この日、緑葉ナツは馴染みの居酒屋で飲んでいたが突然黒服の男達がやってきてそのままどこかへ連れ去られてしまう。黒服の男が「怪しい者ではございません」と言ってたが怪しむなと言う方が無理な話である。
車に乗せられ呑み屋からノンストップでそのままとある屋敷へと連れてこられた緑葉はようやくホッと安心することができた。その屋敷は緑葉にとっては馴染みのある場所だったからだ。
広い屋敷の廊下を慣れた足取りで歩いて行き、ある部屋の前で止まりドアをノックする。奥から「どうぞ」と声がしたことを確認し緑葉はドアを開けた。
「よく来たな緑葉、実はまた君に頼みたいことがあるんだ」
「なら今度はせめて連絡の1つでもくれませんか」
緑葉を迎えた人物の名は鶴屋竜司。日本有数の名家、鶴屋家の現当主である。
古くから名家として名高い鶴屋家は政治経済産業あらゆるところにパイプを持っており、日本を裏で操っているとかなんとか言われるほどスケールがでかい家である。
そんな超大物相手に緑葉は普段通りに接している。第三者から見れば緑葉は一体何者なのかと思われるだろう。
緑葉は鶴屋竜司の世話役的な立場にいる人物で言ってしまえば雑用係で雑務の仕事をこなしている。しかしその気さくな人柄から慕われやすく、鶴屋からの信頼と厚い。もはや雑用係という名の何かだ。
「それはそうと話って?」
「うむ、実は君に仕事があるのだが…とても重要な仕事だ」
重要な仕事と聞いた途端緑葉の顔はうーんという顔つきに変わる。
こういう時は大抵ロクなことがない。以前などいきなり「エジプトの鶴屋系列の会社に飛んでほしい」と言われエジプトへ弾丸出張しに行った事もある。
「いきなりエジプトとかは嫌ですからねさすがに」
「大丈夫だ今回は日本だから」
本当に大丈夫なのか?と問いたくなったが結局緑葉は渋々従うことにした。
こういった類の仕事を依頼された時は必ず羽振りが良くそれを知っている人が率先して志願するほどの羽振りの良さだ。もっともいきなりエジプトとか突拍子も無いところへ行かされるのだからそれくらいの報酬は当然だと考えているらしい。
「それで、今回は何をするんですか?」
緑葉は用意されていたコップにお茶を入れながら鶴屋の顔を伺う。
「うむ…これがまた大事な仕事でな、日給は20万なんだが…」
「にじゅうまん!?」
その額を聞いた途端緑葉はまさしく目ん玉が飛び出すくらい驚いた。お茶を口に含んでいたらまず間違いなく床にぶちまけていただろう。日給20万とか一体どういう仕事なんだと訳が分からなくなる、そして同時にやっぱりやめようかなと思い始めた。週とか月給が20万ならまだしも日給が20万とかどう考えても普通の仕事ではない。
「君の仕事はとある場所へと赴き、そこで記録などレポートを書いてもらうのが主な役目だ」
「先生そのとある場所って内戦地ではないですよね?」
「日本だと言っているだろ」
「ならせめてどこか教えてくれませんか」
「すまないが教えられない。言ったとしても今の君は信じてくれないだろう」
それを聞いてますます行く気を失くしてきたのは言うまでもない。
日本なのは幸いだがそれがプラスにならないほどに謎の部分が多い。特に最後の何か意味深な発言が引っかかって仕方がない。しかし日給20万は魅力的すぎるのだ、振り切れない…!悪魔的誘惑…!
