているのだから、一緒にいる世界を壊してはいけないということだ。それと、与えられた命に感謝しないといけないってこと。
たとえ世界が食物連鎖で成り立っているのだとしても、みんながそこで生きていることを忘れないでほしい。
「……うん。そうだね……」
吾輩というイモムシを飼ってきたことで、そんな命の尊さを学んでくれたなら嬉しい。
まあモラは優しいから、吾輩を飼う前からわかっていたと思うけど。
「……そんなことないよ。レオちゃんに教えてもらった」
そうか……それは、良かった。
――モラ、君がいつか大人になってもどうか、優しい心を忘れないでほしい。小さな命をずっと慈しんでくれた、その心を。
そんな吾輩の感傷的な思念を受けて、聡いモラはこちらの真意に気づいたのだろう。
ハッと息を呑んだ後、彼女は吾輩の背中を撫でながら言った。
「……お別れしなきゃ、駄目?」
ああ、ここで一旦お別れだ。
彼女の歌でフルパワーになった今の吾輩なら、モラを元の世界に帰すことができる。
丁度今、吾輩はそれをやろうとしていた。
「……一緒に帰るのは、イヤ?」
せっかくこの命を繋いでくれたのに、ごめんね。
もちろん、吾輩だって君と一緒に帰りたいと思っていたさ。だが吾輩にはまだ、この世界でやらなければならないことがある。そしてモラには、帰る場所がある。
家族や友達だって、待っているだろう?
「……うん」
なら、君は先に帰らなくちゃ駄目だ。
こうして君を乗せて、飛ぶことができて良かった。成虫になった姿を見せられて良かった。……随分と、大きくなりすぎてしまったが。
「くすっ……本当だよ! こんなに大きくなるなんて、私聞いてなかったんだからね?」
うむ、吾輩も知らんかった。
それにはベラの力、インファント島の力はもちろんだが、何より君の献身的な世話があったおかげだよ。うん、間違いなく。
愛情っていうのは、ホントすごいよね。吾輩にそれをずっと注いでくれた君は最高の飼い主様で――母親だった。
「ありがと……レオちゃんこそ、大きくなってくれてありがとね」
その感謝、謹んで受け取った。
『モラさん……本当に、ありがとうございました』
「ううん、私なんて全然……ベラさんも、元気でね。負けないでね? 苦しかったら、いつでもレオちゃんと一緒に私の家に来ていいから。……ううん、苦しくなくても来て!」
『……っ、はい!』
「ふふ、今度はこっちがおもてなししてあげるんだから」
『楽しみにしています!』
二人の別れも住んでいる世界が違う以上、必ず訪れる瞬間である。
モラもベラも言葉は爽やかだが、涙ぐんだ声からはお互いに別れを惜しんでいる様子がわかる。
『全て終わったら、会いに行きます。モスラ……いえ、レオちゃん様と一緒に!』
彼女にそう言い渡すベラの言葉には、確かな誓いが込められていた。
温かい抱擁を交わす同じ容姿の二人の間には、既に固く結ばれた姉妹のような絆があった。
……もう、限界だな。これ以上は、吾輩の決心が鈍る。
二人を乗せた吾輩はインファント島の自然再生を完了させると、湾岸で見かけた
眼下に広がる美しいマリンブルーの上で、吾輩は内なる力を解放した。
今度こそお別れだ、モラ。
「レオちゃんっ!」
だけど大丈夫。心は届く。
どんなに遠く離れていても、心は届く。
どんな壁をも乗り越えて――必要なら時間の壁だって、乗り越えてみせる。
「……うん。約束だよ……?」
ああ、約束だ……!
眩い光を放ち、そして――消える。
その力の行使が終わった時、吾輩の背中からは既に少女一人分の体重が無くなっていた。
この感覚は、間違いない。
吾輩は彼女を――モラを無事、元の世界に送り届けたのだ。
名残惜しいどころではない。吾輩だって泣きたいぐらいだが、彼女の送還はこのタイミングでなければできないことだった。
――ここから先、吾輩たちが向かう場所に彼女は連れていけない。あまりにも危険すぎるから。
おそらくはベラも、賛同していたことだろう。
『……行って、しまいましたね』
ベラ……せっかくできた友達を引き裂くようなことをして、ごめん。
『いいんです。モラさんとはまた会えます……ええ、また会いましょう!』
……そうだな。全てを終わらせたら、吾輩たちも行こう。
吾輩たちもあちらに渡ったら、美味しい桑の葉を紹介してあげるよ。
『そ、そうですか……』
イモムシジョークだよ、君は真面目だな。
その真面目さに付け込むようで申し訳ないが……この先はどうしても、巫女の補助が必要だ。
だから今は、もう少しだけ
『仰せのままに。我が女王モスラレオ』
えっ
……吾輩、メスなん?
ベラを背に乗せた今、他の怪獣たちを寄せ付けぬよう羽根を光らせて威嚇しながら、吾輩は大海原を越えていく。
寂しくなった吾輩の背中には、一人取り残してしまう形になったベラが緊張の面持ちを浮かべていた。
さて、もう察しているだろうが、モラとの別れを早急に済ませてまで吾輩たちが向かっている先は、この世界で最も大きな力が眠っている場所――今か今かと復活の時が近づいている、怪獣王「ゴジラ」の寝床だ。
目覚めれば一瞬で世界は滅び、この星は宇宙の塵になる。冗談のような話だが、吾輩に備わっているモスラとしての本能が確信を持ってそう訴えかけているのだ。
かつて暴走したその力はゴジラ自身でさえも制御することができず、深い眠りにつくことで自ら封印される道を選んだほどの厄災である。
モラの歌で復活することができた吾輩はどういうわけか、これまでぼんやりしていたモスラとしての知識が復活前よりも鮮明になっていることを自覚していた。
その知識が訴えているのだ。ゴジラの本当の恐ろしさを。
かの怪獣王を再び封印しようとしていたアンギラスをこの手で倒してしまった以上、彼の代わりに吾輩が動くのも道理である。
それに……自分が死に瀕したことで、どんな命も美しいものだと思ったから。
だから吾輩は、生まれた場所も違うこの世界だけど……できるだけのことは、やってみたいと思った。
自分にできることを精一杯頑張って成し遂げた、健気な少女たちのように。
そうとも。
――私はモスラである。名前はレオちゃん。
――吾輩はレオちゃん。世界一幸せなイモムシだ。
次回のエピローグで終わります。
これまでお読みいただきありがとうございました。