「…分かったやるよやりますよ。悪魔に魂売るよチクショウめ」
「悪魔言うな」
結局緑葉は鶴屋竜司という悪魔に屈することになってしまった。色々不安要素は多いがそれ込みでも日給の20万は魅力的だったのである。
緑葉が引き受けてくれたことに鶴屋はどこか嬉しそうにしながら机の上の書類を纏めていく。
「この仕事を引き受けるに渡っていくつか条件がある。まず一つ、この仕事の内容を決して口外しない事だ」
「まあ別に誰にも言う気は無いしまず言っても日給20万の時点で誰も信じてくれんわ」
喋っても騙されているぞ、ホラ吹きだと言われるのが目に見えているので緑葉はハナから言う気は無かった。それを確認した竜司は机の上に置いてあった袋から一つのカプセル状の薬を取り出した。
「もう一つの条件はこの薬を飲んでほしいことだ」
「待って猛烈に嫌な予感しかしない」
「細かい話が色々と残っているがそれは追々話す事にする、今日はもう遅いからこれまでだな。その薬は今日寝る前に絶対必ず飲むようにとの事だ。以上」
「えちょっと待ってこの薬のせつm」
「今日は部屋を貸すからそこで寝るといいおやすみ緑葉、いい夢見ろよ」
そう言って部屋を出て行く鶴屋を緑葉は見守るしかなかった…。改めて緑葉は鶴屋に手渡された薬が入った袋を開ける。
「…飲むのか?これを…」
鶴屋が退室した後部屋の電気を消し、自身の寝室に向かいながら緑葉は深い溜息をついた。
「う…う〜ん…」
完全に閉め切っていないカーテンの隙間から朝日が立ち込める。そして外では鶏がうるさく鳴いている。その直後に「グォアッ」という声らしい何かが聞こえたのは忘れよう。
布団の中で微睡んでいた緑葉は腕を伸ばしてテーブルの上に置いてある時計をとり、現在の時間を確認する。
「7時か……、寝すぎたな、早く支度しなきゃ……うん?」
あくびをしながら布団から這い出てきたところで、ふと何か違和感を感じた。
何かがおかしい…?
緑葉は寝起きでロクに開かない瞼を開けて部屋中を見渡すが、特に何も変だと感じるところはない。強いて言うならティッシュの箱が壁に画鋲で固定されていることだがそれは元々だ。
「気のせいか…」
そう断じて冷蔵庫を開けたところで再び違和感を感じた。
この違和感の出どころは部屋ではないというは先ほど確認している。ということはもっと他にあるという事になる。
そして緑葉にはもう一つ気になることがあった。さっきからひとりごとを言ってきたがその声が聞きなれないものだったからだ。明らかに自分の声ではない高い声。
気のせいだ風邪でも引いたんだと理解させるように念じていたが緑葉は一応もう一度声を上げてみることにした。
「あー、あー」
そして、自分の口からハッキリと発せられた声はどう聞いても自分のものではなかった。
…………………………………アレ??
「あー、あー、あーーーー」
念のためもう一度声を出してみるがやはり自分のいつもの声ではない。あかさたなはまやらわでも同様のことを行なってみたがいずれも結果は変わらなかった。
「………」
寝起きから随分経ったのか頭もだいぶ冴えてきた緑葉はだんだん背中に冷や汗をかき始めていた。
(…え?いやいやいやいや、え?ちょっと待ってやだよやめてよドッキリなんでしょドッキリだよね、ドッキリだと言ってお願いだから!いやあのちょ…ちょっと一回落ち着こ?確かにいつもと違う声かもしれないけどアレだよねどうせなんかドラえもんのひみつ道具とかにあるのど飴的なのをなめたからなんでしょ?………前言撤回、そもそも昨日一昨日のど飴なめた覚えがない!)
半分混乱した頭を冷やそうと冷蔵庫から取り出した水を置いて洗面所へ向かう。そして取り付けられている鏡を見た瞬間、自分の周りの時間が止まったような気がした。
女性が いた。
鏡の中に女性が立っていた。緑葉はその顔を確認した途端何かピシッと割れるような音が頭の中で響くのを感じた。
そんなはずはない。だって自分の他には誰もこの部屋にはいないし居たとしても大体それは夜中ずーっと一緒にゲームをやっている仲間だがその仲間も昨日は呼んでいない。もしかしたら今鏡に映っている女性は向こうの世界の人物かもしれない。これもない、怖すぎるしそうならそうで多分自分は無事じゃ済まないし第一こんなリアルな霊なんて緑葉はまで見たことがなかった。
なぜそう言い切れるのか?何故なら緑葉自身子供の頃から地元のお墓や神社、お寺などでそういった類いのものを何度も見ている。
見たことがあるものといってもビデオやテレビで観るような白い服をきた女性の霊ではなく大体が影みたいなものでハッキリとした物体は見たことがなかったのだ。
というより今鏡に映ってる女性は恐らく霊ではない、あんな血色のいい幽霊なんてすぐに極楽浄土へレッツパーリィーしに行くだろう。知らないけど。
「………え?じゃあ…まさか…」
緑葉はおそるおそる頭をかくように髪に手をつける。触ってみたらなんと驚くほどサラサラで手を髪の先端まで伝っていかせると髪は肩より少し下の方まで伸びていた。
この時点でもう最悪な展開は想像できたがもっと完全な確信がほしい緑葉は思い切って一気に股へと手を伸ばしてみる。
「!!!!????」
そのあまりに信じられない事態に思わず声を張り上げそうになるが微かに遺されていた理性が咄嗟に出かけていた叫びをしまい込ませ口を両手で塞いだ。
「!!!???!!!???」
緑葉はしばらく床にしゃがみ込み、なんか色んな感情が頭の中をぐるぐると回っていた。自分でも驚くほど初心な反応に思わず笑いそうになるが少なくとも今は笑えない状況にいるのは確かだ。
「え、嘘!?嘘でしょ!?」
だが言葉が発せられるごとにこの事実が現実味を帯びてきている。自分の口からハッキリと発せられる女性らしい高い声が何よりの証拠だ。
しばらく混乱していた緑葉だったが、顔を洗ってある程度落ち着いたのか水を飲んだ後改めて自分の姿を鏡で見てみる。
外見は20代になったばかりのそれで、見方によっては18にも見えないことはない。髪は緑色を含んだ黒髪っぽい感じだがこの場合は緑でもいいかもしれない。
胸はお世辞にも大きいとは言えずどっちかと言うとちっぱいの部類に入る。どうせならデカい方が良かったなあと思ったが前にデカいと返って肩がこるという話を聞いた事があるのでまぁちっぱいで妥協しよう。
「これからどうしよう…」
テレビのお天気コーナーを眺めながら緑葉は悩んでいた。このまま今日は一日中引きこもるか否か、だが立場上一日中引きこもるわけにもいかず鶴屋にも呼ばれているからどの道外へ行かなくてはいけない。
ただ外に出ようとしても現在自分がいる部屋は『緑葉の部屋』である。そこへ得体の知れない女性が出入りしているなどと噂されてはたまらない。
「しかしさっきのは危なかった。大声出してたらホントにまずいことになってた…」
緑葉は先ほどの出来事を思い返しながら水を口へ運ぶ。その前のことについては思い出すと恥ずかしくなってくるのでなるべく忘れることにした。
部屋を出た後は猛ダッシュで鶴屋が居るリビングへと向かい、ドアノブを掴むと思い切りドアを開ける。色んな意味で混乱していたためついノックをし忘れていたがそんなことは今の緑葉にとってはどうでも良かった。
「おお、おはよう緑葉。よく眠れたかね」
「おはようっさ!」
そこには有意義に朝のコーヒータイムを楽しむ鶴屋と勢いよくご飯をかきこむ女の子がいた。八重歯がキラリと光りまさに天輪爛漫を絵に描いたような彼女は鶴屋竜司の娘で名前を鶴屋由貴という。しかし彼女を知っている者は何故か彼女の事を『鶴屋さん』と呼んでおり、以前なんで鶴屋さんと呼ぶのかと由貴が通っていた高校の友人に聞いてみたら
『なんとなく』
『わたしもいつの間にか鶴屋さんって呼んでたからそれが当たり前になっちゃって…』
『一言では言い表せないんですが、何故か分からないけど鶴屋さんと呼ばなくっちゃいけない気がして』
『はて、そう言われてみれば何故なんでしょうか?僕が知りたいくらいです』
『知らない』
など、参考になるのかならないのか分からないコメントばかり聞かれた。多分参考にはなりそうもない。かく言う緑葉もほぼ彼女の事を『鶴屋さん』と呼んでいるのでそういうものなんだ、と思うことにしている。
「ああおはよう……じゃなくておいこれはどういうことだ」
「ほう、緑葉のルックスからして可愛いなるのではと思っていたがこれは予想以上じゃないか」
「あはははは!ホントに女の子になってるっさ!あはははは!」
緑葉の姿を見た由貴はテーブルをバンバン叩き笑い転げている。鶴屋は「あんまり笑うんじゃない」と笑っている由貴をたしなめているが見ると肩をプルプル震わせている。目上の人とかどうでもいいから一発殴りたい衝動を抑えて緑葉は鶴屋へ向き直る。
「で、これはどういうことだ?返答次第によっては一発どころでは済まないよ」
「分かった分かった、私も丁度それを言うために君を待っていたんだ」
噴火一歩手前の緑葉をなんとかなだめながら竜司は話を進める。
「昨日も言った通り君にはある場所に行って貰いたい、そこで君には完全な女の子になって欲しくてな。昨日渡した薬は簡単に言ってしまえば性別を逆転できる薬だ。男性なら女性に、女性なら男性に、という風にな」
「色々ツッコミ入れたいところあるけどまずこれだけは聞かせて。誰が作ったのこの薬」
「…………クワルスキーだ」
それを聞いた瞬間の緑葉の溜め息となんとも言えない表情が全てを物語っていた。
クラーク.D.クワルスキー。鶴屋お抱えの科学者で、マサチューセッツ工科大学出身というエリートで自称最高の科学者だと自画自賛している。
確かにすごい発明を作ることもあるがそれを差し引いても超のつくほどポンコツで成功と失敗の割合は1:99というほどだ。
いつも何かやらかして大失敗をする。彼のキャリアを知れば知るほどなんであんなやつがエリートなのか不思議に思うのは仕方のないことだし、そう思わない方がおかしいレベルでポンコツなのである。彼の実験によく付き合わされている緑葉だからこそ、クワルスキーの作ったものには不安を覚えたのだ。
「だ、大丈夫だ。一応同じ薬をもう一度服用すれば元に戻るとクワルスキーも言っていたしな」
「一応ってなんだ一応って」
クワルスキーに研究室を貸し与えている竜司本人から出た根拠のない言葉にまた頭が痛くなった緑葉だったが破格の給料にもある意味納得がついてしまい複雑な気分になる。なってしまったものは仕方がないのでこの話題はここで切り上げ、仕事の内容について質問することにした。
「先程も言った通りある場所へ赴いてそこで報告書を作ってほしいのだが、何しろそう簡単には行けない場所なんだ。今回は向こうへ行く調査員の手伝いをしてほしい」
「まあそれは後でその調査員とやらに色々聞くからいいけど、今回の仕事と女性になるのとではなんの関係があるんだ」
「正直言って無い」
「は?」
それを聞いた緑葉はいよいよ本格的にキレそうになってきた。しかしそれを鶴屋にぶつけても意味がないので後でクワルスキーにグーパンを決めることにした。
「確かに女性になった意味は無いとは言ったが、あっちの方では女性になった方が過ごしやすいのかもしれないな」
「昨日もそうだけどボヤかすのやめてくれ、なんかいちいち気になってしょうがない」
腑に落ちないところはあったが考えれば考える程頭がクラクラするので最後は諦めることにした、そうした方が楽だもん。
その後も鶴屋と様々な話をして仕事の大まかな内容は理解したが、目的地については頑として教えようとはしなかった。
緑葉はお茶を飲みきると椅子から立ち上がり、荷作りなどの準備をするため一旦自宅のある千葉へ帰ることにした。
「良かったら送っていくぞ」
「いや大丈夫。それより気になることがあるんだが、私が女の子になっちゃったこと誰にも言ってないよね」
「あーそれなら私がミドリっちの家族や知り合いに言ってしまったにょろ(テヘッ」
「鶴屋さん何してくれてんの」
「みんな大笑いしてお母さんなんて後で自分が昔着ていたセーラー服着せるってはしゃいでたっさ!」
「この姿の間は水戸の実家に帰るのはやめようかな」
IS学園の屋上。そこの一角にあるベンチに緑葉は腰をかけ、初めてこの身体になった時のことを思い出していた。
仕事内容は機密だということで箝口令が敷かれ話せない。言ってもどうせ夢を見たと言われるだけだと。あの時の自分からしたらこの身体も夢だと思いたいが。
「………………」
改めて緑葉は自分の身体を見る。あの性別転換の薬『セイベーツイレカワール』を飲んだのはあの時と今回で2度目だ。ちなみにここにくる時飲んだやつは改良がされたデラックス版。何がデラックスなのか理解できなかったが兎に角デラックスはデラックスでデラックス以外の何者でもないらしいデラックス。
すでに解毒剤は完成し、戻ろうと思えば解毒剤を飲んで寝れば戻るんだと。ちなみに副作用はなし。医学の進歩って素晴らしい。
しばらくこの身体になっているとなんだかこっちもこっちで板についている気がすると思ってしまう自分は末期なのだろう。さっさと仕事を終わらせて早く解毒剤飲んで寝て男の姿に戻ろうと思った緑葉は屋上に吹く心地よい風に眠気を覚える。
1度眠気を覚えてしまうと睡魔には抗えず、この後緑葉はすぐに寝息を立てることになった。